第三話 《彼の作業は、順調だった》1/3
機兵に関しての説明回ですな。
何処かで見たような設定が多数登場。めんどい人は、ノリと勢いで読み飛ばしましょうw
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この世界には――“敵”が居る。
前触れは、在ったのかも知れない。
しかし、それに気が付く者は誰一人としておらず。故に、突如として姿を現したその敵に対し、なんら備えをしていなかった当時の人類は、無防備なままの己が身と心に容易くその脅威を突き立てられた。
突然の襲撃に混乱する最中、どうにか応戦の形を整えることの出来た人類ではあったが、その戦いは余りに一方的なものとなる。
その姿は、人の形をした黒霧。
影のように薄く、紫煙のように霞み、陽炎のように揺らぎ、まるで実体を伴わぬ身体には一切の物理攻撃が通じず、しかしソレに触れられた人間は、その事如くが無事では済まなかった。
ある者は死に、ある者は狂い、ある者は“取り込まれた”。
余りの禍々しさ、おぞましさ、そして人である所の頭部が欠落した見た目から、人々はその敵のことを――〈顔無し(フェイスレス)〉と呼んだ。
それまでの原始的な武装に頼った戦闘を繰り返してきた人類は、難敵どころか天敵と言っても過言ではないその〈顔無し〉との戦に、敗走につぐ敗走を余儀なくされた。
人類の生活圏は加速度的にその範囲を狭められ、国土を失い、難民のため極端に人口の密度を増した各都市部では、資源の不足による大小様々な問題や犯罪が多発。
中には疫病を発症した地域も在り、戦う事無く滅んだ国も少なくはなかった。
敵の侵攻と包囲により国境すら分断されていたため、疫病が他国に飛び火しなかったのは、ある意味で不幸中の幸いであったのかもしれない。
だが、人々の心に沸き上がる不安と恐怖だけは、確実に感染と拡大を繰り返して行った。
戦うための兵は己が無力に疲弊し、人口の過度な集中と国土の消失から資源は枯渇し、民衆の心身はみるみるうちに衰弱して行く。
――絶望。
その二文字が、その時代の人類全ての脳裏に過ぎった事だろう。
強者も弱者も、富める者も渇く者も、健やかなる者も病める者も、老人も子供も、男も女も、皆等しく神に祈った事だろう。
そして、そんな人類に救いの手を差し伸べたのは――他ならぬ“神”そのものだった。
当時、大陸全土に広がりつつあった一つの宗教――〈エクト教団〉
その時代、大陸に多く存在していた自然崇拝などの多神主義が主流の宗教団体の中では珍しく、唯一神主義を讃えるこの教団には、他の宗教とは明らかに異なるある特徴が有った。
神とは、宗教の数だけ存在する。そして、それ等の神々は決して人の生活に直接的な干渉や影響を及ぼす様な存在ではない。影響を与えるとするのならば間接的。
それは豊作であり、天災であり、無病息災であり、人の常識では到底理解する事のできない怪奇や神秘の数々であった。
だがそれらは、所詮は確立論で語られる物が殆どである。
いかに目の前で起こった現象が奇妙にして奇天烈なものであったとしても、自身にとっての都合の良い現象が立て続けに起こったとしても、それは即ち神による計らいなどではなく、只の偶然の産物であると片付ける事が出来てしまう。
“果して、各教団の語る神とは、真に実在するのか否か”
その議題は、決して尽きる事のない命題として、未来永劫の後世に語り継がれ受け継がれて行くものだろうと、誰しもが――その神を信奉する者ですら――心の何処かではそう思っていたことだろう。
だが、この〈エクト教団〉の出現は、そんな既存の宗教に関連する神と言う物の認識を、大きく覆す事と成った。
何故ならば〈エクト教団〉の信奉する神は、間接的にしか影響を与えない他の神々とは違い、確率や偶然などが介在する余地のない“直接的”な影響を彼等人類に与えたからである。
