23.キョウはスプーンを鉄屑にする。一方伊織は久々に軽い気分で
「持って粉々にするのは簡単なんだ」
学園事務棟を出て歩きながら、キョウは次のスプーンを紙袋から取り出した。
「触れてるものを壊すのは得意だもんね」
ハルが腕組みをして微笑む。
「けどさ、スプーン曲げってのはそうじゃなくて。こう。スプーンの先を『念じて』曲げるもんなんだろ?」
「テレビで見たのはそんな感じだったね。まあ……テレビのはそもそもトリックっぽかったけど」
「んー」
キョウがスプーンを右手で顔の前にかざして睨む。――と。
「パシュンッ」というような小さな音がして、スプーンの先が引き裂かれたように散り散りになった。
「うーん……」キョウは眉を寄せつつ、足元に散らばったスプーンの破片を雑に拾って紙袋に戻す。
そんなキョウと、キョウが取り出した次のスプーンにぼんやりと目をやりながら、ハルはふと口調を変えた。
「……どう思う?」
「んー、スプーン曲げられるヤツっていうのはさ、あれは、『曲げる』って能力に特化したPKなのかな。スプーンに限らず、能力がデカかったら電柱でも煙突でも曲げんのかな、だとすると俺は――」
「じゃなくて、楠見の話」
「……ん? どの部分?」
キョウは視線をスプーンからハルに移す。
「全体として、さ」
「全体として」
宙を見つめながら、「つまりさ――」とハルは続ける。
「まとめるとこうだよね? まずひとつめ。送られてきたリストは、『本店』が緑楠を『サイ組織』の学校にするために六年前に集めた生徒。相原哲也くんはそのひとり。でも、楠見が『本店』を離れて計画は白紙に戻り、集められたサイたちはたぶんそのまま卒業した。ところがなぜだか今になって危険に晒されていて、誰かが楠見に『保護』を求めてきた」
「そんで、これまたなんでか六年ぶりに、誰かが伊織をサイとして緑楠に入れた?」
「そう。それが二つめ。確証はないけれど、伊織くんは『誰か』によってこの学校に入れられて、しかも追われている。哲也くんやリストの十四人の問題と、伊織くんの問題は繋がっているのか。繋がっているとしたら……カギを握るのは、哲也くん……か?」
「哲也は少なくとも、伊織をこの学校に入れたヤツを知ってるってことだよな、その場合は」
「うん。その人間が哲也くんを通して伊織くんに緑楠を勧めさせたんだろうからね。学費ももしかしたら、そこから出ているのかもしれない。ただし、それが『本店』のやったことだとは考えにくい……と」
「楠見が知らされてないだけかもしれねえけどな。聞いてみるっつってたし」
「そう……なんだよねえ。楠見と『本店』の関係も、イマイチ謎なんだよね」
首を傾げながら言ったハルの横で、スプーンが、先ほどと同じく「パシュンッ」という音を立てて弾けた。
「楠見が『本店』のことを俺たちにこんなに話すのも、初めてだもんね」
「ん。なんか非常事態っぽいな」
「あんまり話したくない感じだったもんねえ」
そう言ったきり、ハルは考え込むように、しばし口をつぐむ。
キョウはその間に、四本目のスプーンを鉄屑にした。
「曲げらんねえ……」
「……これはこれで、いいと思うけど? なんて言うか。個性的だし」
「個性的」
「うん。俺が見た『曲げる』ヤツはトリックだから、本物のサイだったらみんなそれぞれ違う現象になるんじゃないかな」
「……そっか。ハルもやる?」
「うん」
キョウが紙袋からスプーンを二本取り出し、一本をハルに手渡す。
ハルはキョウと同じように、スプーンを握り目の前に持っていくと、わずかに眉間にシワを寄せてスプーンの頭を睨んだ。……が。
「ああー、また折れちゃった」
拳からはみ出していたスプーンの頭が、ぽとりと地面に落ちる。
「んー。ダメかー。まあいいや。まだ二十本くらいあるし」
重さを確かめるように紙袋を掲げるキョウ。
それを見て、ハルは苦笑する。
「だけどさあ、スプーンがちょっともったいなくないかな」
「……それもそうだな……」キョウも深刻に眉根を寄せた。「あのさ。パイロが大発生してるっぽいじゃん。これ溶かしてスプーンに再加工できるヤツとかいないかな」
