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朽ち果ての王と宵闇烏  作者: 吉野花色
第1章:朽ち果ての夜へ
8/33

3-2

 さて、と私は目の前の男達に視線を向けた。羽衣と睡蓮。私は彼らと〝打ち解ける〟ことに同意したものの、それは果たして実現可能なのだろうか。羽衣は相も変わらず人を食ったような雰囲気のままだし、睡蓮の方はこちらに向けらている感情の読めない視線からまだ何かを読み取ることはできない。臨時とは言え護衛に立候補したからには彼らの方から歩み寄ってくれてもいいような気がするのだけど……と思うのは当然じゃないだろうか。もっとも睡蓮はどうだか分からないが、羽衣の方は私がそう思っているのを分かった上であえてやっているのだろうけど。


「もう、本当に腹立つ」


 よし、上等だ。そっちがその気なら受けて立とうじゃないか。私は半ば投げやりな気分でじろりと羽衣をねめつけてやったのだが、彼は何故か楽しそうに目を輝かせてしまった。が、面白がるならそれはそれで結構。私が怯む理由になんてならない。


「あなた達の前ではありのままでいていいそうだから、言わせてもらうけど。私が吸血鬼になったのって、本当についさっきなのよ。十季は殆ど何も話してくれなかったし、いきなりあんなお芝居みたいなことする羽目になるし。もう、色々あり過ぎて頭がショートしそうなの」

「だから、つまり?」


 羽衣は舌なめずりでもしそうな表情で私を見た。完全に私を玩具、或いは獲物扱いだ。――いや、もしかするといくら十季の血が流れているとはいえ、会ったばかりの小娘に遠慮ない口をきかれて彼の方も実は腹が立っていたりするのだろうか。だからちょっと虐めてやろう、なんて思っていたりするのかも。だけど、私が謝る筋合いなんてないし、これ以上試されるようなやり取りを続けて神経を擦り減らのはごめんだ。


「十季に言われたの。あなた達と打ち解けてくれって。正直あなたと打ち解けられるか自信がないけど……私も歩み寄る努力はするつもり。でもね、状況からいって、そっちからも少しくらい歩み寄ってくれたっていいと思うんだけど」


 だって私、お姫様なんでしょう。別に跪いて手の甲にキスしろと言っている訳じゃない。ただ、上辺だけでももうちょっと優しくしてくれたっていいんじゃないの? それともそんなのは甘えでしかないとでも言うのだろうか。


「だそうだが、羽衣?」

「面白いことになったな、睡蓮」


 不貞腐れている私を置いて、羽衣と睡蓮は何やら目配せをし合った――と思った次の瞬間。破顔した羽衣が突然するりと距離を詰め、そのまま私の体に手を伸ばす。一体何事かと目を白黒させる私もお構いなし、はっと気付けば羽衣の長い指が腰に添えられ私はまるで人形みたいにぷらぷらと抱き上げられていた。


「睡蓮、どうしよう。面白過ぎるんだけどこの姫さん」

「気に入ったのは分かるけどな、その姫さんが驚いて固まってるぞ」


 そりゃ、固まるだろう。とても友好的とは思えなかった羽衣にいきなり抱き上げられ、お気に入りの人形みたく振り回されているのだから。羽衣もそれに気付いたらしく、悪びれもせず「おっと失礼」なんて呟いて私を床に降ろすと、私の顔をその綺麗な白い手で包み込んだ。少しばかり屈んで私と目線を合わせた彼の顔は、至極愉快そうに輝いている。


「何だろうな、想像してたのと全然違った。十季のことを庇って死にかけた女に血を分けたって言うからさ。てっきりいけ好かない聖女みたいな女なのかと思ってたんだけど」

「それはご期待に添えず申し訳なかったわ」

「ほら、見ろ。これだもんな。何だ、俺こんな姫さんなら文句なんてなかったのに」


 羽衣は本気で言っているらしい。失礼な話で、人の頬をぷにぷに突いたりして完全に遊んでいる。自然、眉間に力が入るのは致し方あるまい。


「羽衣、その辺にして置け。姫さんが今にも怒り出しそうだ」

「へいへい」


 つまらなそうに手を離した羽衣の足をよっぽど踏みつけてやろうかと思ったが、すんでのところで堪える。そう、友好に、私達は打ち解ける必要があるのだ。


「姫さん……これでいてこいつにも悪気はないんだ。大目に見てやってくれ」

「一応、そのつもりだけど」

「そう不貞腐れないでくれよ。な、俺達だって結構複雑だったんだ。今まで絶対に血縁を持たなかった殿下が急に、それも言い方は悪いが成り行きで縁を結んじまった。姫さんのことを何も知らないのにだ。一歩間違えばそれがどういう事態を招くことになるか、分かるか?」


