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19.伊織、ハルが神様に見える

 俺が、狙われている? サイの組織に? どうして?


 追いかけられても怖い思いをしても、どこか他人事のような気分は捨てきれていなかった。

 琴子に図星を差されてしまったように、まさか自分がという思いは大きかったし、どの体験も現実離れしたもので、どこからどう怖がっていいのかよく分からずにいたのだ。


 しかし、部屋に盗聴器まで仕掛けられていたという事実は、本格的に伊織を震え上がらせた。自分にはもう、安全な場所がないということなのだ。

 縋るように正面の楠見の顔を見ると、楠見は柔らかい微笑みを浮かべた。


「伊織くん、心配しなくていい。『サイ』が絡んでいるとはっきりした以上これは俺たちの仕事だ。きみのことは俺たちが守る。彼らもこういうことには慣れている。信用してもらっていい」


 伊織は五人を見回す。不安も困惑も消えてなくなりはしないが、一人で怯えていなくてもいい。自分の状況を把握している人間がほかにもいる、守ってもらえる――それでほんの少しだけ気持ちが軽くなった。でも――?


「ただ問題は、これからどうするか……」

 楠見が伊織の感じていた不安を口にする。


「盗聴器、外してねえよ」キョウが楠見と伊織を見ながら、「全部調べたわけじゃないからほかにもあるかも。簡単に外せないヤツもあるし、相手の正体が分かってから専門家に頼むのがいいと思う」


