出生の秘密 タージェルンside
「温かい紅茶はいかがですか? タージェルンさま。もうすぐクッキーも焼けますから」
栗色の髪をした女が穏やかな表情で言った。
「ありがとう、いただこうかな、アミラ」
キッチンには、美味しそうなクッキーが焼ける匂いが漂っていた。
アミラは紅茶を入れて、タージェルンの前に置いた。
「今日はクルミと蜂蜜のクッキーですよ」
そう言いながら、アミラは焼き立てのクッキーを木の皿に取り出して、それもテーブルに置いた。
「どうぞ、召し上がってくださいな」
タージェルンはクッキーを一つ取って頬張る。
「うん、うまい」
アミラは嬉しそうに彼を見つめていた。
タージェルンは、最近アミラの家に足を向ける回数が増えている。
初めは、ウタハの状況を説明しに来ただけだったのだが、毎回のアミラのもてなしに、つい居心地がよくなって、何かと口実をつけて訪れる自分が不思議だった。
彼女の方も、彼が姿を見せるのを最近は心待ちにしているふうにも見えた。
しかし、これ以上、二人の間の進展はないと彼は思っていた。いつか、自分は故郷へ帰らねばならないのだ。
タージェルンは、四十過ぎるこの歳まで独身を通してきた。
多少の恋愛めいたことがなかったとは言えないが、真面目な彼は、アイジェルの教育係を引き受けてからは、いっそう魔法と教育一筋だった。しかも、できるだけ人と深い関係になるのを避けていたのだ。
というのも、彼には誰にも言えないことがあったのである。
彼が古の魔法師の弟子だというのは嘘ではない。だが師匠は、自称の古の魔法師で、実は魔女と呼ばれている女性だ。
彼女が古の魔法師と名乗ることを、古の魔法師長をはじめ、国王も魔法士長も黙認している。そのわけを彼は知っていた。魔女は預言を利用して国王と取引をしたのだ。
預言の争いが起きるとき、自分たちがこの国を守り、国王の地位も守る、その代わり遠い星から戦士を呼び寄せることに協力しろと。そのとき古の魔法師と名乗ることも正式ではないが許された。
いつしか彼女の実力は恐るべきもので、その技を見たものはひれ伏すほどだ、という噂が人々の間にたっていた。事実、魔女は先進的な魔法や科学を駆使して、王や、権威ある古の魔法師たちの信任を得ていたのだった。
実は、タージェルン自身も『星の記憶』を持つ者であった。
そのことは、師匠の魔女以外、誰も知らない。彼も口外しなかった。魔女との契約である。
自分と同じような者たちが何人もいるらしいのは、薄々気づいている。だが、どこの誰だということは、あえて詮索しなかった。必要な時、会う者が、そうなのだろうと思ってはいたが。
「――ウタハが、王城に滞在することになった」
タージェルンは、アミラにウタハの最新情報を伝えた。しかしまだ婚約の話には触れなかった。確定してからでよい。そう思っていた。今はまだ噂の段階だ。
「まあ、そうでしたか。そんな立派なところへ・・・でも・・・あの子が元気で無事にいてくれさえすれば、どこでもあたしはいいのです。それに、こうしてあの子の話をタージェルンさまがしてくださる、それだけで、ありがたいと思っていますから」
タージェルンはうなずいた。アミラの、こういう素朴で欲のないところが、そばにいても気疲れせず、居心地がいいのかもしれないと、彼は思う。
しばらく世間話をしてから、彼は立ち上がった。
「さて、そろそろ失礼するよ。アイジェルにも話しておきたいからね」
彼がお茶とクッキーの礼を言い、出ようとするとアミラはクッキーを布に包んでタージェルンに渡した。
「たくさん、作り過ぎてしまいました。よかったら後で食べてください」
彼は微笑んで受け取った。
アミラはほっとした顔で、「もらってくださって、よかった」と言って笑った。
タージェルンは、胸が温まるのを感じながら、彼女の家を後にした。
少し歩いて、人影のないところで移動魔法を使い、村長の屋敷の自室に戻った。
