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前編

一、


 「高木洋子です。高校時代は、軟式テニス部に所属していました。何があっても今年で決めたいと思います。よろしくお願いします。」


 「田中紘一です。福井からやってきました。皆さんと一緒に、今年で合格をつかみ取りたいと思います。よろしくお願いします。」


 生徒の一人一人がマイクを渡され、抱負を語った。ここは、都内の某医学部予備校の入学式の会場だ。会場には、軽く五十人を超える生徒たちが席を並べていた。


 「東京校だけで、この人数なのか。」


 後方の列に座っていた僕は、自分の順番が回ってくるのを待ちながら、思わず呟いた。


 「今年は少ない方らしい。」


 不意に隣から聞こえた声に、僕はぎょっとした。僕の独り言に返事が返ってくるとは、これっぽっちも思っていなかったからだ。思わず声の方向に振り向いた僕の視線は、白いシャツに水色のライトアウターを羽織った青年の視線に迎い入れられた。身長は170センチくらいだろうか。やや厚めの眼鏡の奥に光る眼光には、意志の強さと知性の光が宿っていた。青年は僕と目が合うと、


 「おっと、突然声をかけて申し訳ない。俺の名前は幸田忍。今年で二浪目だ。君は、今年が一浪目かい?」


 と声を落として呟いた。マイクは前列を横向きに移動していて、まだしばらく、こちらには回ってきそうになかった。周囲の視線も、自己紹介をしているマイクを渡された生徒に集中していて、後列の僕たちが少し話したところで、誰にも気づかれない雰囲気ではあった。とはいえ、幸田とは初対面であることも相まって、僕はその場で彼と話すことには抵抗があった。予備校のスタッフに初日から目をつけられたくない気持ちも、もちろんあった。


 「話したくないか。ま、この雰囲気なら当然だよな。」


 幸田は再び呟いて、前を向き直した。しばらくすると僕にマイクが回ってきて、僕も他の生徒と似たり寄ったりの、判を押したような自己紹介をした。一通り自己紹介が終わると、講師や予備校のスタッフからの激励のスピーチがしばらくあり、最後に全員に教材が配られて、その日は帰路についた。


 地下鉄の駅に向かって歩いていたときに、先ほど目にした水色のライトアウターの上に紺色のショルダーバッグを右肩に背負った幸田の後ろ姿が見えた。僕は少し迷ったが、結局、走って追いかけて、


 「さっきは質問に答えなくて、すみません。自己紹介を聞いてたでしょうけど、僕は内山と言います。お察しの通り、今年が一浪目です。」


 と声をかけた。後ろから突然話しかけられたことに驚いたのか、幸田は細長い目を見開いてこちらをじっと見据えた。視界に僕の姿を認めると、緊張の色が緩んだようで、


 「ああ、君か。」


 と、口元に笑みを浮かべた。改めて幸田の顔を眺めると、彼は僕とは一つしか離れていないにも関わらず、随分大人びていることに気が付いた。とは言っても、皺が寄っているとか、老けて見えたというわけではない。その相手を射抜くような眼光や、落ち着いた所作に、貫禄が漂っていたとでも言おうか。彼には何か、僕には気やすく近づけないような、内面の深さがあるよう感じたのである。


 少し面食らったような僕の様子など、どこ吹く風で幸田は、


 「内山君も、〇×駅から地下鉄に乗るのかい?」


 と尋ねてきた。話を聞いていると、幸田は、僕が降りる駅の一つ前の駅で降りるようだった。地下鉄の駅までは、あと五分ほど歩かなければならなかった。僕たちは駅に向かって歩きながら、しばらく言葉を交わした。


 「あの、幸田さんは二浪目って仰ってましたよね?去年もこの予備校に通われていたのですか?」


 この問いかけに、幸田は、


 「敬語なんか使わなくていいよ。どうせ一年上なだけなんだし。俺は体育会系でもないしね。」


 と、笑みを浮かべて前置いた上で、


 「ああ、二浪目だけど、去年は医学部予備校ではなくて、普通の大手予備校の、Gに通ってた。あそこにも、医学部進学コースはあるからね。」


 と答えた。そして間髪入れずに、


 「内山君は、どうして医学部を志望しているんだい?僕はというと、ありきたりだけど親も医者なので、他の選択肢は与えられてなくてね。」


 と尋ねてきた。駅に近づいてきて多くなってきた人通りをかわしながら、僕は、


 「幸田さんと同じ。うちも親が医者で。」


 と答えた。そのまま話を続けていくうちに、幸田は国立の地方医大を目指していて、現役のときと一浪目は共通テストの国語で失敗してしまい、あと一歩のところで不合格になってしまったことや、今の予備校のクラスは、僕とは違うこともわかった。地方医大を不合格になったとはいえ、共通テストの点数など話を聞く限りでは、彼の学力は僕よりも随分上らしかった。


