伯爵令嬢
「いってーっ!」
ぶつかった相手の男は、みっともなく大声をあげて、自分と同じく砂の上に両足を投げ出しているアリスンに訴えた。
男は薄手の青いシャツと白いパンツをセンス良く身に着けていたが、砂埃のせいか焦げ茶色の髪はボサボサで、上下とも薄汚れていた。
切れ長のグリーンの瞳がアリスンを一瞬とらえる。
わざとらしく膝を叩いて砂を払いのけながら、長身をバネのように使って立ち上がった。
年齢は二つか三つ上ぐらいかしら、とアリスンは考えながら、30cmほど身長差のある年上の青年を見上げて、差し出された手をとるとすぐに謝った、謝るつもりだったのだが、それはできなかった。
なにしろ立ち上がった途端、男はアリスンの腕をしっかりつかむと今までアリスンが歩いて来た道を猛スピードで逆走し始めたのだ。
「ちょっ、ちょっとーっ!あなたっ一体何考えてるのっ?!」
アリスンは目を白黒させて叫んだ。走るスピードについて行けず足が宙を蹴る。
けれど男はそんなアリスンにはおかまいなしに走り続ける。
ついていくのがやっとのアリスンに脳天気な声で喋り出す。
「いやー今日は暑いねー。お嬢さん、俺とお茶しないー?」
「はぁっ?」
「そうだなぁ、夕食はなにがいい?コーシュパスタ?子牛のステーキ?いやいやここはやっぱりケバブかなぁ。二人で美味しく食べさせあったりしたりしてー。」
「なっ?」
「その後はそこのホテルで…」
「ふざけないでよ。手を離してっ!」
アリスンはクルリと身を翻して全身の体重を爪先にかけると男の腕をひねりあげた。
さすがにこの失礼な男も足を止めざるを得なかった。
女性にこんな目にあわされたのは初めてだと、痛そうに腕をさする。
「さあ、納得のいくように説明してもらうわよ。あなた誰?どうしてこんなことするの?」
気が付けば、200mほど向こうにさっきの高級ホテルが見える。
腕時計を確認し、アリスンはため息をついて男を睨んだ。
待ち合わせには遅刻しそうだ。
男は悪びれない様子で、にこやかな笑顔を浮かべて言う。
「それはね、君に一目惚れしたから。投げ技は完全にストライク。」
「それはもういいわ!これ以上私を怒らせても得にはならないわよ。」
アリスンは殊更に軽蔑のまなざしを向け、冷然と言い放つ。
こういう輩の相手をする趣味はない。
男は困ったように顎を動かし、彼らの後方、市街地の方に視線を巡らせる。
遠くに砂煙がまいあがり、車が近付いてくるのがわかった。
男は一瞬、整った眉をひそめるとアリスンに目線を戻す。
睨まれたことに苦笑しながら喋りだした。
「君、ハウタイムズ社の記者だろ?ハロルド・アシュレイ博士の発掘調査の取材にきた…。」
「えっ?…そうだけど。…まさかあなたが?」
アリスンは驚いた。まともな人間のようにしゃべりだしたからだ。
「俺はハロルドの、いや博士の助手のシャノン。ちょっとトラブルがあって、発掘キャンプとの待ち合わせ場所と取材の時間が変更になったから、宿泊先に問合わせたんだけど、連絡がとれなくて、心配した博士の助手が探してたってわけ。」
「ああそうなの。私は…」
アリスンは取材関係者を投げ飛ばしてしまったことで少し動揺しながらも、営業スマイルで名刺をさぐった。
すると、シャノンという助手は埃まみれの前髪をかきあげて、ちょっと焦った表情でアリスンの手を制す。
「アリスン・レイノルズ、血液型はO型、趣味は旅行で、競技射撃の名手。ハウタイムズ社社会部若手記者。長い髪と瞳は明るい栗色で、プロポーションも完璧。とびきりの美人。護身術も使える24歳。どうだい?当たってるだろ?」
「当たってるけど…どこでそんなことを…でもなんだってこんなに走らなきゃならなかったわけ?」
半ば呆れかけながらアリスンはシャノンに尋ねた。
どうやらこの破廉恥男からは簡単に逃げられそうにもない。
少なくともこの仕事が終わるまでは。
「さっきキャンプの場所が変更になったって言ったろ?その原因が…」
シャノンが言い終わらないうちに、激しいブレーキの音とタイヤと砂が擦れる音が鼓膜を叩いた。
濛々と砂煙があがるとともに、黒光りする高級外車が二人の目の前に乱暴に停められた。
二人は砂煙を避けるように腕を顔にあてる。シャノンの舌打ちが聞こえた。
