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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第2部 果たしてそれらの事件の鍵を握るのは
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53.山崎刑事、メモを見ながら語る

 神奈川県警の二人の刑事――山崎と白塚の乗る車は、高速を降りてしばらく大通りを走り、両脇に商店の入った中層ビルやマンションの建ち並ぶ片側一車線の都道に入っていた。少しすると、前方左手にレンガ造りの長い塀が見えてくる。

 緑楠学園の北東の角。ここから西に約八百メートルに渡り、このレンガ塀が断続的に続く。


 ハンドルを握る山崎は、スピードを落としてチラチラと左手の塀の向こうを窺う。

「広いですよねえ……」

 塀の向こうにのぞく建物郡を横目に見つつ、しみじみとつぶやく。


 多摩東部の落ち着いた地域に、広大なキャンパスを持つ学園。緑楠大学は、十階建て以上の高層校舎も数棟あるものの、全体的には三、四階建ての中層の校舎が多く、都心にあった山崎の母校から比べるとかなりゆったりとした印象だ。

 まだ大学生活を漠然と夢見ているくらいの歳の頃に、ドラマや漫画で見てなんとなく想像していた「大学キャンパス」というもののイメージにぴたりと当てはまるようで、山崎は少々ノスタルジックな気分になった。


 レンガ塀の道をのんびり走りながら、そんなことを考えていると、助手席の白塚が「フン」と面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「横に長いだけだろうが」

 憎々しげに言う白塚に、山崎は内心でため息をつく。


 先週やってきた後で、帰ってから緑楠学園と副理事長・楠見林太郎について少々調べたのだ。

 楠見は六年前に学園理事会メンバーとなり、三年後に副理事長に就任。元々私立大学としても上位にあり、付属校も伝統のある一貫校として評価の高かった緑楠学園だが、ここ数年、少子化の時代にあっても人気は上昇している。

 数年前から始まった大学のカリキュラム改革は、今年度が転機として注目されているが、これも幸先は良好らしい。

 楠見が理事になってからのことだ。

 どうやら彼は、親の七光りでそのポストについているだけの無能な若造というわけでもないらしい。


『あの副理事長が理事に入ってからってのは、たまたまだ。理事なんてもんは、下の者に仕事をさせて自分は机の前に座ってりゃいいんだからな』


 ここまでのことを調べた時の白塚のそんな感想は、負け惜しみにしか聞こえなかった。それほどに、実際のところ楠見副理事長の経歴は華麗なものだった。ただ一点。彼の生い立ちに、気になる「噂」があることを除いては――。


 だが、生い立ちというところまで遡ると舞台は神戸である。神奈川にいながらにして「噂」以上の情報を入手するのは難しい。

 山崎と白塚の仕事は、相原家の事件の捜査なのである。緑楠学園の副理事長は、本来関係ない。あの副理事長の弱点を探すのだ、と言って白塚がさらに追及の手を伸ばそうとしているのを押し止めるのに、山崎は苦労した。


 もっとも、白塚が百パーセントなんの関係もない神戸にまで興味を及ばせてしまうほど、捜査は次の一手に窮していた。

 事件から五日が過ぎ、もちろん多方面に調べは進んでいる。消防機関による火災調査。周辺への聞き込み。相原哲也の捜索。彼の交友関係の捜査。そして、――そのどれも、行き詰っていた。




 金曜日以来、五日ぶりに入る歴史的な風情のある建物で、五日前と同じように二階の角部屋へ案内される。

 建物の入り口まで出迎えに来てくれたのは、先日と同じ、黒縁メガネの美人秘書だ。三十代半ばと言ったところか。整った顔をしているのだが、妙な貫禄があり、能面を貼り付けたように表情がなく頬をピクリとすら動かさない。刑事の来訪という特殊イベントをまさか忘れたわけでもないだろうに、先日と全く同じように、「お迎えに上がりました、秘書の影山です」と丁寧なお辞儀とともに挨拶された。


 白塚がやや気圧されたように「ああ、どうも……」とつぶやくのまで、先日と同じだ。

 ただ先日は、後ろをついていく間じゅうその美しさと隙の無さに圧倒されたように黙っていた白塚だが、今日は踵を返した影山の背後で「ふん」と不愉快そうに鼻を鳴らす。あの副理事長の秘書がこんな別嬪べっぴんだというのには我慢がならない、とでも思っていそうな雰囲気だ。


 影山に伴われて理事長室へ入ると、応接セットの一人がけのソファに、楠見副理事長と相原伊織がそれぞれ腰掛けていた。楠見が立ち上がり、洗練された身のこなしで挨拶をする。

