冥界の玉座
「オーッホホホホホ…」
無数の砂粒が奏でる狂奏曲に混じって、少女の笑い声が降り注ぐ。
ハロルド・アシュレイは、頭から砂を被りながら、ナイフのように鋭い太陽光の向こうを睨んだ。
埃で曇った眼鏡はちょうどサングラスの様で、視力を奪われずに済んだのだ。
驚いたことに、堅牢なエジプト建築の天井は、真上でダイナマイトを使っても、石材の一部が砕け、多少の間隙が空いただけで、全壊するには到らなかった。
しかし、間隙から流入した大量の砂や激しい震動のせいで、神殿内部の損傷たるや、酷いものだった。美しい神々の像は倒れ、損壊し、壁のレリーフはヒビが入って崩れ落ちている。
それでも崩れにくい建築様式だったればこそ、三人は生き埋めにならずにすんでいた。
何千年ぶりかの外気に晒されたことや、まともに浴びたこともない直射日光を受けたせいなのか、急激な変化に耐えられず、神像や壁画の彩色が、目に見える速度で退色していく。
先程までは確かに神が宿っていた像から、音をたてて神聖さが失われていった。
ハロルドは怒りと共に虚無感に襲われていた。
無惨にも崩れた神像から、杖を拾い上げる。
「ご苦労様、アシュレイ教授。さあ、その杖を私に。」
天井に空いた隙間から、少女の黒いドレスの裾がゆれているのが見えた。
ハロルドは後ろを振り返った。
シャノンは、久々の太陽光線に両目を焼かれ、片腕でアリスンを庇いつつ、もう片腕は眼のうえから外せない。
アリスンは、意識を失って倒れていた。シャノンはアリスンに、大事がないことを、表情でハロルドに伝えた。
シャノンと自分だけなら、なんとかなるだろうが、アリスンがいる。ハロルドは怒りをぐっと飲み込んで、すっと、息を吸い、光の方へ振り返る。
流れ落ちる砂と共に縄ばしごが垂れた。ギリーが身軽におりてくる。その手には銃。その時、上から声が聞こえた。
「教授ーっ!ご無事で…」
「うるさい!黙らせなさいビリー!」
ハロルドから状況は見えなかったが、カールが、捕まって暴行を受けている様子は伺えた。
しばらくして、両腕を縛られたカールがハロルドにも見える場所に引っ張られてきた。眼鏡のつるは歪み、唇から血が滲んで、ぐったりとしている。
そのこめかみに銃口が押し当てられたのがしっかり見えた。
ハロルドは舌打ちすると、じりじりとせまるギリーを睨みつけながら、杖を渡した。
ギリーは銃口をハロルドに向けたまま、杖を持った手で縄ばしごを掴む。大量の砂が落ちると同時に、縄ばしごが上がっていく。
カールから銃口がはなれ、蹴り転がされるのが見えた。小さな女王が高らかに笑う。
「おーっほほほほほっ、素敵な贈り物をありがとう、全ての秘宝は私しのものよ!博士、せめてもの情けに、あなたの大好きな遺跡の中で死なせてあげてよ。シャノンちゃん、あなたもこんなところに来ないで本国でのんびりと伯爵のお仕事をしていれば、死なずに済んだかもしれないのに。不運な事ねぇ。おほほほほほほほ!」
シャノンがこちらにむけられたままの銃口を睨んだ。
「ちょっと悪戯がすぎるぜ、お嬢さん。俺達はともかく、彼女は外に出してやってくれないか。」
空中でギリーが顔を曇らせる。少し銃口が揺れたが、それだけだった。
縄ばしごが完全に回収されると、黒い袖が死刑の執行を命じる。
「ごきげんよう、アシュレイ博士。さようならブルグ卿。最期まで女連れの方が、あなたらしくてよ。」
高笑いの中、ようやく意識を取り戻したアリスンが見たのは、再び闇に閉ざされゆく、崩れかけた遺跡内だった。
穴の空いた天井は、大きな石で塞がれたようで、砂の落下は緩やかに、少なくなっていた。
生き埋めになった三人は、再び眼が慣れるまで、動けずにじっとしていた。
崩れた遺跡の中で、放り出し、割れた懐中電灯の光が砂埃で散らばる。
「大丈夫か?」
心配そうに覗き込む双眸が、散らばる光を集めて奥から輝る。砂埃を浴びて汚れた手で、助け起こされながら、アリスンはハンカチで顔を拭った。
口の中の砂埃を唾とともに出して、唇を拭く。軽くのせたはずの口紅の色は埃と混じって黒くハンカチに着いた。
