22.果たして誰が彼らをこの学校に入れたのか?
昼休みの、伊織との会話を頭の中で整理しながら、
「――まず、伊織くんがどうしてこの学校に入ったのかだ」
楠見は、机に肘をついて少々身を乗り出す。ハルとキョウも、内緒話のように前に出た。
「彼は従兄弟の哲也くんと伯父さん夫婦の勧めと言うが、そもそも哲也くんがわざわざ神奈川の中学からここに進学した理由も分からない。それで、少し調べたんだけどな」
「……ちょっと待った」
キョウがタイムをかける。
「……ん?」
「それって、俺らが聞いてもいい話?」
「…………ん?」
「いや、だって……プライベートじゃん……」
窺うように楠見を、そして同意を求めるようにハルの顔を見る。
楠見はキョウの思いがけない反応に、わずかに目を見張る。
「だけどキョウ、仕事の話だよ?」
同じような引っ掛かりを覚えたのか、ハルは意外そうな顔で。
「……ああ……」
「いつもしてるじゃない」
「……あ、そっか……」
やや腑に落ちないような顔だが、キョウはあっさりと引き下がった。
「どうしたの、キョウ?」
「何が?」
少しだけ心配そうに眉を寄せて聞くハルに、キョウは何を心配されているのか分かっていない様子で問い返す。
(なんだかいつもとペースが違うな……)
内心で首を捻る。仕事で関わっているだけの他人ならば、そんなことを気にするキョウではないだろう。調べるのが仕事なのだ。あるいはハルのクラスメイトであり同じ学校の同じ学年の生徒なのだから、微妙な立ち居地に戸惑っているのだろうか?
(いや――)
先ほどの、伊織と電話で話していたキョウの表情を思い出す。
(どうも、仕事と割り切れなくなっているかな……?)
心の奥底で警鐘を鳴らしていた「何か」が、少しずつ形を取り始める。
ハルやキョウに友達ができるのは良いことだが、警戒感を手放していいのかと言われれば別だ。
現状、伊織の抱えている問題も「敵」も把握できていない。楠見たちが問題を解決できるのかどうか、どういう形で終着すればいいのかさえ、いまだ全く見えていない。
すべてカタがついたときに、良い結果にまとまっていればいいが、そうでなかったとき彼らはどんな関係になっているのだろう。お互いに踏み込ませすぎてしまえば、その分、傷が深くなるのではないだろうか――?
そう思う傍ら、「信じさせてやりたい」と本音の部分で思っている楠見がいる。ごく限られた「仕事仲間」にしか心を許すことができず、常に周囲と距離を取ってきた二人。相原伊織は、その二人が懐の内に立ち入ることを許そうとしている相手なのだ。「気を許すな」などとは、できれば言いたくない。
「悪い。続けて」
キョウが促す。その表情に、特に迷いは見られない。いつものペースを無理に引き戻そうとしている様子もない。本人も、自分の中にある気持ちを自覚していないのだろう。
「ああ、伊織くん、それに哲也くんがこの学校に入った経緯だな」
楠見はこれまでに取り寄せた、リストの人物や相原伊織の資料の分厚い束を手に取る。
「哲也くんの両親――伊織くんの伯父さんと伯母さんは、高い学費を払って息子を東京の私立高校に入れたはずなのに、彼が進学も就職もしなかったことに対して不満を持ってはいなかった。そして、伊織くんにも『同じコース』を勧めた」
「緑楠高校に入っただけで、そのあと進学も就職もしないコース?」
ハルが訝しげに首を傾げる。
「いや――分かっているのは『卒業時点で学校に進路を届け出なかった』ということだけだ。それで、哲也くんの三年生のときの担任の先生に確認したんだ」
伊織を送り出した後で、現在も緑楠高校で教鞭を執っている当時の担任教師に、人を介して連絡をつけてもらった。担任としては四年前に一年間だけ受け持った生徒であったが、やはり進学も就職もしない生徒は珍しいということで、よく覚えていたようだ。
「担任の先生によると、彼は『決まってはいないが、目処はついているから大丈夫』と言っていたらしい。受験や就職活動をしている様子はなかったが、『自分の能力を活かせる仕事につけると思う』と、言っていたと」
「能力を活かせる仕事……」
ハルが、また訝しげに繰り返す。キョウがかすかに眉を顰めた。
「ああ。卒業後に決まったら連絡すると言われ、待っていたがそのままになってしまっていた」
「それって……」
「サイ組織か?」
突拍子もない想像とは言えない。というよりも、楠見もその可能性を考えていた。
