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20.楠見、キョウの新たな目標に狼狽する

 例によってノックもなしにドアが開いたので、楠見は「ノックを……」と言いかけて、口をつぐんだ。


(おっと、電話中か……)


 スマートフォンを耳に当てながら入ってきたキョウは、楽しそうに誰かと話している。


「うん、――ん、そっか。――へえ、良かったじゃん」


 なにやら機嫌がいい。良い話題らしくて、結構なことだ。


(……ちょっと待て。どうして俺が遠慮しなくちゃならない?)


 俺はこの部屋の主だよな……と、釈然としない思いで首を傾げる楠見には目もくれずに、キョウは電話の相手と会話を続けながらソファに座った。

 通学カバンのほかに手に抱えていた紙袋を、ローテーブルの上に何気ない感じで置く。金属製の小さなものがたくさん入っているような、重い音がした。


「うん――うん――分かった、言っとく」


(……俺の、部屋だよな……?)


 あまりに傍若無人な態度に楠見は少々不安になったが、キョウの表情が目に入ってふと動きを止めた。

 彼にこういう表情をさせる人物を、楠見はほんの数人しか知らない。しかし電話の相手はその誰とも違うようだ。――相原伊織か?


(ふうん……)


 執務机に頬杖をついて、キョウの笑顔を見守る。キョウといいハルといい、二人がこんなに相原伊織に心を許すとは、数日前まで想像もしていなかった。でも――と楠見は苦笑する。


(彼なら、有り得るかな)


 相原伊織という少年は、これまで二人が守ってきた「他人との距離の取り方」のマニュアル通りに扱えない存在なのかもしれない。そういう存在ができるのは良いことなのだろう。そう思う一方で、楠見は心の奥底で何かが小さく警鐘を鳴らすのを感じた。


「うん、じゃあな、また後で――」

 通話を切って、キョウは携帯をポケットにしまった。


「伊織くんかい?」楠見は声を掛ける。


「ん、あいつバイト決まったって」

 キョウは、ノックも挨拶も部屋の主と視線を交わすことさえもすっ飛ばして席に着いた事実などなく、電話の前からずっとそこで楠見と話をしていたかのように、自然に楠見に目を向けて笑った。

「楠見、保証人になってくれてありがとうって。コンビニだって」


 嬉しそうな笑顔で伝達され、思わず説教を忘れる。


「そうか、まずは良かったな。……わざわざ電話で知らせてくれるなんて、本当に律義だね」

「ん……だけどさ、あいつ、本当に保証人がいないからとかそんな理由で今までダメだったのかな」


 キョウは不思議そうに眉根を寄せ、宙を見つめながら言う。ついでにローテーブルの上に置いた紙袋を、ジャラジャラと音を立ててひっくり返した。テーブルに、銀色の細長いものがばら撒かれる。


「そんな理由でバイトって見つかんねえもん?」

「どうかな。たしかに身元確認には以前よりは厳しくなっていると聞くけれど、彼の場合、ひとつ枷となっていた問題を解決して自分に少し自信が付いたのかもしれないね。彼は真面目だから、足りない部分に必要以上に負い目を感じてしまって、そういう雰囲気を警戒されてしまっていたのかも」


 楠見はキョウがテーブルにばら撒いたものに目を奪われながら、やや上の空気味に答えた。


「ふうん。そんなもん?」

 キョウはテーブルの上の細長い銀色の物体を、大雑把に並べて数えている。


「うん、まあ、嘘をついたりごまかしたり出来ないっていうのは彼の良い所ではあるけれど、だからって『保護者がいないから了承は得られていません』なんて正直に言っちゃあね。それに彼はちょっと、不思議なくらい自己評価が低いな。謙虚過ぎるというか……」


「あー、それ」テーブルの上から視線を上げて、キョウは楠見に向かって首を傾げた。「あのさ、俺も『普通』ってどういうのかよく分かんねえんだけどさ、あいつの『子供の頃に両親が死んで、親戚の家を転々とした』ってのは、普通のことなのか?」