ある時は瞬く間に傷や疲れを癒し、ある時は季節外れの大量の実りをもたらし、またある時は兵士たちに戦う活力を与へ、そしてある時には、それまで逃げる事しか出来なかった筈の敵の軍勢をも退かせた。
常識では到底計り知ることの出来ない神秘にして超常の数々――即ち“奇跡”
〈エクト教団〉はそれ等の“奇跡”をもって、当時絶望の縁に沈みかけていた人類の救済に乗り出したのである。
こうして、滅亡の一歩手前にまで追い詰められながらも、〈エクト教団〉によって敵に対し有効な“奇跡”という対抗手段を手にした人類は、徐々にだが攻勢に転じることが可能と成った。
しかし、それまでの戦いにより絶対数を三分の二にまで減らされていた人類には、この戦いを短期のうちに勝利へ導く力など残されておらず。
戦力は拮抗し、攻防は一進一退を繰り返し、人類と〈顔無し〉との戦いは、何時終わるとも知れない泥沼の様相を呈していった。
それは人類にとって、暗く先の見えない、長いトンネルを手探りで進むかの様な、耐え忍ぶ時代の始まりであった。
そんな“忍耐の時代”が続く中、いつしか〈エクト教団〉の名の下に団結を果した人類は、〈顔無し〉との戦いに勝利するため。そして、当時の苦しい状況を打開するために、神より授けられた奇跡に対する研究を開始した。
その結果、人類はその奇跡の力を利用して、様々な道具や武器を創り上げる。
奇跡を利用した道具の開発を期に、戦況は徐々に人類側の優位へと傾いて行き、やがてはこの“忍耐の時代”に漸くの終止符を齎す結果と成るのだが――そんな奇跡を利用して創り出された道具の中に、それまでの長かった戦争を終決させる事に最も貢献した、ある“発明品”が有った。
それこそが――
◇◇◇
「君たち、“聖紋機兵”なんだよ……あ、三番動かしてくれる? ゆっくりね」
『成る程』
僕が正式に彼の主人と成った次の日の朝。
手元の作業に視線を落としながら、僕は彼に聖紋機兵が創られた経緯を簡単に説明していた。
「当時の人たちは、創り出した君たちを“対顔無し兵器”として前線に投入。君たち聖紋機兵は、人類の思惑通り見事な戦果を遂げた。そして、そんな君たちとの共闘によって見事巻き返しに成功した人類は、めでたく顔無しとの戦争に勝利する事ができたんだよ……うん、オッケーだね。じゃあ次は四番動かしてみて」
『……つまり我々は、人類の敵である顔無しと戦うために創り上げられた“武器”――と、言う訳ですか』
「そうだね。君たちの最初の製作者の真意はどうあれ、当時大量に創られた〈聖紋機兵〉たちが、多くの戦場に投入されたのは事実だよ……ストップ、次は五番ね」
よしよし、今のところ問題なく動いてる。こりゃ予定より早く済みそうだぞ。
「そうして漸く戦争は終結したんだけど、それから五十年以上経った今でも、奇跡を利用した道具の開発は続いてるんだ――あ、因みに〈エクト教団〉の神さまから貰った奇跡のことを“聖紋”。奇跡を利用して創られた道具のことを“聖紋機”って言うんだけど、これは知ってる?」
『はい、存じています』
あ、これは知ってるんだ。
あれから色々話してみたけど、彼の記憶の欠落は一部分だけがごっそりなくなってる――って訳じゃなく、どうやら所々が虫食いみたいに無くなっているらしい。
相変わらず自分自身に関わる記憶は一切覚えてないみたいだけど、今話したみたいに知っている事だってある。だからこうして話をして、彼の知らない部分は僕が出来る範囲で捕捉していると言う訳だ。
彼が何を忘れているのかが分からないからちょっと時間がかかりそうだけど、一から教えるよりかはずっとマシだと思う。
「そんな聖紋機の開発が進んだお陰で、僕たち人間の生活は凄く便利に成ったんだ。最近じゃ一般市民の家庭でも利用できる様な物が出てきたらしいけど、まだまだ広く普及しているって感じじゃないね。大きい街や王都とかならともかく、ここみたいに小さな村なら全部で二個か三個あれば良いほうだよ」