 真剣な睡蓮の言葉に私はすんなり頷けた。歴史によくある話で、例えば私のことを寵姫に例えればさらに分かりやすい。もし私がろくでもない女だったならば、あるいは故意に、悪意を持って十季のことを庇ったのだとしたら――。睡蓮はほっとしたように頷いた。


「頭の回転が速くて助かるな。気を悪くしないでもらいたいんだが、念の為姫さんの生前についても調べさせてもらった。幸い、そして驚いたことに姫さんは今まで吸血鬼なんて存在することすら知らない普通の人間だ」

「じゃあ、そんな普通の人間がこんなことになってどんな気持ちでいるのか慮ってくれたってよかったとは思わない?」


 言えば、睡蓮はばつが悪そうに無精髭の生えた顎を指で撫でる。


「そう苛めないでくれよ。姫さんが大変な思いをしてるのは分かってたし、確かに配慮に欠けたことは謝る。そうだな……お望みなら、姫君」


 ふと何かを企む顔になった睡蓮はおもむろに跪き、そっと私の指先をその骨ばった指ですくいとった。


「これよりは、殿下の血を分けた尊い姫君として木蓮様をお守り致します。どうか、お許しを」


 熱をもった唇がそっと私の指先に触れる。わずかに濡れた吐息の感覚にぞくりとして思わず眉根を寄せれば、睡蓮は唇を触れさせたまま上目遣いにこちらを見た。私の身体が無意識に緊張したのが指先から伝わってしまったのだろう。その目は細められ、確信犯めいた笑みを滲ませている。間違いなく、からかわれていた。もしかすると羽衣以上にこの睡蓮と言う吸血鬼も曲者かもしれない。ただやられっ放しでいるのも腹立たしいので私は必死の反撃に出た。


 すっと彼の顎に指を添わせ、無精髭の感触にちょっとばかりうっとりしてしまうのを押し隠し親指の腹でゆっくりと彼の唇を撫で上げる。睡蓮が小さく息を飲み――そして。


「許す」


 なるべく高慢に見えるよう最大限の努力をして睡蓮を見つめれば、彼の目にほんの少しの動揺と、確かな熱が()ぎった。どうやら一矢くらいは報いることができたらしい。なんて、そんな折角のムードも背後で盛大に噴出してた羽衣によって完璧に打ち砕かれたのだけれど。




 しかし打ち解けようにもこの調子では夜が明けてしまう。芝居がかったお遊びはお終いにして、私は羽衣と睡蓮を引き連れ円卓の間から〝仮住まい〟へと戻った。仮住まいといえ、与えられた部屋には生活するために必要な物は大抵揃えられている。


 明らかに本革製だろう大きなソファを2人に勧め、私は向かいの1人掛けに深々と身を沈めた。そのままつい癖で胡坐をかき、しまったと心の中で舌打ちする。ドレスで胡坐をかくなんて眉を顰める人もいるだろう。が、幸い目の前にいる2人はそういったことに無頓着、または見て見ぬ振りをしてくれるらしい。


「さて」


 そう、私が口火を切った。背筋を伸ばしてソファに座っている羽衣と睡蓮を順番に見て、これだけは聞いておかなければと用意していた質問をぶつけてみることにする。


「聞きたいことは色々とあるんだけど……最初にひとつ、正直に答えて欲しいことがあるの」


 2人が頷くのを待って、私は問う。


「あなた達はどうして、私につくことにしたの?」


 これは聞いて置かなければなるまい。先程、円卓の間で交わされたやりとりから察するに、そもそも2人は私が姫となることに賛成はしていなかった筈だ。きっとこの2人が挙手をしなかったら、私の想像通りに玉緒と白翁、もしくは天都辺りが私の護衛についていただろう。あの場で私に対し、表面上でも友好的であったのは彼らだったからだ。