「ん? いや……まあ、ない話ではないが……よくある境遇じゃないな……」

「だよなあ。それであいつなんで、自分は平凡で事件に巻き込まれるような人間じゃないって思ってんだ?」

「……平凡で、事件に巻き込まれるような人間じゃない……?」

「ん。琴子が読んじまったんだよ」

「……ふむ」


 キョウがテーブルに手を伸ばした。楠見はその様子をぼんやり見ながら考える。


「なるほど、たしかに緊張感が薄いというか、自分の身に起きている出来事への切迫感がないようにも見えるのは……だけど……キョウ。お前は今、いったい何をしようとしているんだ?」

「ん?」


 細長い銀色の物体を一本手に取って目の前にかざし始めたキョウが、聞かれて楠見を振り返る。


「……スプーン屋さんでも開業するのかい?」

「はあ? なに言ってんの? 超能力屋さんに決まってんだろ?」


 そんなことも分からないのかという顔で、キョウは楠見を軽く睨む。


「……ああ。分からなくてごめんな、そうだよな、超能力者なんだから超能力屋さんに決まってるよな……ってちょっと待てえ!」


 楠見は立ち上がって応接セットに突進した。

 キョウはスプーンを一本手に取り片手で顔の前にかざした状態で、慌てて飛んでくる楠見を怪訝な顔で迎える。テーブル上には数十本のスプーンがぶちまけられている。


「待て待て待て。超能力屋さんってなんだ。そのスプーンをどうする気だ」

「曲げんだよ」


 当然だろうと言わんばかりのキョウの隣に座り、ひとまず手にしているスプーンを取り上げる。


「なんでスプーンなんか曲げるんだ」

「なんでって、超能力っつったら『スプーン曲げ』なんだろ?」

「そんなもんは素人のやることだ。お前には必要ない」


 が、楠見の手のスプーンをキョウが奪い返す。

「ジャマすんなよ楠見。俺だってサイらしくスプーン曲げくらいできたほうがいいだろ」


「いい! いいって! お前はスプーン曲げなんかできなくたって立派なサイだ、数百年に一人の逸材だ!」

 楠見はもう一度スプーンをキョウの手から取り戻す。


「練習もしないうちからできないって決めつけんな! 俺はやりたいんだ!」

 キョウはテーブルの上に手を伸ばし、新たに一本手に取った。


「だから必要ないって!」

 楠見はそれをまた奪う。


「んだよ! 楠見は俺のやりたいことを応援してくれるんじゃねえのかよ!」

「……え?」

「お前、俺に『やりたいこと作れ』とか『なんでも応援する』とか言ってくれたじゃん! あれ嘘かよ!」

「い、いや……言った。たしかに言った。うん、応援するよ、嘘じゃない、本当だ。しかし……」


(それは、こういうことだっただろうか?)


「ちょっとこれは想定の範囲外だ」

「俺は今、スプーン曲げが出来るようになりてえの!」

「……分かった。分かった落ち着け。そうだ。お前はスプーン曲げの練習をしろ。応援する。ただし、ここはまずい」

「なんで」

「ここは狭過ぎる。そうだ、多摩川に連れてってやる。車で行けばすぐだ。今夜どうだ?」

「夜はいろいろと忙しいし、練習に時間割いてもいらんねえんだよ」

「ああ分かったいま行こう。ちょっと待ってろ、この後の会議欠席の電話入れるから」

「じゃなくて。俺は、すきま時間で練習して効率良く技術を身に付けることにしたんだ」

「なんだその通信教育の宣伝みたいな修得方法……そうだ! せめて中庭はどうだ? マキもいるぞ?」

「マキには出来るようになってから見せんだよ」


 楠見はキョウが手に取った三本目のスプーンを奪い取る。

「キョウ。お前は忘れたのか? 以前『物体浮遊』の練習をするとか言って、室内を破壊しまくったことを――時計やカップやボールペンや、巻き添えになったその後ろの壁テーブル窓……たくさんの犠牲を出したよな?」


「そんなんずっと昔のことだろ! 今はもっと手加減できるから大丈夫だって」

 キョウは過去の失敗を話の俎上に載せられ、不満げに眉を寄せた。


「いや。責めているわけじゃない。そうじゃないよ。より有用な能力を身に付けようと努力するのは良いことだ。その過程で失敗することもあるし多少の物損は仕方ない。けどな、ここは学内だ、理事長室だ、たくさんの人が出入りする場所だ。何も知らずに入ってきた人が、部屋の中だけハリケーンに見舞われたみたいな惨状を目にしてしまったらいったいどう思う?」


「だけど……手に持ってやるんだし、ほかの場所に影響ねえって。まあ見てろって」

 少々口調に自信がなくなってきたキョウだが、四本目のスプーンを手に取る。


「あああ! そうだ! あの地図!」


 楠見は大声を上げた。キョウが怯んだ隙に立ち上がり執務机に戻って、昨日置き去りにされていた地図を見せ付けるように掲げる。


「これ、お前のだろ? 昨日ここにあったんだけど」

「おお! そうだった!」


 キョウは四本目のスプーンをテーブルの上にぽいっと投げ捨て、立ち上がって楠見のほうにやってきた。


(――惨禍を免れたのか?)