川下にあるセリームみたいな港町には、夜でも通りを照らす“聖紋灯”や、馬が引かなくても走る“聖紋車”、遠くの人と話のできる“遠話機”、中には風を起こして涼を取るなんて聖紋機も、そこらじゅうに在るらしい。
この村だと、確か簡単に火を点けられる聖紋機が、村長の家とハイスの家に一つずつある。だからたまに僕の家も、ハイスの家に種火を貰いに行ったりする。
あと、村の外れに在る教会にも聖紋機が備え付けられてる。あの教会はエクト教の教会だから当然と言えば当然なんだけど、何気にけっこう色々な聖紋機がある……らしい。
前に何度かピセル神父に頼んで見せて貰おうとしたけど、その度にやんわりと、そして頑なに断られ続けた。
ハイス曰く、「お前見るだけじゃ済まないだろ」なんて言ってたけど――失敬な。
例え見るだけと言って触っても、壊さなければ良いだけだし、壊したとしても直せば良い。そして、その過程で聖紋機の性能が少しでも向上するのなら、尚良しと言うものじゃないか。
……まぁ、前に自分の家の聖紋機を見せてくれて、次の日には髪の一部を焦がしたハイスが、「もとに戻せ」って言ってきた時は、流石にちょっと悪い気がしたけどね。
『一応、“私”も居りますが』
「いや君は例外だよ。なんたって君は聖紋機の塊りみたいな存在だからね。細かいのを数えたら十個や二十個なんてもんじゃ済まないし」
目の前のテーブルの上には、躯体から取り外された機兵の頭部と、肩の部分から取り外された機兵の右腕が置かれている。
さらに、置かれた頭部は上下からパッカリと割れた様に開かれていて、その中心部に有る黒い球体から伸びている銀色の鋼線が、隣に置かれている右腕の肩部分へと繋がっている。
……冷静に見ると、ちょっと猟奇的な光景だよね、これ。
「……よし、これで良いかな。一番から五番を順番に動かしてみてよ」
『はい』
テーブルに置かれた頭部にそう指示すると、金属製の手の小指から親指にかけての指が順番に折り曲がって、手は綺麗な拳の形に収まった。
「よしよし、良い感じだね。今度は逆の順番で指を伸ばしてくれる?」
『はい』
今度は親指から小指にかけての指が順に伸ばされて、手の平が広がった状態に戻る。
「それじゃあ次は同時に曲げてみて…あ、親指は他の指に乗せるようにしてね」
『了解。一から四を同時に、後に五を屈折』
小指から人差し指が同時に曲がってから、其処に親指が乗っかる様に曲がって再び手が拳の形に。
「じゃあ今度は同時に開いてみて。伸ばす時はゆっくりね」
『はい』
金属の拳がゆっくり開き、また広がった状態に戻る。
関節を伸ばす時に力を入れすぎると、関節部が限界以上に曲がって歯車が割れたり歯が欠けたりする可能性がある。予備の部品なんて殆ど無いから、そういうのが原因で少ない部品を失うのだけは避けたい。
「そしたら僕がいいって言うまで、今の動作を繰り返して」
『了解。指の開閉を繰り返します』
カシャ……カシャ……カシャ……
金属どうしが軽く触れあう音を鳴らしながら、目の前の手が握ったり開いたりを繰り返す。
まだ全体的な動きはぎこちないけど、別段軋んだ音なんかは聞こえてこない。ぎこちなさも、こうやってしばらく開閉を繰り返すことで取れていく筈だ。
カシャ……カシャ……カシャ……
「……いやー、やっぱ良いよねー」
大小様々な金属の部品で出来ている人工の手が、互いの動きを補い合い助け合いながら動く様子を見ていると、何だかそれだけでとっても楽しく成ってくる。
特にこの手の部分は、機兵の躯体の中でも部品が小さくて構造がとても複雑な部分だ。多くの歯車や鋼線や骨子で作られている機構が、ちゃんと自力で此方の想定通りに動いてくれる。それは技師を目指している僕にとっては、とても嬉しく感動できる光景だった。
……まぁ、作ったのは僕じゃないんだけどね。