「そう。そこで、もうひとつの問題」
ハルは、キョウの素晴らしい思い付きをさらりとかわして、ため息混じりにスプーンの柄にぼんやりと目をやりながら。
「パイロキネシスの大発生。同時期に、妙な問題が重なったよね。まさかそれも繋がってるとは思えないけど……」
つられてキョウもしかめ面で首を傾げたところで、ポケットに入れていたスマートフォンが振動しだした。
「……お嬢だ」
お嬢ことあおいには、昨日に続き、伊織のガードを任せている。今日はアルバイトの面接に、コンビニまで付き合っているはずだ。
「お嬢? どうした?」
『キョウ、まだ楠見さんのとこ?』
「いま出た。そっちは?」
『こっちはね、伊織くんの面接が終わって街をぷらぷら歩いて、これからあんたたちの家に帰るとこ』
追われている身で「街をぷらぷら歩く」というのはどういう了見だろうと思うが、楠見からは「相原伊織はできるだけ普段通りの生活をさせてやれ」との注文がついている。まあ近所だし、お嬢が一緒だ、無事ならいいだろう――そう思ったところに、突然あおいの声が曇る。
『ねえキョウ、早く帰ってきて』
「――何かあったのか?」
キョウは少々眼差しを険しくする。察したように、ハルも微笑を消した。
あおいは声を潜めるようにして、深刻な口調で。
『あのね、これから家に帰るんだけどね……』
「ああ」
『伊織くんが、家の中で女の子と二人きりっていうのはちょっと不味いんじゃないかって言ってるの』
力が抜けて、キョウはため息をついた。
「…………『オンナノコ』って思ってもらえて良かったじゃんか」
『はあっ? なに! ちょっ! ――――』
通話口の向こうで、あおいがオンナノコとは思えない罵声を上げだした。うるさいので耳から離す。ハルはやはり事態を察したようで、腕を組んで苦笑した。しばらくして静かになったので、会話を再開する。
「あのさ、とりあえず『下』で待ってりゃいいだろ? 俺も行くつもりだったし」
『ああ、それもそうね』
拍子抜けするくらいあっさりと、あおいは承諾した。
『『鈴音さん』に、伊織くんを紹介しておくわ』
「ああ。じゃよろしく。気をつけろよ」
『分かった。後でね』
そう言って、通話が切れた。
「伊織あいつ、ホント狙われてる自覚ねえな。緊張感とか」
「昨日でだいぶ自覚したかと思ったんだけどねえ」
「言動に結びついてねえな」
「あるイミ大物だよね」
ハルは苦笑を続ける。キョウはまた軽くため息をついた。
「俺、帰る。お前どうする?」
「部活に顔を出していこうかな。今週中は新入生勧誘と新人指導をやってるはずなんだけど、全部任せて休んじゃってるから」
「そっか」
「ってゆーか、俺も新入生なんだけどね」
ハルが苦笑のまま小さく肩を竦める。
「悪いけど、先に帰ってて。そんなに遅くはならない」
「分かった」
頷いて、高校校舎の脇でハルと別れ、キョウは正門に向かった。
面接を終え、「明日から早速来てくれ」という約束まで取り付けた相原伊織は、久々に軽やかな気分で街を歩いていた。
小さな商店街のコンビニ店主は、年配の男性だった。自分も息子も息子の嫁も緑楠学園出身で、大の緑楠贔屓。アルバイトにも緑楠生が多いという。
保護者欄の人物の名字が伊織と違うことには軽く目を留めたが、「学校の先生?」と聞かれただけでその後はそれほど伊織自身について質問されることもなく、世間話と店主一家の話がほとんどだった。元は酒屋だったのを、息子の結婚を機にコンビニに転業したこと。子育てをしながらコンビニを手伝っている嫁の商品発注が絶妙に上手いこと。酒屋時代は緑楠の学生の御用達で、――あの頃の学生はよく酒を飲んだ、と、遠い目をして語っていた。
面接を終え、斜向かいのスーパーの、通りに面したガラス張りのフードコートで待っていた衣川あおいと合流する。
心配事がひとつ減ってこれからの見通しが立った上に、肩を並べて歩いているのは学校切っての美少女だ。気分の悪いはずがない。女の子に守られているという、やや情けない状況ではあるが……。
中学の時からこの街に住んでいるというあおいは、そのまま街を案内してくれた。
