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エキストラ! ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第2部 果たしてそれらの事件の鍵を握るのは
30/88

30.伊織、ハルの真面目な顔に当惑する。楠見は刑事と睨み合う

 金曜日の昼休み、伊織はひとり自分の席で、売店で買ってきたサンドイッチを食べた。

 朝一緒に学校に来たハルは、昼休みになると同時に姿を消していた。早退して仕事に行くという。


(授業も休んで仕事だなんて、大変だよな……)

 たまごサンドを一口で頬張ってアルバイトのマニュアルのページをめくりながら、伊織はしみじみと思った。


 二、三日昼食を共にした上野たちは、どこかに姿を消してしまっていた。昨日の昼は楠見のところに行く関係で誘いを断ってしまったので、その間に別の食事場所を作ってしまったのだろうか。

 少々寂しい気がしたが、数日前までの「早く友達を作らなくては」という焦燥感は不思議となくなっていた。アルバイトのマニュアルを読み進めなければならないため、ちょうどいいか、とさえ思ってしまい、俺って薄情者かな……と反省した。


 昼休みの後の教室移動の途中で、上野に声を掛けられたときは、それでもやはり嬉しかった。


「相原、帰りに何か食いに行かねえ?」

 友人たちの中から抜け出してやってきた上野の誘いに、伊織は少々迷う。

 アルバイト初日のため放課後は空けておきたいのだが、出勤時刻まで時間がないわけではない。一昨日も昨日も誘いを断ってアルバイトの面接に行ったので、今日も断るのはさすがに悪いだろうか。


「あ、先約?」

 逡巡している伊織に、上野が重ねて聞く。


「あ、や……そういうわけじゃないんだけど……」

 返事がつい曖昧になってしまった。


 上野はそれほど気にした様子もなく、「そうか?」と首を傾げた。

「相原さ、最近、神月とか衣川とかと仲いいじゃん。そっちと約束してんじゃねえの?」


「え、……いや……」

 ちょっと笑顔が固まった。

 ハルやあおいはそれほど気にしている様子はなかったが、伊織としては、他人に関係を知られていいものかどうか判断が付かなかったし、「伊織と親しい」と他人に判断されることを二人がどう思うかも気になった。

 親しげに見られるのは嬉しいのだが、遠慮も躊躇もあって素直には喜べない。


 そんなことを考える伊織を上野は物言いたげな目で見ていたが、廊下の先で「上野!」と呼ぶクラスメイトに「おう、いま行く!」と手を上げると、


「大通りのマックかなんかだと思うから、行けそうだったら行こうぜ」

 と、言葉を残して背を向ける。後姿に伊織は「うん」と声を掛けた。




 しかし、上野との約束は果たせなくなった。五限目の授業を終え教室に戻ると、昼休みで早退したはずのハルがいて、真剣な表情で腕を掴まれたのだ。


「あれ、ハル、帰ったんじゃ……」

「伊織くん、ちょっと一緒に来て」

「え?」


 いつも柔らかい笑顔を浮かべているハルの、見たことのない真面目な顔に、伊織も思わず顔を強張らせる。


「え、えっと……?」

「理事長室まで。悪いけど、次の授業は出られないと思う。先生には楠見から連絡するから」


 ハルはそれきり、説明は後だというように、伊織の腕を掴んだまま教室の外へ引っ張っていく。嫌な予感を背筋に張り付かせ、伊織はハルに連れられるままに教室を出た。

 廊下を進む途中で、心配そうな表情を浮かべているあおいと、びっくりした様子の上野とすれ違った。







 楠見は理事長室の一人掛けのソファに座って、じりじりと締め付けるような重い空気に耐えていた。


 向かいに座った客人――大柄な二人の男は、楠見との会話を一通り終えて目的の人物の到着を待つ段になると、秘書の影山が持ってきたお茶に手もつけずに目の前のテーブルを睨み、時おりその鋭い視線を持ち上げて楠見に投げつける。

 学園副理事長などという大層な肩書きを持ってはいるが、この男たちから見れば楠見は親の七光りで高級なポストについている小生意気な若造だ。おおかた舐められてはいけないと思って、威圧しているつもりなのだろう。

 そんな視線には、だが楠見は慣れているのだ。今さらこんなものに怖じたりしない。


 気にしているのは、斜め後ろに控えるように立っているキョウと、これからやってくる、この男たちの「目的の人物」――相原伊織のことだ。


 窓を背に、腕を組んで壁にもたれるようにして立っているキョウに、それとなく目を向ける。キョウは楠見に視線を返したが、ひとつ瞬きをしてすぐに目を伏せた。目の前の男たちに変な様子を気取られぬよう表情を消しているが、蒼白な顔をしている。

 こんな話になるならば、キョウを立ち会わせるのではなかったと、楠見は後悔した。――いや、後悔することならば、もっと前の段階にあるはずだ。どこで失敗したのか。考えかけて、楠見は内心でかぶりを振る。