それに、この躯体が動くのは実に三年ぶりだ。その間、僕とハイスはこの躯体が動くのをずっと心待ちにしてきた。そんな僕らの願いがこうして三年越しに叶ったんだ。今は右手の平しか動いてないけど、それだけ感動もひとしおと言うものだ。
本当なら立って歩いている姿も早く見てみたいけど、こうやって少しづつ“慣らし”をしていかないと大きな事故に繋がる危険もある。焦りは禁物だ。
カシャ、カシャ、カシャ、カシャ
そんな感じで見とれていると、右手の開閉が随分とスムーズに成ってきた。
「はいストーップ」
『了解』
「えっと、じゃあ次はぁ…」
一旦開閉を中断させてから、僕は予め持ってきておいた薪を手に取ると、それを開いたままの彼の手に載せる。
僕にとっては片手で持てるような太さじゃないけど、機兵の手の平にならちょうど収まる位の太さの薪だ。
「よし、じゃあこの薪を握ってみてよ」
『了解』
広げられた手が閉じて、五本の指が薪の上に添えられる。
何でこんな事をするかと言うと、彼の手がちゃんと物を掴めるかどうかの確認でもあるんだけど、それと同時に、彼ら霊卵石が躯体を動かす上で一番難しく重要な、“力加減”を覚えるためでもある。
本当なら、僕の“腕”を掴ませてその加減を調整した方が確実なんだけど、残念なことに僕の腕じゃ細すぎて、正確にその加減を調整するのは難しい。
誰かに頼んで協力してもらう手も有るけど、それで相手に怪我なんかさせたら大事だ。
例え頼むにしても、ハイス位しか思い当たらない。今はそのハイスも居ないから、仕方なくこの薪で代用する事にする。
でも、この力加減が上手く出来ないと、機兵は立って歩くことはおろか、自分で自分の躯体を破損してしまうなんて事にも繋がりかねないし、これから先、僕らと一緒に日常生活を送ることも困難に成ってしまう。
だから、ここは慎重に時間を掛けて、少しづつ力加減を覚え込ませる必要がある筈なんだけど――
『握りました』
「え? あ、あれ?」
なんか、あっさりと成功したっぽい。
「ちょ、ちょっと待ってね、そのまま握っててよ」
『はい』
ちゃんと掴めているか確認するため、握られたままの薪を横から引っ張ってみる。
「んん~~ッ!」
ガッチリと掴まれた薪は、僕が幾ら横から引っ張り出そうとしてもびくともしない。どうやらちゃんと握られているらしい。
おかしいな、最初は力の入れすぎで薪が軋む音や、歯車の歯が擦れる音が聞こえてくると思ったんだけど、そんな音は一切聞こえてこなかった。
これじゃあまるで、最初から力の加減が分かってたみたいだ。
「……あ、そうか」
そこまで考えて、僕はある事に思い当たった。
もしかしたら彼は、自分に関する過去の記憶は失っているけど、躯体の動かし方は未だに覚えているんじゃないだろうか。
そもそも、彼が一番初めに言葉を喋った時もおかしかったんだ。
本当なら一番初めの何にも知らない霊卵石は、喋る事だって出来ないはずなんだ。そして喋る為には、そのための聖紋機を操作する必要がある。なのに、彼はまるでその聖紋機の存在を初めから知っていたかのように言葉を発した。
それは、彼が昔に使っていた躯体に備え付けられていた聖紋機の扱い方を、無意識にも覚えていたからじゃないんだろうか。
言葉を教わった事を覚えて無くても、ちゃんと会話が出来るのが良い例だ。
基本的な聖紋機の扱い方は、言葉を話す聖紋機も躯体を動かす聖紋機もそう大して変わらない。それなら、今彼がこうして躯体を動かす際の力加減を知っていたとしても、そう不思議な話じゃない。
「――と、思うんだけど、どうかな?」
自分で考えるだけじゃ答えは出そうになかったから、思ったことをそのまま彼に聞いてみた。
『…成る程、その可能性は有るでしょう。言語の発声も握力の調整も、私自身意識しての行為では有りませんでしたので』
「やっぱり」
いや、でもそれは助かるぞ。