哲也がサイであったとして、もしもサイ組織に入ったならば少なくとも待遇面では「良い就職先」だろう。希少な特殊能力を使って仕事をするのだ。一概に、収入はいいはずだ。
「こういうストーリーが考えられる……あくまで想像だよ?」
念を押して背もたれに深く寄りかかると、資料の端を顎に当て、宙を見ながら「想像」を言葉にする。
「哲也くんがサイだったという前提でな、彼が中学を卒業する以前にサイである可能性に誰かが気づき、スカウトして緑楠に入れた。六年前だ。『緑楠に入学するなら学費は負担する』くらいの条件をつけたかもしれない。もしかしたら、両親にも金を積んだかもしれない」
ハルとキョウはそれぞれに、表情にわずかに嫌悪感を滲ませた。楠見の「想像の物語」ではあるが、サイを売り買いするような行為が気に入らないのだろう。だが、この世界では往々にしてあることであり、それは彼らもよく知っているはずだ。
「在学中は訓練期間だ。卒業後にサイ組織に入る。好待遇だろう。そして、満足している家族に、さらに『伊織くんも同じようにしないか』と持ちかける――」
二人に目を向ける。ハルは驚いたように目を見張り、キョウは眉根を寄せていた。
確信とまでは言わないが、おおよそのストーリーはこうではないのかと楠見は思っている。楠見自身が、同じようなケースを何度も見てきたからだ。神戸の「本店」で――。
「それって、……そうだとして、伊織くんは……知らないよね?」
「たぶんね。今こうして追われているところを見ると、入学させてから接触する予定だったのかな」
「けどさ、それだと伊織は本当にサイで、そのこと知ってる人間がいるってことか?」
「考えられるな」
「……なんでだろ。本人も知らないし。俺にも分かんねえのに」
「見てサイだって分かるのはお前たちぐらいのもんさ。伊織くんを追っている人間は、別の情報から伊織くんがサイである可能性に気づいた。あるいは――哲也くんや伯父さん夫婦が何か知っていて、情報を渡したのかもしれない。たとえば彼が覚えていないくらい子供の頃に――」
真剣な面持ちのハルとキョウを交互に見つめ、ひとつの「可能性」を挙げる。
「能力を持っていることが知られるような『何か』があった、とかな」
「それじゃ、親戚が伊織を売ったってことじゃんか」
「一番嫌な方向に想像が当たれば、そういう見方もできるかもしれないが、まあ、即断はできないよ。すべて『想像』だ」
「それで、楠見はその、哲也くんや伊織くんをこの学校に入れたのが、『本店』だと思ってるの?」
ハルの鋭い視線に、ひとつため息をついて。
「最有力候補だな」
渋々認める。そちらに話を持っていきたくはないが、少なくとも哲也の件には「本店」が関わっていると考えておいたほうがいい。なぜなら。
「神戸の静楠学園は、『本店』の訓練校だ。実際にサイの子供たちを集めている。全学の生徒数からしたらごく少数だがな。学校という場所に囲って中学高校時代から訓練を積ませ、卒業後に組織で仕事をさせる。緑楠も、そうなる予定だった。俺がここの理事会に入るまでは」
「お前が理事になってやめたの?」
「六年前――ちょうど哲也くんが入学する年の春だな。その年に俺は、緑楠学園をサイ組織の『東京支店』にするために、理事会に入ることになっていた。だが直前に、『本店』と揉める事件があって、俺は『本店』を離れた」
「俺たちが出会うちょっと前だね」淡々とハルがつぶやく。
「そうだな。俺が『本店』と決別したことで、緑楠も『本店』とは縁が切れてその話は立ち消えになっていた。が、その『事件』以前に――」
楠見は当時を思い返しつつ、目を細める。
「『東京支店』開設準備として、緑楠にサイを集めるという活動が水面下で進んでいた、という可能性はある。むしろ自然なことだ。ただ――俺は知らされていなかったけどな」
苦々しい気持ちを押し静めて、説明した。
理事になる前も、「本店」と縁を切った後も、そういうことは聞かされていなかった。「本店」を離れた楠見に、集めたサイが学園内にいることを伏せたのかもしれない。楠見の立場でも、それは当然のことだとは思うが、同じ学園内にいたサイをみすみす「本店」に行かせてしまったのかもしれないと思うと忸怩たるものがある。
そういった人間がすぐ足元にいることが分かっていたとしたら、それでも自分はきっぱり「本店」と袂を分かつことができただろうか――?
