表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朽ち果ての王と宵闇烏  作者: 吉野花色
第1章:朽ち果ての夜へ
4/33

1-3幕間

 古い教会を思わせる広大な空間。数百人を一度に飲み込むこともできる大広間の中央に、漆黒の円卓がぽつりと置かれている。円卓をぐるりと囲む揃いの椅子は9つ。うち8つを今、黒衣を纏った吸血鬼が埋めていた。


 円卓と、9つの椅子と、8人の吸血鬼と。広い広い空間に存在するのはただそれだけ。はたから見れば随分と奇妙な光景かも知れなかった。けれど十季にとっては当たり前の光景であり、円卓を囲む吸血鬼達にとっても同様だ。


 天井に吊るされた豪奢なシャンデリアは今、暗闇の中に沈んでいる。壁の燭台で蝋燭の炎がちらちらと揺れているが、その小さな灯りでは大広間の隅々までを照らし出すことはできない。もっとも眩いのは彼らの好みではなかったし、仄暗い室内でも彼らの目が何かを見逃すことはない。


「待たせた」


 十季が淡々と言って円卓へと近づけば、椅子にかけていた人々は合図もなしに揃った動きで立ち上がり、敬礼をもって彼を迎えた。小さな頷きひとつでそれに応え、円卓の最後の空席に腰を下ろす。


「かけてくれ」


 そうして、今度こそ円卓は完全に埋まった。漆黒の円卓につくことを許された彼ら8人こそ十季の腹心、近衛たる者達。その誰もが今、真っ直ぐに十季を見つめ、彼の次の言葉を待っていた。


 注がれる視線はただ静かだった。視線に色をつけることができたとしても、きっと限りなく透明に見えたことだろう。が、十季はその下に渦巻くもの――反感と困惑――を感じとりひっそりと唇を歪めた。彼らの感情の理由は分かっている。だが十季もまた感情を隠し、ただ穏やかな表情で口を開いた。


「油断していた……と言うより他にない」


 自身の台詞に感情が伴っていないのは自覚している。油断していたのは事実だ。その油断から、死の淵の際に立たされたことも。しかし十季にとっては随分と前から、自身の生死すら心を動かすものではなくなっていた。


 振りかざされた銀のナイフの煌めきに〝地上世界〟で死を覚悟したあの瞬間から、数時間が経過している。その間に事態は急速に収束し、十季の身辺は一旦の落ち着きをみせていた。だが被害はそれなりだ。この場所までは敵の手も及ばなかったものの、繰り広げられた戦いで誰も彼もが怪我を負っている。見渡せば近衛達にも大なり小なり手当ての痕跡があった。


 銀に引き裂かれた傷は治りが遅い。十季自身塞がり始めてはいるものの頬には傷跡がくっきりと刻まれていたし、服に隠された部分にはさらに深いものもある。


 じくじくと熱をもって疼く痛みは新鮮ですらあった。吸血鬼として長く生きてきたが、この身に危害が及ぶのは随分と久しぶりのこと。十季は吸血鬼として突出した力を有し、彼の配下もまた有能だ。十季や近衛が最後に血を流したのが何時だったのか、思い出すにも時間がかかる程度には。


 だからと言って、今回も敵の能力を侮っていた訳ではない。では何を〝油断〟と言ったのか。言葉にするのなら〝吸血鬼でいることに慣れ過ぎていた〟ということだろうか。


「此度このたびのことは私自身想定していなかった事態だ」


 そう、吸血鬼には地上での同族同士の戦闘行為を禁じる法がある。だからこそ十季自身、まさか地上で襲われることはないだろうと思い込んでいた。しかも夕暮れが近かったとはいえ最初の一撃は日のあるうちのこと。吸血鬼にとって日暮れ前は活動時間外というのが暗黙の了解だったはずだ。


 結果、全く想定していなかった事態に十季は地上で死ぬ寸前まで追い込まれた。さらに増援を遅らせる為だろう、混乱乗じて敵はこの地下世界でも戦いを仕掛けてきていた。随分と周到に作戦を練ってきたらしい。狙い通りに地上と地下は分断され十季は孤立。彼らの作戦は成功する筈だった。〝彼女〟さえ現れなければ。