夜遅くまで営業している本屋だとか、美味いラーメン屋、パン屋のタイムセールの時間帯、「緑楠生」割引のある文具店。
安くて品揃えがいいというスーパーで店内を物色し、ついでに手洗いを借りて外へ出ると、あおいが携帯電話に向かって何やら怒鳴りつけているところだった。
衣川あおいという少女のイメージも、昨日でだいぶ変わった。清楚で可憐な深窓の令嬢という印象だったが、なんだかいろんな意味でとても強かったし、いろんな意味で表情豊かだ。眉間にシワを寄せ携帯電話に罵声を浴びせている衣川あおいを想像できる同級生が、何人いるだろう。
近寄っていいものなのかどうか。呆気に取られている伊織に気づいたようで、あおいは電話を耳に当てながら伊織に向かって完璧な美少女スマイルを向けた。
「分かった、後でね」
そう言って電話を切るとカバンにしまい、小首を傾げるようにして「行きましょ」と伊織を促す。そんな仕草もとても可憐だ。一瞬前の形相は想像できない。
「えっと……帰る? ……帰ったほうがいいよね」
「うん、でもその前に、いい待合室があったわ」
「待合室……?」
ハルとキョウのマンションはスーパーから五分足らずの場所にあった。一階に店舗が入っていて、あおいはそのうちの喫茶店らしい入口の前で立ち止まる。
可愛らしくこじんまりとした店だ。通りに面し広く取られた窓の下に花壇があり、綺麗に整えられている。看板には「ベルツリー」という店名。
入口の、ガラス窓をはめ込んだ厚手の木の扉をあおいが開ける。ドアに取り付けられたベルが明るい音を立てた。
店内は外から見たよりも広々としていて、満席になることがあれば三十人近くは収容できそうだったが、今はほかの客はいない。
しっかりした広めのテーブル。木製の椅子の座面は座り心地の良さそうな革張り。赤レンガ調の壁に観葉植物の緑が映える。テレビか何かで見たような「昔ながらの喫茶店」という表現が頭に浮かんだ。
「こんにちはー」あおいが声を掛ける。
カウンターの向こうで笑顔で迎えてくれたのは、二十代半ばくらいに見える落ち着いた雰囲気の女性。髪を後ろでまとめ、ベージュのエプロンを掛けている。飾り気がなくすっきりとした印象、柔らかい笑み。
「伊織くん、鈴音さんよ」
あおいが女性を示して紹介してくれた。
「鈴音さん、こちら、相原伊織くん。同じクラスなの。ハルもね」
みんなの御用達の店なのだろうか。
(なんだかいいなあ、そういうの……)
伊織は少し嬉しくなった。「行きつけの喫茶店」も、憧れていたもののひとつである。
鈴音さん、と呼ばれた女性は、〈よろしく〉というように満面の笑顔を作って小さく斜めに首を傾けた。そして、〈どうぞ〉というように手で席を示す。
「あたし、カフェオレ。ホットで。伊織くんは? メニュー見る?」
「あ、えっと……」
あおいに誘導されるようにして窓に面した四人掛けの席に着き、メニューをめくってコーヒー三八〇円の良心的な値段に安堵する。アルバイトは決まったが、まだ給料を受け取ったわけではなく、当面貧乏なのだ――が、今日のコーヒー代くらいいいだろう。財布の中のお金であおいの分も出せそうだ。
それだけ確認して、
「えっと……コーヒーをお願いします」
水とお絞りを運んできた鈴音に向かって言うと、鈴音は微笑んで首を斜めに傾げるような感じで頷いた。
そこで、鈴音がまだ一言も言葉を発していないことに気づいた。
鈴音は察したようににっこりと微笑むと、手を口のところに持っていき「しゃべる」というゼスチャーでよくするように指を閉じたり開いたりして、それから両手の人差し指でバツを作る。
その動作には慣れている感じがあり、不快そうな様子もなく、伊織は少しほっとして曖昧に頷いた。と――。
「鈴音さん、伊織くんって、サイかもしれないんですって」
さり気なさ過ぎるあおいの言葉。鈴音はそれに、〈へえ〉といった表情で笑顔のまま少し目を見開く。
「ええええっ?」
そんなこと言っちゃっていいんですか? 伊織は内心で慌てふためくが、ここがサイの少年少女たちの行きつけの店ならば、鈴音も彼らの能力を知っているのだろうか?
