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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第2部 果たしてそれらの事件の鍵を握るのは
48/88

48.ハル、スプーン曲げに付き合う。そしてまた、海沿いの街

 机に向かって宿題を終え、時計を見ると午後九時を回ったところだった。まだ復習と予習の時間は十分ある。その後で久しぶりに本の続きも読めるかな。そう算段しながら、ハルは別の教科書とノートを取り出す。

 と、廊下から慣れた気配が近づいてきて、ドアが開いた。


「キョウ、もう寝るの? 俺もう少し勉強するからちょっと明るいけど平気?」

「んー、ちょっとな」


 ちらりと目をやると、キョウは室外を窺うような素振りを見せて、ドアを閉め入ってきた。そのままベッドに腰掛ける。


「どうしたの?」

 椅子を回転させ向かい合って聞くと、キョウは手に持った袋を目の前に掲げた。


「スプーン曲げの練習しよう」

「うん、いいよ」


 キョウがスプーンを取り出して、ハルに一本手渡し、自分も一本握り締める。


「だけどさ、伊織くんがいるから、静かにね」

「分かってる。大丈夫。ほかの場所には傷つけずにできるようんなった」

「成長してるね」

「ん」


 キョウは真剣な目でスプーンに集中し出した。間もなくして、キョウが目の前にかざしたスプーンが音を立てずにひしゃげたように潰れる。

 傍から見ると小さな鉄の塊が棒に突き刺さっているような状態になったスプーンを、キョウは嬉しそうにハルに見せる。ハルは目を丸くした。


「ここまでできるようんなった」

「凄いな!」

「もう少しだ」

「これじゃ駄目なの?」

「綺麗に曲げるんだ」

「……職人気質(かたぎ)なんだね」


 そのまま立て続けに数本のスプーンを鉄塊にして、ああでもないこうでもないと首を捻るキョウ。その間にハルは、控えめに一本だけ折った。

 次のスプーンを取り出して睨みながら、キョウはぽつりと言葉を落とす。


「上野って。どういうヤツ?」

「え! 上野がビラ事件の犯人なの?」

「……お前ホント話早いな……」


 目を上げて、呆れたようにキョウが言う。ハルは肩を竦めた。


「だって、キョウがこのタイミングで上野に興味を持ちそうな理由、それしかないじゃない」

「……そおかあ?」

「そうだよ」

「琴子が、なあ。多分……だろうって」


 キョウはスプーンに目をやって、言いにくそうに言葉を切る。予想はしていたことだが、クラスの中に犯人がいるというのは最悪のパターンだ。外部の人間なら見つけて近寄れないようにすればいいが、クラスメイトとはこれから一年間一緒に過ごさなければならないのである。


