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聖女様、悪役令嬢に転生する

作者: 貧血みかん
掲載日:2026/03/30

主人公は、悪役令嬢ではなく婚約者の王子です。

悪役令嬢カトリーヌは、前世の聖女だった記憶を思い出しますが、特に言う必要がないと思ったので誰にも言いません。

「まいったな………彼女は、またやらかしたのか?」


 私は、執務机に置かれた報告書を指で弾いた。

 カトリーヌが、とある令嬢に茶をかけたらしい。

 目に浮かぶ惨状に、ため息が溢れる。


 その令嬢は先日、気まぐれで手を出した娘だ。

 もう名前すら思い出せない、そういう相手。

 

 面倒だな……と、思わず本音が漏れる。

 彼女は少し狭量すぎるのではないだろうか?

 

 婚約者であるカトリーヌは完璧な令嬢だ。

 美しい容姿、隙のない教養、申し分のない家柄。

 王太子妃としてこれ以上の存在はいない。


 ──ただ一つを除けば。


 私に対する『独占欲』が強すぎるのだ。

 それだけが、どうにも厄介だった。


 私は王である以上、側室は持たせてもらう。

 三人……いや、四人ほどいてもいい。

 愛人だっていても問題ないはずだ。

 王族として、それくらいは普通だろう。


 だが、カトリーヌはそれを許さない。

 他の女に触れれば怒り、関われば排除しようとする。

 今回のように、表立って騒ぎを起こすことすらある。

 正直、面倒だった。


 とはいえ、見た目はかなり好みなのだ。

 あの整った顔立ちも、凛とした佇まいも、完璧に計算された微笑みも。

 すべてが美しく、王妃にふさわしい。


 嫉妬さえしなければ、理想そのもの。

 だから余計に惜しいと思う。

 きっと今日か明日あたり、彼女はここへ来るだろう。

 怒りを滲ませた瞳で、私を責めに来るのだ。


 仕方がないか……と、また一つため息をついた。



 だが、カトリーヌは来なかった。

 翌日も。そのまた翌日も。


 違和感が胸に引っかかる。

 どうして来ないのだ?

 あれほど私に執着している彼女が、何も言ってこないなんてあり得ない。


 気になって側近に様子を見てくるよう命じた。

 そして、報告はすぐに上がってきた。


「カトリーヌ様は、孤児院にいらっしゃいました」


「孤児院?」


 思わず眉をひそめる。

 詳しく話を聞けば、昨日は炊き出しを手伝っていたそうだ。さらにその前は病院を訪れていたという。


「……どういうことだ?」


 カトリーヌは慈善事業に寄付はしていたが、わざわざ自ら足を運ぶことなどなかったはずだ。


 それから数日すぎても、彼女は訪ねて来なかった。

 一体、何を考えているのだ?