 そのまま電車に乗り込んだ後も会話を交わしていた僕たちだったが、幸田は降車駅が近づいてくると、


 「次で降りなきゃならないんだ。」


 と車内の電光掲示板を見ながら言った後で、視線を僕の方には戻さずに、


 「まあこれから一年、お互い頑張ろうな。ここでの一年は、想像以上にハードだろうな。合格できるのか、先の見えないプレッシャーに耐えながら、殺人的な勉強量をこなさなければならないのだから。」


 と意味深なことを言った。そこから僕たちは一言も交わすことはなく、ほどなくして電車は、幸田の降車駅に到着した。幸田が言い残した言葉の不思議な余韻は、家に帰ってからも消えることがなかった。


二、


 この年は、僕が通っていた東京校には五十人くらい生徒がいたのだが、生徒たちは過去の受験歴や入塾テストの結果を参照して、十人くらいのクラスに振り分けられ、別々に授業を受けることになった。僕は、下から二つ目のクラスだった。漏れ聞こえてきた噂によると、例年、下の二つのクラスからはほとんど合格者が出ないということだった。だから、入塾テストの手ごたえからある程度予想はしていたものの、いざ下位のクラスに振り分けられると、少し絶望的な気持ちになった。だが、他に選択肢がなかったので、とにかくやるべきことをやるしかなかった。


 医学部予備校の朝は早かった。八時半に一日が始まった。まずは、英単語や簡単な計算などの小テストがあり、それが終わったら、九時から授業が始まった。九十分の授業が五コマ、昼休みと授業間のトイレ休憩を挟んで、午後五時五十分まで続いた。その後は、授業で出た課題や、小テストのための勉強を、各自で午後九時半の閉館時間まで続けた。こまめに点呼があり、予備校に缶詰め状態だった。


 講師によっては、小テストの他に、授業の確認テストを月に何回か課してくることもあった。しかも、そういった小テストや確認テストには、たいてい合格点が設けられていて、それに満たなければ追加の課題が与えられたり、再テストを受験しなければならなかった。つまり、一度学習の進捗で遅れを取ってしまうと、挽回することがどんどん難しくなるシステムだった。


 ただ、小テストでは時間の縛りもあって、本格的に思考力や読解力を試すような問題は出なかったので、その場の暗記力に優れた者が(少なくとも予備校の中のテストにおいては)有利だったように思う。学校でも中間テストや期末テストの点数は良いのに、実力テストや模試になるとさっぱり成績が振るわない者がいたかと思うが、そういうタイプの生徒が有利な環境だった。予備校の中での小テストや確認テストの点数と、模試の成績との間には、ほとんど相関がなかった。


 幸運なことに、僕は一夜漬けのような暗記力にはそれなりに自信があったので、原理的なことは何もわかっていなかったのだが、予備校の中でのテストではそこそこ得点することができ、先に述べたような負のループに陥らずに済んでいた。


 ちなみに、同じクラスの生徒たちとは毎日顔を合わすことになったので、嫌でも仲良くなった。とくに下村という二浪目の男子とは、一緒につるむような関係になった。悪習であるとはわかりながらも、予備校の帰り道に、二人で缶ジュースを片手に公園で愚痴を言い合ったりすることも多かった。それは、牢獄に閉じ込められたかのような勉強地獄の生活の中の、数少ない気分転換の時間だった。


 下村は周囲の情勢に疎い僕とは違って、講師や他の生徒たちの噂を、よく知っていた。彼がその前の年もこの予備校で過ごしていたことも、大きかったのかもしれない。


 「あのさ、お前、数学の神谷ってどう思う?」


 予備校の授業が始まってから一か月半ほどが経った、五月の終わりごろのある日だった。その日も、僕たちは予備校の近くの公園のベンチに腰掛けてしばらく雑談をしていたのだが、下村は僕に向かって不意に、このように切り出してきた。


