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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第3部 その一歩を踏み出すためには
58/88

58.伊織、少々情けない気分。一方楠見は少年への説得を試みる

――あなたの能力は、いつか――


 誰かの優しいが、遠くから聞こえていた。


――あなたの居場所を――その時――


 誰かの声は、はっきりとは聞こえなくて。もっとよく聞きたくて、伊織は耳を澄ます。誰かの語ることが、今の伊織にとってとても大切なことのように思えたからだ。


――それまでは――


 優しくて暖かい。女の人の声だ。そして、少し切ない。


――目立たないように。前に出ないように――あなたには、特別な能力なんてない。普通の人間だから――


 切なくて、伊織は胸が苦しくなった。

(そうなんだ。俺には特別な能力なんてない。普通の人間だから)


(特別な人たちの中に入ることなんて、できないんだ)


(だけど……)


(どこかに居場所が欲しくて……)


(自分の)


――あなたの――


(居場所を)


――居場所を――

――ともに生きる仲間を――


(もしも)


――見つけたら、その時は――


(見つけることができたら)


――その封印は――


(……封印?)


 伊織は目を開けた。

 黒い天井が見える。


(ああ、まただ……)


 先ほどから、同じ夢を繰り返し見ているような気がする。


(封印って、なんだ?)

 気になって。続きを聞きたくて。けれど夢は、その先に進めない。

 何度目かの失意にため息をついて、また目を閉じる。


 誰かの声は、頭の中にこびりついたように残っていた。






 伊織は欠伸をかみ殺しながら、教科書をカバンに詰め込んだ。


 おかしなものだ、と思う。伊織の心の中は、眠ったり食べたりするよりも現時点ではもっと生きていく上で重要と思われるいろいろなことで埋め尽くされているというのに、ここにふかふかのベッドに倒れ込みたい欲求が割り込んでくるなど滑稽だ。


 清々しい顔で下校支度を整えるクラスメイトたちを横目で見つつ、七時限目の教室へと向かう。外部からの新入生のための、補習が始まるのである。

 胸中に重たいものを抱えながら、指定された一年八組の教室にやってきた。授業開始五分前でも十名弱の生徒しかいない教室内を一渡り見回し、適当に空いている席に着く。瞬間――


 ――哲也さん……


「――?」


 ドキリと胸が鳴って、伊織は姿勢を正す。耳元で、従兄弟の名前を囁やかれたような気がしたのだ。

 教室内を振り返りそうになって、慌てて目を伏せた。誰かがあの中傷ビラの話をしているのが、耳に入ってきたのかと。胃の辺りが締め付けられる。哲也のことを話題にしているのか、伊織の姿を見て噂しているのか。どちらにしたって、その声の主を睨み返すような度胸はない。しかし。


 ――追われているんだ、俺――


 えっ? と、思わず小さく声を上げてしまった。今度こそ、周囲を見回す。こちらを向いている者はおろか、誰かと会話をしている様子の者すら見当たらない。教室内にいる十名弱の生徒は、みな少しずつ離れた席に座り、テキストに目を落としたり携帯電話をいじったりしている。


 ――サイの組織に――


 まただ。なんだ、これ? 伊織は眉を顰める。耳に入ったというよりは、頭の中に直接割り込んでくるような、声。


 ――もしこの先、俺と連絡が取れなくなったら――

 ――奴らは緑楠を、サイ組織の拠点にしようとしている――

 ――能力を持っていることを知られるな。関わり合いにならなければ――


 ……なんだ?

 次々と割り込んでくる言葉の意味を考える前に、ゾクリと背中が粟立つ。額を押さえる。ああ、そうか――ぼんやりと思う。また、あの「夢」の続きだ、きっと。焼け跡で見た、あの。

 あのじんわりとした痛みが。そして、声――


(あなたには――)


 あれ? と伊織は内心で首を傾げた。先ほどの声とは違う。落ち着いた、女性の声だ。


(特別な能力なんてない。どこにでもいる、普通の人間)


 やはりどこかで聞いたことのあるような声だった。温かくて、静かで、優しくて、それでいてどこか寂しさを含んでいるような口調。頭が痛い――。


(その時が来るまでは――あなたの――)


 これは……今朝がたの夢の続きだろうか。たしか以前にも――あれはいつだったか――。




「相原くん」


 唐突に呼びかけられて、伊織は額から手を離し顔を上げた。隣の席に、同じクラスの男子生徒が座ってこちらを見ている。小柄で線の細い、あまり目立たない生徒だ。上野たちとよく一緒にいるが、口を開いているのを見たことはあまりない。名前は、たしか――