 楠見はひとまず安堵した。執務机の上に地図を広げ、没収したスプーンはペン立てに突っ込んで椅子に腰を下ろす。キョウも壁際にあったスツールを引き寄せ、机の横に座る。


 二十三区と多摩地区が一枚に収められた東京都地図だ。杉並区・武蔵野市の境目周辺と、江戸川区、新宿区に集中して、それぞれ別の色で印が付けられているほかに、また違う数色で丸印が書き込まれている。上記の三地区以外に付けられた丸は、大きさもまばらだ。


「放火事件の発生現場だな?」

「うん」


 三地区に付けられた印から、先月から立て続けに起きているパイロキネシスによる放火事件に関するものだということは、楠見にもすぐに分かった。が、ほかの場所のマーキングの意図が分からない。


「この、ほかの印は?」

「それな、船津さんに頼んで、二月ぐらいから今までに発生してる『火元不明』『燃焼促進剤未検出』『未解決』の全部が当てはまる不審火をリストアップしてもらったんだ」

「……なんだって?」

「だから、警察に届いている、ここ二、三ヶ月の間のパイロっぽい火事を……」

「いや、お前、船津さんとじかにそんなやり取りをしているのか……?」


 聞くと、キョウは窺うような上目遣いになった。


「お前を通さずに仕事請けたりはしねえよ?」

「それはそうだろうが……船津さんはこんな情報をお前に提供してくれて大丈夫なのか?」

「ほかの人間には秘密だ」

「……。まあ――それより、どうしてそんなことを?」


 うん、とキョウはひとつ頷いて神妙な面持ちになり、考えながら説明を始める。


「パイロの放火事件が、ここ二ヶ月で三つだろ? しかもちょっとずつ時間差で来るからさ、もしかして、ほかにもあるんじゃねえかと思って」


 まさか、と笑い飛ばすことはできなかった。


「なんか、ヤな感じすんだろ?」

「……そうだな」


 楠見は腕組みをして、椅子の背に深くもたれる。


 長く『サイ業界』に身を置く楠見の感覚からしても、同時期に同じ都内で複数のパイロ放火事件があるというのは異常だ。ほかにもあるのでは、四件目が来るのではと思う気持ちも理解できた。あるいはまだ「事件」として浮上していないものが――。

 通常、一件の小火程度では、警察が本格的な捜査をすることはない。たまたま近くで続いたために「連続放火」として重大視されたが、別々の所轄で処理され「小火」として終わってしまえば、同一犯の手によるものでも繋がりにくい。燃焼促進剤がないという共通点はあるが、それは言い換えれば同一犯と見做す決め手もないということなのだ。


 そういうまだ認識されていない事件の気配を感じて、警察からの依頼や相談に先んじて調べようというのだろう。


「でさ、実際どんくらいあんのかと思って、警察に届いてる分を調べてもらったら」

「こんなにあったわけか……」


 地図に目を落とす。都内全域、すでに聞いている三地域の事件以外にも、ざっと見ただけで十箇所以上の印が付けられている。もともと「放火」は火災発生原因のトップだ。これらすべてがパイロキネシスによる念力発火だというわけでもないだろう。しかし、このうちいくつかでもそうなのだとしたら――念力放火を行ったサイがほかにもいるということか?


