黄泉
――伊耶那岐はもう一度、伊耶那美に会いたいと、死者の魂の留まる黄泉の世界に向かった。
その御殿の扉を開いて現れた伊耶那美に、伊耶那岐は言った。
「愛しき我が妻よ。私とあなたが作っていた国は、まだまだ作り終わっていない。だから帰ってきなさい」
これに対し、伊耶那美は答える。
「あぁ悔しい、どうしてもっと速く来てくださらなかったのですか。私はもう黄泉の火にかけた物を食べてしまいました。しかし、愛しきあなたが折角来てくださったのです。何とかして帰りたい。ですので、黄泉の神々に相談してみようと思います。ただし、その間私を見ないでいてください」
そう言って伊耶那美は扉の向こうに姿を消し、伊耶那岐はしばらくの間待っていた。
しかし伊耶那美はなかなか戻ってこない。
伊耶那岐は左の御髻に刺していた湯津爪櫛の歯を一本折り、それに火を点して御殿の中を覗き込んでみれば、蛆が大量にわき、ごろごろと音を立てながら頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰部には柝雷、左の手には若雷、右の手には土雷、左の足には鳴雷、右の足には伏雷の併せて八つの雷神を出現させた伊耶那美の姿があった。
伊耶那岐はこれに驚き、慌てて逃げ出した。
「よくも私に辱を掻かせましたね」と伊耶那美は伊耶那岐の後を配下である黄泉醜女に追いかけさせた。
伊耶那岐がこれに対し黒御蘰を投げると野葡萄が生えた。
黄泉醜女らがこれを取って食べている間に伊耶那岐は逃げたが、なお追いかけて来る者に右の御髻に刺していた湯津爪櫛の歯を欠いて投げつけると今度は筍が生えた。
これを抜いて食っている間に、伊耶那岐は逃げ続けた。
伊耶那美はさらに八つの雷神に千五百の黄泉軍を従えさせ伊耶那岐を追わせた。
そこで伊耶那岐は佩いていた十拳の剣を抜いて後ろに振りながら逃げ、なお追われて黄泉平良坂の下まで来たとき、そこに成っていた桃を三つ取り投げつけると、黄泉軍は皆逃げていった。
伊耶那岐はこの桃に「お前が私を助けたように、葦原の中つ国に住む者達が苦しんでいる時にも助けてやってくれ」と言われ意富加牟豆美の命という名前を与えた。
そして最後に伊耶那美が自ら追いかけてきた。
これに対し伊耶那岐は千引の岩で黄泉平良坂を塞ぎ、その岩を挟んで伊耶那美は叫んだ。
「愛しき我が夫よ。こうなればあなたの国の民草を、日に千人縊り殺してやりましょう」
これに伊耶那岐は答える。
「愛しき我が妻よ。ならば私は日に千五百の産屋を立てよう」
これにより人は一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が生まれるようになったという。
伊耶那美は黄泉津大神と成り、伊耶那岐を追ったことから道敷の神とも呼ばれている。
また、その黄泉の坂を塞ぐ岩を道反大神といい、またの名を黄泉戸の大神ともいう。
黄泉津平良坂とは、今の射雲の国の伊賦夜坂である――