「例のリストのメンバーは、『本店』が集めたサイってこと?」
ハルが聞く。楠見が確信に近い気持ちでいることを、察しているのだろう。
「可能性は、高いと思う。伊織くんみたいな例もあるから、本人たちが知っていたかどうかは分からないがな。潜在レベルのサイだったりすると、先に話を持ちかければ胡散臭がられる。別の理由をつけて受験を勧め、入学後に接触するということも、よく使う手だよ」
「だとしたら、楠見が『本店』と分かれて話が宙に浮いて、もしかしたら入学した十四人は何も知らないまま普通に卒業したって可能性もあるね?」
「ああ。けど、何人かには実際に接触していると考えられるな。……リストの十四名のうち、三名が、卒業後に神戸の静楠大学に進学しているんだ」
「『本店』に入ったってことか?」
「もしかしたら、な。緑楠高校から静楠大に進学する者がいないわけではないが、珍しい。あっちは薬学部中心の単科大学だ。西日本の製薬業界には強いが、薬学部なら緑楠にもあるんだから、高校以前から入ってきた生徒は大抵こちらで進学するよ。本人たちに事情を確認したいところなんだが、ただな――」
言いながら、楠見は少々眉を顰める。
「問題は、FAXを送ってきた人間とその理由が分からないってことだ。『本店』に籍を置いているサイの保護を、『本店』から離れた俺に依頼してくるとなると――どういう可能性が考えられる?」
眉を寄せつつ二人を見比べながら聞く。
少し考えた末。ハルが言葉を捜すように、ゆっくりと。
「『本店』が集めたサイが何かの危険に遭っているなら、『本店』が彼らを守ればいい。それをわざわざ楠見に依頼してくるとすると、彼らを危険な目に遭わせているのは『本店』だってこと? だとすると、FAXを送ってきたのは、内部の人間?」
「可能性のひとつ、だがな。そう考えたら理に適ってる」
「送信者の名前がなかったのも、『本店』の人間だったら頷けるね。送り主が向こうにバレたら不味い」
「そう――となると、安易に『聞いてみりゃいい』ってわけにもいかない。先にリスト上の人間と上手い具合に接触して、事態を把握できればいいんだが」
古市に十四名の分かっているだけのデータを渡して、丸二日が過ぎている。古市の腕からいけば、遠からず最初の一人が見つかるだろう。それまで、「本店」に対しては下手に動かないほうがいいのかもしれないと楠見は思う。
(それで手遅れでなきゃいいけどな……)
最初は「ちょっと調べてやるか」程度だったはずのリストの問題は、受け取ったときよりもかなり重みを増した。
「だけど、六年前に哲也くんをこの学校に入れたのが『本店』だとして……」
「ああ」
「伊織くんを入れたのは? なんで今? 緑楠に?」
楠見はしばし、考える。
「……それが分からないんだよな。さっきも言ったように、『本店』はこちらには手を出さない約束になっているはずなんだ」
「なあ、もしかして、楠見に知らせないままで六年間ずっとサイを入れてたってことはねえの?」
キョウが戸惑い気味に聞いてきた。
「……ないと言い切ることはできないが、ただ、可能性は低いと思う。同じ学校内にサイが何人もいれば、お前たちが気づくだろう? 何かしらの問題が起きて俺が知ることになるかもしれないしな」
「まあ、そりゃそうか……」
「じゃあ誰かが六年ぶりにサイをこの学校に入れたっていうこと?」
「まさかと思いたいが、な……」
「けどさ、なんでわざわざ学校に入れたんだ? 楠見にバレる危険冒してまで入学させる必要あるか?」
「そう……そうだよね。『東京のサイを集めたい』は分かるよ? でも、この学校内でなくてもいい――」