「伊織くん、家の中でしゃべれなくなっちゃうね」

 困ったようにハルが言う。


「まあ、電話とかでまずいこと言わなけりゃいいけどな。でも先週行った時から思ってたんだけどさ、伊織んちセキュリティ弱すぎ」

「あーたしかに。そうすると。『向こう』さんが伊織くんを『平和的に拉致』できれば良かったけど、それがダメってなったらどういう強硬手段に出てくるか……」


 楠見が眉を顰めた。

「家にいるときに、部屋に乗り込んでくる危険もあるか?」


「俺やハルだったら、手段を選ばなきゃ三十秒もかかんねえな。たぶんお嬢も……」

「そんなことしないわ! でも……そうねえ、何か盗み出してこいって言われたら、あの鍵なら誰にも気づかれずにできそうね」


 彼らとしては淡々と事実を述べているだけなのであろうが、一言一言が伊織の心を竦み上がらせる。気づけば五人が「どうする?」という目で伊織を注目していた。

 どうしようもない。こんなときに転がり込める友人の家もないのだ。

 目を伏せると、ポツリと救いの言葉が伊織の耳に届いた。


「うちに来る?」


 言ったのはハルだった。ほかの四人が驚いたようにハルに目を向ける。


「とりあえず伊織くんの家の中をどうにかするまで――というか伊織くんの安全が保障されるまで、うちに泊まってもらってもいいけど?」


「ハル、いいのかい?」

 少々戸惑ったように聞いたのは、楠見だ。するとハルはキョウに目を向ける。


「キョウ、いい?」

「俺は構わねえけど……」


 どこか落ち着かないように、でもハルの意見を否定する風でもなくキョウが頷いた。


「もちろん、伊織くんが良かったらだけど」

 ハルは伊織に笑いかける。

「部屋は空いてるし、わりと快適だと思うよ。親とかもいないから気を遣わなくていいし。こちらとしても、伊織くんが一緒にいれば守りやすいし安心だよ」


 微笑むハルが、神様に見える。


「えっと、俺はもちろん嬉しいんだけど、でも悪いよね。……本当にいいの?」

「いいよ。今夜からすぐにでも来なよ」


「ああ、まあハルんちだったらセキュリティ面は心配ないし、俺としても安心だ。伊織くん、じゃあそういうことでいいかな」


 伊織は怖かったのとも困ったのとも別の気持ちで、泣きそうになった。

「すみません……あの、よろしくお願いします……」




 気づけば十一時近い。ハルがおあおいと琴子を家まで送り届けることにして、三人は理事長室を先に出た。


「少し落ち着くまで、ゆっくりしていっていいよ」

 そう言ってくれる楠見の言葉に甘えて、伊織はソファの上で気が抜けたように動けなくなっていた。


「楠見、江戸川の件は? ハルから報告聞いた?」

 同じくソファに座っていたキョウが、執務机に向かった楠見に声を掛ける。


「いや、まだだ。もう遅いし明日でいい。放課後で構わないよ。緊急の要件があれば電話をくれるように伝えてくれ。俺はまだしばらくここにいる」


 楠見はこの後まだ仕事をしていくつもりらしい。副理事長としての仕事も忙しいのだろう。そんなことはおくびにも出さずに話を聞いてくれていた楠見に、頭が下がる。同時にキョウも遅くまで付き合わせてしまっていることに気づき、伊織は元気の出ない足を叱り付けるようにして立ち上がった。


「ん? 行けるか?」

「うん。ごめん、遅くまで。楠見さんも、本当にすみません」


「伊織くん、いろいろあまり気を遣わなくていいよ。きみのせいじゃないし、俺や彼らにはこれが『仕事』なんだ」楠見は伊織に微笑みかけ、それからキョウにクギを差すような視線を送った。「だけどキョウは帰ってちゃんと寝て、明日遅刻するなよ」


「あ、仕事って言えば」

 話を逸らすように、キョウが立ち上がりながら言う。

「伊織、これからまだアルバイト探すんだろ」


「うん……事情が許せばそうしたいんだけど……」

「ああ、伊織くん、落ち着かないとは思うけれど、普段通りに生活してもらっていいよ。アルバイトを始めるの?」

「はい、一人で生活するって決めて、生活費もちょっと大変なので……」

「そうか。偉いね」


 単純な言葉だったが、なぜか以前アルバイトの面接で言われたときと違い、伊織の胸に温かく落ちた。


「いえ……伯父たちには学費まで面倒見てもらって。これ以上……あまり、その、甘えられる間柄でもなくて」

「伊織、それで親戚にバイトのこと話してねえの?」

「うん……」

「伯父さんたちの許可をもらっていないのかい?」

「そうなんです、その……あ! スミマセン、従兄弟のことで電話するって言ってたのに!」


 伊織は慌てて目を上げる。忘れていたわけではないが、なんとなく気が重くて延ばし延ばしになっていたのだ。


「ああ、構わないよ」焦った伊織に、楠見は柔らかく、しかし少々言いにくそうにして。「伊織くんには悪いけど、こちらでも調べさせてもらってる。結論から行くと、実は伯父さんと伯母さんも哲也くんの本当の居所を知らないらしいんだ。新しい住所は町田市――きみの伯父さんたちはそう聞いていたらしいけれど、実際そこに住んでいたのは別の家族だった。心配だけどもう少し探してみるよ」