「不測の事態の中で皆よく働いてくれた。しばらくは火消しに駆けずり回る羽目になるが」


 例え仕掛けられた側であっても、十季達もまた地上で戦闘を行ったのは事実。しばらくは周囲が騒がしくなるだろうが――かすかに苦いものを滲ませた十季の言葉に近衛達はしっかりと頷いて返した。そうして彼らの視線が少しばかり緩んだ瞬間に。


「ともあれ、危機はひとまず去ったと言えるだろう。だが、これが終わりではない。……そして、すでに耳へは届いているだろうが」


 狙いすまして十季は切り出した。途端に近衛達がピタリと動きを止め、空気までもが緊張に固まる。


此度(このたび)、地上で出会った娘と縁を結ぶことにした」

「……聞けば、殿下を庇ったとか」


 恐る恐るといった風で上がった声を首肯して、十季は続ける。


「今、私がここにいるのは彼女のお蔭だ。代わりに彼女は死にかけたが……その望みに従って私の血を与えた。今はまだ完全に変わった訳ではない。だが」


 〝彼女〟が負った傷は深かった。脆弱な人間の身体には致命傷であったほどに。いくら十季の血を与えたとはいえ回復には少しばかり時間がかかるだろう。そして目が覚めたなら。


「私は彼女を迎え入れる。……我らが同胞として」


 大広間に奇妙な静寂が落ちた。静寂の水面下では近衛達の様々な感情が荒れ狂い暴れているのが分かるが、構わない。今まで血縁を持たなかった(あるじ)が初めて選んだ人間に近衛だからこそ抱く感情もあるだろう。だが、十季はその感情を認めることはしても受け入れることはない。〝彼女〟と縁を結ぶことを十季自身が決めたのだから。


「彼女が我らの同胞として目覚めた時に改めて紹介しよう。……玉緒」

「はい」

「目覚めるまでの世話を頼めるか」


 十季は左隣の席に視線を向けた。それに答えた声はとても静かで、同時にこの場にいる人々の中で唯一感情すらも穏やかさを保っている。


 思えば、敵を退けたものの傷が深く動けないでいた十季と意識を失った〝彼女〟の元へ誰よりも早く駆けつけたのも玉緒だった。あの様子を目の当たりにしたからだろうか。玉緒は〝彼女〟への反感というものがないように思える。年若い女性の世話だからという理由もあるが、玉緒ならば彼女の世話を任せても問題ないだろうと十季は判断した。


「お任せ下さい」


 そんな十季の期待を裏切らず、玉緒はその命を当然のように受けた。十季はそこで初めて表情を緩め玉緒に微笑みかけ、玉緒もまた少し困ったような彼女らしい微笑みでそれに応える――が、他の面々の表情は依然として固いまま。


「お言葉ですが殿下……」


 意を決し口を開いたであろう、その言葉が十季の微笑みを掻き消す。


「あの娘を守ると決めた」


 彼らが何を心配しているのか、十季にはよく分かっている。私心だけからくる言葉ではないのも知っている。それを知っていて、その上で決断したのだ。


「彼女については如何にお前達であろうと口を出すことは許さない。彼女の血の一滴はこの身に流れる血の一滴。そう思え」


 そう告げてしまえば彼らがそれ以上何かを言うことはなかった。十季はふっと息を吐いて自身の纏う空気を緩めると、するりと立ち上がって最後に近衛達の姿を見渡した。彼らの視線は今も真っ直ぐに十季を見つめ返してくる。――そこに滲む思いとは少しずつ折り合いをつけてもらうしかない。


「では、私は戻る。皆もゆっくりと体を休めてくれ」


 そうして十季は自分の気持ちが急くのを押さえて、ゆったりとした足取りで大広間を出ていこうとした。いくら十季が急いたところで〝彼女〟の目覚めが早まる訳ではないのに、それでもつい時間が惜しくて仕方がない。全く余裕のない、と十季は心中で苦笑した――その時。


「十季」


 十季の名を呼ぶ声が、その足を止めた。


「どうした、羽衣(うい)