 「神谷?まあ、授業がわかりにくいとは言わないけど、課題が多すぎるよな。急にどうした?」


 曖昧な返事をした僕に対して、下村はトレードマークの分厚い眼鏡の位置を直して、以下のように切り返した。


 「あいつ、去年はここにいなかったんだよ。お前は知らないだろうけどな。どこかぎこちないと思わなかったか?」


 「うーん、まあ言われてみればそんな気もするけど・・・」


 「しかも、大手の予備校での実績もなし。なぜかうちの教務に好かれて今年から専任講師になったみたいだけど、素性がよくわからないやつなんだよな。」


 「そうなのか?でも、教えるのが上手ければ、なんでもいいんじゃないか?」


 「わかってないな、お前は!あいつは、うってつけの『生贄』なんだよ。授業がそんなにうまいわけでもないし、実績もない。そういう講師は、俺たち生徒が力を合わせれば、簡単にクビにできるんだ。俺たち生徒の方も、ただ言われたままにしているわけではないんだぜ。予備校との力関係を保ち、他の講師たちに対する見せしめの意味でも、毎年必ず、何人かの講師に対してクレームをつけて、クビにしてやっているんだ。まあ、中には本当にクズみたいな講師もいるんだけどな。」


 捲し立てるように話した下村の目には、邪悪な光が宿っていた。僕は直観的に、悪いことに加担させられようとしているような気がして、ただ黙って話を聞いていた。僕の胸中を知ってか知らずか、僕が黙ったままなのも意に介さずに、下村は話し続けた。


 「実はもう、クラスの女子たちとも話がついているんだ。明日の昼休み、クラス全員で教務にクレームを付けにいく。神谷の指導スキルのなさや、今までに犯してきたミスを、何倍にも膨らまして話すんだ。そして、『クラスの全員が、もうやつにはついていけないと思っている』と言えば、予備校側も動かざるを得ないだろう。な、お前も明日、必ず俺たちと一緒に来いよ。」


 僕個人としては、神谷に対しては好意もなかったが、とくに貶めてやりたいと思うような不満があったわけでもなかったので、この下村からの提案は、まさに青天の霹靂だった。とはいえ、僕も神谷に対して肯定的な感情はなかったので、周囲の流れに反発してまで彼を救おうという気も、毛頭なかった。だから、大して深く考えもせずに、


 「わかったよ。」


 と答えてしまった。それを聞いた下村は表情を綻ばせて、


 「当たり前だよな。俺たち生徒は、ここでは『お客様』なんだ。ぼけっとした接客をしていたら、取り返しのつかないことになるっていうことを、他の講師たちにもよくわからせてやらないとな。」


 と、早口で言った。そして僕が頷いたのを見て、


 「神谷は困るだろうなあ。いきなり無職になるんだから。」


 と言って、堪え切れなくなったように「ははは」と高笑いをした。僕の中でも、最初に感じていた罪悪感もいつの間にかなくなって、気がつけば一緒になって笑っていた。


 次の日の昼休みに、僕たちは計画通り、女子も含めたクラス全員で、神谷に対する苦情を直談判した。予備校のスタッフは渋い表情をしていたが、事態を重く受け止めたようで、数学の講師の変更を検討する、と答えた。


 この「勝利」に、クラス全員が歓喜した。まるで僕たちに、他人の生殺与奪を左右する権力が与えられていることを、再確認できたかのようだった。


三、


 それからも、下村は公園での僕との雑談の時間に、講師についての悪態をつき続けた。まるで、そうすることが彼のストレスのはけ口になっているかのようだった。


 本人の話によると、下村は中高一貫の、校則のきつい男子校に通っていたそうで、中学までは成績が良かったのだが、高校に入ってからさっぱりダメになってしまったということだった。とくに、数学がⅡBの範囲に入ってから、まったく理解できなくなってしまったということだった。


 「俺は、中学、高校、さらに昨年は一年間、この予備校で過ごした。信じられるか?監獄みたいな生活が七年間以上も続いてるんだぜ。もうじき俺は二十歳になるんだが、俺には十代の青春なんてものは、ありはしなかったんだ。おまけにこの苦しみが報われる保証も、どこにもない。時々、何のための人生だったのかと思うぜ。」