「あ、はい、俺……何から何までスミマセン」

 恐縮しきって頭を下げる。自分も何か役に立てたらいいのに――伊織は伯父への電話をためらったことを、少々後悔した。


「だけど保護者の許可をもらっていないんじゃ、たしかにアルバイトは探しにくいな。最近そういうの、厳しいだろ?」

「んなもん、適当に名前書いて判子押して『許可もらいました』って言っときゃいいじゃん」


 キョウは当然のように言う。伊織としても考えなかったではないが、生来真面目な気質なのと、嘘が下手クソなことは自分でも自覚していたため勇気が出なかったのである。


「こらキョウ、お前はいつもそんなことをしているんじゃないだろうな……」

 楠見は腕組みをしてキョウを睨む。


 キョウは斜め上に視線をやって、それから慌てたように続けた。

「けどさ、勝手に保護者の名前書いといたって、問題なけりゃ連絡なんていかねえだろ?」


「なあキョウ。俺それお前にだけは言われたくないぞ?」

「そうだ楠見、伊織の保証人になってやれば?」


 キョウは「名案」とばかりに笑顔で言う。伊織は恐縮のあまり慌てて「いや……」と言葉を発しかけたが、それよりも先に楠見があっさりと、

「いいよ」

 と言った。


「えっ?」


「履歴書に名前書けばいいんだろ? それとも承諾書が必要なのかな。学校の先生ってことにでもしておけば。まあ……教師じゃないけど、嘘でもないよなあ?」

 楠見は顎に手を当てて、考えながら言う。

「それとも、面接について行く? 『うちの伊織がお世話になります』って一言挨拶しようか」


「お前なんかついてったら、受かるもんも受かんねえんじゃん?」

「なんでだよ、若くて真面目で爽やかな青年実業家に見えるだろう?」

「んー……」


 楠見の抗議にキョウが首を捻っている傍らで、伊織の胸には楠見の言葉がじんわりと染み込んでいた。「うちの伊織」って、そんな言葉で表現されたのは、いつ以来だろう。最後にそう言ってくれたのは誰だっただろう。

 楠見はもちろん冗談で言ったのだろうが、それが冗談であれ単なる思い付きであれ、その言葉を聞いたこと自体に心を動かされていた。


「ともかく伊織くん、履歴書を持っておいでよ。あ、俺でいいならだけどね」

「あ、あの……え、本当にいいんですか?」


「どうして? いいよ、そのくらい。これも何かの縁だ。誰かさんのおかげで『問題児の保護者』は慣れてるんだけどね、伊織くんは誰かさんと違って真面目そうだし。明日の昼休みと放課後は、俺はここにいられると思うよ」


 楠見はそう言って笑った。




 理事長室を後にして、一度キョウと共に伊織の家に寄る。着替えや教科書などの必要なものをカバンに詰めているところで、あおいと琴子を送ってきたハルが合流する。

 伊織は盗聴器を意識してビクビクし通しだったが、ハルとキョウは平然と会話を続ける。ただし、内容は盗聴器の向こう側の人間――そういう人間がいるとして――に向けたものだ。一緒に勉強をするために友人の家にしばらく泊まり込むことにした。そんなストーリーにするつもりらしい。


 伊織の家から十分も歩かない場所に、そのマンションはあった。六階建てで、ひとつひとつの部屋も広そうなオートロックのマンションだ。一階には店舗が入っているが、さすがにもう店を閉めている。

 エレベーターで三階に上がり、ハルが鍵を開けて中に入って……あれ? とそこでようやく伊織は気づいて首を傾げた。


「あのう……ハルとキョウは、一緒に住んでいるの?」


 すると、ハルとキョウは少しばかり驚いたように顔を見合わせ――

「あれ? 伊織くん、言ってなかったっけ?」

 ハルが意外そうに聞く。


「え……聞いてないけど、一緒に住んでるんだ……」

「というか、俺たち兄弟」

「……え?」

「俺、兄。こいつ弟」

「えええっ?」


 ハルの言葉に、思わず叫んでしまって慌てて口を押さえた。真夜中だ。

 広いリビング。

 キョウはダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。ハルはリビングの棚から猫の餌を取り出し、床の器に継ぎ足す。姿は見えないが猫がいるらしい。思わず伊織はあたりを見回した。


 ハルがキッチンに向かいながら言葉を継ぐ。

「ゴメンね、なんだか自然に一緒にいたから……キョウが言ったのかと思ってた」

「俺も、ハルが言ったのかと思ってた」

「そ、そうだったんだっ?」

「どうしてそんなに驚いてるの? 似てない?」

「初めて会ったとき、お前、俺とハルと間違えたんじゃねえの?」


 そういえば、そうだ。でも――

「そうだよね。えっと、似てるかなと思ったんだけど、でも……名字も違うし」


「ああ」

 ハルがキッチンから、「そんなこと」というように笑う。


「別々に育ったんだ。一緒に暮らし始めたのはこっちに来てからだから、十歳くらいかな」


(それに、同学年ってことは?)