 苛立ちが十季の声に滲んでいた。今の十季を呼び止めることができるのは彼ぐらいのものだろう。声色こそ穏やかなままだが、振り向いた十季の目は何もかもを圧し潰すほどの力に満ちている。だが呼び止めたのは羽衣(うい)――十季の右腕――だ。流石の十季も、その呼びかけを黙殺することはない。


 一方、声をかけた羽衣の中には迷いがあった。言うべきか、言わざるべきか。十季の傍らに立ち続けた羽衣の逡巡は刹那のこと。


「……いや、何でもないさ」


 羽衣は〝言わざるべき〟と判断を下した。十季はその言葉にただ「そうか」と薄く微笑み返して再び歩き出す。


 やがて十季の背が閉じるドアの向こうへ消えた時、ふっと軽くなった空気に殺していた息を深く吐き出す音が広間に幾重にも重なり響いた。




 そして、その時は訪れた。


 目覚めた〝彼女〟は今日人間としての生を完全に終え、吸血鬼の〝木蓮〟として生まれ変わった。今は十季の血を受け入れた反動で再び眠っているが、じきに目を覚ますだろう。


 木蓮の体は彼女が眠っている間に刻々と変化していく。脆弱だが温かい人の体から、頑強で美しく、そして熱を持たない吸血鬼の体へ。こうして十季が見つめている間にも肌からは少しずつ色が失われていった。近付いていく、十季や彼の同胞のそれと同じ白へと。


「木蓮……私の血縁(けつえん)


 ベッドの端に腰を下ろし、眠る木蓮の顔を眺めながらそっと呟く。「血縁」と口の中で転がすようにその言い慣れぬ響きを味わって――自分が誰かと縁を結んだなどと――何とも不思議な心地だと十季は苦笑した。


 心が浮き立ち笑い出しそうになったかと思えば酷い不安に襲われ眠る彼女に縋りついてしまいそうになる自分がいて、酷く胸が騒いで落ち着かないというのに決して不快ではない。世話を任せていた玉緒に木蓮の目覚めを知らされた時から、十季の心は忙しなく揺れ動いてばかりだ。こんなにも感情が揺れるなどと、一体何時ぶりのことだろう。


 色を失っていく木蓮の肌。それにつれて十季の世界に色がついていく。褪せていた色をとり戻した世界は驚きに目を見張るほどに美しくて賑やかだ。――けれど、同時に怖くなる。これではまるで木蓮の色を十季の血が食らっているかのようだと。


 私は彼女の名ばかりでなく、その色までも奪ってしまっているのかもしれない。色を奪われた木蓮の目にこの世界はどんな風に見えるだろうか。十季は足元から這い上がってくるドロドロとした感情に眉根を寄せ、堪らず木蓮の手を自分の両手で握りしめる。まだ少し温かい、小さな女性の手。力の抜けた掌が十季の手を握り返すことはない。


『私は十季と会えて、嬉しいよ』


 それでも触れれば蘇る、木蓮の声。彼女のその一言は長いこと闇に溺れ闇に同化しかけていた十季を確かにすくい上げた。


 ジャケットと靴を脱ぎ捨て、シャツの襟元を緩めて十季は眠る木蓮の隣に滑り込む。そして彼女の体をそっと腕の中に閉じ込めた。こうして誰かの体を抱いて眠るのも何時ぶりのことか。


「木蓮、私も君に会えて嬉しい」


 吹き込むように優しく囁いて、抱え込んだ頭を胸元に引き寄せる。そうすれば木蓮の規則正しい呼吸が肌をくすぐり、十季の動かない心臓がはっきりと震えた。何故だろう、息が詰まる。胸が苦しい。それでも闇に溺れる苦しみと違って、これは何て幸福な苦しみなんだろう。


 例え溺れもがく日々でも、十季の世界は闇の中にある。吸血鬼は闇に生きる物だから。そして次に木蓮が目を覚ました時、彼女の世界もまた闇の中。いずれは彼女もその闇に染まるだろう。けれどどうか願わくは、彼女の心が壊れてしまわぬように。


「ゆっくりお休み……」


 十季は祈るような思いで目を閉じると、己もまた短い眠りの中へと沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