このままの調子で躯体の調整が進めば、思っていた以上に早い段階で躯体の調整が終わるかもしれない。
それ処か、もしかしたら今年の“大会”にだって、間に合う可能性まで出てきた。
「よし…よし!」
そうと分かればペースアップだ。
つまり、一番時間の掛かりそうな部分は概ねクリア出来ているんだ、それならある程度の工程は前倒して、どんどん作業を進めて行こう。
「じゃあ次は“手首”、手首いってみよう!」
『了解しました』
そうして、少し興奮気味に作業を再開。
やっぱり彼は躯体の動かし方――聖紋機の扱い方を無意識の内に覚えているらしく、次に取り掛かった手首部分の駆動も、なんら問題無く調整が終了した。
こりゃもしかしたら、ハイスがこの村に帰ってくる前に、彼を二本の足で歩かせる事だって出来るかもしれない。
霊卵石を手に入れた時点でも僕らにとっては大事件なのに、もしこれで機兵が立って歩ける様に成ってたら、ハイスはきっと驚きで腰を抜かすかもしれない。
「へへ~…よし、絶対ハイスを驚かしてやるぞ」
だけど、そう意気込んで次の部分――“肘”の調整に取り掛かった処で、作業開始から初めての問題が発生した。
「あれ?」
彼の腕は軽くテーブルの上に固定してあって、肘を曲げると二の腕がテーブルから持ち上がる格好になる。
今も実際に手の甲がテーブルから浮き上がったんだけど……なんだろう? 随分と反応が鈍い。
具体的に言うと、ゆっくりと曲げられて浮き上がった筈の腕が、重さに負けて直ぐにまた真っ直ぐに戻ってしまう。
「変だな、もう一回やってみて」
『了解』
その後も何度か試してみたけど結果は同じ。
肘の関節が曲がり切る前に腕が重みに負けてしまって、中途半端な所で上がったり下がったりを繰り返すだけだった。
エネルギー不足って事は無いと思うから、この部分の聖紋機に異常でも在るんだろうか?
まぁ今迄メンテナンスはずっと続けてきたけど、実際に動かすのは三年振りだ。知らないうちに劣化が進んでたり、何かしら問題が発生しててもおかしくない。
「ちょっと中見てみるから、動かさないでね」
『はい』
取り合えず、バラして確認してみよう。
ただでさえ部品が少ないから、部品の交換なんて事態には成らないと良いんだけど。
「んしょ、と」
愛用の工具を使って、手早く肘の関節部分を分解する。
……うん、別に機構その物に問題は無さそうだ。聖紋機がちゃんと機能していれば、問題なく肘の屈伸は出来る筈。とすると、やっぱり問題は聖紋機かな?
バラされた部品の中から、一つの歯車を手に取る。その歯車の表面には、他の歯車とは違って幾つもの線と円が重なり合う、奇妙な紋様が描かれている。
この紋様こそが、エクト教の神さまが僕たち人類に賜れた奇跡の顕現。
――“聖紋”だ。
この歯車に描かれている聖紋は〈転の聖紋〉と言って、この聖紋の起こす神秘は、描かれている聖紋を中心に、描かれた土台その物に回転力を与えると言うものだ。
聖紋機兵は人の様に筋肉で躯体を動かす訳じゃなく、この〈転の聖紋〉の産み出す回転を駆動力に変えて、各部の関節を動かしている。
因みに――聖紋は、僕たち人間じゃ到底真似の出来ないような神秘を、意図的に引き起こすことが出来るように、神様が僕たちに与えてくれた“技術”――僕は、そう考えてる。
「フムン?」
手にした歯車を色々な角度から眺めて見るけど、特におかしな所は……無いな。
別に表面に傷が着いていることも無く、ひびが入っている様にも見えない。
でも、聖紋は本当に些細な歪みでもその性能を著しく低下させる事が有るから、一応動作確認をしておくことにしよう。
確認の方法は、先ず水の入ったバケツに小さな木の板を浮かべて、そこに今取り外した歯車を乗せる。これで、この歯車は何の支えも無い水面に浮いた状態になる。後はこの聖紋を発動させて、回転の神秘を引き起こしてみれば良い。