 意味の分からない状況に神経が逆撫でされる。

 指先で執務机を叩く音が、やけに大きく聞こえた。


「……こちらから行く」


 そう言って足を向けた孤児院には、今まで見たことのない表情をした彼女がいた。

 子どもたちに囲まれ、柔らかく微笑んでいる。

 その笑顔はどこまでも自然で温かい。

 貴族の矜持を脱ぎ捨てた、無垢で無防備な笑顔。


 妙に胸がざわついた。

 あんな顔を私は知らない。

 いつも見ていたのは、完璧に整えられた令嬢の顔だ。

 焦燥に駆られて声をかけた。


「カトリーヌ!」


「………殿下?」


 振り向いた彼女は、いつもと同じように美しかった。

 だが、どこかが違う。


「君は、その………怒ってないのか?」


 思わず、そう聞いていた。

 これまでの彼女なら、怒りに満ちた目をして問い詰めてきたはずだ。

 浮気なんて許さないと、嫉妬の炎を燃やして。

 しかし、カトリーヌは優しく微笑んでいる。


「殿下のお好きなようになさって下さい」


 穏やかな言葉に、胸がざらりとした。


「それは……どういう意味だ?」


「そのままの意味ですわ」


 静かな声だった。

 責めるでもなく縋るでもなく。

 まるで遠くから聞こえてくるような温度のない声。


「な、なぜ………怒らない?」


 戸惑いを隠せず問い詰めるように聞くと、彼女は少し困った顔をした。


「私は、目が覚めたのです」


「目が覚めた?」


「これまでの私は、嫉妬に囚われておりました。それはとても恥ずべきことです」


 カトリーヌは、まるで懺悔でもしているみたいに粛々と言葉を続けた。


「多くの方に、酷いことをしてしまいました。深く反省しております」


 顔を上げた彼女の瞳は澄んでいた。

 嫉妬も、執着も、独占欲も、全部消えている。


「まるで人が変わったようだな?」


 皮肉っぽく返すと、彼女はまた少し困った顔をした。


 あれから、カトリーヌは本当に変わってしまった。

 誰に対しても優しく、分け隔てなく笑顔を向ける。

 孤児院、教会、病院……人々のために費やす日々。


 私のところには、全く顔を見せなくなった。

 避けられているのとは違う。

 私が声をかければ来るのだ。

 ただそれだけ。それだけのことが、これほど癪に障るとは思わなかった。



 先日、私はカトリーヌに首飾りを贈った。

 昔みたいに、平静を装いながら頬を赤らめる、あの顔が見たかったから。


「君に似合うと思ってな」


 そう言って差し出すと、彼女は首を横に振った。


「お気持ちだけ頂戴いたします」


「なぜ……だ?」


「私のためではなく、国民のためにお使い下さいませ」


 そう言って、彼女はまた穏やかに微笑んだ。

 孤児院で見せていたのと同じ笑顔。


 気付けば、彼女の評判は急上昇していた。

 人々はカトリーヌを讃え、慕い、時には祈るみたいに彼女の名を口にする。


 “カトリーヌ様を見守る会”

 “カトリーヌ様の幸せを願う会”

 そんなものまで、できているらしい。


 以前の彼女はもっと、気高い美しさをまとっていて、近寄りがたい存在だったはずだ。だが今は違う。

 誰もが救いを求めたくなるような……まるで、物語りに出てくる聖女様そのもの。


 私のことを、好きではなかったのか?

 答えは分かっている。

 好きだったのだ。だから嫉妬し、怒り、縋った。


 でも、今は違う。

 彼女の中にあった想いは消えてしまった。

 我儘なカトリーヌはもういない。

 怒ってもいい、泣いてもいいから。

 あの燃えるような瞳で見つめてほしい。


 こんなに誰かを欲したことはなかった。

 苦しくて切ないのに何度も考えてしまう。

 変わる前の君に会いたい。あの頃の君がいい。


 もしかしたらこれは、初恋というものだろうか?

 今さら気づいた自分に反吐が出る。

 好きな人に振り向いてもらえないことが、これほど苦しいなんて知らなかった。

 これは罰なのか? 彼女をぞんざいに扱った罰?

 

 カトリーヌは婚約者だ。いずれ結婚するだろう。

 彼女はきっと従う。

 そして、王太子妃としての義務を果たす。

 世継ぎも産むだろう。


 だが、そこに愛はない。

 熱のない瞳で穏やかに微笑むだけ。


 浮気なんてしなければ良かった。

 軽い気持ちで、火遊びなどするんじゃなかった。

 そうしたら何かが変わっていただろうか?