「お待ちしていました」


 白塚が慇懃な笑みを返した。待っていたわけじゃないだろうに、とでも言い出しそうな表情に、山崎は少々緊張する。


「毎度お時間を取らせてすみませんな。ひとつ、挨拶抜きで手短に済ませましょうや」

「ええ、よろしくお願いします」


 向かい合って腰掛けると、白塚は斜向かいになった相原伊織にニヤリと笑みを投げかけた。

「相原くんも、そう硬くならないでね。なに、二、三確認したいことがあるだけですよ」


 先日と同じように不安げに固まっている相原伊織を見ると、山崎は少々気の毒になってきた。柔らかい口調で助け舟を出す。


「相原くん、いろいろと辛いことを聞くかもしれないけどね、事件を早く解決させるためだから。そうしたらきみの身の周りも落ち着くと思うからね」


 伊織はほんの少しだけ緊張を解いたように見えた。「はい」と消え入るような声で返事をし、そのまま笑顔を作るかに見えたが、それは失敗に終わり曖昧な表情になる。

 楠見はそんな伊織に気遣わしげな視線を一度送り、それから二人の刑事の顔を交互に見る。


「それで、相原くんに確認なさりたいことというのは……」

「ええ。その前に、こちらの状況をお話ししておきますかな」


 軽い咳払いとともにそれだけ言って、白塚は山崎に視線を向けてきた。お前から説明しろ、という顔だ。

 仕方なく、山崎はポケットから手帳を取り出して白塚の発言を引き継ぐ。


「まず、火事の発生原因ですが、まだはっきりしたことは分かっていません。何が原因でどこから火がついたのか、解明されていないんです。五日も経ってそんな馬鹿なとお思いになるでしょうが――」


 言葉を切って楠見の顔を窺うが、さしたる反応はない。山崎は続ける。


「それから、火事の現場近くで目撃された若い男――パン屋勤務の女性がぶつかったという相手ですが、これは相原哲也くんで間違いありません。ご協力ありがとうございました」

「いえ――」


 確認のために、学校から相原哲也の写真を借り受けている。その礼に軽く会釈すると、楠見も小さく返した。


「我々としては、状況から判断して自然発火の可能性は薄いと考えているんですが、申し上げたように火事の原因がはっきりしないため放火だという決め手もありません。ただ、哲也くんが現場にいたことは確かのようで、事件の詳細を知っている有力な手がかりとして彼を全力で探しています」


 そこで区切って、一度、伊織に目を向ける。戸惑ったような視線は話を始める前から変わらない。それでも内容を理解はしているようだと判断し、山崎は「本題」に入る。


「相原哲也くんの火災発生後の足取りは、駅などに残された防犯カメラの映像からある程度まで分かっています。まず、最寄の駅から電車に乗っている。私鉄で横浜駅まで行き、そこからJRに乗り換え、一本乗り継いで八王子行きの電車に乗っています」


 膨大な量の防犯カメラの映像を、捜査員たちが五日かけて解析した結果である。


「現在も調査を進めているところですが、この電車をどこで降りたのか、今のところ分かっていません。最寄り駅から乗った電車は始発に近くて、まだ駅に人も少なかったんですがね、八王子行きの電車は途中から通勤ラッシュに差し掛かっていまして。映っている人の数が多くて少々難航しています」


 五時台のラッシュ前とはいえ、それでもかなりの人の行き交う横浜駅で相原哲也を捜し出せたのは僥倖だった。目撃者の証言があったのだ。


「最初の横浜行きの私鉄では、同じ電車に乗り合わせていた通勤客が哲也くんを目撃しています。焦げ臭いようなにおいがして気になったと。横浜駅で降りて、ふらふらとした足取りでホームから出て行ったということです。それから、次の乗換駅の駅員からも証言が取れています。やはり少々不審に思ったようで声を掛けようとしたが、ほかの客の対応に当たっていたため掛けそびれたと」


 この駅員からは、多少違和感がある、という程度でそこまで不審には見えなかったようだ。だから追いかけるほどのことでもなく、記憶に留めるのみとなった。

 その後で乗り込んだ電車では、まだ目撃者は見つかっていない。終点の八王子駅の防犯カメラからは彼の姿は見つからなかった。それ以前のどこかの駅で降りたと考えられるが、駅の数も多く捜査には時間が掛かりそうだった。


「通勤時間帯の電車ですからね、毎朝同じ電車に乗るという乗客が多いので、聞き込みを進めているところです。曜日によっても多少違うので、金曜日の朝――あさってに賭けているわけですが……」


 そこまで言って、じっと黙って山崎の説明を聞いていた楠見と伊織に目を向ける。


「相原くんは、この、横浜から八王子という区間に、何か心当たりはないかな? 哲也くんの知り合いが住んでいそうな場所だとか――何か哲也くんから聞いた地名がないだろうか……」


