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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

グリーン・ヘッドフォン

作者: ほっけ

 ヘッドフォンがなければ僕なんてゴミ屑だ。

 男子中学生の平均体型に届かない、ちっぽけな僕の身体を拡張するもの。いつも耳に装着している、お気に入りのデザインの黄緑のヘッドフォンさえあれば僕は少しだけ強くなれる気がする。知ったばかりの、邦楽バンドのセカンドアルバムが疾走感溢れる名盤で、この頃ずっと聴いている。どこかダウナーなボーカルの歌声が最高に格好いい。次の曲を大音量にして全力ダッシュすれば、絶対に気持ちいい。そうだ、そうしよう。

だらだら下校する他の生徒達を横目で見る。つるんで群れていないと、何も出来ない奴ら。群れでなら大胆かつ、大人にも反抗ばかりする、ひどく格好悪い。

音量を操作しようとスマホを胸ポケットから取り出そうとした時。ふいに、音が遠くなる。かわりの怒鳴り声。


「北原ァ、おまえ、今こっちにらんどったよな? んで、聞こえんフリしよってな、何様のつもりや」

「ご、ごめんなさい。そんなつもりなかった、です」


学年のボス、江島に胸ぐらを掴まれ、今にも殴りかかられそうな至近距離。取り巻きが背後からヘッドフォンを奪ったようだ。音の世界に夢中になっていたせいか、奴らの行動に気付くのが遅れた。


「明らかこっち見とったくせに! 大体なんやこんなモン付けて、いっちょまえにお洒落のつもりなんけ?」

「陰キャラやもんな、北原。どうせ変なアニソン聴いてたんやろ!」

「きもちわるいねんなあ、お前!」


 両手のひらを固く握り締める。爪が食い込んでいく。口はもっと固く、一つの呼吸さえ忘れたように苦しい。大好きな音楽を土足でふみにじられたよう。江島達が侮蔑のバカ笑いをしているのだ。何か言ってやりたいのに、膝がガタガタで立っているのがやっとだ。何も反応出来ない僕に飽きたのか、江島がヘッドフォンをいじくっている取り巻きに耳打ちをする。その中の元サッカー部員がヤニで汚い歯を覗かせた。スローモーションだった。

 ヘッドフォンが乱暴に引っ張られる。ウォークマンからコードが抜けた。地面に落とされる。一歩前に出るサッカー野郎。フリーキック。綺麗なカーブを描いて飛んでいく。校門へゴールイン。衝突音と落下音。

走って拾う。コードを射し込んでみると、再生される音に混じる細かなノイズ。お年玉で奮発したのに、また、新しいのを買わないと。江島の笑い声を打ち消すために音量をぐっと上げた。ノイズも増す。涙がカッターシャツに染み込む前に全力で家を目指した。




 ヘッドフォン事件から三週間、その間、江島達に絡まれることはなかった。目立たない安物の、地味なイヤホンで音楽を聴くようになったせいもあるだろうか。加えて江島達のグループで仲間割れが起こったためだろう。江島の彼女に手を出した奴がいたとか何とかの。ある日、放課後の掃除の時間に中庭で、派手な殴り合い、というよりも、一方的なリンチが始まった。

 ターゲットの名前は確か、梶だったはずだ。ヘッドフォン事件の時に唯一顔をしかめ、口をつぐんでいた奴。校則違反の茶髪に染めているが、中性的な顔立ちで女子から人気がある奴。

 整った顔に狙いを定めて江島がパンチを数発入れていく。殴られている梶はうめき声を上げながらも、江島達を睨み付けたまま、舌をベロっと出して挑発した。


「てめえ、梶、いっこも懲りてないんやな! しばき殺されたいんか! ムカつくねんその面! いっぺん死ねや!」

「江島さん、……このぐらいにしとかんと、ちょっとヤバイんちゃう」

「黙れ! お前もしばくで?」


 暴力の増幅。汚い言葉を吐き続ける江島を誰も止められなくなっている。

 中庭を掃除していた同級生は早々と校舎に引っ込んで、事の展開を少し楽しみつつ、ただ見ているだけだ。校舎のど真ん中である中庭でのいざこざは、まだ学校に残っていた生徒達の視線を一斉に集めている。