 今さら何をしても、あの熱は戻らない。

 気付くのが遅すぎたのだ。

 遠ざかっていく背中をただ黙って眺めているだけ。

 どうすることもできない。



 結婚式は盛大に執り行われた。

 国中が祝福ムードに包まれている。

 誰もが「理想の王太子妃様」だと称賛した。

 慈愛に満ち、高潔で美しい。

 民を想い、誰にでも平等に微笑むそのお姿は、まるで天から遣わされた聖女様のようだと。


 その隣に立つ自分もまた称賛された。

 心の中で何度も否定する。違う。全部違うのだ。

 だが誰もそれに気づかない。


 隣に立つカトリーヌは完璧だった。

 式の最中も、誓いの言葉も、口づけでさえも。

 何一つ間違えない。

 だけど彼女の瞳には、喜びも情熱も何もない。

 まるで空っぽの人形。


 初夜。豪奢な寝台で彼女の名を呼ぶ。


「…………カトリーヌ」


 彼女は私の隣に座り、優しく微笑んでいる。

 どこまでも穏やかで他人行儀な笑顔。


 その顔が見えないように、細い肩を抱き寄せた。

 彼女は拒むことなくされるがままだ。

 以前は私に少し触れられるだけで、ひどく恥ずかしがっていたのに。


「……殿下?」


 彼女が、不思議そうに首を傾げた。

 その反応に胸が抉られる。


「なぜ……そんな顔をするのだ?」


「どのような顔でございましょう?」


「私に触れられても、何とも思わないのか?」


 問いは、ほとんど懇願だった。

 カトリーヌは一瞬、考えるような顔をした。


「殿下は、夫でいらっしゃいますから」


 穏やかな声で、そう答えた。

 愛も羞恥も喜びもない。ただの役割。


「私は………そんなものが欲しいのではないっ!」


 強く抱き締めるとその体は簡単に腕の中に収まった。

 腕の中にいるのに遠くに感じる。恐ろしいほどに。


「そんな目で……私を見るな……」


「申し訳ございません。では、どのような目で見ればよろしいのでしょうか?」


 分からない、と言いたげな声音だった。

 私が欲しかったのは君じゃない。

 もっと欲深くて愚かな君に会いたいのだ。


「殿下? ……ちゃんと役目は果たしますので…」


 その一言で、私の中の何かが壊れた気がする。

 

 酒を呷り、丁寧に整えられた夜着に手を伸ばす。

 胸元のリボンを外すと、ハラリと白い胸がこぼれた。

 滑らかで柔らかい肌に指を滑らせる。

 彼女が愛用していた薔薇の香油は、いつのまにか石鹸の香りに変わっていた。


 私のものだと言い聞かせるように、小さな肩に歯を立てる。跡が残るほど強く。強く。

 かつての彼女なら、顔をしかめて睨んだだろう。

 あるいは、愛おしげに私の名を呼んだかもしれない。


 だが、今のカトリーヌは違う。

 ビクリと体を震わせて、不思議そうな顔をするだけ。

 

 まるで、道化にでもなった気分だ。

 味も素っ気もない反応に打ちのめされる。



 窓に朝日が差し込む頃、少しだけ夢を見た。


 まだ幼かった二人の懐かしい記憶。

 王城の庭園には、満開の薔薇が咲いていた。

 カトリーヌは今よりずっとあどけない顔をしていて、それでもすでに美しくて気品があった。


「これを君に」


 そう言って、薔薇を一輪差し出す。

 すると彼女は目を丸くして、少しだけ頬を染めた。


「どうして、私に?」


「ほら、甘い香りがするだろう?………僕は、この香りが好きなんだ。だから君にあげるよ」


 そう言うと、カトリーヌは嬉しそうに笑った。

 風が吹いて薔薇の香りがふわりと広がる。


 ──ああ、この香りだ。


 彼女はあれからずっと、この香りをまとっていた。



 はっと、目が覚める。


 薄暗い寝室。隣にはカトリーヌが眠っている。

 規則正しい寝息。乱れのない横顔。


 そっと、彼女に顔を寄せた。

 かすかに香る匂いを確かめるように。


 ほんのり感じたのは、甘い薔薇ではなかった。

 ただ清潔なだけの……つまらない香り。

 なんて無機質で穢れのない香りなのだろう。

 そこには、甘さも未練もなにも残ってはいない。



 やがて待望の世継ぎが生まれた。

 民は歓喜し、国中に祝祭の空気が流れる。

 カトリーヌは模範のような母となった。

 今日も、曇りのない献身で我が子を愛している。


「………カトリーヌ」


 名を呼ぶと、彼女は振り向いて返事をする。

 穏やかな微笑みを浮かべた聖母のような顔で。

 その瞳が映しているものは、愛しい夫の顔ではなく、民の平穏と国家の安寧。

 

 私はこの国で最も完璧な王太子妃を手に入れた。

 国は栄え、民は笑い、世継ぎは健やかに育っている。

 これ以上の幸福など、この世のどこにもない。


 そうだ。私は幸せな王になる……そうでないと困る。

 君もそう思うだろう? ──私のカトリーヌ。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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博愛主義に目覚めたカトリーヌは、殿下の苦しみに気付くことはありません。国や民を愛するのと同じように、夫のことも等しく愛するのです。


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― 新着の感想 ―
これは、アレですか? カトリーヌの心が嫉妬で疲弊して、前世の方に入れ替わったんですかね?それとも、見切りをつけたのですか? なんか、殿下目線だから色々考えちゃって新しい楽しさでした! 愚かな男が、文句…
王太子も悪役令嬢に負けず劣らず、傲慢な独占欲を抱いていたと言うことなのかな。それが愛情なのかはともかくとしても。 まあ、偉大なる王として責務を全うするが良いよ、王子様。 正しい後悔と、真っ当な愛情…
カトリーヌは前世の記憶がよみがえった方が幸せだったかな?少なくともあのまま結婚したら王子に同じだけの愛は返して貰えなくて消耗して疲れきりそうだから、将来の不幸は避けられたのかも。 王子、自分は瑕疵が…
感想一覧
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