 缶ジュースを片手に、下村がこんな風にくだをまいたことがあった。僕はこれを聞いて、


 「下村の講師への不満には、自分をずっと縛り付けてきた両親や学校の教師といった大人たちへの不信や怒りが投影されているのかもしれない。」


 と、はっとした。同時に、確かに彼が言うように、十代の人間形成にかかわる大事な時期を、受験勉強ばかりして過ごすのも、健全なことではないような気もした。現に下村を見ていると、とっくに彼は医学部の合格なんていうものは諦めてしまっていたように見えた。そうやって希望や建設的な目標を持たずに、他人の揚げ足取りばかりをしている人間が健全であるとは、どう考えても思えなかったからだ。


 さて、五月の事件の後は、とくに大きな出来事もなく、同じ毎日を繰り返しているうちに、あっという間に時間が過ぎ去っていった。六月や七月になると模試を受ける機会も増えたのだが、成績はあまり伸びていなかった。毎日の勉強時間を考えると、どうして成績が伸びないのか、不思議だった。とはいえ、夏ごろまでは両親も僕も、割と楽観的だった。学習曲線という話も聞いたことがあったし、単にまだ成果が目に見える形で出てきていないだけ、と思っていたのである。


 ところが、秋になって志望校の私立医大の過去問演習に取り組む段階になって、愕然とした。やはり、まったく問題が解けるようになっていなかったのだ。数学では問題を見てもどの公式を使うのか、解き方の方針がつかない状態だったし、英語の長文も、さっぱり理解できないままだった。当然、模試の成績も上がっていなかった。いや、むしろ、秋ごろになると現役生の成績が上がってくるので、相対的に僕の成績は下がっていたくらいだった。


 この頃になると、下村も気さくに話しかけてくることがなくなり、公園での僕たちの雑談の時間も、自然消滅していった。下村は春先にはあれほど笑顔を見せていたことが嘘のように、休み時間なども参考書を開いて気難しい顔をして黙って席に座っているだけになっていた。僕も、彼の気持ちは痛いほどよく理解できた。楽観的なムードは完全に消え去り、「不合格」の悪夢が日増しに現実味を帯びていった。不眠気味になることも増え、そうなると勉強に集中することがますます困難になっていったし、不安な気持ちも増大するばかりだった。とても、他人と談笑するような気分ではなかったのである。


 「あれだけ毎日勉強してきたのに、どうして問題を解けないんだ?」


 授業中は辛うじて平静を保っていたが、自習の時間に一人になると、頭を抱え込んでじっとしている時間が増えていった。自習室を横目で見渡すと、そういう状態に陥っていたのは、どうやら僕だけではなかったようだった。赤本(大学の過去問題集)を開いたまま、すすり泣いている者すらもいた。この頃の自習室には、まるで、この世の終わりのような雰囲気が漂いはじめていたのである。


 なんでこんなことをやり続けなければならないのか、そんなことを考える余裕すらなかった。僕は、医学部受験という戦場に、知識という弾薬を十分持たないまま、戦死することがわかりきった状態で、赴かねばならなかった。その事実がただひたすらに、恐ろしかったのである。


 さて、僕は私大志望だったから共通テストは受験しなかったのだが、共通テストが終わった頃に、予備校の帰りに幸田と地下鉄の駅で出会ったことがあった。彼と話をするのも、久しぶりだった。幸田は相変わらず芯の強さを感じさせる目を光らせながら、


 「今年の共通テストは、成功だった。国語でもまずまずの点数を取ることができてね。志望校合格に、どうにか一歩、近づけた。君は結局、どこを受験するんだい?」


 と問いかけてきた。僕はただその質問に答えて、それ以上のことは何も言わなかった。


 幸田がその後、志望校に合格できたのか否かは、今でもわからない。だがその時の僕には、目標に向かって前向きに努力し、着実に歩みを進めていたらしい彼の姿が、ただ眩しく感じて、その時の自分の有様に対して、後ろめたさを感じざるをえなかった。


四、


 一浪目の受験は案の定、全滅だった。得点開示をしてみて後にわかったのだが、どの大学も、箸にも棒にもかからないような点数で落ちていた。


 受験が本格化していった冬の時点からそうだったのだが、両親は怒り心頭に達していた。具体的に何への怒りかというと、僕の不甲斐なさに対する怒りと、大金を払わせておいて何も成果を出せなかった予備校への怒りだった。医学部予備校に一年通うだけで、何百万もの学費が必要になのである。