「……上野かあ。キョウ、覚えてない? 中学二年の時キョウと同じクラスだったよ?」

「いたっけ……?」


 キョウはスプーンを見つめながら考えている。


「てゆーか、なんでお前が知ってんの?」

「だって俺は、キョウの小学校五年生から今までのクラスメイトを全員覚えているもの。一番から暗唱だってできる」

「……なんで」

「俺はキョウ・ウォッチャーだもの。ちゃんとチェックしてるよ」


 キョウが不満げに眉を寄せてハルの顔を見たので、ハルはにっこり笑った。

「俺、今のお前のクラスの人間もみんな覚えてるよ。キョウまだ覚えてないだろ」


 ますます不満な顔になってしまった。

 と。――パシュンッという音がして、スプーンが弾ける。


「失敗した」

「それは失敗なんだ……」


 ハルは何気なくスプーンを手に取り、ぼんやりと見つめながら。

「それはそうと……上野、かあ……伊織くんとよく話してるよ。仲がいいんだと思ってたな」


「……ああっ? あいつか!」

「思い出した?」

「ん。伊織と話してる時、迎えにきた。どっかで見たことあると思ったんだ」

「そうか、よく覚えていたね。偉い」


 ハルとしてはキョウが覚えていたことを純粋に誉めたのだが、キョウはまた眉を寄せた。


「……けどさ。そんじゃホントに仲いいんじゃねえの? あの時もそんな感じだった」

「うん。少なくとも伊織くんのほうは、友達だと思ってるかなあ」

「なのに、なんで?」

「さあ。今日も心配してるように見えたんだけどなあ」

「それサイテーじゃん」

「ちょっと厄介だね」


 キョウは眉を寄せたまま、次のスプーンを取り出すことを忘れて何事か考えている。しばらくして顔を上げた。


「またやるかな」

「かもね」

「どうする?」

「そうだな……」


 ハルは、机に頬杖をついて少し考える。

「俺は明日、早く行くよ。万一今朝と同じようなことがあったら、人の来ないうちにどうにかしておく。お前は伊織くんと一緒に普通に来な」


「お前ひとりでやりきれるか? また今朝みたいに大々的にやられたら」

「うん、一応お嬢を呼んでおこうかな。先生方も注意しているだろうから、大丈夫だとは思うけど……」

「分かった」

「それで、交替で張ろう。新聞部だったな、たしか……部室に逃げ込まれちゃうと手が出しにくいけど、コンビニのコピー機とかも使ってるとこ見ると、部活関係なくひとりでやってるのかも」

「……どういうつもりなんだろな……」

「まったくね……」


 こればかりは考えても分からず、ハルは腕を組んだ。みんなと仲がいいというわけではないが、伊織は目立つタイプでもないし誰かに害を与えるような性格でもない。

 そんな伊織に対して、どんな悪意を抱くというのだろうか。それとも大した考えもなく、楽しさだけでやっていることなのか? あるいは――入学以来、伊織を追っている筋の人間と繋がっているということは、有り得るだろうか?


 いずれにしても。外部の人間でなくクラスメイト――しかも友達だと思っていた上野が犯人だと分かったら、伊織にはほかの誰が犯人であるよりもショックが大きいだろう。

 友達の多い上野には、伊織はたくさんの普通の友達の中のひとりという認識かもしれない。しかし、伊織にはハルたちを除いて学校の友人と言えば、上野くらいしかいない。


 そもそもハルたちは、純粋な「友達」ではないのだ。あくまで仕事で伊織を守っている立場なのである。この事件が解決したら、今の関係を続ける理由はなくなる。

 それでもクラスメイトであることに変わりはない。キョウやあおい、琴子も多分彼のことを気に入っているし、普通に友人として接し続けることはできるだろう。

 けれど。自分たちとは違う世界に住む人間だ。線を越えてはいけない。越えさせてはいけない。いや――。


 越えられるかもしれない。そう思ったから、家に招き入れた。

 滅多に他人が越えてくることのない「最初の一線」を軽々と越えてきた伊織。彼ならもしかしたら――と。

 そう思ったから――。


(だけど、失敗だったかな……)


 全て片が付いたとき。ハルたちの全てを知ったとき、彼はそれでももう一歩踏み込もうとするだろうか。

 あるいは自分がサイだと知ったとき、伊織はどうする?


(彼は、こちら側にやってくるだろうか……?)


 もしも離れていくならば、別の居場所を失ってはいけない。学校、教室、クラスメイト。それらを伊織から切り離させてはいけない。普通の生活に戻してあげなければ。でも――


 堂々巡りを始めた思考に、軽くため息をつく。


 目を伏せ黙って何か考えている様子だったキョウは、突然スプーンの入った袋を床に投げ出してベッドに転がった。

 その億劫そうな横顔に目をやって、ハルはふと気づく。


「キョウ。……あれ(、、)、やったね?」

「……何を?」


 渋面を作って、ハルは立ち上がってキョウを見下ろす。

「しらばっくれるな! 隠したって無駄だよ、ちゃんと分かるんだよ?」

「……」

 ごろりと転がって、キョウは背中を向けてしまった。


「ねえ、キョウ」

「……眠い」


 見下ろしたまま、ハルは大きく肩を上下させてため息をついた。

「……寝るならちゃんと布団に入んな」

「んー……」


 寝ぼけたような返事だけして、そのまま布団の上でごろごろしている。まったくもう、とハルは布団ごとキョウをひっくり返して部屋の明かりを消し、机に戻る。デスクライトの下で、先ほど出した教科書を広げ復習を進めることにしたが、あまり集中できなかった。






 湿った空気。潮のにおいが家の中にまでそこはかとなく漂ってくるような、海に近い家。


(ああ、またここか――)

 伊織は思う。


 くすんだフローリングの床に、特徴のない量産品のテーブルセットが置かれた台所。テーブルの上には、朝食用だろう、値引きシールの貼られた近所のパン屋のパンが置かれている。

 間続きのリビングのソファには、この家にいた二年間でたぶん二、三度しか座ったことがないが、経年でバネが傷んでいるのかあまり座り心地はよくなかった。

 一点だけ豪華な大型の液晶テレビは、夫婦の唯一の趣味の道具だ。夫婦仲は特段良くも悪くもなさそうだったが、夕食後などにソファに座って一緒にテレビを見ている時は、会話を交しながら楽しそうに笑っていた。

