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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第2部 果たしてそれらの事件の鍵を握るのは
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56.伊織、悩む。そして高台の住宅街、不測の事態

(俺が、サイだって……?)

 伊織は戸惑う。

 言葉の上で何を言われたのかは理解できても、気持ちが追いつかない。


 とぼとぼとした足取りで学校を出て、商店街を歩く。どこへ向かったらいいのか。盗聴器の仕掛けられているあの家か? それともハルとキョウの?


 ぼんやりと見上げれば、伊織の心の中の情景をそのまま外に出したかのような黒い雲が、夕方の空一面を覆っている。

 雨でもやってきそうな湿った重たい空気が肌にまとわりついて、不快感が増した。


 もしも自分がサイだったら――少し前に漠然とそんなことを考えた時には、たしかに前向きな気持ちでその可能性を捉えていたように思う。自分だけの特別な能力を持って、特別な人たちの仲間になって、特別な仕事をする。そんなことになったら嬉しいだろうと。

 なんの取り得もなくて、むしろ情けない悩みしかなくて、不器用で要領が悪くて人並みのこともできないような平凡以下の自分の生活に、何か変化が起こるのではないかと。


 しかし、本当にそう告げられた今。あるのは高揚感でも喜びでもなく、困惑と戸惑いだ。


 俺が超能力者? まさか。サイコメトリーだって? 馬鹿らしい。焼け跡で見た光景なんて、あんなものは夢だ。暮らしていた家が焼けて親類が亡くなったりしたら、ショックで誰だって少しおかしくなるだろう?


 でも、刑事さんたちの言っていたことは、自分が見た夢の中で哲也の口から語られたものだった。――偶然だ。そんなことあるはずない。

 もしも自分がサイなら、みんなの仲間に――いや、きっとからかわれているだけだ。用心しろ。調子に乗ったら後で痛い目に遭うぞ。

 だけど、哲也さんを早く助けないと――ほらまた! 彼らの話を疑うことを忘れている。


 小さな可能性を心に浮かべては、ひとつずつ潰す。

 あるはずない。特別な能力を持った特別な存在なんかでは。そんなのは自分じゃない。

 でも、それなら何が本当の自分だ?


 考えが上手くまとまらない。額のあたりが熱い。


(どうして俺は、こんな問題に巻き込まれているんだろう)


 混乱の末に、涙が出そうになる。熱が額から、鼻筋へ、そして頭全体へと広がっていく。

 うずくようにじわじわと痛む額を押さえて、伊織は大きなため息をつく。


 結局は全部、自分を担ぐための狂言なんじゃないか。あるいは今こうしているこの状況すらも、夢なのではないか?


 高校に入学した瞬間に、何者かに追われ、部屋から盗聴器が見つかり、保護者となっている親戚が亡くなり、その上その犯人は従兄弟だ。中傷ビラを撒かれてアルバイトを続けられなくなり、クラスにも居場所がなくなり、刑事に疑いを掛けられて――。


――伊織くん、きみはサイだ。


 弱りきってフラフラになったところに、「ここに掛けろ」とちょうどいい椅子を差し出されたような気分だった。

 しかし、待ってましたとばかりになんの疑いもなく座れるような、そんな能天気な心理状態ではない。

 座ろうとした瞬間に椅子を引かれるかもしれないし、恐ろしい罠が仕掛けてあるかもしれないのだ。

 だって、伊織の安心して座れる椅子は、もうどこにもないのだから。神奈川の伯父の家にも、一人暮らしのアパートにも、学校にも、アルバイト先にも。


(どうしてこうなっちゃったんだろう)


 もどかしさと、理不尽さと、情けなさと、不安と疑いと――そんな黒っぽい感情が心の中で攪拌されて体積を増していく。気持ち悪い。


(どうすれば、いいんだろう)


 このまま誰かが何かを解決してくれるまで待っていればいいのだろうか。

 この一週間と同じように。

 教室に行くのは憂鬱だが、特に表立って嫌がらせをされているだとか、行けない状況に陥らされているだとか、そういうわけではない。新しいアルバイトを探す必要もあるが、今すぐに稼がなければならないというほど窮しているのでもない。