「中西、くん……」

「相原くんも、補習受けることにしたんだ」


 わずかに唇を曲げるような笑い方で、中西が言う。

 額の痛みは、いつの間にか消えていた。


「うん、やっぱり俺の中学時代の成績じゃ、ちょっと難しいなって……」


 社交辞令的な苦笑の表情を作って答えると、中西はそんな伊織をじっと見つめて、「でも」と口を開く。


「でもさ、きみ、学校に通い続けられるの? 伯父さんと伯母さん、死んじゃったんでしょ? お金あるの?」


 唇を歪め、笑っているらしい中西に、微妙な表情のまま伊織は固まった。


「え……?」


 上野たちと昼食をとった時に同じ席にいたという程度で、ほとんどしゃべったことはなかったのだが、中西は大人しくて口数が少なく、慎重に発言するタイプに見えた。だから……ちょっと聞き方が直球過ぎるだけで、伊織の身の上を心配してくれての言葉なのだろうか? ……そう思うことにしよう。


「あ、えっと……まだ、どうなるか分からないんだけど……」

「ふうん」


 中西は、それだけ言って、まだ少し興味を引かれるような視線を残しながら教室正面に向き直った。七時限目開始のチャイムが鳴ると同時に担当の教師が入ってきたのだ。


 ちらりと振り返れば生徒の数は増えていたが、それでも机は半分近く空いていて、二十名そこそこの生徒しかいない。補習のクラスは二つと聞いているが、もうひとつのクラスが同じくらいの人数だとしても、二クラスあわせて外部進学生の半分くらいにしかならない。ほかの新入生たちは、問題なく授業についていけているのだろうか。少々情けない気分になる。


 しかも伊織が抱えているのは、授業についていけるかどうか、という問題だけではないのだ。学校に通い続けられるの? ――中西の言葉が、粘りつくような余韻を持って頭の中で繰り返される。


 ホワイトボードの前に立った担当教師が、簡単な自己紹介を終えて補習の流れを説明しだした。

 集中しなくちゃ。そう自分に言い聞かせ、頭の中の空気を入れ替えるように伊織は深呼吸をした。







『楠見ちゃん、少年が帰ってくるぞ』


 高台からこちらを見下ろしているはずの古市からそんな電話を受けた直後、曲がり角から緑楠高校の制服を着た少年が姿を現した。

 運転席で、楠見はドアに手を掛けて、歩いてくる少年へと視線を向けたまま助手席のキョウに顔を寄せる。


「キョウ、まずは彼と話がしたい。平和的にな。もしも逃げようとしたら、さりげなく止めてくれ」


「ん。分かった」

 キョウは助手席のドアを開けながら、こちらに向かってくる自分と同じ詰襟の制服姿の少年へと目をやって頷く。

 が――。


 車を離れると同時に一気に跳躍したキョウを見て、楠見はすぐさま頭を抱えた。


 キョウはひとっ跳びに少年の目の前へ躍り出たかと思うと、着地する瞬間には既にタイマを右手に発現し、あろうことか住宅の壁とタイマの間の六十度ほどの鋭角に少年を挟み込み動きを拘束する。

 学校帰りの無辜の少年は、突然のことにどう反応していいのか分からない様子で凍りついた。


 ため息をつきながら、楠見も車を降りる。


「おい、キョウ――」

 駆け寄ろうとすると、キョウは少年を睨みつけたまま、楠見のほうには目もくれずに叫んでよこした。


「楠見、止まれ」


 思わず足を止める。


「サイだ」

 少年に目をやり、その首筋に、逆手に持ったタイマの刃を寄せて静かに言うキョウ。


 少年――峰尾裕介は、わけが分からないという表情で目の前のキョウを見、数十メートルの距離にいる楠見に目を向け、それから自分の首筋に触れんばかりの場所にある刀に視線を落として、やっと状況を理解したというように「ヒッ」と声を上げた。

 叫び出されては厄介だ。楠見は一瞬止めてしまった足を進め、キョウと峰尾裕介に近づいた。


「キョウ、刀を下ろせ」

「けど、サイだ」


 キョウは刀を握る手はそのままに、楠見を険しく睨んで、もう一度言った。


「いいから離せ」


 渋々、といった動きでキョウは峰尾裕介の首筋からタイマを遠ざけるが、切っ先を裕介に向け油断のない目で睨みつける。

 裕介の両目は、なおも自分に向けられている剣先に吸い付いたまま、恐怖を浮かべている。


 多少袖の余る詰襟の制服が、入学からまだ三週間程度しか経っていないことを思い出させる。ごく真面目で純朴そうな、そして少々臆病そうな生徒だ。


「驚かせて申し訳ない」

 楠見はまず詫びた。裕介の視線が楠見に移る。


 脅えきった瞳を正面から受け止め柔らかい笑みを浮かべるが、裕介の顔は色を失ったままだ。突然現れた謎の二人組みに刀を突きつけられた学校帰りの一介の高校生の、ごく常識的な反応と見ていい。