 今はそれよりも、これからやってくる相原伊織のことに集中しなくてはならない――。




 ノックの音がして、「ハルです」と声が掛かる。

 入りなさい、と答えると、ドアが開いてハルが一瞬姿を現し、その手に背を押されるようにして相原伊織が室内に入ってきた。おずおずと室内を見渡す。その視線は楠見へ、キョウへ、それから楠見の向かいに座っている二人の男に移り、伊織はそこで緊張を露わにした。


「……失礼します……」

 思い出したようにそれだけ言って、伊織は楠見に体を向ける。なぜこの席に呼ばれたのかさっぱり分からない、という表情だ。


 隣のソファを示すと、伊織はそこに浅く腰掛け、ハルが斜め後ろに立つのを縋るように目で追った。ハルは伊織の緊張を解きほぐすように小さな笑顔で答えたが、功を成したとは言えなかった。


「相原くん、授業中に悪かったね。こちらは神奈川県警の刑事さんたちだ」


 刑事という言葉に、伊織の瞳が震える。


「神奈川県警の、白塚しらつかです」

 年配のほう――五十代くらいに見える恰幅のいい男が、慇懃に頭を下げた。もうひとりの、こちらは三十代後半らしい男も軽く頭を下げる。


「同じく、山崎やまざきです」

「彼が相原伊織くんです」


 伊織は小さく頭を下げて、それから説明を求めるように楠見に視線を向けた。

「えっと……?」


 楠見は二人の刑事に視線を送る。「事情の説明は楠見からする」ということには既に承諾を得ていたが、改めての確認である。と同時に、余計なことは言うなという牽制を込めたつもりだ。

 二人は牽制までも読み取ったのかどうかは分からないが、ひとまず頷いた。それを受け、楠見は伊織に向き直る。


「伊織くん、落ち着いて聞いてほしい」

「……」

「神奈川の――きみの伯父さんの家が、今朝方、火事にあった」


「……え」

 困惑したように、伊織が一言だけつぶやいた。


「焼け跡から、五十代くらいの男性と女性、二人の遺体が発見されたそうだ。身元はまだ確認できていない」

「……」

「火事の原因については、刑事さんたちが捜査されている」


 楠見は目の前の二人の刑事を示し、言葉を切った。その内容が伊織の頭に染み込むのを待つ。伊織は途方に暮れた顔で少し固まり、それからゆるゆると楠見の手を追って、二人の刑事に目を向けた。

 伊織の顔が色を失うのを見て胸が痛んだが、同時にそれでもここまでの内容を理解したと見て取り、楠見はさらに伊織を困惑させる説明を続ける。


「火事の直前に、近所の家の人が、家の中で複数の人が言い争っているような声を聞いている。そして直後に、現場の近くで事件と関係があるらしい二十代前半くらいの男を見た、と証言している人がいるそうだ」

 楠見はまた少し間を置く。

「それから――伯父さん、伯母さん、そして哲也くんの行方が分かっていない」


 そこで再度、言葉を切った。それがどういうことを意味するのか。伊織は少し時間を掛けて考えているようだったが、やがて何かに気づいたように楠見に向けている目を見開いた。楠見はまたひとつ頷く。

「それで、伯父さんご夫婦と、哲也くんについて、刑事さんたちがきみに話を聞きたいと仰っている」


 伊織は目を見開いたまま、それ以上の反応を忘れたように楠見を見つめていた。


「覚えている範囲で構わないし、気分が悪ければ無理はしなくていい。これから少し――刑事さんたちの質問に答えてもらってもいいかな」


 できるだけ優しく問いかけると、伊織はいいのか悪いのかよく分からない、といった調子で出来の悪いロボットのようにぎこちなく首を縦に振った。

 伊織の呆然とした表情と、目の前で虎視眈々と様子を窺っている二人の刑事に内心で嘆息し、それから後ろのハルとキョウに声を掛ける。


「きみらは……」

 みなまで言わずとも、二人は頷いて出入り口のドアに向かう。伊織は心細そうな視線を送ったが、ハルは控え目な微笑を残して、キョウは複雑な顔で片手だけ上げて部屋を出て行った。


 二人が出て行くと、ソファの左側、楠見の前に座っている年嵩の刑事――白塚が、「さて」とつぶやいて少し身を乗り出した。


「時間を取らせて申し訳ない。ああ、楠見副理事長も」

 伊織に向けていた視線を楠見に移し、にやりと笑う。そしてまた伊織に向き直り。

「本来ならば、校長先生や担任の先生を通してお話しすることなんですがね、どういうわけだかここに案内されましてな。副理事長の仕事を手伝っているんだって? 若いのに感心ですな」