カールが捕まった事で、助けが来るのはかなり後になるだろう事がわかった。下手をすれば先人と同じくミイラになるかもしれない。杖も奪われてしまった。
そう聞かされても、アリスンは上の空だ。
不思議な感覚。
さっきは本当に死んだものと思ったのだ。生きているのがちょっと不思議に思えるぐらいに。
恐ろしいめにあったのに震えることもなく、心臓も静かだ。
気を失ってこんなに静かな気持ちでいられるなんて。
右肩の付け根がジンとする。
シャノンが咄嗟に掴んで、引き寄せ、庇ってくれた。
そこだけが熱く、生きている気がした。
「?アリスン?怪我したのか?」
「…なんでもないわ。」
アリスンは差し出されたシャノンの手を振り払い、立ち上がった。シャノンの顔を見るのが恐いと思ったのだ。
シャノンは怪訝そうにしたが、さっと立ち上がったアリスンを見て安心すると、ハロルドに歩みよった。
アリスンは振り払った腕が今更震え出すのを、握りしめて隠した。胸に浮かび上がる感情を、認めまいとする彼女の意思がそうさせた。
離れたシャノンを後ろから見ることは出来たが。自分自身の子供の様な反応に恥ずかしくなる。
(ダメよ。もう、あの眼は見たらダメ。私にはやらなきゃいけないことがあるし、とにかく、あいつはダメ。)
自分に言い聞かせる。
それに恐ろしいほど説得力がないことに気がつきながらも、呪文の様に繰り返した。
(あいつだけは、絶対ダメ!)
「ハロルド、大丈夫か?すまんな。カールに怪我させて。」
「あの女は、杖をどうするつもりなんだ。こんな、こんなこと…。絶対許されないぞ!」
「そうだなぁ。俺もまさか、生き埋めにされるなんて思ってなかったぜ。杖を渡せば助けて貰えると…」
「そんなことじゃないだろ!!人類の宝を、ああ、なんてことだ!無傷だったのに!元通り復元できるまで何年かかるか…。直射日光に当てるなんて!信じられない!見てよこれ!色が飛んじゃってる!ああぁぁ。」
ハロルドの歎きは、舞台男優さながらの迫真ぶりだった。
アリスンもシャノンも呆気にとられて、像のカケラをかき集めたり、壁から剥がれた壁画に指を這わせ、胸をうつ様子を見守った。
「カール君、無事だといいんだけど。」
アリスンがハロルドの様子に呆れて言った。シャノンもため息をつく。
「まぁ、大丈夫だろ。ハロルドも冷たいなぁ。部下より遺跡かー。」
不思議なもので、自分よりも混乱し、慌てた人間がいると、自分は冷静になるものだ。
アリスンは持ち前のポジティブさと好奇心を取り戻した。胸の奥にエメラルドの輝きを閉まって。
「あれ?あんな所あったかしら?」
ランタンに明かりを点けようとした時、ライターの炎が強く揺れて、アリスンの眼に壁の穴がうつった。
さっきの騒ぎで、杖を握っていた神像の後ろの壁が崩れ、人一人が屈んで通れる程の穴が空いていたのだ。
シャノンとハロルドが、像の台座を少し動かすとその穴から奥に部屋があるのが見えた。
三人は、生き埋めになっている現状を忘れ、再び遺跡探検を始めることにした。
部屋はかなり広いものだった。ピラミッドと同じ様に巨大な石のブロックで建てられ、一切の装飾、文字などは描かれていなかった。両側の壁にくっつく様に、巨石の柱が立ち並び、その間に一抱えもある大きなツボが安置されている。全部で八個、ツボはあった。
そのツボも一切飾りがなく、素焼きの土器のようなものだった。
唯一、部屋の脇に置かれた小さな石碑だけにビッシリと文字が刻まれていた。所々剥がれ落ち、下部は変色し削られている。
床面中央には三ヵ所長方形の穴が空き、枯れた植物の根か茎の様なものが突き出ていた。
乾燥した苔の様な跡や、固まった土の様子、周囲の石に着いた線から、かつてそこには水が張られていたらしいことがわかる。
ハロルドは神妙な顔で時々首をひねりながら、調べて廻る。
「オシレイオンに似ているなぁ。水があった痕跡もあるし、装飾のない巨石を精密に積まれている。…だけどかなり古そうだ。測定機がないのが残念だなぁ。」
アリスンがカメラを片手に、ハロルドについて廻る。