 足がすくんで逃げ遅れた僕、うずくまったまま動かなくなった梶、それに気付かず暴走したままの江島。止められない取り巻き。

 状況はどんどん悪くなっていく。考える前にイヤホンを耳に差し込んで音量をマックスにしていた。ぶるぶる耳の中が震える。重低音に揺さぶられる。手の中の箒の柄をこれ以上ないぐらい握る。ボーカルのシャウト。叫んだ、大好きなサビに合わせて。


「おあああああ! えじまあああ!」


 無我夢中で江島の頭に何度も柄を打ち付けようとした。しかし、まともに入ったのは一発だけで、すぐさま取り巻きに押さえ込まれてしまう。火に油だった。怒り狂った江島に箒を奪われ、それで滅多打ちされる。鳩尾、腹、頭。ただただ鈍い衝撃。


「止めなさい! 江島君、今すぐ手を止めなさい!」


 生活指導の体育教師の声がした。その瞬間、江島の動きが止まった。取り巻きが江島をひっ掴んで散り散りに逃げていく。


「待ちなさい! 逃げるんじゃない!」


 教師が中庭に走り込んで来たときには江島達はとっくに消えていた。残っているのは被害者、梶と僕だけだ。教師は面倒臭そうに溜め息をつく。


「君たち何処か体のおかしい所は? 病院で診てもらうか?」

「俺はええ。いける。痛がるフリしとったし、途中から」


 自力で起き上がった梶が、教師に余裕たっぷりに微笑んでいる。舌を出しておどけた調子で。教師は一瞥をくれるともう梶を見なかった。梶も不良グループの一員として、教師に良く思われていないらしい。


「ええと、君は? どう?」


 僕は顔を覚えられていなかったようだ。戸惑った様子で尋ねられる。


「……僕も、なんとか大丈夫です。病院行くほどやないと思うんで」

「そうか。なら、気を付けて早く帰りなよ」


 もちろん嘘だった。あからさまに安心している教師には頼りたくなかった。それに、僕より重傷の梶が平気そうにしているのだから、強がってしまった。頬がヒリヒリする。お腹のあたりが気持ち悪い。

 教師が校舎に戻って行った途端、僕と梶は、二人とも地面に倒れこんだ。


「痛いに決まっとるやん、あほう、センセのあほう!」


 足をじたばたさせている梶と目が合った。腫れた顔で弱々しく笑いかけられる。土の地面を手でぽんぽんと叩いてから、手招きしてきた。助けが必要なのか。ふらふらと立って、なんとか梶まで歩み寄っていく。手を貸そうとしたら、座れと、小さく言われたので、その通りにする。


「あんがとな、北原クン、助けてくれて。……この前ひどいことしてもうたのに」


 梶がしっかり目を見つめて、丁寧に一言ずつ発した。見た目は派手な方で、出来れば関わりたくない不良の印象が強いものの、きっと、こいつ、梶、根は悪くないのだろう。


「や、梶は、何も悪いこと僕にしてへんかったし、うん。江島むかつくし……」

「コースケでええ」

「……別に、コースケんこと助けるより、怒りがフツフツときてな、気付いたら江島どついてた、って感じやったから」


 地面に寝転がったままの梶が柔らかく笑って、僕の耳から外れてぶらさがっているイヤホンを軽く引っ張った。左の片方を梶が自分の耳に押し込んだ。ぱあっと目を輝かせて勢いよく上半身を起こす。


「やっぱ、北原クン、ほんま格好ええ奴やってんな! このバンドの曲にのって、夢中で江島をぶったって、ほんま、ロックやなー!」

「えっ?」


 僕の両手を握りながら、興奮気味に告げられる。梶が言ったことがよく分からない。まともに会話するのは初めてなのに、まるで、梶は憧れのヒーローと握手する少年の目をしてこっちを見ている。

 やっぱ? 格好ええ? ロック?


