第二話 《そうして、今の私は始まった》3/3
胸の大きなブラコン姉ちゃんを書きたかったんや……ただ、それだけだったんや
暫くの間シーネェに背中を擦られ、漸く呼吸が回復した。
「……ふぅ~~、やーっと落ち着いた~」
「もう、驚かせないでよ」
「いやいや、最初に驚いたのは僕の方だから!」
何せさっきのシーネェの台詞は、言い方を変えれば僕に“犯罪者に成れ”って言っている様な物だ。驚くなって方が無理だよ。
「それでシーネェ、何で突然彼の主人になれなんて言ったのさ」
シーネェは余りそう言う“悪い事”に手を出す方じゃない。寧ろ、割りと正義感の強い方だと思う。
少なくとも、拾った物を無条件で自分の物にしてしまう様な性格じゃ無い筈なんだけど……。
「だってこの子、今は自分の名前を忘れてて、住んでいた所も親の名前だって分からない状態なんでしょ?」
シーネェの言う“親”っていうのは、機兵の“主人”の事だろう。なんだか色々混ざってるよシーネェ。
「うん、まぁそうだね」
「そんな状態で、どうやってこの子の親を探すのよ。そもそも探し出せるの?」
「それは……正直難しいだろうね」
言われて見れば、確かに探し出すのは難しい。
実際は霊卵石に限らず、大切だったり高価な物を無くした際は、その村や町の警備隊に紛失届けなんかが出ているだろうけど、霊卵石の所有者確認はあくまでも霊卵石その物の証言が鍵に成る。
そして今回の件に限って言えば、その鍵が全く機能しないんだ。
こうなると、複数の人間が所有権を主張してくる可能性がある。本人は別としても、漁夫の利を狙ってやってくる、全く無関係な人だって出てくるかもしれない。
「もしも、そのまま見付からなかった場合は?」
「その場合は……僕も詳しくは知らないけど、所有者が見付かるまで保管されるんじゃないかな」
「それってつまり、この子がまた何も見えないし何も聞こえないし、何も喋れない状態になる。って事でしょ? 親が見付かるまで」
「そう成る、のかな?」
「そんなのかわいそうじゃない!」
……成る程。
良い悪いはともかくとして、正義感が強いからこその発言だった訳か……でも、だからと言って――
「言いたい事は分かるけど…でもねシーネェ、もし彼に元の持ち主が居る事がばれたら、僕たち捕まっちゃうかもしれないんだよ」
「そこは大丈夫! 絶対ばれないから!」
そう言って、むんと自分の大きな胸を前に突き出すシーネェ。
……え? 何でそんなに自信たっぷりなの?
「だってネイが言ったんじゃない。機兵の持ち主は機兵が証明するって」
「言ったけど……あ」
そこで漸く、僕にもシーネェの言いたい事が理解できた。
「そうか、元の所有者の証明が難しいなら、逆に僕が彼の所有者“じゃない”証明も難しいってことか…」
「そう言うこと!」
確かに、シーネェの言う事はもっともだ。
実際、彼に自分の主人を聞いた時、彼は僕の事を主人だと言っていた。
それは最初の頃に僕が、彼にはまだ主人が居ないと思っていたからこその発言だった訳だけど、それだけで彼が僕を主人として認識した証拠になる。
だから、さっきまでの僕たちの会話さえ他の人に話したりしなければ、彼に“元の主人が居た”何て事実がばれる事はまずないだろう。
――でも。
「い、良いのかな? それって…」
結局の所、彼にちゃんとした主人が居る事に変わりは無い。
しかも今迄の会話から、彼が随分と優秀だと言う事も分かった。このまま彼を僕の機兵にすると言う事は、彼を育てた人の苦労を、そのまま横取りする形になる訳で……正直すごく気が引ける。
「あら、それじゃあネイは、この子がまた目無し口無し耳無しに成っても良いって言うの?」
「いや、それは僕もかわいそうだと思うけど…」
「なら良いじゃない。アンタは念願の“機兵”を手に入れて、この子は自由に動ける“身体”を手に入れる。良いことだらけじゃないの」
「う~ん…」
そりゃ、僕だって霊卵石は欲しかった。それこそ、喉から手が出る位欲しかった。
