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朽ち果ての王と宵闇烏  作者: 吉野花色
序章 : 私の終章
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 世界は美しい。

 時間よ、止まれ。




   挿絵(By みてみん)




 まず最初に断っておきたいのは、私が至って普通の大学生であるということだ。東京の隅にある大学の文学部文芸学科に籍を置いていて、つまり、小説を書く勉強をしたりしている。


 ちなみにこの春で卒業を迎えるというのに就職先は一向決まる気配もない。どうやら近年話題の高い高い不況の波を真正面からかぶってしまったらしい。――そう、私が特別出来損なっている訳ではないのだ、きっと。


 そういった理由で、私の未来はとにかく暗かった。黒とは言わないけれど、限りなく黒に近い灰色。アルバイトで食いつないでもう1年就活を頑張るか。それとも潔く派遣から正社員登用コースを目指す? 幾度も考えていることなのに思考はぐるぐるループして、未だ答えは出ないままだ。


「永久就職かあ」


 思わず口をついて出た呟きは冬の夜に白く溶けた。永久就職。もういっそ就活はやめて婚活にシフトしてみたらどうだろう。いや、永久就職は魅力的だがやっぱりそこに逃げてしまうのは微妙だ。理想論でも夢見がちでも、私は恋愛結婚推奨派。お付き合いは恋心を抱くところから始めたい。そして紆余曲折を経て、まあ追々結婚も考えてみたいなとは思う。そう、まさに今日結婚式を挙げた友人のように。


 彼女とは小中学校の同級生で、高校は別れたけれど定期的に連絡は取り合う仲だった。幼馴染だという地元の立派な酒屋の跡取りと長く付き合っているのは知っていたけれど、それにしたって突然結婚の報告を受けた時は驚いた。何せ彼女も私と同じくまだ大学生だったのだから。せめて卒業を待ったらいいのにと思ったのは間違いなく私だけじゃなかっただろう。


 けれどよくよく話を聞いてみれば、どうやら新郎のお父さんの体調が思わしくないらしい。それなら元気なうちに跡取りの晴れ姿を見せてやりたい。とはいえ友人はまだ学生なのだし――と彼女の恋人も中々思いを打ち明けられずにいたのだという。


 だが、思い切りのいいしっかり者の友人は流石だった。塞いでいる恋人を不思議に思った彼女は周囲からそれとなく話を聞き出し、事情を把握するなり自分からプロポーズをかましてみせたのだ。


 そして今日、神社の境内を新郎に支えられて進む白無垢の彼女は文句なしに綺麗だった。話は物凄いスピードで進んだけれど、物事はあるべきところに納まった。そういうことである。彼女の未来は今、きっと美しく輝いている。


 さて一方、安物のコートと藍色のロングドレスを纏って1人深夜の帰路を辿る私はどうだ。友人の「両親への言葉」にもらい泣きして崩れた顔。披露宴でしこたま飲んだせいでアルコールの匂いが漂う身体。ついでに頭の中は不景気極まりないときた。


 そうだ、もう灰色だ。私の未来は涙で滲んだ限りなく黒に近い灰色。お酒はそこそこ強いけれど、今夜は酔ったふりで号泣してしまおうか。とはいえ人気(ひとけ)はなくともここは往来、人前で泣くのは癪だ。だから、つぅっと頬を伝った水滴を私は手の甲で乱暴に拭った――その時だった。


 私の住むアパートへ続く細い路地の行く手。街灯と街灯の間の暗がりにふたつの人影が見えていた。人影と私の距離は数メートル。何でこんなに近づくまで気がつかなかったのだろう。違和感は覚えた。けれど、それも不思議ではないくらいその人影達は暗闇に溶け馴染んでいた。


 さて、どうしたものだろう。真っ直ぐアパートに向かって進むにはあの2人のすぐ横を通らなくちゃいけない。けれど辺りに漂う雰囲気は決して穏やかなものではなかった。むしろ空気が張り詰めるほどの緊張感が、私にまで手を伸ばして伝わってくる。