 そもそも、学費を払ってくれると言っていた伯父夫婦が亡くなった今、学校に行き続けることができるのかどうかも分からないのだ。勉強を優先させて一日わずか数時間で小遣いを稼ぐ程度の仕事を見つけることを、急ぐ意味があるのかどうか。


――楠見がどうにかしてくれるから、心配いらねえ


 そう請合ったキョウの言葉も、胸を締め付ける。

 そう言ってくれた彼らに、酷い言葉を投げつけた。


(俺は――)


 思い返したら、鼻の奥が熱くなってきた。涙が込み上げる。

 心の中が黒インクで塗りつぶされたような気持ちになった。


 俺は、彼らに、――何を言った?


 伊織のことを、伊織自身よりも真剣に考えて、守ってくれて、元気づけようとしてくれている。そんな彼らに、酷い言葉を投げつけた。

 中傷ビラを見たクラスメイトたちから伊織が向けられたような。中学校で超能力事件を起こした哲也が浴びたような。「その他大勢」の。傍観者の、冷笑。

 思い返して、伊織は小さく身を震わせた。


 ぽつりと、額に小さな滴が当たる。

 雨が降ってきた。

 その刺激に我に返る。気づけば自宅のアパートに近い路地を歩いていた。

 この先を曲がれば、アパートの門が見える。


 曲がりかけたところで、伊織はふと足を止めた。

 アパートの門の前に、見覚えのあるような人影を見止める。


(――?)


 足を止めて見ていると、人影はしばしの間アパートの入口を眺めていたが、やがて何かを振り切ったように門に背を向けて、こちらに向かって歩きだし――。

 あれは……。


(……哲也さん?)


 呆然と、伊織は目を見開いた。

 記憶の中にあるよりも、少々痩せたような。力のない顔。


 大粒の雨が、ばらばらと降ってきた。

 哲也との数十メートルの間にあるアスファルトが、たちまちのうちに黒く濡れる。


 伊織には気づかない様子で、こちらに向かって歩いてくる哲也。

 彼は伊織に何か伝えようとしていたのだと。刑事たちが言っていた。


 アパートの近くで見かけた人がいる、と――。


「てつ――」


 そちらに向かって一歩踏み出しかけた時だった。


「伊織くん!」

 声を掛けられて、振り返る。


 ハルが、伊織の来た道をたどってこちらへと向かって走ってくる。


「……ハル?」

 駆け寄ってくるハルに目をやって、再びアパートの前に視線を戻したとき。


(……?)


 そこにはもう、哲也の姿はなかった。


(……あれ?)


「伊織くん、どうしたの?」

 カバンから折り畳み傘を出しながら心配そうに聞くハルを、視線で迎える。

「何かあった?」


 ハルは傘を差して、伊織の体までその下に入れる位置に近づきながら、伊織の見ていた方向へと目を向ける。


「あっと……ううん。ハルこそ、どうしたの?」

 立ち止まったまま、すぐ隣に来たハルへと目を向けると、ハルは苦笑気味に口もとを緩めた。


「あーっと、ね。伊織くん、傘、持ってる?」

「え? ううん」

「そう? じゃあ、来てみて良かった」


 いつも教室で見せている笑顔を、ハルはいつも通りに伊織に向ける。

 伊織は先ほどの理事長室での自分を思い出し、後ろめたい気持ちになった。


「一緒に帰ろう?」

 小首を傾げるようにしてそう言うハルと、伊織は目を合わせることができなかった。






 日暮れ少し前から空に黒い雲が立ち込めだし、空気が重く湿り始めた。

 住宅街の高台、斜面に沿って通された見通しのいい車道に愛車のバンを停めて、その車体に寄り掛かり、一段下に立ち並ぶ家々を見下ろしている。


 古市陽平、もうすぐ四十歳。恰幅のいい体格に比例して、声も大きければ顔のパーツも大きい。いつもはその大きなパーツを目一杯に動かして、顔からはみ出んばかりの表情で朗らかに話す、アメリカン・コミックから出てきたような男だ。