 気にはなったがそれ以上立ち入ったことを聞いていいのかどうか分からず、伊織は追及をやめる。


「友達同士でもさ、仲がいいと顔とか雰囲気とか似てくることあるじゃない。そういう感じかと思って……」


「ああ、それはあるな」伊織の言葉にキョウが同意する。「クラスのさ、常につるんでる女子って、同じ顔に見えたりする」


「それはキョウがクラスに行かないからだろ? 伊織くん聞いてよ、こいつは同じ学校の同じ学年にいる実の兄のクラスも知らないんだ」

「は、はあ」

「もう忘れろよー。ちょっと勘違いしただけだろ? だいたいうちの教室出て右のほうって覚えときゃいいじゃん」

「キョウはさあ、そのふわっとした認識をどうにかしようよ。お前のクラスの右側、いくつ教室あると思ってんだよ」


 ため息混じりにそう言って水を入れたケトルを火にかけ、ハルはキッチンから出てきた。


「伊織くん座ってて。ちょっと部屋を見てくる。長いこと使ってないから。ベッドはないんだよねえ。毛布は余分にあると思ったけど……俺の部屋とキョウの部屋とここのソファと、一日ごとにローテーションで寝るのはどう?」

「いいよ」


 キョウはすんなり頷いたが、伊織としてはそれでは申し訳なさすぎて、

「い、いいよ、俺はソファで、ていうか、ソファを使わせてください」


「だけど、いつまでになるか分からないし、毎日ソファじゃ疲れちゃうよ」

 そう言いながら、ハルは廊下へ出ていった。


「座れば?」

 キョウがダイニングの椅子から声を掛けてくれたのに口の中で小さく返事をしながら、伊織は近くにあったソファに腰を下ろす。


 ダイニングとリビングは仕切りなしで二十畳以上あるのではないだろうか。その奥に、対面式のカウンターキッチン。ハルの部屋とキョウの部屋のほかにも、使っていない部屋が一部屋あるという。台所まで入れてもこのリビングよりも狭いであろう、しかもセキュリティもズタボロという伊織のアパートとは別世界だ。


「いい部屋だね」

 つぶやくと、キョウは「まあな」と笑った。


「お金持ちなんだなぁ……」

 部屋を見回しながら、つい口にする。生活費を稼ぐためにアルバイトを探す身の伊織としては、言ってしまってから「卑屈に聞こえなかっただろうか」と心配になったが、キョウは特に気にした様子もなく、小さく首を傾げる。


「ハルんちは、まあ……金持ちなのかな。楠見はもっと金持ちだな」

「楠見さんは、そりゃあ。でもハルもいいところの人っぽいよね」


 そう答えたが、少し違和感を覚えた。「ハルんち」はキョウのうちではないのか、とか、どうしてここに楠見さんの名前が出てくるんだろう――そういえば、さっきの会話、楠見さんがキョウの保護者になってるみたいな雰囲気だったっけ? ――とか……そんなことを考えているうちに、ハルが部屋に戻ってくる。


「伊織くん、いいよ。部屋に荷物下ろして、お風呂使って。案内するから」

「あ、ありがとう」

「ああそれと、明日は七時に起きて朝ごはんだけど、一緒でいい?」

「え、それは……俺も……?」


 聞くと、ハルは不思議そうに瞬きをした。

「うん、もちろん。朝ごはん食べない主義とかだったらアレだから聞いてみただけ」


「あ、あの、ありがとう。ええっと、食費は払います。それに……」

「いいよいいよ、二人も三人も変わらないし。俺、朝ごはんはしっかり食べないと嫌なんだ。付き合ってもらうよ」


 きっぱりと微笑むハル。ここまで至れり尽くせりにしてもらっていいのかと気が咎めるが、二人の好意に甘えるほかにどうしていいのか分からず、伊織は改めて深く頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 ハルとキョウは笑っていた。








 ハルは宿題と予習と復習を済ませ、ベッドに入って本を読んでいた。つい夢中になってしまい、気づけば三時を回っている。本を閉じベッドサイドの明かりを消そうとして、こちらに向かってくる慣れ親しんだ気配を感じて手を止めた。