 諦めて迂回すべきだろうか。私は足を止めて息を殺し、じっと人影を観察してみる。体格からして人影は双方男のようだ。1人は直立し、1人はやや前傾の姿勢で向かい合っている。よく見ると前傾姿勢の男は興奮しているのだろうか。荒い息を吐き、肩を大きく上下させていた。


 それから、特筆すべきは暗がりの中でも白く青く浮かび上がる肌の色だろう。2人とも何とも言えない、美しく透明な、抜けるような白い肌をしている。そして直立した男の頬には白さに映える鮮やかな――赤。


 あれは血だ。彼は傷を負っている。そのことに気付いて、息を飲んだ瞬間だった。


「……ッッ!」


 ほんの小さな音だったのに、傷を負った方の男が弾かれるようにこちらを振り向いた。緊張に見開かれた私の目と、傷を負った男の驚いたような目が空中でかちりと噛み合う。それが、男の隙になった。


「あ……!」


 危ないという言葉を口にするよりも早く、もう1人の男が目にも止まらぬ早さで振り上げた銀色に輝く鋭いナイフ。傷を負った男も一拍遅れてそれに気付き身体を捻ったが――お腹の辺りを庇って動きが鈍い。駄目だ――避けきれない。ナイフは当初の狙いだっただろう心臓を逸れて、傷を負った男の上腕に深く突き刺さる。


 歯を食いしばり押し殺された苦痛の声が傷を負った男の口から漏れ、彼は地面に膝をついた。一方の男はそれを醜悪な笑みを浮かべながら見下ろし、屈み込んで刺さったナイフを無造作に引き抜く。噴き出すのは赤い赤い鮮血。次は外さずに、心臓を。男の全身がそう叫んでいた。


 駄目だ。反射的に私は思う。だが私の思いが届く訳もない。再び振り上げられたナイフ。それを受け入れるように晒された、白い喉。傷を負った男は最早諦めたように穏やかな微笑みを浮かべている。


「駄目……!」


 諦めちゃ駄目だ。私の身体が、足が、無意識に動く。


「…………ッ!」


 間に合えと念じてアスファルトを蹴り、私は突き飛ばすようにして勢いよく傷を負った男の身体に覆いかぶさった。そうすればさっきよりもずっと近く、目の前に彼の顔があって、視線が噛み合う。ぽかんとこちらを見つめる、驚きに見開かれた目。


 ああ、間に合った。充足感。そして――鈍い衝撃。


 真っ先に感じたのは熱だ。背中に衝撃が走り、そこから凄まじい勢いで熱が身体中に広がっていく。次いで背中から命と熱が噴き出していくみたいな感覚。迸った命と熱が背中を濡らして零れ落ちていく。


 どうしてだろう息ができない。苦しい。そうか、これが刺されるという感覚なのか。妙に冷静な自分が可笑しくて、くすりと笑おうとしたら代わりに口から熱い液体を吐いた。


 これは不味いかも。真っ赤に染まっているだろう唇を歪めれば、そこに冷たい指先が触れた。やっぱり血まみれな、男の指。その指から先を視線で追っていけば、そこには私が庇った男がいて、深い夜みたいな彼の目がじっとこちらを見つめていた。と、その目が微笑むように細められた、そんな気がしたところで糸が切れるように私の意識は途切れ――そして、暗転。




 次に意識が浮上した時、当然だけれど私はまだ死んでいなかった。


 だが、それも時間の問題かもしれない。霞む視界、血の味で満ちる口内。(うつぶ)せに倒れ伏す私の身体はすでに麻痺し始めて痛みも何処か遠い。流れ出た血が外気に触れて、体から熱を奪われていくのがただ寒かった。