 凛を筆頭に、他の近衛については否定派か中立派――つまり具体的なスタンスを表明していないように見えた。玉緒と白翁、天都についても肯定派と断じるには根拠が足りないし、つまり現状私のことを心から姫君として歓迎している近衛はいないと私は考えている。無理もないと、まだ事情をろくに理解していない私だって思う。


 羽衣と睡蓮の言う〝予想外に面白かった〟からというのも100パーセント嘘ではないだろう。でも、それだけでころりと意見が変わるとも考え難い。だから、聞いておきたかった。どうして、敢えて私の側に立つことにしたのかと。


 勿論本心からの答えでなくても構わなかった。本心でないのなら、彼らは何かを企んでいるのだと用心ができる。十季は彼らを信じていいと言ったけれど私はそれを鵜呑みにできるほど純粋な心の持ち主ではない。だが、予想に反して彼らは私の質問に満足したような表情を浮かべた。


「姫さん、あんた本当に面白いや」

「言い方は悪いが、俺もその意見に同意する。姫さん、殿下を取り巻く状況については何処まで聞いている?」


 睡蓮の問いに私は素直に首を振った。


「殆ど知らない。十季が王族のようなもので、権力争いの直中(ただなか)にいること。そして私の立場はそれに十分巻き込まれるものだということ」

「大まかな認識はそれで正しい。正確には権力争いではなく継承問題だけどな。殿下はこの国の王位継承者なんだ」

「つまり十季は、現在の王様に何かあった場合その跡を継ぐ可能性があるということ」

「その通り」


 そして、と話を引き取った羽衣は何やらとても楽しそうに言った。


「現在、朽ち果ての国に王はいない」

「いない?」

「そう、先年崩御されている」


 吸血鬼に寿命はない――ということは。


「何者かに殺された」


 空気がピンと張りつめて、私達のまわりから音という音が消えた。何者かに、殺された。その言葉の意味を私は知識として知っている。けれどこの世界では、その言葉が触れられそうなくらいに近い。思い出すのは〝あの夜〟のこと。生まれて初めて触れた〝殺意〟の肌触り。


「……一体、何があったの」


 絞り出した声は思った以上にか細かった。けれど聞かなくちゃならない。何故って――王が殺されたということは疑わしいのは他ならぬ十季だ。彼は王位継承者なのだから。もしも十季が王の座を欲していたのならば、確実に手に入れる為の手段は王を殺すこと。でも、私には十季がそういうことをするようには見えなかった。――いや、考えたくなかったと言う方が正しいかもしれない。


「十季じゃない。それは間違いないから安心しろ」


 羽衣の言葉に知らず知らず止めていた息が肺から深く押し出される。睡蓮も安心しろとでもいうように表情をやわらげ、そっと私の背中に触れた。


「さっき睡蓮(こいつ)が〝継承問題〟って言ったろう。王位継承権を持つ吸血鬼がもう1人いるんだ。前王の血縁がな」

「弑逆が彼の仕業であるという証拠はない。だが、それが表向きの話だってのはこの国の公然の秘密ってやつだ。彼は弑逆を認めてこそいないが否定もしていないし、何より前王の崩御以来、彼は水面下で殿下を狙っている」

「十季を殺せば、その人が王になれるから」

「そうだ。が、しかし奴は今深手を負って自分の宮に篭ってる。姫さん、何でだか分かる?」


 羽衣はにんまりと形容すべき笑みを浮かべて私に言った。


「何処かの誰かさんが庇った所為で奴は十季を殺し損ねた上、手痛い反撃を食らったからさ」


 それは、つまり。


「あの夜の男がそうだったの……?」

「ご名答。しっかし姫さんもいい仕事をしたね。普通の人間なら吸血鬼の、それも王に連なる血筋の前に咄嗟に飛び出るなんてできる訳ない。ま、あの日は奴も十季の血に酔ってたんだろうな」