「この、大きな丸は?」


 楠見は地図上に三つある、ほかのものと比べて大きな丸印を指差す。大田区、八王子市、青梅市に一箇所ずつ、同じ大きさの印がある。


「これは本当に大きな火事だ。家が一軒、全焼した」

「全焼だって?」

「ああ。三件とも三月。どれも空き家で怪我人はいなかった。家が一軒丸ごと燃えてんのに、ガソリンや油を使った形跡もない」

「消火は間に合わなかったのか?」

「通報受けて消防車が駆けつけるまでに、ほとんど燃え落ちてたって。ちなみに、どれも木造一軒家だけど、八王子は前日にかなりの雨が降ってた」

「それを燃焼促進剤なしで、消防車が来る前に焼き尽くした?」

「ん。あとの二件だって、たまたま条件が良かったか早めに何かに引火してフラッシュ・オーバーってことはあるかもしんないけど、空き家だからな。電気もガスも通ってねえし、内部にほとんど燃えるモノはなかったわけだ」


 これだけの火災が、果たして燃焼促進剤もなしに引き起こせるものか?

 しかし、もしも短時間に家を一軒丸ごと焼き払えるレベルの大きな能力を持ったサイがいるとすれば、かなり厄介な相手だ。少なくとも、何人もいるとは考えにくい。では、大田・八王子・青梅の犯行は同一犯によるものか――?


 楠見がそう思考したのを待っていたかのように、キョウが楠見に向かって目を上げた。

「一人、派手に動いてるヤツがいるってことかな」


 キョウと目を合わせて、再び楠見は地図に目を落とす。

「けど、何が目的で……いや、ともかく。船津さんに詳しく話を聞いてみる必要があるな……」


「ん、船津さんも改めて調べて、驚いてた。空き家火災はたまにあるけど、これはな、って」

「とりあえず……家を一軒全焼させられるパイロがいるんだとしたら、それは早めに調べたほうがいいな。被害が拡大したら大変だ」


「ん。……なあ、楠見」

 腕組みしたままキョウが真剣な顔で問いかけた。


「ん?」

「これ全部パイロかどうかは分かんねえけどさあ……パイロなんてそこらへんにウジャウジャいるもんでもねえよな」

「そりゃそうだ。サイの中の、さらにほんの一部なんだからな。しかも微力ってレベルじゃなくて、物を燃やす能力を持ったサイだ」

「でさ、たまにいたとして、全員が放火したくなるわけでもねえだろ?」

「ああ、もちろん」

「だけど、続きすぎる。偶然かな、これ……」


「ふむ……ちょっと待てよ?」

 小さな可能性に思い当たったような気がして、楠見はふと考え込む。


――パイロ大発生。


 先日のキョウの言葉を思い出す。

 あのとき漠然と想像した、ひとつの考え。


「……なんかあんの?」

「いや……ただ、もしもパイロキネシスが増えるとしたら……それは、可能性としては……」


 首を傾げたキョウを視界の端に収めながら、楠見は顎に手を当て、目を細めるようにして考える。


(まさか――な)


 キョウは黙って考え込んでしまった楠見をしばらく見ていたが、やがて「楠見?」と遠慮がちに声を掛けてきた。


「ああ、悪い。ちょっと考えさせてくれ」

「ん、分かった。俺あっちで練習してっから、考え終わったら呼べ」

「ああ――。……ってちょっと待て、なんの練習だ」

「スプーン曲げに決まってんだろ」

「だーかーら!」


 楠見は頭を抱える。


「あのなあ、練習するのは、いい。だがな、お前の能力はこの狭い場所で行使するのは無理なんだ」


 おまけにキョウのPK(サイコキネシス)の能力は「破壊」に特化したもので、物質の形状を変えたり壊さずに動かしたりする能力はない。子供のころに散々試しては失敗して、もう分かっているはずなのだが。


「だけど、練習したらできるようになるかもしんねえ」

「その練習段階が問題なんだっ。広いところでやれ」


 ちょっと期待を滲ませているキョウの顔を横目で見つつ、楠見は内心でため息をつく。この顔に、弱い。弱いので、これまでかなり譲ってきた。結果、何度も大惨事に見舞われることとなったが……。


「多摩川に行こう」

「んだよー。もっとパパッと身近なとこでできる方法、なんかねえの? 楠見、知ってんだろ」

「知ってたらとっくに教えてるよ」


 能力を開発する訓練ならば、いくらでも見てきた。サイの能力を仕事に使う組織ならば、多かれ少なかれ訓練をしているものだ。しかしそれらはもっぱら、持っている能力のコントロールを身につけるだとか、引き伸ばすことが目的のもので、能力の種類や質まで変える訓練となると――。


(――?)

 ふとそこで、先ほど脳裏を過った小さな可能性が、再び頭を掠めた。

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