だから今朝、霊卵石を川の底で見付けた時は興奮して、ハイスの剣やマッヂスさんの所に行く事も忘れて、この作業場まですっ飛んで戻ってきたんだ。
でもそれは、その霊卵石に他の持ち主が居ないと思っていたから――自分こそが、この霊卵石の最初の主人だと思っていたからこそなんだ。
霊卵石が機兵として動ける様になるまで、少なくとも半年近い時間と教育が必要になる――決して短くない期間だ。
そして、僕がこれからやろうかどうか悩んでいる内容は、そんな他人の苦労と時間をそのまま奪う事に等しい。
もしこれが、逆の立場ならどうだろうか。僕なら多分、絶対に受け入れられないだろう。
幾らばれないからと言って、平気な顔をして自分の成果が横取りされるのを、黙って見ている事なんか出来ない。
かと言って、このまま彼を警備隊に引き渡してしまえば、それこそシーネェの言う様に、何時判明するとも知れない主人の登場を、目無し耳無しの状態でずっと待ち続ける事になる。
霊卵石自身がその状況をどう思うのかは分からないけど、確かにそれはかわいそうだと思うのも、また事実だ。
「うう~~ん…」
「…ねぇネイ」
「ん?」
腕を組み合わせ、そんな感じで延々悩んでいる僕に、シーネェがとても落ち着いた声で話し掛けてきた。
「お姉ちゃんにはね、アンタがどうして其処まで悩んでいるかが良く分かる。ネイは私と違って、正直で優しい子だから」
「シーネェ?」
な、何だろう? 何か突然恥かしい事を言われている気がするんだけど……。
「この子のこと、この子の親のこと、自分の周りに居る人たちのこと、そして――自分のこと…」
「……」
僕は、そのまま黙ってシーネェの言う事に耳を傾けた。
「確かに、これから私たちのやろうとしていることは、間違ったことかもしれない。許されないことなのかもしれない。でもね、お姉ちゃんにはネイとこの子の出会いは、神さまがネイにくれたチャンスなんじゃないかな、って思えるの」
「チャンス?」
「そう。だってネイがこの子を見つけたのは、単なる偶然でしょ?」
「うん、そうだけど…」
僕が今朝彼を見付けたのは、間違いなく偶然だ。
もし今日、マッヂスさんの所に行こうとしなければ。もし今日、ハイスから剣を預からず、小枝を切ろうと川縁に近付かなければ。
川底に沈んでいた霊卵石を見付ける事なんか、きっと僕には出来なかった筈なんだ。
「そんな、もしかしたら誰にも拾われない様な所に有ったこの子を、アンタが拾った。拾った物の価値に気が付かない人じゃなく、拾って直ぐにお金に換えてしまう様な人にでもなく、この子の本当の価値を知っていて、そして、この子を本当の意味で必要としている人に……ネイ、アンタにこの子は拾われたのよ」
「僕に…拾われた…」
「少しだけ、お互いの事情は複雑だけど、アンタはこの子の“主人”に成れて、この子はアンタの“機兵”に成れる。だからねネイ、アンタは今日のこの子との出会いを、絶対に大事にしなくちゃいけない。“次”なんて、もう無いかもしれないんだから」
そう言って、微笑みながら僕を見詰めるシーネェの瞳は、とても優しく、同時にとても心強い物だった。
「シーネェ…」
「それに、漸く見付けた念願の霊卵石じゃない! このまま手放すなんて勿体無いわ! 損よ! 絶対損!」
「エェ~~…」
こ、この期に及んで損得勘定とか……。
「だいたい、もし本当にこの子の持ち主が居たとしたって、川に投げ捨てる様な奴なのよ! そんなのネイの方が良い主人に成るに決まってるじゃない!」
「い、いやいや! 別に彼の主人が川に投げ捨てたなんて決まってないよ!!」
「そうだっけ…? まぁ仮にその持ち主が良い人なら、それこそこの子を保管しておくなんて出来る筈無いわ! 寧ろ、ちゃんと使ってあげてほしいと思う筈よ!!」
「そ、それは……そうかも知れないけど」
それは、僕も思った事だ。
もし仮に、僕が自分の育てた霊卵石を手放す事になった場合、僕は一生その霊卵石の保管を望むだろうか?