まだ夕食には早い時間だった。中庭からは、アイジェルが魔法剣の訓練をしている声が聞えた。アイジェルは、村に戻ってからは、ほぼ以前の体調に戻っている。
彼にウタハのことを話すのは、夕食後にしよう。
タージェルンは、甥の掛け声を聞きながら、彼がこの星の、この地に生まれることになったいきさつを思い出していた。
十八年前、魔女――向こうでは赤の魔女と呼ばれていた――からは、四人の新たな母親になる受胎主を選別してあると告げられた。
降りてくるものと彼女たちの周波数が合うかどうか、精査するのは自分の仕事だった。
そのうちの二人は問題がなかったので、すぐ実行された。しかし後の二人は周波数が微妙にマッチしなかった。それで新たな母親になる女性を探さねばならなかった。見つかったのはその一年後だった。
一人は、隣国アスヌルファン王国の宰相の娘で腹心の部下に嫁いだばかりだった。たまたまか、どうかはわからない。用意周到な魔女の策略かもしれなかったが、彼女は新婚旅行で友好国のエル・フォラードへ来ていたのだ。
彼女たちは十日ほど後に自分の国へ帰って行った。
そしてもう一人が、この世界の私の妹であった。あの頃、妹はこのトイサの村長と婚姻を済ませたばかりだったから、それも仕方ないものと割り切って受け入れたのだった。
だが、妹にはその真実は知らせていない。話しても理解できないだろう。神のお告げの形が一番うまくいく。
夢枕に立った魔女は、妹に『生まれてくる子は国の英雄の一人になるだろう、名をアイジェルとつけなさい』と言ったのだった。そして兄を教育係にするようにと。
それで、私は甥の教育を任されることになった。
魔女は、母親になる女性たちを、非常に巧妙に説き伏せていた。妹のように神のお告げや、迷信を利用して。生まれた子にはそれぞれ、決めた名前を付けることも。
だから、アイジェルも、マロウズも、エランも、向こうと同じ名前だ。だが、ウタハだけはちょっと違った。
ウタハ――そのときはまだ、その名ではなかった――が、生まれて一歳にも満たない時に、隣国で政変が起きた。宰相一族は失脚、そのどさくさに赤子は誘拐されたと聞いた。
かろうじて助け出すことに成功した古の魔法師の一人が、魔物の襲撃で命を落とした。それを見つけた魔女は、赤子をトイサの村長に頼んだのだった。
タージェルンは、ベッドの端に腰を下ろして、当時を感慨深く思い起こしていた。そのとき、ふいに目の前の空気が揺らいだ。はっと目を向けると、空気が細かく波打って、そこに赤い長着を着た魔女が姿を現した。通話のできる遠隔のホログラム投影だった。
「――事態が動いたわ。北のトォーザ王国で『コズミンドラ』の連中が、北端の一部地域を占領したの。まだ事態がよくわかっていない国王は、救援の要請をしてこないけど、その勢いは間もなくトォーザ国の王都に迫るでしょう。あなたの方の準備はできていて?」
「はい、ボス。あの、我が国王には?」
「すでに伝えてあるわ。もう、この国の魔法シールドは完璧ですよ。わかってるわね、アイジェルを頼んだわよ」
「お任せを」
タージェルンは、上位の者に対する礼をする。
赤の魔女の姿は、空気の揺らぎとともに消えた。
しかし・・・とタージェルンは眉を寄せる。
北の国で、異常事態が起きているというのは聞いていたが、すでに占領までされたとは。
コズミンドラ――古き民たち――は、この世界の王国では見かけない空飛ぶ乗り物で攻めてきて、抵抗するものを容赦なく焼き殺す。逃げ惑う人々が、他国を目指すのは時間の問題だろう。
だがこれは、予定の起こるべきして起きる出来事だった。
それを利用して、赤の魔女は自分の仮説を実証しようとしているのだ。
私は、彼女の実験を成功させるために来た。ミッション達成のためには全力を尽くすまで。彼女の助手をしていた研究者の一人である自分が、成すべき当然のことなのだと自負している。
あれから、はや十八年。実験の日は近づいている。何度も、途中でやり直しがあったが、やっとここまで来たのだ。
タージェルンは、身の引きしまるのを覚えた。