車のドアがバタバタと開き、背の高いやせた男と背の低い肥えた男が、そろいのスーツで現れる。
こちらを威嚇するように大袈裟な身振りで一人が日傘をひろげると、もう一人が後部座席のドアをあける。
「オホホホホ…!」
甲高い少女の笑い声が、辺り一帯に響いた。
黒いレースと絹のドレスにキラキラとスパンコールが揺れている。
明らかに場違いな服装で、長いヒールを砂に埋めながら金髪碧眼の少女が二人の前に現れた。
「おーっほほほほほ!ひさしぶりねぇシャノンちゃん。」
シャノンはその笑い声にウンザリな顔でこたえた。
「お久し振りですねー、お嬢様。それで本日のご用件は?」
「とぼけないでちょうだい。この前の分のお礼も兼ねて、私しの〈オシリスの杖〉の隠し場所。教えていただくわ。」
「〈オシリスの杖〉ですって!?」
アリスンが思わず声をあげた。
アリスンはまさにそれを取材しにきたのだ。
シャノンがさらにウンザリな顔で冷静に指摘する。
「いや、あんたのじゃあないだろう。」
少女は自信たっぷりににんまり笑うと、シャノンの声を無視して高らかに宣言する。
「誉高きカーナボンの血を引く、このコンスタンシア・オルスタインこそは、あの杖に選ばれし主人!世界の秘宝は私しのものなのよ!おーっほほほほほほほほほほっ!さあそこの小娘!〈オシリスの杖〉の在処を教えなさい!」
「こっ小娘って…。在所なんて見つかった宝物は博物館か大学にあるでしょ?だいたい、誉れ高きって、何様のつもり?急に現れて初対面の相手に小娘って失礼でしょ?!あなたのほうがまだ子供じゃないの!!」
「あっ。」
シャノンが慌ててアリスンの口を押さえようとしたが、時、すでに遅し。
アリスンの最後の一言に激昂した、金髪の少女は金切り声を上げた。
「ギリーっ!ビリーっ!その女を黙らせてっ!」
シャノンがアリスンを庇ってギリーのパンチを受け止める。その横から、アリスンを捕まえようと伸びてきたビリーの両手をはたき落とすと、アリスンの手をつかんで走り出した。
「君さ、なんで、わざわざ怒らせるんだよ。めんどくさい。」
いかにも迷惑そうに言うシャノンに、アリスンはカチンときて抗議した。
「なによそれ?!面倒に巻込んだのはそっちでしょっ?」
「あはは、たしかに。でも怒った顔も魅力的だなぁ。ねぇ、アリスンさん。」
「!」
前を走るシャノンが、不意に足を止めてアリスンを自分の身体に引き寄せる。
アリスンは走っていた勢いでシャノンの身体にぶつかった。
驚いて見上げると、エメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐにアリスンを見つめていた。
一瞬、その深い視線に貫かれて言葉を失う。
さっきは気が付かなかったが、髪型を整えてきちんとした格好をすれば、相当の美男らしい。
整った顔立ち、切れ長の眼、ほどよく引き締まった身体…。
アリスンはハッと気が付くと、慌ててシャノンの胸から自分の身体を引き剥がした。
それと同時に、すぐ後ろに激しい砂埃と急ブレーキの音、砂利道の悲鳴がきこえた。
埃まみれのジープがアリスンの背中ギリギリの所に割り込んできたのだ。
その荷台を挟んで向こう側にのけ反るビリーとギリーが見えた。
ジープの運転席から声がとぶ。
「シャノンっ!」
その声が、聞こえたか聞こえないかのタイミングで、シャノンが荷台に飛び乗り、アリスンに腕を伸ばす。
「さぁ!」
驚くほど優雅な所作で、重いリュックを背負ったアリスンは、ほとんど負担を感じずにフワリと荷台に着地した。
「天使のように軽いね、アリスン。このまま抱き締めてもかまわないかい?」
「まだ言ってるの?!」
両手を広げて、アリスンを捕えようとするシャノンの頭に、重いリュックを落とす。
シャノンがなさけない声をあげて荷台に転がった。
それをミラーで確認した運転手が、懐から取り出した何かを投げて、ギアをバックにして急発進させた。
荷台に手を掛けたばかりのギリーは、振りほどかれ後ろにいたビリーにぶつかって眼をまわす。
瞬間、弾ける音。
そのすぐ隣で何かが爆発した。
砂埃を巻き上げて火薬の臭いが辺りに拡がる。
その様を見ていた少女が、地団駄をふんで悔しがり、金切り声をあげた時。
シャノンとアリスンを乗せたジープは、激しいエンジン音とともに砂煙の向こうにかき消えていた。