「実はな、俺な、北原クンてさ、めっちゃ絵になる奴やと思っててんな! 一人で音楽いっつも何聴いてんのかなって! ちょっと憧れてたんが、いきなり助けてくれるし、ほんまヒーローやん、どーしよ、俺泣きそ……。あ、これはうれし涙やから、すぐ泣き止むからき、気にしやんとって……や……?」


 あまりの勢いにあっけに取られている僕に気付いたのだろう、梶の語尾が弱まり、そして、顔面が、首が、耳まで、一気に真っ赤になっている。それがだんだん青白くなってきた。勝手に表情がコロコロ変わる。握られたままだった両手がようやく放された。なんだろう、こいつは。


「わ、笑わんとってや、なんか、一人で盛り上がって俺、恥ずい奴で、ほんま、ごめん」

「いや、別にええねんけど、……コースケってこんなキャラやってんな、意外過ぎて」


 意外なのは僕自身もだ。笑っているなんて、頬を上げて。今まで会話したことがない梶と、むしろ、中学に入学してからほとんど同級生と会話らしい会話をしてこなかった僕が。不思議だ。自然に話している。引っかかることなく、言葉がすらすら出ていく感じ。久し振りだった。


「こんなん格好悪いよなあ、クールになりたいねんけどな」

「普通に格好いいやん、コースケ、女子にめっちゃモテてるやん」

「それとは別! モテる格好良さなんかいらん。江島の女のせいでえらい目にあったしな!」

「ああ、気の毒に」

「女の方から勝手に迫ってきて、軽く拒否ったら、江島にウソ言い付けよってリンチやで。あんなんクソビッチや」


 苦い汁を舐めてしまったような、しかめっ面を作っている。女子の話題はやめた方がよさそうだ。

 何か新しい話を振るべきだろうが、思い浮かばない。仕方なくスマホを触っていると、梶がそれを興味津々で覗き込んでくる。


「ええバンド結構入れてるやん。趣味合いそうやし」


 手渡された梶のスマホを見てみると、僕のものより倍以上、容量ギリギリまでに、様々なバンドの曲がズラリと並んでいた。有名な人気バンドから、名前しか知らない、けれども気になってはいた、インディーズまで。邦楽バンドだらけの、リスト。僕が入れていたアルバムはほぼ入っている。


「これ、全部聴きたいぐらい、凄いぴったしなんやけど……」

「おう! 全部貸すから! ほんま聴いて! 趣味ここまで合うのん北原クンだけやし!」


 一番の笑顔を見た。所々青アザになりかけているが、整った顔の梶が笑うと、とんでもない綺麗さで少しどぎまぎした。


「やったら、やっぱ、北原クンには悪いこと、してもーたな。ヘッドフォンあれ、気に入ってたやろ?」

「気に入ってたけど、ええて、コースケはもう、謝らんで」

「けどな、やっぱり、北原クンには、ええ音楽はええ音で聴いてもらいたいしやな……」


 真剣に悩みはじめる梶。こいつは、どうやら、音楽に関しては相当こだわりがあるらしい。やたらと高いテンションで話しかけられたのも、きっと、このせいだろう。

 ふいに肩を両手で掴まれた。


「俺の兄ちゃん、音楽詳してな、北原クンに合いそうな新しいヘッドフォン探してもらう! 質はもちろんええやつ!」

「わ、分かったからもう、揺らさんとって!」

「よっしゃ、約束したで」


 会話をしてまだ数十分も経ってないのに、もうすっかり、梶と馴染んでいる。薄っぺらな苦手意識なんて、とっくに吹き飛んでいた。

 どんどん会話が弾んで、二人で中庭に座り込んだまま、気付けば夕空の太陽が赤くなる時間にまでなっていた。何かの鳥が低空飛行している。

 会話をリードするのは梶で、音楽の話からはじまり、次に家族の話をしてくれた。歳の離れた兄貴がバンドマンで、その影響が、梶の音楽のこだわりになっているようだ。


「兄ちゃん、ほんっま格好ええねんで、たまにガキ扱いしてくるけど、基本優しいしな」

「コースケの格好いいの基準は兄貴なんやな、ええな、一人っ子やから羨ましいぐらいや」


 自慢の兄貴を褒められて顔が緩んでいる。あげへんでー、などと上機嫌で言ってくる。この人懐っこさ、いわゆる末っ子体質だ。

 軽く話を続けていると、急に辺りが暗くなる。さっきまで真っ赤だった太陽が分厚い雲に覆われていた。この時期には珍しい、夕立の予感。傘なんて持ってきていない。梶の身体を起こすのを手伝っていたときだった。ざあざあ雨。あわてて二人で校舎まで走る。