 キョウはそんな裕介を、感情を窺わせない冷ややかな瞳でじっと見据えている。一度、相原哲也に目の前で逃げられていることを考えれば、キョウのこの行動を予測できなかった楠見に非があるとも言えるが、おかげで裕介少年と平和的に打ち解けて話すことはかなり難しくなった。


「乱暴するつもりはないんだ。少し話がしたくて来た」

 返答を待たずに一呼吸だけ置いて楠見は続けた。

「緑楠学園・副理事長の、楠見と言います。峰尾裕介くんだね?」


 自身が籍を置く学校の名前を聞けば多少は安心してもらえるかと思ったのだが、意に反して裕介は息を呑んでわずかに身を震わせた。後ずさろうとして、背後の壁に踵が当たる。


「落ち着いて。きみを傷つけたりはさせないよ。――キョウ、いい加減に刀をしまえ。これじゃ話ができないだろう」

「けどこいつ、サイだよ。それに――」


「ち、ちがっ――」

 そこで、それまで何も口にできずにいた裕介が、突然声の出し方を思い出したとでも言うように一声喚いた。キョウが刀を上げようとする気配を察し、楠見は峰に手を置いて制する。


「ちがっ、ちがい、ます!」

 震えるような動きでふるふると首を横に振りながら、やっとのことで裕介が声を絞り出す。


「PKだ」


 冷ややかに短く補足するキョウ。その口調と行動から、そこそこの能力を持ったPKだということは察せられる。だが――。


「し、知りません……俺……違う。違うんです。何も知らない……」


「ああ、いいんだ」楠見は両手の平を裕介に向けて、「俺たちは人を捜していてね。きみをどうこうしたいわけではなくて、彼を助けるために、話が聞きたくて来たんだ。きみは――相原哲也くんを知っているかな」


 その名を聞き、また裕介の肩が跳ね上がる。裕介はぎこちない動きで、首を横に振り出した。


「知りません、俺、何も……何も知らない、知らない」


 その動作も表情も口調も、「何も知らない」人間のものと言うには全く説得力がなかった。

 ともかく。これでは本当に話ができない。楠見はひとつ、ため息をつく。


「キョウ、刀を納めなさい」

 キョウのほうに目をやって厳しく睨み、強い口調で命じる。


 数秒間、キョウは不満を顔に貼り付けて楠見と視線を対峙させていたが、やがて不承不承タイマを消した。


「峰尾くん、分かった。きみは何も知らないんだな」

 楠見は長身を少しだけ屈めて裕介と目線を合わせ、ひとつ頷く。

「きみが知らないことや言いたくないことは、聞かない。ただ、俺たちの話を聞いて欲しい。俺たちは、たぶん――」


 真っ直ぐに見つめられて、裕介の視線は吸い寄せられるように楠見に向かっていた。


「きみの困っている状況を解決できる。『きみたち』を助けに来たんだよ」


 裕介はかすかに力を抜いた。恐ろしい。話したくない。関わりたくない。けれども、どうにかして欲しい――。そんな裕介の逡巡が、伝わってくる。目の前の男が安全なのかどうか判断は付けられずにいるようだが、自分だけでは処理しきれず誰かに打ち明けたい問題を抱えているのだろう。楠見を信用させることができさえすれば、話は簡単なはずだ。そして、想像以上の収穫が期待できそうだ。


 彼はこちらが思っている以上に、いろいろ知っている。そう楠見は直感した。


「そこに――」道の先を指し示す。「公園があったな。座って少し俺の話を聞いてくれないかい?」


 裕介は迷っているようだ。わずかにキョウのほうに視線を向けたのを、楠見は見逃さなかった。


「キョウ」呼びかけて、財布を取り出しキョウへと放る。「缶コーヒーでも買ってきてくれ」


 不服そうにキョウは眉を寄せたが、楠見の意図は察したらしく、裕介の動きに注意を払いつつも財布を持って数軒先に見えている自動販売機のほうに駆けていく。


 楠見は裕介の肩に手を置き、公園のほうへとそっと押しやって、

「行こう。大丈夫、きみの悪いようにはしないから」


 微笑むと、裕介は泣き出しそうに顔を歪め、頷くというよりは首を傾げるような動きをした。

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