……多分望まないだろう。
目も耳も口も無い状態なんて、きっと狭くて暗い牢屋に閉じ込められているのと大して変わらない。そんな所になんて、残りの一生どころか、一時間だって置いておきたくない。
彼等にだって、“外の世界”に出る権利は有る筈なんだ。
「とまぁ、お姉ちゃんが言いたかったのはそんなとこ。後はネイが決めなさい。結局の処、決めるのはアンタ自身なんだから」
一通り自分の言いたい事を言い終わったシーネェ。
“決めるのは僕”なんて良く言うよ、最後の方はもう殆ど“説得”だったじゃないか。答えなんて、シーネェの話を聞いた時点で殆ど決まっている様な物だ。
と言うか、今の話の流れで彼を警備隊に引き渡したりなんかしたら、そっちの方が悪い事をしている気分になるじゃないか……。
「……君はどう思う」
目の前に立つ、鋼の鎧にも聞いてみる。
『ネイセン殿が、自分の主人に相応しいかと言う問いならば、今の私には、それを判断するだけの情報がありません』
「そっか…」
そりゃそうだよね。まだ出会ってから一日もたってないんだ。それだけじゃ僕が主人に相応しいかなんて判断できる訳――
『――ですが』
「…え?」
『それは、あくまでも技術的な面に限った場合の話』
技術的? 整備の腕ってこと?
『先程までの貴方がたの会話から、自らの私利私欲に走らぬその姿勢には好感を持ち。更に、私の事や存在するであろう私の本来の主人に対する深い憂慮には、心よりの感謝もしております。本当に、ありがとう御座います』
「い、いやいやいや! そんな、感謝なんて別にいいよ!」
もし今、彼の鋼の身体が動くのなら、そのまま深く頭を下げてきそうなその台詞に、逆にこっちが恐縮してしまう。
『そもそも、貴方が私の主人に成るか成らないかを決める権限など、私には一切ない事柄ではありますが…ネイセン殿』
「な、何かな?」
『率直に申し上げてしまうのであれば、貴方は未熟です。身体的にも、精神的にも』
「あう…」
本当に率直に言われた。いや分かってた。分かってた事なんだ。
でも――やっぱり十歳はまだ子供なのかなぁ、正確には九歳と半分だけど……。
『――ですが』
「…へ?」
『そんな貴方の性格が、今の私には“心地良い”』
「……ふえ?」
『以上が、今の貴方に対する私の評価です』
「……」
その余りに予想外の台詞に、僕の思考が一瞬真っ白に成った。
え? “心地良い”ってどう言う事? “眠くなる”って意味?
どうやら嫌われてはいないみたいだけど、今の台詞を果たしてどの様に解釈すれば良いのかが分からない。
「ふふん。さて、如何するのネイ?」
そんな混乱真っ盛りの僕に向かって、シーネェが何とも楽しそうな顔をして聞いてくる。
「……」
い、いや、これ以上今の台詞に悩むのは止めよう。
取り合えず彼は、僕が彼の主人に成る事に対して否定的じゃない。それが分かっただけでよしとしておくべきだ……うん、そうしておこう。
「ふぅー…」
目を瞑り、息を吐く。
実の処、結論は既に出ていたんだ。彼に話しを聞いたのは、あくまでも自分の腹を括る為。
何でも良いから言葉を貰って、自分を前に進める材料にしたかっただけなんだ。
――でも、何故か前方に進むどころか、斜め上に跳ね飛ばされた様な感じがしたのは、ただの気のせいだろうか?