「装飾がないのってギザのピラミッドと同じね。」
「そこまでの部屋は文字や絵が書いてあったのになぁ。」
シャノンが部屋内全体を照らそうとランタンを掲げる。冷たい石の壁には三人の影が揺れるだけだ。
ハロルドは壁側に納められたツボの蓋を慎重に剥がし始めた。
「うん…。さっきまでの部屋が作られる以前から、この部屋はあったんじゃないかなぁ。年代測定機があれば確かめられたんだけど、壁面の様子も違うし、石の材質も違う。そこの、ジェト王の碑文を解読すれば何か解るかもしれないが…。」
蝋を染み込ませた麻布で封印された蓋が、動く。
「…!これは!」
天井まで伸びる巨石の柱の間にきれいに納められたツボの中には、左手を胸に当てた姿で屈葬されたミイラが入っていた。 中には、美しい副葬品を身につけた遺体。
中を覗き込むシャノン。アリスンは写真に納めながらハロルドに尋ねた。
「ここはお墓なの?」
「うーん。どうだろう。殉葬かなぁ。身なりからして、高い身分の人間らしいけど…。」
懐中電灯を照らしながら、手を伸ばす。シャノンはハロルドの手がミイラに触れるのを見て、この上なく顔を歪めて見せる。よくそんなものを触る気になるな、と顔が言っていた。
黒ずんだ遺体には布は巻かれておらず、長い髪の毛が顔にかかっている。何より酷く歪んだ顔をしていた。苦しみを訴える怨み顔。それがシャノンを拒絶させていた。アリスンも見るなり眉を潜める。
ハロルドはそんなシャノン達を気にも留めず調べ続ける。
「包帯が殆ど巻かれていない、足元は崩れている。内臓も…そのままか…。右手が上だし…。シャノン、お前の好きな女だぜ。」
「冗談きついぜ。紀元前二千年歳のおばあちゃんは守備範囲外だ。」
簡単に調べて、二つ目、三つ目も、封をあけてゆく。
「こっちのは足がない…。足首から先がないぞ。切られたのか……おい、シャノン見てみろ。こっちも足が潰されてる。」
見たかないね、と訴えるシャノンを無理に引っ張り見せて廻る。他のツボの中も最初の一つと同じく怨嗟の声で溢れていた。
「多分、何かの儀式で殺されたんだ。逃げられないように足を切って…。」
三つめまで確認して、ハロルドは石碑を確かめに戻った。
「それじゃあまるで、イケニエみたいじゃないの。」
アリスンが部屋の中を見渡す。広いが、祭壇などはない。
一体何者へのイケニエなのか。
「…ジェト王、封じた…八つの神殿の八人の祭司…、七の七倍、七十の七十倍…、子供…子供達…」
ハロルドは碑文を解読し始めた。
「ふ…む…う…ん。」
しばらく、手帳片手に碑を睨んでいたが、やがて立ち上がると眼を閉じた。腕組みをしたま動かない。そうして、頭のなかを整理しているのだろう。
「この石碑はジェト王が建てたものだ。だがこの建物は彼のものじゃなく、メンフィスの大神官のものだったようだ。その神官はツボの中にいる。他の七人も古代エジプトで栄えていた都市の神官だったもの達で、全員を彼が殺してここに葬ったようだ。」
「どうして?神官て、王様の次に偉い人じゃないの?」
「欠けてる所もあるから言い切れないが、当時、一番偉かったのは神官だった様だ。星を神と崇め、農業を興し、神の化身として王を奉り、星が流れたり、天災が起きると、神の怒りを鎮めるため、また神の魂を救うために王を殺して、新な王を立てた。」
「原始宗教だな。呪術やイケニエで自然を敬う。」
「そうだ。古代エジプトの王はイケニエだったんだ。もっとも、この記述によると、その宿命からジェト王は逃れたかった様だ。…えーと。うん、沢山の星が流れて、恐れた神官たちが、ジェト王の王子をイケニエにしたらしい。ところが、天災は続いた。彼ら神官達は、更に王子や王女を殺して神に捧げたが、効果はなく、神殿の権威が失墜、ジェト王は世継ぎを全て失い、神殿を焼いた。」
「すごい話ね。」
「エジプトはナイル川の氾濫という、自然の力で農業を営み、豊かな生活をしていた。その為に自然神へ、イケニエを捧げていたのに、効果がないわけだから、現人神である王は大変だったろうな。」
「それで、おばあちゃん達は殺されたのか。」