 ドアが小さく開いて、キョウが部屋を覗く。


「ハル、まだ起きてんの?」

「キョウこそ。早く寝ないと明日起きられないよ? どうしたの?」


 キョウは黙って部屋に入り後ろ手にドアを閉め、ベッドのほうにやってきた。手に持っていた枕をハルの枕の隣に置く。

「俺ここで寝る」


「俺がキョウの部屋で寝るってこと?」

 ハルはちょっと意地悪を言う。


 キョウは怒ったような困ったような顔でハルを睨んだ。想像通りの反応に少し笑って、ハルは枕を横にずらしてキョウの場所を作る。

「ごめんごめん。いいよ、入んな」


 キョウはベッドに入り、隣でまだ枕に背を持たせているハルよりも先に寝転がって布団を顔の上までたくし上げた。


「どうしたんだろね、高校生にもなって甘えん坊だねえ」

 ハルは苦笑し、それから気づいたように布団を捲ってキョウの顔を覗き込む。

「分かった。同じ家によく知らない人間がいるから、緊張してる?」


 キョウは肯定も否定もせず、困惑するように少し眉根を寄せた。


「伊織くんを呼んだの、まずかった?」

「……いや、それはいい」


 それならいいんだけど。とハルは微笑む。


「いいけど、大丈夫かな……」

 布団から顔を覗かせて、キョウはハルを見上げる。


「大丈夫って、何が?」

「うぅん」

「俺たちが『サイ』だってばれちゃったから?」

「それもあるんだけど……」


 キョウは自分の中にある不安を上手く取り出せない。ハルはそれをよく知っている。


「ああ、分かったキョウが心配しているのは、伊織くん自身のことだね。俺たちのこと(、、、、、、)に踏み込ませ過ぎちゃうと、彼のこの先(、、、、、)が心配なんだ?」


 そうなのかな……と、少し考えるような間があって。しばらくして、キョウがポツリとつぶやいた。


「あいつ、本当にサイじゃないのかな」

「どうだろうね」

「ハルにも分かんねえの?」

「キョウに分からなければ、俺にはもっと分からないよ」

「ふうん……」


 また沈黙する。ハルは少し待って、それから優しく尋ねる。


「キョウは、伊織くんがサイだったら嬉しいの?」

「……どうかな」

「彼がサイじゃないほうがいいと思うの?」

「いや……どうだろう」


 自分の感情だとか希望だとか、そういうことを自分の中でまとめて口にすることが、この弟は昔から酷く苦手だ。感情も希望も持たないように育てられた。自分の期待通りに、満足のいくように、願ってはいけないと。

 希望や、期待や、夢。それらの小さな光は心の奥深くに押し込められていて、キョウは自分でそれを取り出すことができない。


 ハルはだから、キョウの心の中にあるそれらを根気強く探し取り出す作業に、慣れている。

 それは本当にささやかな光で、せいぜい足元のほんの少し先までしか照らせないくらいのかすかな光であっても、探し出して、壊れないように注意深く取り出して、形や名前をつけてキョウの目の前に差し出してやる。

――ほら、これでしょう?――そう言って取り出された、形や名前のついた光を目にしたときの、キョウの嬉しそうな顔が好きだ。


 だけど、今はまだ形にならない。まだ光を放っていない。どこか心の奥底で、少しずつ磨かれながら、形のあるものになるのを待っている。光を当てれば反射してきらめくが、すぐにまた見えなくなってしまう。急いで乱暴に取り出せば、きっと壊れてしまうだろう。

 だから、ハルは優しくキョウの頭に手を載せる。


「もう寝よう。大丈夫だよ、きっとみんな上手くいくから」

「ん」

 キョウは素直に目を閉じた。


「だけどさあ……」キョウの頭に手を載せたまま、つぶやく。「ここで寝るなら、キョウのベッドを伊織くんに提供すれば良かったね」


「そう言ったんだけど、かたくなにキョゼツされた」

 答えるキョウの声は、もうだいぶ眠そうだ。


「まあ……伊織くんも遠慮が先に立っちゃうんだろうね。お互い様なんだけどね。俺たちなんて、楠見の家に三ヶ月近くもいたもんね……」


 眠ってしまったのか、キョウは答えない。だからハルの言葉は、独り言のような、子守唄のような感じになった。

 キョウの頭に載せたままにしている手で優しくポンポンと叩きながら、ハルは子守唄を続ける。


「伊織くんは、もしかしたら、変えてくれるかもしれないよね。大丈夫、大丈夫。きっと上手く行くから」

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