「…ねえ君」
目を開いて、目の前に立つ機兵の頭部を見詰める。
『はい』
「えっと、乗りとか勢いとかじゃなくて、改めてお願いが有るんだけど…良いかな?」
『どうぞご遠慮なく』
「あ、あのね…」
うう。な、なんだか改めて言おうとすると緊張するなぁ……。
「ぼ、僕を君の主人にして下さい! よろしくお願いします!!」
そう言い切ると同時に勢い良く頭を下げる。
『了解しました』
そして、僕の台詞の後にまったく間を置かず、彼は一瞬でそれを受諾した。
「うわ、予想はしてたけど、予想以上にアッサリしてる!」
これじゃあ、無駄に緊張した僕がバカみたいじゃないか。ああ、なんか徐々に恥かしく成って来た。
「う~ん、何だか告白みたいねぇ」
「もう! 止めてよシーネェ」
ニコニコと、何とも微笑ましい物を見るような目付きで僕を見詰めるシーネェ。
悩んだ末に出した結論だから、後悔なんてしないと信じたいけど、今はとにかく恥かしさが先に立つ。
お願いだからこんな時にまでからかわないで貰いたい。
「告白かぁ~……ねぇ貴方、一つ言っておきたい事が有るんだけど」
『何でしょうか』
「貴方がネイの機兵に成る事は許すけど……基本ネイは私のだからね!!」
「うわっ!? ちょ! シーネェ落ち着いて!」
突然椅子から立ち上がったシーネェに背中から抱き着かれ、その場からもの凄い勢いでかっ浚われた。
それはまるで、大好きな玩具を取り返す子供の様で……って、僕はシーネェの玩具じゃない!
『分かりました』
「いやいや! 君も分からなくて良いから! 誤報だからそれ!」
『分かりました』
「誤報じゃないわよ! ネイはお姉ちゃんのネイなんだからー!」
『分かりました』
「だー! だから違ーーう!!」
『分かりました』
「違くないもーん!」
『分かりま――……』
――数分後。
奮闘の結果。一連の騒動は僕とシーネェは普通の姉弟だという形で無事終結した。
「むぅ…お姉ちゃんは不満気ですよ」
「はいはい」
はぁ……無駄に疲れた。
「…でもまぁ、これで正式に所有者と主人の登録が完了したね。これから宜しく!」
『此方こそ、宜しくお願い致します』
まだ動かすことの出来ない彼の大きな片腕を両手で掴むと、僕はそれを上下に揺すった。
力の入っていないその腕からは、ただズッシリとした重みとヒンヤリした鉄の感触しか伝わって来なかったけど、何だかその時は、それがとても頼もしく感じられた。
「よっし! これから忙しくなるぞー!」
声も高らかに気合を入れる。
正式に彼の主人に成った以上、もう後になんか引けない。ともすれば、やるべき事は売る程ある。さて、先ずは何から手を着けて行こうか。
「やっぱり駆動系聖紋の調節からかな~。立つのは後回しにして、先ずは上半身だけでも動かせる様に――」
期待半分、不安半分位の気持ちで、僕は早速作業に取り掛かる。
「フンフフ~ン♪」
いや、やっぱり期待の方が大きいかな? 何だか自然と顔が緩んで、鼻歌まで勝手に出てきてしまう。
「…ねぇネイ」
「な~に~シーネェ~?」
おっと、どうやら普通の受け答えまでおかしく成ってるらしい。少し自重しよう。
「そう言えばアンタ。この子のことハイス君には報告しないで良いの?」
「……」
瞬間――時間が凍った。
「…………ハ…イ…ス…?」
「うん。だってアンタ、確か機兵についてハイス君と色々話してたんでしょ?」
「……」
「さっきは真っ直ぐに家まで帰ってきたって言うし、アンタのことだから先ず真っ先にハイス君に報告するものと思ってたんだけど…」
「……」
「…ネイ? アンタもしかして……」
「……」
カラーーンッ
棚から取り出した工具が手から滑り落ち、木造の床と当たった甲高い音が周囲に響く。
それと同時に――僕の時間も動き始めた。
「……ぁぁあああーーー!!」
「ちょっ!?」
「ぅわぁぁすれてたあああああああーーーーー!!!」
ネイセン・ルーワン、生涯初の大絶叫であった――なんてやってる場合じゃない!!