 街灯の明かりが忍び込んでくる程度の暗闇の中で、伊織は目を凝らして壁の時計を見る。


 午前三時五十三分。


 もうすぐここに、ひとりの青年が現れる。玄関の開く音も、足音もしない。どこからともなく忽然と、そこに。いる(、、)のだ。

 憔悴した面持ちで、肩で息をしよろめきながら暗がりに立つ――


 相原哲也が。


 伊織は一度目の失意を覚える。

 神奈川の相原家の焼け跡を訪れてから、毎夜同じ夢を見る。夢の中で伊織は、これが夢なのだと分かっている。同時にそれが、実際にこの場所で起きたことだということも、なぜか知っている。だから――変わらない。


 哲也が来なければいい。

 伯父夫婦が起き出さなければいい。

 言い争いにならなければいい。


 しかし、「それら」は必ず起きてしまう。変えられない。

 伊織は自分でもどこなのか把握できない場所にいて、何もできずにただ漫然と、これから起きる――いや、実際に起きてしまった一連の出来事を傍観することしかできない。


 ぐらり、と。哲也の上体が揺れる。二度、三度。前後に大きく揺らぐ。

 ソファに倒れこもうとして、しかしそこまで体を運ぶことができずに。テーブルに手をつき崩れるように膝を折る。

 弾みでテーブルが床を滑る音が、夜明け前の室内の静寂を破る。二階の寝室にいるはずの夫婦の眠りをも破る。

 哲也はテーブルに片手を預けたままもう片手を床につき、体を折って何かに耐えるようにじっとしている。呼吸にあわせ、背中から肩が上下に動く。

 天井越しに物音が聞こえて。上階で男女の小さな話し声。

 そのまま少しの間だけ、時が止まる。動いているのは、喘ぐように息をしている哲也の肩だけだ。


『誰か、いるのか――?』

 階段の上から男の声がする。

 哲也は顔を上げる。が、言葉が出ない。肩で息を続けている。


『おい――?』

 もう一度声がして、それから声の主がゆっくりと階段を下りてくる。一段一段慎重に足を進める。床板の軋む高い音が、静かな家の中にかすかに響く。

 声の主が、リビングの入り口に姿を現す。危険な人物と見れば鈍器としても使えそうな大振りの懐中電灯を手に持ち、その明かりを室内に向けて――


『……哲也!』

 懐中電灯をソファの上に投げ捨て、部屋の明かりを点けて倒れている哲也に駆け寄る。


『親父……』

 切れ切れの息の中で、哲也は小さくつぶやく。

 明かりの点いた部屋で、彼が真っ青な顔をして額に大粒の汗を浮かべているのが分かった。


『どうした、おい、哲也――!』

 テーブルに片手をもたせ憔悴し切っている息子の肩を抱き、声を掛ける。


 二階からもうひとつの足音が駆け下りてくる。

『哲也!』母親がリビングの入り口に立って、両手で顔を覆って叫んだ。


 父親は哲也を抱き起こしてソファに座らせる。その間も哲也は喘ぐように息をし、視線をうつろにさまよわせる。額の汗が頬を伝って落ちた。


『哲也、哲也、どうしたの、いったい……?』

 母親は恐々とソファに近づき、哲也の足元に膝をついた。父親は哲也の隣に腰を下ろすと、母親に視線を向ける。


『母さん、水だ。水を持ってきてくれ』


 母親は弾かれたように立ち上がり台所へと飛んでいくと、すぐにグラスに一杯の水を汲んで戻った。

 父親は妻の持ってきたグラスを受け取り、哲也の手に持たせ、自分の手を添えて口もとへと運ぶ。一口。二口。ゆっくりと飲んで、哲也は大きく息をついた。


『哲也、具合が悪いのか? 救急車を呼ぼうか?』

『――必要ない』

 息子の背中をさすりながら心配そうに聞く父親に、哲也はゆっくりと首を振った。

『しかし……』

『少し休めば、大丈夫だから……』


 両親は不安げに顔を見合わせ、それからしばらくの間、父親は黙って息子の背中をさすり続けた。


『いったいどうしたんだ? こんな時間に……どこからどうやって来た?』


 グラスの水を飲み干して、少し息の落ち着いた哲也は、父親の言葉に顔を上げた。

『町田から……その前は新宿にいた……たった二時間前のことだよ? どうやって来たと思う……?』


 父親は、もう一度母親と顔を見合わせる。

 すると哲也は、くくっと声を立てて笑い出した。

『テレポーテーションだよ』

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