ハルが考え込むように、手に持ったままになっていたスプーンを顎に当て、斜め下を見つめながら言葉を継ぐ。
「現に、相手はわざわざ学校外で伊織くんに接触しようとしてるんだよ?」
「たしかにな……」
六年前までならこの学校内にサイを集める意味はあった。しかし、今それをして楠見が知れば、黙っているはずがない。あえて学校に入れ、その上で学校内ではなく外で接触する目的はなんなのか。
「それに、やり方も妙じゃない? 素人を雇って捕まえてこいとかさ。『本店』って、何人ものサイを抱えている大きな組織なんでしょ? そういうやり方をするの?」
首を捻ったハルに、キョウも大きく頷く。
「そこも疑問なんだ」楠見は苦い表情になる。「『本店』ならまさか、そこらへんの素人を金で雇ったりするとは思えないな。いろいろ問題はあるが、表向きは適法組織だよ。何も知らない一高校生を有無を言わせず力づくで捕らえたり、騙しておびき寄せるなんて考えられない。ましてやサイの問題に一般人を巻き込むなんて、論外だ」
一連の出来事が「本店」の仕業ならば、離れたとはいえ元は身内であった組織のスマートとは言い難いやり口にフォローのひとつもしたい気分になるが、事情が分からない。
相手は「本店」だろうと確信に近い気持ちでいながら、いまひとつ断じ切れない理由もそこだ。
「まあ……なんにしろ、もうすぐリストの人間の行方が分かってくるだろう。哲也くんが見つかれば手っ取り早いんだがな。それに相原夫妻にも話が聞きたいが……」
「古市さんにも、注意しておいたほうがいいね。本当にサイなら、古市さんは直接接触しないほうがいい」
ハルの意見に、楠見は頷く。
「ああ。ともかく……ひとまずお前たちは、伊織くんの身の周りに注意してくれ。追っている人間を捕まえて話を聞きたいが、安全優先で頼む」
そう締め括ると、楠見は立ち上がってローテーブルのほうへ行き、先手必勝でスプーンを全て紙袋に戻してキョウに手渡す。
「キョウ、スプーン曲げる練習は、ほかでやれ」
キョウがむくれる。
「多摩川でもどこでも、広いところに連れてってやるから、な?」
「なんだよ、俺忙しいんだよ。多摩川なんか行ってらんねえよ。伊織のだろ? パイロだろ? リストの件だろ?」
キョウは不満げだ。仕事がなければないで文句を言うクセに、あればあったでこれである。コントロールが難しいが、楠見としてもそこは心得ている。
「仕事熱心でいいことだ。終わったら飯食いに行く話、何がいい?」
「ん。めかぶだな」
「……は?」
「こないだ朝ごはんに出しためかぶが、キョウは気に入ったらしいよ」
ハルがにっこりと笑いながら解説する。
「……そうか……めかぶ、な。分かった、探しとく……めかぶの美味い店な……」
何料理だ? 首を捻りつつ、楠見は場を散会した。
二人が扉を閉めて出ていく。しばらく外で話している声がすると思ったら、突然、バシッ――という不穏な音が耳に入り、一瞬腰を浮かせる。
(なんだ、いまの……)
すぐに扉が二十センチほど開き、キョウが間から顔を覗かせた。
「楠見、ゴメン……壁ちょっと壊れた……」
「…………」
ハルが最後まで手に持っていたスプーンが頭を過るのと同時に、扉は静かに閉じられた。
楠見は呆然としたまま、電話機を引き寄せ押し慣れた内線ボタンを押す。
「――マキか。いいか、聞いてくれ。とても危険なんだ。――その部屋に、スプーンがあるな? ――スプーンだよ、スプーン。カレーを食うときに使う。それを今すぐ全て隠すんだ。――理由はまだ言えない。ともかく危険なんだ。――おい、真面目に聞いてくれ!」