「まずい! やばい! どうしよう!? 時間は!? ああッ“川下り”!!」
そうだよ! 今日は確か“川下り”の日じゃないか!! うあ何てこった! ハイスの短剣やマッヂスさんの所に行くのはともかく、まさかハイスの事まで忘れちゃうなんて!!
「ま、まってネイ! 少し落ち着いて!」
こんなんじゃ人のこと“記憶喪失”なんて言ってらんないよ! 僕の方がよっぽど記憶を喪失してるじゃないか!!
と、とにかく、一刻も早くハイスにこの事を伝えないと!!
「ハァイスゥーーーーーーーー!!!」
「ネイ!! 待ちなさ――」
バッターーン!!
背中から聞こえて来るシーネェの声になんて耳も貸さず、シーネェが入ってきた時以上の勢いで倉庫から飛び出した僕は、川の方に向かって全速力で走って行った。
いやもうね、あの時は本当に必死だったんだよ。
◆◆◆
バッターーン!!
シールー殿の制止も聞かず。勢い良く扉を開け放ったネイセン殿は、そのまま建物の裏手に向かって走って行ってしまった。
随分と慌てた様子だが、転んで怪我などをしない事を祈ろう……。
それにしても、この建物の扉は余程頑丈に出来ているらしい。
シールー殿の時もそうだが、あれほど激しい開閉をしたというのに、扉の接合部はガタ付いてはいない。随分と腕の良い建築士が建てた物の様だ。
「ああもう、ハイス君たちの出発はお昼前だから、今から行ったってどうせ間に合わないのにぃ」
ネイ殿が出て行った扉を暫く見詰めた後、嘆息しつつ彼女はテーブルの上に広げた昼食の片付けを始める。
「あんな感じで少し落ち着きの無い子だけど、根は正直で良い子だから、これからも宜しくね」
『了解しました』
そう小さく苦笑を浮かべる彼女に、私は短く了解の返事を返した。
テーブルの上の片付けが終ると、シールー殿は先程ネイ殿が床に落とした工具を拾い上げ、それを傍の棚にある箱の中へと戻す。
「よし、これで良いかな」
腰に手を当て、部屋の中を一通り見回す。
「……凄いでしょ。この部屋にある道具とか設計図、全部私たちの父さんやその友達が作ったり集めてきた物なのよ」
彼女の言うように部屋の中には、未だ満足に動く事の出来ない私の見える範囲にも、数多くの工具の存在が見て取れた。
壁の側面、棚の中、机の上、豊富な種類と量の道具が所狭しと並べられ、余程大切にされてきたのであろうその道具達は、そのどれもに手入れが行き届いている。
「ウチの父さんも機兵が好きでね。ここは小さな村でお金なんかも無いから、長い時間を掛けて少しづつ、自分達で作ったり拾ったり貰ってきたり。それこそ、母さんと結婚するずっと前から続けてきたらしいわ」
『でわ今私の乗っているこの躯体も、貴方がたのお父上が?』
「そうよ。凄いでしょ? たった二人で、一からこんな大きな体を作っちゃたんだから」
『お父上とご友人の苦労が偲ばれますな』
「ええ……」
それは、恐らく並みの労力ではなかっただろう。
通常、聖紋機兵には大小様々な部品が使われ、その中には希少価値の高い――入手がかなり困難な材質の物も存在する。
それら全てを個人で揃えるには、ただ時間を掛けるだけでは不可能だ。
資金や時間はもちろんとして、技術や体力、時には運すら味方につけなければ、聖紋機兵一体の躯体を完成させる事など、夢のまた夢である。
「私はそうでもなかったけど、あの子はそんな父さんの影響をもろに受けちゃったのよね。だから暇さえ在れば、ここの道具やその体の掃除ばっかりやってるのよ。本当に、飽きもせずに…ね」
『成る程』
「……ありがとう」
『は…?』
話の途中で、突然シールー殿が私に礼の言葉を陳べてきた。