「天気予報はずれやん! しかも夏のモンやろ、夕立て! さっむ!」

「すぐ止んでくれたら、ええねんけどな、どうやろ」


 激しい雨のせいで急激に気温が下がった気がする。制服がかなり濡れてしまったため、身体も冷えて、二人して歯をかちかち鳴らしている状態。


「俺んち、学校の側やし、着替え貸すからダッシュする? 早よ家入りたいわ」

「コースケが構わんのやったら助かるかな」

「決まり! じゃあ、着いてきてな!」


 梶が勢いよく中庭に飛び出した。しかし、柔らかな地面の中庭にぬかるみがあったらしく、足を取られて顔面から泥水に突っ込んでしまった。


「おい! いけるか?」


 起こしてやろうと走り寄る、伸ばされる梶の右手、それに逆に力強く引っ張られていく。視界がねばっとした土だ。口に入った泥が不味くてべっと吐き出す。


「何すんねん!」

「や、ごめん! 俺だけこけたん恥ずいから、北原クンも巻き添え!」

「あほ! 明日制服どないすんねんな……!」

「家来てくれたら、上の兄ちゃんらの制服余ってるからそれも貸すよって。ところで、北原クンのスマホ、防水?」

「おん、せやけど」


 悪そうな顔つきで僕をじっと見てくる。泥にまみれた手で両頬をもみくちゃにされた。ケタケタと笑って梶は泥の水溜まりで転がりはじめた。

 何しとんねんな、このアホは。

 仕返しとばかりに、泥水を梶の髪の毛に塗りたくってやった。茶髪が濃くなる。泥が白い肌に滴る。もう、めちゃくちゃだ。深い水溜まりまで二人でゴロゴロ転がって、ダイブ。パンツまで泥水が染み込んでいそうだ。しかし、殴られた箇所に雨が当たって冷やしてくれるのが、本当に気持ちいい。梶も腫れあがった頬を雨にさらしている。そしてまた、もみくちゃ合戦だ。


「北原クンやりおるな! おりゃっ、こうしちゃる!」


 馬乗りになった梶に頬を固定され、頭突きを一発もらった。ひるんで目を閉じている瞬間に、ほんの一瞬、唇に柔らかな感触。びっくりして目を開けると、なんというか、色っぽい悪戯な顔をした梶に、ぺろり、唇を舐められた。


「……えっ、ちょ、え?」

「嫌やった?」


 楽しそうに笑いけてくるのだ、頭突きされた額がくらくらする、嫌とか、そんなのを考えている余裕なんて、ちっとも、とにかく、びっくりしただけだ、ナンダコレ。


「じゃあ、せっかくやし、もーいっかい」


 今度は優しく、わざと唇をついばんでくる。なにこの柔らかいの。二回目は不思議と冷静になった。

 ああ、こいつ確信犯やなあ、ああ、ファーストキスやってんけど、まあ、そこらの女子よりかは美人に貰われたんや、悪くはないか。

 満足したのか、梶が離れてく。泥でドブネズミ状態の僕を丁寧に起こしてくれた。右手を握られたまま、ずんずん校舎に向かってく。何事もなかったかのように。


「あれやな、先、保健室でタオルもらおっかな、な。北原クン」

「おう、なんか雨弱なってきてるし、急ぐことないな」


 顔を合わせた途端、梶が真っ赤になって、また、顔を背けた。こいつも恥ずかしかったのか、さっきのは。それにしても、柔らかかったな、プルプルやった。唇を左手で触ってみる。案外自分が落ち着いているのが、面白い。


「お友達として近付くつもりやってんに、仲良しに一瞬でなってもて、チューしてもうたでモロに、ええ? 北原クンはトモダチトモダチ、友達からお願いしますやろ、フツー。なんでいきなりチューしてもたんや俺のあほぅ。やっば。やばいやばい。北原クン何も言わんけど、キショがられとったらどうしよ……死ねる」


 心の声がただもれになっている。梶は気付くことなく、小さい声でぶつぶつ言っている。

 ほんま、この子とおったら面白いこと、いっぱいありそうや。

 その証拠に僕の顔。ゆるゆるに溶けたままだ。

 校舎に入る前に、中庭を振り返る。雲が薄くなって、オレンジ色が少し見えていた。雨はもうすぐ止む。握っている梶の手に、ぎゅうぎゅうと力をこめてやった。

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