 伊織に声を掛けたが、伊織は軽く首を捻っただけで返答はない。考えているようではあるが、哲也とそれほど親しく話したこともないと言っていたので、山崎としても答えはそれほど期待していない。一応の質問である。


 楠見が立ち上がり、机の引き出しを探って一枚の紙を持ってソファに戻った。東京近郊の路線図だ。

「横浜から八王子……というと、横浜線ですね」

「ええ」

「伊織くん、この路線の地名に何か覚えはないかな」


 路線図を広げて横浜線を指し示す。伊織は漫然とした感じで示された紙に目を向けていたが、やはり少しして首を捻った。

 路線図と伊織の顔を見比べていた楠見が、顔を上げる。


「山崎さん。相原夫人の親族が東京にいると聞きましたが、それは?」

「ええ。そちらは世田谷でした。奥さんの従兄弟一家です。不仲というわけではないけれど、それほど親しく付き合っていたわけでもなく、哲也くんとも彼が高校に進学するときに一度挨拶に来た以来会っていない、ということでした」


 親元を離れて東京の高校に進学するということで、近くにいる親戚として「何かあれば遠慮なく相談するように」くらいの言葉は掛けたそうだが、それきりになっていたという。この一家に対しても事情聴取はされたが、やはり六年間一度も会っていないということでさしたる収穫はなかった。


 しばらくの間、黙って路線図を眺めている伊織に三人の視線が集中していたが、やがて伊織は改めて顔を上げた。

「すみません、分かりません……」


「そうですか。どうもありがとう」

 そう言って、山崎はこの問題に一区切りつける。楠見が路線図を畳んで脇に除けた。


「次に、――哲也くんのことについてもう少し聞きたいんだけどね……」


 話題を変えると、隣の白塚が大きな体をもぞりと動かした。口出したそうな気配に、山崎は内心でため息をつく。このタイミングで質問を交代するのはやや不安だ。また変な波風を起こさないでくれればいいのだが。


「火事の直前に、家の中で言い争う声を、近所の人が聞いたという話だがね――」

 案の定、白塚はそこで待っていたように言葉を挟んだ。


 伊織はわずかに身を硬くして「はい」と答える。隣の楠見も、軽い警戒の視線を白塚に向けた。


「その内容がだんだん分かってきてね。あまり詳しいことを教えるわけにはいかないし、内容と言っても単語レベルのもので、はっきりした話が分かったわけじゃないんだがね」

 白塚は、大きく身を乗り出す。

「きみの名前が何度か出ていたらしいんだよ。哲也くんらしい若い男の口からね。『伊織に伝える』とか、『伊織にもそのほうがいいと思って勧めた』とか、そんなようなことを言っていたらしい」


 言い争いを聞いていた隣人は、相原家に二年ほど住んでいた伊織という少年のことを覚えていた。大人しそうだが感じのいい少年だった、と記憶している。言い争いの内容までは分からないものの、その少年の名前が出ていたことははっきりと聞いていた。


 伊織は困惑の混ざったような驚きの表情で、目を丸くした。楠見もこれには少々驚いているようだ。相手の反応に気をよくしたように、白塚が不敵に笑う。


「相原くん、哲也くんが『伊織に伝える』と言っていた内容に、心当たりはないかい? それと、『勧め』られたことってのは――?」


 伊織は曖昧に首を傾げる。


「先日、相原くんはこの学校に進学することを哲也くんに勧められた、って聞いたと思うんだがね、ほかに何か考えられるかな?」

「えっと……」

「もしもそれだとするとね、あの現場でそんな話をしていたってなると、相原くんがこの学校に進学したことがあの火事と関係あるように思われちまうんですがねえ……」


 白塚はそこで一度、楠見に目を向ける。「学校」まで事件の筋に巻き込もうとするかのような口ぶりに、不快そうに眉を顰める楠見。だがそれで白塚は、ますます気をよくしたように鼻息を荒くする。


「どうだい? 進学のほかに、哲也くんから『勧め』られたことってあるかな?」

「いえ……」

「じゃあ、『伝える』って言ってたことは? 哲也くんから何か聞いているんじゃないかい?」


 伊織は逡巡するように視線をうろつかせ、それからやはりまた首を傾げる。

「その……心当たり、ない、です」


 自信なさそうに答えた伊織に「ふうむ」とひとつ唸り、軽く居住まいを正すようにして身を乗り出すと。


「相原くん、本当のこと(、、、、、)を言ってほしいんだけどね」

 白塚は、隙のない鋭い目で伊織を見つめ、少々声色を落とした。


「あの事件の後で、哲也くんと会ったんじゃないのかい?」

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