――が、その声が、顔が。今は小さく消沈している。


「俺ぁ、『名探偵』の看板を下ろさなけりゃならないかもしれねえよぉ……」


 情けない口調で目をやる先にいるのは、体のラインにぴたりと沿ったレザースーツに身を固める美女。古市のバンの脇に自身のハーレーを停め、そのシートに片手を載せて、もう片方の手は風になびく長い髪を押さえている。

 切れ長の目をわずかに動かして隣の大男を見やり、彼女は小さくため息をつく。


「そんな看板、いつ出したのよ」

 呆れたような声は、女性にしては少々低いが、気だるげに鼻に掛かって艶っぽい色気がある。


「ちぇーっ。仁美ひとみチャンは冷てえなあ」

 古市は芝居がかった口調で、ぐすん、と鼻を啜る。

「今さら楠見ちゃんに何て言うよぉ」


「あの副理事長ならなんとかするわよ。グダグダ言ってないで、さっさと報告すれば?」

「ああ、しますよ。しますとも。けど勇気が出ない。仁美チャンー、慰めてー励ましてー」

「気持ち悪いわよ、四十男が」


 表情も変えずに容赦なく叩き落し、仁美は再びため息をつく。


「それじゃ、これで『あたしたちのこと』も、また延期ってことで」

 そう言ってヘルメットを取り上げる。


「仁美チャン、もう帰っちまうのかい?」

「だってまだ仕事が続くんでしょ? 雨も降りそうだし、もう行くわ」

 仁美は古市を艶然と睨みつけて、これ見よがしに三つ目の、そして一番長いため息をついた。


「久しぶりに誘うから、来客の途中だってのに放り出して定時で上がってきたんだけど?」

「だってよぉ。まさかあそこの家に、息子がいたなんてよぉ」


 今日で仕事が一段落するから、終わったら食事でもしようと。誘ったのは、古市のほうだ。


 が、本日朝方に予想外の事実が発覚し、一日調査を続けた結果、一段落どころではなくなった。プロポーズも延期だ。と言っても、ほとんど毎月延期しているので、これは特別なことではない。

 調査員として勤めていた調査事務所から独立して七年。仁美と結婚しよう、と決意して三年。俺が「名探偵」として納得のいく仕事ができるようになったらプロポーズするから、と約束し、日々名を上げるべく仕事に邁進しているが、今月もまた不測の事態により延期決定だ。


「完全に騙くらかされたわ。俺もう、人間なんか信じらんない」

 ヘルメットを被る仁美を恨めしい目で眺めつつ、ぼそぼそと愚痴りながら携帯電話を取り出す。


「それじゃ、行くわね。お仕事頑張って」

 そんな言葉を残し、仁美は華麗にバイクに跨ってエンジンを吹かす。


「ああ。……気をつけてな」

 恨めしい気持ちを込めてそう言った古市の言葉は、エンジン音にかき消された。


 走り去るハーレーを名残惜しげに見送りながら、緑楠学園理事長室の番号に電話を掛ける。相手はすぐに電話に出た。


「楠見ちゃーん、元気? 俺ちょっと元気ないのよー。ってのもね、俺さあ、大変なことを見逃してたんよ。ほんと、申し訳ない。俺もう『名探偵』の看板下ろすわ。うん。仁美チャンとの結婚も延期する。いいのいいの、ほんと。仁美チャンは待ってくれるって言ってっから。うん? 用件? ――ああ、それがね、いやホント、情けないのよ。仁美チャンも呆れて帰っちゃったわ。一緒にメシでも食って今日こそプロポーズって思ってたんだけどね。指輪だって三年も前から用意してんのよ? ねえ、これ型落ちしないかな。――ああ用件ね。もちろんあるよ、ちょっと待って、思い出すだけで情けなくて涙が出てくんのよ。仁美チャンもいい加減、俺に愛想つかしちまうんじゃねえかなあ……ああ、そうそう、報告ね――だけどさぁ……」

次回、第2部最終話です。

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