 「この出来損ない!お前なんか、うちの子じゃない!出ていけ!」


 「予備校で一日中何をしていたんだ?勉強が足りなかったんじゃないか?」


 僕はこの年、六校を複数日程で受験したのだが、不合格が判明するたびに、僕は両親からのきつい罵倒に耐えなければならなかった。僕の父親は麻酔科医で、母親は主婦だった。父親は勉強が得意だったらしく、地方国立医大の出身で、だからこそ勉強しても成績が上がらないことを、信じられないようだった。母親は短大卒で、受験勉強をあまりやったことがなかったようだったが、知り合いの子供たちがあっさりと難関大学に進学できた話を多く耳にしていたようだったから、自分の息子がこの有様では、ママ友の会話に入っていけないことを、かなりフラストレーションに感じていたようだった。


 「お前はうちの家族の恥だ!」


 母親からは、決まってこんなことを言われたものだった。


 すべての受験日程が終了した後、僕たちは家族会議を開いた。重苦しい雰囲気の中、最初に口を開いたのは、父親だった。


 「ひどい有様だな。もう医者になるのは、諦めたらどうだ?真面目にやるつもりもないんだろう?」


 僕も本音では、こんなことからはさっさと降りたかった。しかし、今までの人生、勉強ばかりさせられてきて、これで目標である医学部受験を本当に諦めてしまったら、何のスキルも実績もなく、高校卒業後の一年を棒に振った状態で、社会に放り出されることになってしまう。そのことを考えただけでも、鳥肌が立つ思いだった。


 「本当にすみません。来年こそは結果を出しますから…。どうかもう一年だけ、チャンスをもらえないでしょうか?」


 僕は俯いたままで、震える身体を必死で抑えつけながら、声を絞り出した。気が付けば、頬を涙が伝っていた。口の中に、塩辛い味覚が広がっていった。


 「あんた、そんな簡単に言うけどねえ、今年一年でどれだけのお金を使ったか、わかってる?私たちも、行きたい旅行も我慢して、あんたのために質素な暮らしでやり繰りしてきたのよ。それを簡単に、今年ダメだったから、もう一年って…。そんな都合のいい話があると思う?」


 俯いたままの僕に、母親が鋭い横槍を入れてきた。僕は、恐怖と緊張で頭が真っ白だった。何も言葉を発することのできない僕を見て、母親は業を煮やした様子で、


 「佐藤さんの息子さんは一浪したらすぐに成績が上がって、⚪︎⚪︎大学に合格できたのよ。なんであんたは自覚が足りないの?ここで試験に受かるかどうかで、後の人生が変わってくるのよ。」


 と、言葉を続けた。母親はどうも本気で、僕に自覚が足りないから、すなわち僕の気持ちの問題で、こんなことになってしまっていると思い込んでいたようだった。一旦口を閉ざしていた父親だったが、そこまで聞いて、母親に向かって、


 「お前の管理不足もあるんじゃないか?子育ては、お前の責任だろう。俺は毎日、仕事で忙しいんだ。子供の勉強にまで気を配っている余裕なんか、ありゃしないよ。」


 と、吐き捨てるように言った。この不意打ちに対して、母親は父親の方にすごい勢いで振り向いてから、


 「何言ってるのよ!あなたがそういう態度だから、こんなことになってるんじゃないの!あなたはいつもそうよ、『俺が金を稼いでいるから、お前たちもぬくぬくと暮らしてられるんだ』って。あなたが子供に対して無関心だから、子供にも自覚が生まれないのよ!」


 と、すごい剣幕で噛み付いた。父親も一瞬、ムキになりかけたが、すぐに平静を取り戻して、


 「すまない、今のは失言だった。取り消すよ。まあ落ち着け、今は、この子がこれからどうするかの話だろう?」


 と、自分に向きかけた矛先を僕に向け直した上で、


 「で、どうするんだ?本当に今年は頑張れるのか?」


 と、問いかけた。僕は、両親をこれ以上刺激しないように最小限の言葉を選んで、


 「今年は本当に申し訳なく思ってるけど、もう一年だけ頑張らせてください。」


 と答えた。両親はしばらくお互いの目を見つめ合っていたが、母親が深く頷いたのを合図に、父親が、


 「わかった。だが、もうそれ以上はないと思え。もし来年の今頃も泣きついてきても、その時はもう、面倒を見ない。うちを出て行ってもらう。」


 と、静かに言った。


 「うちを出て行ってもらう?」


 本気で言っているのだろうか?出て行って、どこに行けというのだろうか?様々な疑問が脳裏を目まぐるしくかけ巡ったが、これ以上、余計なことを言って風向きを変えてしまうのが怖かったので、僕はただ黙って頷いた。

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