礼を言われる様な事など、何もしていない筈なのだが……。
「今もそうだけど、さっきイベルの話をしたとき、貴方ネイに聞かなかったでしょう? “イベル”や、ウチの“父さん”の事について……」
『……』
「気に成らなかった…なんて筈、無いわよね?」
先程までのネイ殿の話の最中、どうやらこのお方はその見た目や態度に反し、実の処かなり多くの事柄に気を配っていたらし。
『貴女の仰る通りです。今の話を含め、貴女がたのお父上には素直に興味を惹かれます』
「そりゃそうよね」
目の前の姉弟の親であり、今の私の躯体を創り、これほど多くの工具を揃へ、そして私の主となったネイ殿の生き方に大きな影響を与えた人物――気にするなと言う方が無理である。
『ですがあの時、ネイ殿がお父上の話題を意図的に避けた事にも気が付きました』
「あ、やっぱり分かった? あの子分かりやすいしね」
『ええ』
それについては同意だった。
『必要と在らば、ネイ殿自身の口から語られるでしょう。それまでは――』
「自分からは聞かない?」
『はい』
「…そうね。それが良いかも知れないわね」
現状に置いて、彼のお父上に関しての情報が早急に必要な状況ではない。もし情報が必要に成るのであれば、その時に改めて尋ねれば良いだけの話である。
それまでは、ネイ殿自身が話題に挙げない限り、此方から無理に問う必要は無いだろう。
――この家族に、どの様な事情が在るのかは解らないが……。
「さて、そろそろ私も仕事に戻らないと。ちょっと長いお昼休憩に成っちゃったし」
此処に来た時に持っていたカゴを腕に掛け、シールー殿が扉へと向かう。
「あ、そうそう」
扉のノブに手を掛けた処で動きを止め、最後にもう一度だけ、彼女は私の方に振り向いた。
「貴方とは多分短い付き合いに成るだろうけど、私の事も宜しくね。機兵さん」
『此方こそ、宜しくお願い致します』
「それじゃあね。いってきます」
『お気を付けて』
そうして此方に軽く手を振りながら、彼女は外へと出て行った。
――こうして、今の私は始まった。
記憶を失い。己の過去を失い。今の自分も、今の世界がどの様なものかも分からない私ではあったが、幸いにも、主やその周りにいる人物には、恵まれる事が出来た。
その時は此れから先、そんな己が周りに居る人達に対し、どの様な事が出来るのか皆目見当も付きはしなかったが、それでも――“報いよう”とは思っていたのだ。
本来であれば、目も耳も口も持たない私にそれを与へ。光が満ち、音で溢れ、命が漲るそんな美しいこの世界に、私は戻って来る事が出来たのだから。
……ああそうか、だからなのだろう。
誰も居ないあの闇の中で、私はどうしようもない“孤独”を感じていた。
それは詰まり、もう私の中には残っては居ない“誰か”の存在を、私は既に知っていたからなのだ。
初めの頃から、あの何も無い闇の中にたった一人きりでは、己が孤独である事には気が付かない――いや、恐らくあの闇の中では、“己自身の存在”にすら、気が付く事は不可能だったろう。
だが、私は“己”を知る事が出来た。私は“孤独”を知る事が出来た。だからこそ私は――“外の世界”を知る事が出来たのだ。
故に此れから先、この美しい世界を与えてくれた彼等に対し、私の感謝の念が絶える事は無い。
だが、恐らくそれは“罪”なのだろう。
何故なら私には、そんな外の世界に在る“美しさ”だけではなく、“醜さ”も、“悲しみ”も、“苦しみ”も、そして“絶望”でさえも――
“素晴らしい”と……想えたのだから。
ああ、また当分更新ができない。まぁ仕事の合間にチビチビやろうかね…