「どうしたの? 伊織くん」
戸惑う伊織を、あおいが両手で頬杖をついて不思議そうな顔で見る。
「い、いえ、俺は……違うんじゃないかな、と」
「そうなの?」
あおいは小さく首を傾げたが、特に追求することもなくあっさりと引き下がった。そして、
「ね、チャイロにはもう会った?」
唐突に話題を変える。
「チャイロ?」
「うん。猫。ハルとキョウんちの。茶トラの」
ああ、と伊織は思い出す。ハルは昨日も今朝も猫のエサの器らしきものにエサを入れていた。
「ううん。やっぱ猫がいるんだ?」
「やっぱりね。ものすごく気まぐれで人見知りなの。会ってもらえるまでに、ちょっと時間がかかるわ」
新参者の伊織がいたので、姿を見せられなかったのだろうか。伊織は猫に対して少し申し訳ない気分になった。
カウンターで、食器の音が鳴る。あおいは席を立つとカウンターに向かい、「運ぶわ」とカフェオレとコーヒーの載ったトレイを鈴音から受け取った。〈ありがとう〉というように斜めに頷く鈴音。
そのやり取りがとても自然で慣れた様子で、伊織はまた、なんだかいいなあ、と思う。
それきり黙って、あおいと差し向かいでコーヒーを飲む。コーヒーの味の違いなどはよく分からないが、すっきりとして飲みやすく美味しかった。
(……俺、女の子と二人で喫茶店でコーヒー飲んでる……)
伊織は立場を忘れてそんなことに感動する。
学校での衣川あおいとはだいぶ違った一面を昨日から見続けているが、あおいのほうはそんな一面を見せ続けた後も、伊織に対する態度を特に変えない。いや、少々フレンドリーになっただろうか。
こんな可愛い子と、フレンドリーに。伊織はそんなおこがましいことを考えてしまった自分を叱りつつ、上目遣いに目の前の美少女を窺い見る。そうして昨日の行きのバスの中でメールを打っていた彼女をふと、思い出した。「相手は彼氏か?」と聞いたら、照れたように否定した。
後々考えてみれば、あのメールの相手はおそらくキョウだ。さっきの電話の相手も、たぶん。
(つまりお嬢はキョウのことが……? いや待てよ、二人は既に付き合ってるとか……うぅん、そんな感じでもないかな……)
男女の仲になど詳しいほうではない伊織だが、ただひとつ言えることは「羨ましい」であった。
(こんな可愛い子に……だいぶ、いろんな意味で強そうだけど……)
しかし、男の伊織から見てもキョウはかっこいい。はっきり言って、お似合いの二人である。ハルや琴子ならいいだろうが、伊織など悔しがれる立場ですらない。
考えてみると。彼らの人間関係を、伊織はほとんど知らない。ただ単純に「仲間だ」という認識で納得してしまっていたが、ハルとキョウが兄弟だということすら昨日初めて知ったのだ。
二人はどうして楠見のもとで仕事をしているのか。あおいや琴子は? 彼女らの「能力」というのも伊織はまだ聞いていない。琴子のほうは、昨日の会話から察すると――
(――いや、待てよ?)
そもそも俺って、楠見さんの話を本当に信じたんだっけ?