もし何も問題が無ければ、この歯車は乗せられた木の板共々、バケツの中の水面でクルクルと回り出す筈だ。
「それで、次にこれを繋げてぇ」
次に僕が取り出したのは、今彼の頭部と右腕とを繋げている銀色の鋼線と同じ物。“銀糸線”――銀で出来たワイヤーだ。
聖紋は、聖紋単体じゃ神秘の力を発動させることは出来ない。
神秘の力を発動させる為には、その聖紋を土台と成る何かに正確に書き写し、そこに発動の為に必要なエネルギーを注いであげなくちゃいけない。
そのエネルギーの事を僕たちは、“アストラルエネルギー”って呼んでる。
今迄の研究で金属、特に銀は、何故かこのアストラルエネルギーを良く通す物質である事が確認されている。
その為、エネルギー源から聖紋にまでアストラルを伝える際には、この銀糸線が良く使われる。突発的な状況への対応が求められる機兵なんかには特にだ。
「何か変な感じがしたら言ってね」
『はい』
その銀糸線の先端に付けられている銀製の針を、今は剥き出しに成っている彼の頭部、その中心にある黒い球体に開いている無数の小さな穴の一つに、ゆっくりと挿入して行く。
この球体の中には霊卵石が入っていて、要はこの霊卵石と聖紋とを銀糸線で繋げる訳だ。
針の先端が中の霊卵石に触れ、これ以上入らなくなった所で挿入口の螺子を締めて針を固定する。
「どう?」
『問題ありません』
本人はこう言っているけど、この作業は機兵の脳に針を突き立てている様なものだ。実際には硬くて針なんか刺さらないけど、やっている僕としては毎回どうしても緊張してしまう。
……そのうち慣れるかな?
彼ら霊卵石には、そう沢山じゃないけど、幾つかの聖紋くらいなら発動させる程度のアストラルエネルギーが含まれている。そして何故か彼ら霊卵石には、このアストラルエネルギーを事細かに調節することの出来る、不思議な能力が備わっている。
そうして状況に合わせて適切に調節され、霊卵石から送り出されたアストラルエネルギーは銀糸線を伝わり、躯体の様々な箇所にある聖紋へと注がれて、聖紋機の神秘の発動を可能にしている――と言う寸法だ。
まぁ今は、単にこの〈転の聖紋〉がちゃんと発動するかの確認だけだから、そのままエネルギーを送って貰うだけで良い。
「じゃあ送ってみてくれる」
『了解』
よし、これで今この銀糸線には、彼の霊卵石から送られたアストラルエネルギーが宿っている筈だ。
見た目は全く変わらないし、持っている部分も暑くも何ともないけど、この先端を歯車に描かれた聖紋に当ててあげると――
「お、きたきた」
銀糸線を通して注がれるアストラルに反応して、聖紋がうっすらと緑色の輝きを放ち始める。
この聖紋が光っている原理は今でもよく解っていないけど、これは聖紋の神秘が発動する前段階だ。あともう少し輝きが増すと〈転の聖紋〉が発動して、この歯車が乗っかっている板と一緒に回り出す筈なんだけど……。
「……あれ? 普通に回ってる」
程なくして、アストラルを注がれた聖紋は何事も無く回転の神秘を発動。バケツの中の歯車は、まるで生きているかの様にクルクルと右方向に回り始めた。
「うんん? 何でだ? てっきりこの聖紋機に問題が在ると思ってたんだけど」
それはつまり、この聖紋機には何ら問題がないって事を示している訳で、僕としては少し予想外の展開だぞ。
他に考えられる原因と言ったら……銀糸線が古くなってるせいかな? でもほつれたり断線したりはしてなかったし、となるとやっぱりエネルギー量の問題? でも実際にこうして発動分のエネルギーは確保できている訳だしなぁ……。
「関節の機構でも聖紋機の不調でもない。かと言ってエネルギーの量に問題が無ければ銀糸線の劣化でもないとすると……あれ? 何だ? 何がいけないんだ??」
僕の頭の中を、大量の疑問符が埋め尽くす。
……仕方ない。少し時間は掛かるけど、この部分の設計図を一から見直してみることにしよう。