「先ほどもお話しましたが――」楠見は腕を組んで、言葉を割り込ませる。「特別に難しい仕事をしてもらっているわけではありません。あくまで高校に入学したばかりの生徒ですから」


 高校ではなく理事長室に話を持ってこさせるための方便である。すり合わせもなしに、伊織に余計なことを話されては厄介だ。幸か不幸か、伊織は混乱していて白塚の言った内容を処理し切れていないようだった。


「内容は、『法人経営上の機密』でしたな。我々、古い時代に公立高校を普通に出た者にはよく分かりませんが、最近の私立学校ってのは凝ったことをやっているんですなあ」

「こういう時代ですからね。旧来と同じようには行きませんよ」


 ニヤニヤと笑う白塚に、こちらも場面に合わせて抑えた若手経営者スマイルを返す。


「想像はつきますよ。昨今は学校さんもいろいろと大変そうだ。我々の頃には先生は絶対でね、一言ピシャッと言えば生徒も親もみんな黙って従ったもんだが、今は――なんて言うんです? モンスター……?」

「おかげさまで、うちは生徒にも保護者の方々にも恵まれていましてね、そういった問題は少ないですよ」


「なるほど、優良な生徒を選抜する段から勝負が始まっているわけですなあ。――それでも、相原哲也くんのような生徒も出てきてしまう、と――」

 ニヤニヤ笑いはそのままに、白塚が小さく牙を見せる。


 楠見も笑顔を保ちつつ、声音を変えた。

「仰っる意味が分かりかねます。哲也くんが事件と関わっているかどうかは分からない――と、先ほど伺ったように思いますが? それに在校中に関して言えば、彼には特に問題は見受けられませんし」


 楠見は目の前のテーブルに置いた資料を取り上げて、きっぱりと言う。刑事がやってきて要件を聞いてから、改めて影山に取り寄せさせた、相原哲也に関する資料である。「相原哲也」の名前など初めて聞いたかのように、影山に依頼したが、よく心得ている秘書はなんの不審も示さずに淡々と動いてくれた。


「ああ、もちろん。これは失言でした」

 失言とも思っていないような口ぶりで、白塚がまた不敵に笑った。

「三年も前の卒業生ですしな。卒業後のことまで面倒は見切れませんなあ。後になって刑事が訪ねてくるなんて、まさに寝耳に水でしょう。ご面倒をおかけして申し訳ない」


 楠見は笑顔を控え目にして、白塚を正面から睨む。ことが「放火殺人」であり、相原哲也が犯人であると確信しているような口ぶりだ。楠見や伊織が同じことを考えて、話に乗ってくることを狙っているのだろうか。あるいはもっと複雑な思惑があるのか――?

 いずれにせよ、この刑事たちのペースに乗って話を進めさせてはいけない。楠見はそう直感した。


「何年経とうと、うちの卒業生であることには変わりませんよ。彼が問題に巻き込まれて助けを必要としているなら、相手がなんであろうと、我々は全力で守るつもりです」


 軽く牽制したつもりだった。刑事は察したように、ニヤニヤを引っ込め表情を少しだけ硬くする。


「白塚さん……」

 隣に座ってやりとりを見守っていた若い刑事――山崎が、そこでようやく口を挟む。少々困ったような表情の山崎に、白塚は小さな咳払いで答えた。


 楠見は改めて腕を組み、伊織の様子を窺う。

 伊織は蒼白な顔のまま呆然と、楠見と白塚の言葉のやりとりを追いかけるように見ていたが、話の内容を理解しているようには見えなかった。

 それでも、改めて白塚が伊織に向き直ると、突然指名でもされたかのようにピンと背中を伸ばす。


「失礼。楠見副理事長から説明いただいたように、まだ火事の原因も分かっていません。自然発火の可能性もあるし、放火の可能性もある。ご遺体の身元もね……じき結果が出るでしょうが――」


 伊織はびくっと肩を震わせる。


「それから、『現場近くで目撃された男』の関与もね――」

 白塚刑事はそこで言葉を切った。


 伊織は刑事の顔を見つめていた。視線が絡まったまま解けなくなってしまったとでもいうように。自分の意思では目を逸らすことができないのかもしれない。


「……哲也くんにも話が聞きたいんだが、行方が分からなくなってましてな、それで我々はこちらに来ました。――きみは伯父さんの家には二年ほどしかいなかったし、従兄弟の哲也くんとも深い交流はなかったようだと、先ほど楠見副理事長から伺ったが、もう少しきみの口から話が聞きたい……」


「……は、はあ……はい」

 しどろもどろに伊織は答えて、助けを求めるように楠見に目を向けた。


 白塚刑事は慇懃な口調で話しつつも、眼光鋭く伊織を睨み据えている。警察沙汰になど縁のない善良な一高校生を竦み上がらせ、まともな思考能力を奪うことが目的ならば、大成功だと認めざるを得なかった。

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