いつの間にかそれを前提に物事を考えてしまっている。ムードに巻き込まれやすいという性格は自覚していたが、たまに我に返って「だけど本当に超能力ってあるの?」と思う。
入学から十日そこらでいろんなことが立て続けに起き、アルバイトや勉強やクラスでの立場などの悩みも多く、なんだかあれこれ考えている余裕がなかったのだ。いま喫茶店でコーヒーを飲むなどという時間が持てて、初めて少し落ち着いた気がする。
(ちょっと、ちゃんと考えてみないとな……)
ぼんやり考えていると、ドアがベルの音を鳴らして開いた。キョウが姿を現し、伊織のほうへと小さく手を上げる。
そのままこちらにくるのかと思ったら、キョウは客席を素通りしてカウンターの向こうのバックヤードに入っていった。
「鈴音さーん、来たよー」
そんな声と、それから少しバックヤードで話し声が聞こえて。出てきたキョウは制服の上着を脱いで紺色のエプロンをつけ、ジャガイモが大量に入った大きなボウルと包丁を手に持っていた。その姿でキョウは、カウンターの一番端の席に座る。
「……キョウ? えっと……何するの?」
「ん? 皮剥き」
当然だろうと言うように、キョウはジャガイモと包丁を軽く持ち上げて伊織に答える。
「……キョウはここでアルバイトしてるの?」
「ん? んー、時間あるとき手伝ってる程度だな」
「へえ……」
先ほど鈴音からトレイを受け取ったあおいも。カウンターでジャガイモの皮剥きを始めたキョウも。なんだかとても自然で、とても当たり前で、日常的で――。
信頼し、理解し合っている者同士の、慣れた会話。約束事。いつもの行動。
そんなものを目にするたびに、ほんのりとした温かさを心の中に感じる。ハルとキョウの二人に助けられ、理事長室に連れていかれてからだ。
そういうものは、これまで伊織が経験したことのなかったもので、きっと憧れていたものなんだろうと思う。
そして同時に、自分はそれを共有していないという小さな寂しさ。
彼らの日常のなかに、自分は属してはいないのだと。
彼らの日常は伊織の非日常であり、彼らにとって伊織は異物なのだと。
(もしも――)
不意に、これまで感じたこともなかったようなひとつの感情が、心を過る。
――もしも、俺が本当にサイだったら……。
(え!)
伊織は自分の発想に驚いていた。
自分が、超能力者? まさか。
小さな閃きを、心の中で力いっぱい否定した、その時だった。
――あなたの能力は――いつか――
聞き覚えのある誰かの声が、すぐ耳元で聞こえたような気がした。
え? と、あたりを見回す。
カウンターの椅子に座って黙々とジャガイモの皮を剥いているキョウ。あおいは雑誌に目を落とし、鈴音はカウンターの内側で作業をしている。
(なんだ、今の……)
店内を見渡しながら内心で首を傾げていると。
「――ん? ――うん、そうだよ」
カウンターからキョウの相槌が聞こえてきた。
カウンターの向こう側の鈴音が手振りでキョウに話しかけている。そちらに目をやると鈴音と視線が合った。
「ああ」キョウが答えて、伊織を振り返る。「『みんなの友達なのか?』って。そんなら『お近づきの印』にご馳走してくれるってさ。何がいい?」
キョウの言葉と笑顔に、言われた内容を理解する前に胸がすっと軽くなるのを感じた。
「え、えっと……」
「あ! あたしチョコパフェ!」
「俺も。チョコパフェ」
調子に乗って注文するあおいとキョウに、鈴音は「あなたたちじゃない」というように拳を振り上げ、それぞれに向かってゲンコツを落とすような仕草をする。顔は笑っている。
「えっと、じゃあコーヒーを……あの、とっても美味しかったので」
遠慮がちに言うと、鈴音が微笑んだ。キョウもまた笑う。
「伊織もチョコパフェ食え。鈴音さん、チョコパフェ三つ。あとコーヒーも」
「え! ええっと、いいのかな……」
「いいんだよ。伊織、ここで食ったのみんな楠見につけときゃいいかんな。毎食食って売り上げに貢献しろ」
「えええっ? そんな……」
思わず真に受けた返事をしてしまい、いや、冗談だったのかな、とさらに焦る。が、キョウは焦る伊織を気にする様子もなく、
「いいのいいの、フクリコーセー」
「伊織くん、オムライスも美味しいのよ」
キラキラした目で囁きかけてくるあおいに、伊織は一瞬前に思い浮かんだ何かを頭の中から追い出すようにしながら曖昧に笑みを返した。