「だけど、結果として姫さんがいてくれたから殿下は命拾いした。姫さんがくれた一瞬の隙に武器を奪って、浅くはあったが奴の首を裂き撤退させることができたんだ」


 2人は目を細めて私を見下ろしている。その視線がくすぐったくて私はそっと目を伏せた。


「一応言い訳させてもらうとな、本来吸血鬼同士が地上で争うことは許されていないんだ。それはこの国に限らず吸血鬼全体のルールで。なのに奴はその禁を破った。恥ずかしながら近衛烏は離宮(こっち)に攻めてきた奴の配下を食い止めるのに手一杯で、地上で手傷を負わされた十季は奴に追い詰められた。そっから先は姫さんの方がよく知ってるはずだ」


 確かに私ははっきりと覚えている。むしろ忘れられるはずもない。白い肌に赤い赤い血と、煌めく銀色のナイフ。興奮に見開かれた、男の目。


「でも、あいつは生きてるのね。私が気がついた時にはもう逃げた後だったんだ」

「残念ながらな」


 となれば、負った傷が癒えたらあの男は再び襲ってくるのだろう。無論邪魔をした私のことは殺しても殺したりないほど恨んでいるに違いない。


「姫さんはそんな血腥い戦いに巻き込まれた訳だ。血縁というのは切っても切れない強い絆。殿下の唯一の血族である以上姫さんもこの戦いを避けられない」

「そしてそんな姫さんが十季にとってどれだけ〝命取り〟になるか」


 羽衣の言葉に、私は弾かれるように彼を見た。


「さっき凛が言ってただろ。どういう風の吹き回しかってさ。俺は十季がこのタイミングで血族を持つことに猛反対してた。それも十季の為に選び抜かれた人間ではなく、成り行きで出会った得体の知れない人間だ」


 羽衣の瞳が、冷たく冷たく光る。


「俺は、姫さんを殺すつもりで今日の召集に応じた」

「羽衣」


 警告する睡蓮を私は押し留め、羽衣の目を真っ直ぐに見つめ続ける。


「何故、殺さなかったの」


 聞いた途端、羽衣は纏っていた冷気を霧散させ、目を細めて私の頬を突いた。その仕草には確かな優しさがある。


「成り行きだったにせよ、姫さんを血族にした十季は正しいんじゃないかと思ったのさ。直感だけどね。だから姫さんに近衛ができるまでは、十季の一番大事なものを右腕たる俺が守ろうと思った。……姫さんの質問に対する、これが俺の答え」

「十季の為ね?」

「そうだよ」


 そう言った羽衣の言葉に嘘はないだろう。私は羽衣に笑いかけた。


「改めてよろしくね、羽衣」

「任せろ」


 さて、それじゃあ今度は睡蓮の番だ。


「それで睡蓮、あなたは?」

「俺は、そうだなぁ」


 睡蓮は困ったように視線を宙に漂わせた。それから「怒らないでくれよ」とでも言いたげな目で肩をすくめてみせる。


「正直、俺は本当に勘なんだ」

「……勘?」

「そうだ。ここ数百年殿下についてきたのも勘だし、それ以前も〝何となく〟であちこちの国をふらふらしてた。で、今度は姫さんな訳だ。姫さんのところにいれば何かあるっていう気がしたから」

「だから手を挙げた?」


 私の問いに睡蓮は「その通り」と首を竦めて見せた。何とも信じがたい話だが、嘘と言う気もしない。今の私には彼らの言葉が嘘でないだけで十分だった。


「分かった。じゃあ、睡蓮も改めてよろしく」

「ああ」


 羽衣にも睡蓮にも、きっと話していない何らかの思惑はあるだろう。でも、それでいいんだ。だって、これは物語なんかじゃないから。例えば〝一目見た時からあなたをお守りしなくてはと……本能で理解したのです〟なんて運命的なことを言われたとしたら、私はあまりにも胡散臭いと彼らを疑ってかかっていたに違いない。それなら彼らには彼らの思惑があって、結果メリットの方に秤が傾いたっていう方が余程信じられる。


 さあ――それじゃ、そろそろ現実的な話に入ろうか。

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