「ええと、右腕の図面は確か向こうの棚に――」
『ネイセン殿』
「ん、どうしたの?」
部屋の端に在る棚に向かおうとした僕を、テーブルの上の生首――じゃなかった。今は機兵の頭部だけの彼に呼び止められた。
『少々、気になる事が』
「気になる事?」
『はい。実は“伝達経路十番”に、若干の違和感を確認できます』
「違和感?」
“伝達系”の“十番”と言ったら、今正に問題のある肘の駆動部と、彼の頭部とを繋いでいる銀糸線の事だと思うんだけど……。
「う~ん……やっぱり一度、他の銀糸線と交換してみようか?」
もしかしたら、僕が見ただけじゃ分からない問題や劣化が在るのかもしれない。だとしたら……まいったなぁ。
原料が希少価値の高い銀だけに、少量とは言え銀糸線だって決して簡単に手に入るような代物じゃない。とすれば、当然再利用が基本になってくる。
だからもし本当にこの銀糸線に問題が在るのなら、一度溶かしてまた一から作り直さなきゃいけない。
出来る事なら、今の段階でのその選択は避けたい処なんだけど……。
取り合えず、今はまだ予備の分が在るから、この場はそれで凌ぐことにしよう。
『いえ、違和感はエネルギーの“経路”からではなく、恐らくは銀糸線と私との“接続部”からではないかと……』
「接続部?」
そう言われて、テーブルの上に置かれている頭部の中身を覗いてみる。
銀糸線と霊卵石の接続部と言ったら、銀糸線の先に在る銀針がこの頭の中心にある黒い球体に突き刺さっている部分だ。
一見問題は無さそうだけど、試しに十番の銀糸線を引っ張ってみる。すると――
「あ、あれ?」
軽く引っ張っただけなのに、その銀糸線は何の抵抗も無く簡単に抜けてしまった。
「ありゃ~、これが原因か~」
通常なら、こんなに簡単に銀糸線が抜ける筈はない。頭部に強い衝撃を受けたとしてもそう簡単にずれたり外れたりしない様、さっきみたいに付け根の螺子を締めて銀針をしっかりと固定するからだ。
じゃあ、何でこんなに簡単に外れてしまったのかと言うと、別に固定の螺子が壊れている訳じゃない……単純に、僕が螺子を締め忘れただけだった。
要は、これが原因で銀針の先がずれて、聖紋に送るエネルギーが不安定に成ってたんだろう。
そりゃ機構にも部品にも問題が見付からない筈だよ。“ちゃんと繋がっているか”っていう、もっと根本的な所に問題が在ったんだから。
「いや~失敗失敗。ゴメンね、今ちゃんと繋ぐから」
『いえ』
指摘してもらって助かった。危うく無駄な遠回りをする処だったよ。
やっぱり、彼が無意識ながらに昔の事を覚えているって予想は間違いじゃないみたいだ。そもそも初めて躯体を動かす霊卵石が、その駆動に“違和感”なんて感じる筈がないんだから。
分解した肘関節を再び組み立てて、今度は銀糸線もしっかりと固定した。
「よし、じゃあもう一回挑戦だ。肘の曲げ伸ばししてみてよ」
『了解』
でも、まさか彼の方から問題を指摘してきてくれるとは思わなかった。
今だって本当なら整備と調整をしている僕の方が、真っ先に原因に気が付かなきゃいけない処だったんだ。
父さんの残した資料を読んで躯体のメンテナンスも続けてきたけど、やっぱり実際に動かすと成ると、予想していなかった事態が色々と起こる。
その度、自分の力不足を痛感させられる僕にとって、彼の発言や指摘は大きな助けに成る。本当に有り難い。
これならそう大きな問題にぶつかることなく、作業を進めて行けるだろう。
――と、その時は思っていたんだけれど。
ガシャン!! ズバーーーン!!
「…………へ?」
突如、高々と鳴り響く破壊音。
見ると、さっきまでテーブルの上に在った筈の鋼の腕は、僕の目の前から忽然とその姿を消していた。
こんな亀更新なのに、読んでくれている人がちょくちょくと……在り難てぇが申し訳ねぇ。
更新速度を上げられない自分に嫌悪嫌悪。