 そういえば男達はどうしたのだろう。辺りは不気味なほどに静まり返っている。さっきまでの出来事がまるで幻だったみたいに平穏な夜だ。まさか私を置いて2人とも逃げてしまったのだろうか。それはちょっと悲しい。


 けれど何度か瞬きをして視点を合せてみれば私が倒れ伏しているのが冷たいアスファルトの上ではなく、しかし同じくらい冷たい男の体の上だということに気がついた。ああ、私が庇った方の男だ。どうやら覆いかぶさったまま気を失ってしまっていたらしい。抱きしめるようにして、熱のない彼の腕が私の体を支えている。


 冷たい、冷たい体だ。彼はもう死んでしまったのだろうか。庇ったところで襲っていた男がナイフを私の体から引き抜いて、もう1度振り下ろせば彼は簡単に殺せたことだろう。


 結局自分は何にもならなかったのだ。そう思ったら悲しくなって涙が零れる。往来だけれども、もうそんなことに構う必要なんてない。今ここにいるのは死んでいる男だけだし、しばらくすれば私も死ぬのだから――と半ば自棄になったところで、低く掠れた男の声が私の鼓膜を震わせた。


「泣いているの」


 不意の囁きに、私は驚いて身じろぎした。途端思い出したように激しく痛んだ傷に呻き声を上げる。男の手のひらが宥めるように触れた感触。ああ、彼は生きているのか。


「生きて、る」


 肺が傷ついているらしく、言葉は微かな音にしかならなかった。それでも言いたいことは伝わったようだ。男の手のひらが肯定するように私の腰をそっと叩く。


「君に救われた。感謝する」


 男の声にほっと息を吐こうとした。が、私が吐いたのは息でなく血。どうやら、そろそろ危ないらしい。じわじわと恐怖が滲んでくる。


「死ぬのが怖い?」


 男の問いに、私は残っている力を全て込めて彼の体にしがみついた。怖いに決まってる。死んでしまったら全てなくなってしまうのだから。無になる恐怖はきっといつだってそこにあった。


「私を助けたことを悔いている……?」


 次いで問われたその言葉には怒りが湧いた。もしも私の身体が動いたなら彼のことを殴っていたかもしれない。悔いてはいない。悔いている訳がない。確かに、彼は生きて私は死ぬことになる。でも、そういうことじゃない。叫びたかったけれど、身体がもう言うことを聞いてくれなかった。


 だが彼にも私が怒っているのは伝わったに違いない。小さく詫びる声が聞こえ、それきり彼は口を噤んでしまう。人気のない路地を支配する凍えるような沈黙。気を失えばそのまま死んでしまいそうで、正直に言えば彼が何か話していてくれればいいのにと思う。そして少しでも長く、意識を保っていたかった。死にたくなかった。でも、私の体はもう随分と冷たい。


「私の名は、十季(とき)という」


 ようやっと口を開いた彼がぽつりと言った。そうか、彼の名前は、十季。忘れない。死ぬ時まで、ちゃんと覚えてる。私は微かに頷いた。


「君の名は?」


 私は、私の名前は―――。


「    」


 唇は震えたけれど、声にはならなかったかもしれない。でも、やっぱり十季には聞こえていた。彼は頷いて「いい名だ」と囁いた。そして、言う。


「では……その名を私にくれないか」


 いいよ、十季。私の名前をあげる。どうせなら、名前くらいこの世に残していこう。自分ではそう微笑んだつもりなのだけれど、ちゃんと笑えていただろうか。急速に意識が遠のいていくのが分かる。ああ、折角目が覚めたのにもうおしまいなのか。


 十季が何か言っているのが分かったけれど、ああ、もう何も聞こえない。目が霞む。それでも、最後に彼のような美しい男の顔を見て死ねるのは幸いだったかもしれない。


「と、き……」


 最後に感じたのは、首筋に触れる冷たい唇の感触。

 こうして私の短めな人生は、冬の夜に呆気なく終わりを告げた。


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