下を向いたとしても歩いて行こう
今日この日に一つの公募が最初の山場を迎えた。応募数六千越えという大規模な物だ。
笑った者、驚いた者、未だ実感のない者。そして泣いた者達。
これを書いている自分もまた、大多数の泣いた者だ。心境は複雑で何と表現すればいいのか分からない。
悲しい、悔しい、仕方ない自分はとても未熟だ、少し期待していたのに。色々な想いが渦巻く。
「沢山の人に見てもらえるかもしれないから応募してみよう」
「もしも一次通過が出来たらどうしよう?」
家族に話をしていたときの自分は恐らくとても明るく、前向きであっただろう。
では今現在が落ち込んで後ろ向きかと言えばそうでもない。確かに期待はしていたからショックはあった。
しばらくは続けるかどうか自問自答が続くのかもしれない。
そんな事を思いながら皆の活動報告を読んでいた。ふとあることが気になった。
落選報告が意外に多いことだ。そして思い付くことがあったので文字にしてみたくなった。
悲しかったりショックを受けたりした場合、言葉にすることで、話すことで傷の修復を図る事が出来ないか。
自分の力量不足だと言うことは自覚しているが、書くことで足を踏み出せるような気がするのだ。
ここから後は自分に対しての言葉だけど、短編として出す以上誰かが読んでくれる可能性がある。
もし気分を害してしまったら、そんな可能性も考えて先に謝っておこうと思う。
本当にごめんなさい。
見たくない方はここで読むことを止めて下さい。
元々狭き門なのだ、何を嘆く事がある?一つの作品を書き上げ、又は続けているだろう?
それだけで立派じゃないか、胸を張れ!自信が無くなったから筆を折る?もう一度考え直せよ。
自分が想いを込めた作品だろう?愛すべき作品だろう、大好きで最後まで形にしたいのだろう?
中々感想がもらえなくてもいいじゃないか。自分は若くないから新しくて楽しい発想が出来ない?
そのくせ受けそうな言葉を使うのが痛い?それが何だ?中年だっていいじゃないか。
大志を抱くのは少年や青年だけの特権じゃないんだぜ?投げ出すな、足掻けよ!
例え誰も見てくれなくなったとしても、たった一人の読者はいるさ。そう、自分だよ。
下を向いたままでもいいから歩こうぜ。ずっと見ていたら何か発見できるかもな。
ずっと歩けば、そのうち前を向けるさ。だから続けようぜ。苦しくなったらここを見ればいいさ。
書いていて自分で気が付いたのは、かなりへこんでいたんだなという事でした。
優しく慰めてもらうのも良いけれど、強い言葉が欲しいとどこかで思っている自分がいます。
読んでみて誰かの心を更に傷つけてしまうかもしれないと思うので再度謝罪を。
本当にごめんなさい。
最後まで見て下さった方がいらっしゃいましたら、深く感謝いたします。