「この神殿は、力ある神官達を畏れて封印され、扉を挟んで奉られていたんだ。おそらくは、さっきの神像の部屋からだろう。この一件で、急速に星信仰は廃れ、以後の時代で太陽信仰が盛んになったんじゃないかな。星の神官がいなくなり、王はイケニエにされなくなった。だけどやがて太陽信仰を司る神官が現れ、再び王権を脅かす様になるんだが…王は太陽神として生き、その健勝さをアピールするために走らなければならない。」
アリスンが眼を輝かせた。
「階段ピラミッドのジェセル王ね!」
ジェセル王は即位の時、治世三十年目、その後も祭をし、民衆の前で柱を建てたり、走ったりして、頑健さを示したと記録が残っている。その後、何代か後には太陽神殿が王の手によって建てられて行くのだ。同時に、星への信仰もすぐには無くならず人間のイケニエこそなくなったが、聖牛アピスなどを王の代わりに捧げられる行為は続いていった。各地に遺るオシリスの墓はこの遺跡を模したものかもしれない。
「…ジェト王の息子はオシリスとなって、その身を十四に裂かれ、神殿の供物になった。オシリスの背骨は、もはやジェト王の手元に置けなかったので、此処に封じたとあるな…。」
「オシリスの背骨?コンスタンシア嬢が持って行った杖のことか?」
シャノンが尋ねるが、ハロルドには届いていない。くしゃくしゃの髪をかきあげて、苦笑する。
ハロルドは立ち上がって、アリスンやシャノン越しに部屋を見渡す。
「…それらしいものはないが…!オシリスは冥界の王…地下か?」
ハロルドは、真っ直ぐアリスンに突進する。ハロルドの眼中にアリスンは無いようだ。
慌てて下がったアリスンが、床の真ん中の窪みに足を捕られて、転げそうになった。靴の先が石に引っ掛かり、その拍子にそれは動いた。
堆積した泥に隠れていた、真四角の石棺の様なものが、かつて水没していただろう場所にある。
三人掛かりでやっとこさ蓋をずらすと、中には四角い木箱、朽ちて割れている蓋を外すと、腐食した金属の箱、その蓋にくっつく様にして続けて二つの蓋がとれた。
蓋の内側は金で出来ているらしく、ずっしりと重い。そして箱の中身はアマ布に包まれ、金を貼られた人間の背骨だった。
頚椎から仙骨まで、熔かした黄金で繋ぎ合わされて原形を留めている。胸椎から横に伸びる肋骨も黄金で、その中心にまるで心臓の様に巨大な四角錐のエメラルドを抱いている。
眼の眩むような宝だが、アリスンは美しいとは思えなかった。確かに人間の骨の形だが、大人の大きさではない。まだ幼い子供の骨の様だ。
リアルなその形から五、六歳ぐらいの子供が浮かぶ。哀れな姿だ。
「こんなものは見たことがない。だが、これが…これこそがオシリスの杖だ。」
やっとのことで声を絞り出した。慎重にハロルドが、取り上げる。そう、赤ん坊を抱き上げる様に。
しっかり造りこまれ、厳重に封印されてはいたが、所々腐食していた。
緩やかなS字を描いて黄金の杖は立ち上がる。碧の心臓を胸に抱いて。
三人は言葉もなく、薄明かりに照らされ、冴えた光を放つそれを見つめた。美しく悲しい、人間の残酷な一面。
その時、穴の向こうから、呼び声が聞こえた。
同時に砂の落ちる音、穴の向こうが明るく照らされている。
ハロルドは、再び慎重に遺体を戻して、蓋を閉めた。それから、穴の方へ声をかける。
「グロリア!日光を入れないでくれ!壁画が傷む!」
穴を抜けた三人が見たのは、ロープに結ばれ降ろされた、眩しいライトの明かりだった。強い風と共に砂埃が舞う。
ヘリの羽の音、エンジン音が響いている。天井の穴は見る間に拡げられ、そのわりに落ちてくる砂は少なかった。やがてロープと梯子が降ろされた。
三人の見上げた、梯子の先、穴の向こうには、星の瞬く夜空があった。
続けて掲載が遅れた事をお詫びします。
携帯の電池がふくらんでしまい、執筆に著しい支障をきたしています。新しいものが届くまでには次話も終わるでしょうが。
次話が、シャノン達の数ある冒険の一つの終話になります。それで全てが明らかになるわけではありませんが、最後までお付き合い下されば幸いです。