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フォラードの光  ― 星の記憶者 ―  作者: あけの星
第一章

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鏡沼の王

 

 ふわふわと揺れた気がしてウタハは目を覚ました。

 

 ずいぶん長く寝た――そんな感覚があった。

 周りを見ると、なんだか分厚い水の壁が丸く自分を取り囲んでいる。

 それが水泡だと気づいたのは、体を起こしたときだった。これはどうやら丸い水泡のベッドらしかった。薄暗い部屋に浮かんでいる。


 なぜこんなところに? 額を押さえた。たしか小舟に乗っていた・・・そこまでの記憶はあるものの、それ以上は思い出せなかった。


 ウタハは周囲の壁を押してみる。軟らかくはあるが、頑丈でとても壊れそうにはなかった。だがそれより伸ばした自分の腕を見て愕然とした。チュニックを着ていたはずなのに、今は黄緑色の体にぴったりと貼りつく奇妙な衣服を身につけているのだ。

 いったい何があったの・・・?

 

とりあえず、ここから逃げなくては。その思いに急かされて立ち上がり、ふらふらしながら水泡のベッドからの出口を探した。

 つと頭上の壁を押したとき、壁の蓋が開いた。もやもやとした空気が流れ込んできたが、ウタハはかまわず飛び上がって開いた穴にすがりつき、よじ登った。


 軟らかではあるが、しっかりした水泡の外壁に沿って、そっと滑り降りる。足が石状の床についたとたん、少し跳ね上がって宙で止まった。そこが安定しているとわかったので、恐る恐る歩き出した。まるで水中を歩いている感覚だ。


 部屋は円形だった。しかし出口らしきものは見えなかった。どまどっていると、薄暗い壁の一ヶ所が音もなく開いた。

 そこから、ウタハと同じような黄緑色の衣服を着た女が、焦点の合わぬ瞳のままウタハに手招きした。

 

 ウタハは一瞬ためらったが、女についていくことにした。

 重い水を引きずる感覚で足を運ぶ。

 女は魂の抜けた顔でついてくるよう合図すると、どんどん先へ進んだ。


 細長いトンネルの通路だった。天井に丸い明り取りがついていた。外からの光かどうかはわからないが、先ほどまでいた部屋よりはいくらか明るかった。

 やがて通路の行き止まりで女は立ち止まり、軽く手を壁にかざした。するとまた音もなく壁が開き、ウタハは中に押し込まれた。女は入ってこなかった。

 振り返ると壁は閉まっていた。

 こわごわ前方を見ると、奥には壁一面の白い明り窓があり、その手前に上半分のない半円形の水泡――それは先ほどのベッドより何倍も大きかった――が浮かんでいた。中には細かな泡が敷き詰められていた。その上に何人かの人らしき姿があった。

 

 真ん中に座っていた銀白の長いケープをまとった者が合図をすると、そばに控えていた少女がウタハのもとへ近づいた。ウタハの手をとって半円形の水泡まで連れてゆく。少女は少し淡い緑色のぴったり体に貼りつく衣服を着ている。先ほどの女と同じく、きれいな顔は魂が抜けたようで生気が感じられなかった。


 銀白のケープをまとった者は、その下に黄緑色の衣服を着けていた。

 よく見ると人の顔と体をしているが、魚の鰭にも見える大きなギザギザの耳を持ち、皮膚は青かった。   

 その者のそばには、先ほどの少女の他に二人の少女が座っていた。美少女ばかりだが、みんな目がうつろで、生きているのかどうかも定かでなかった

 ウタハが驚いた顔でみつめていると、白いケープの者が声をかけた。


「待っていたぞ、こんどこそ本物だな」

 その声は、ハフハフと横から空気が漏れている男の声だった。

「そなたを探していたのだ、ずっと、ずっとな」

 そう言って空気をもらしながらクフクフッと笑った。

「なぜ、わたしを探していたの? あなたは何者なの?」

 ウタハは恐れずたずねた。


「われは、鏡沼の王ゾエゲス。長い時の谷を渡る者のひとり。そなたのことは、占い師どもから聞いておった。しかしイヲの森から先は結界が強く、今日まで見つけられなかったのじゃ。だが、偶然にもそれが叶った」

 ゾエゲスは黒いぶよぶよした水泡を思わせる目を、ぐるりと回してウタハをじっと見た。その目は、どこか狡猾さが滲んでいる。


「探していたのは、そなたに頼みがあったからじゃ。そなたがいれば、わが領域をさらに強力にできる。わがそばで協力してはくれまいか。望みの褒美はとらせる」

「もし嫌だと言ったら?」

「そのときは、こうだ」

 王は、かたわらにはべらせていた一人の少女を引き寄せ、首と肩の付け根を鋭い歯で噛んだ。そのまま数秒じっとしていた、いや吸っていたのだ。少女の生気を。と、彼の口が離れると同時に少女がくずれおちる。受け止めながら言った。

「死んではいない。時間がたてば回復する。われにとっては、これは美味し酒。吸われたものは、われの言いなりになるのじゃ。自分の意志で協力するのと、どちらを選ぶ?」

 王の目は邪悪な光を宿していた。

 ウタハは冷気が背筋を這い上ってくるのを感じた。震える体を両腕でおさえる。気分が悪かった。しかし、それでも協力するとは言えなかった。

 うつむいたまま、黙っていた。

「まあ、よかろう、一晩猶予をあげよう。明日の夜には返事を聞かせてくれ」

 ゾエゲスは指を鳴らした。

 壁が音もなく開き、褐色の服を着た衛兵らしき青い肌の男が二人現れた。

「連れていけ」

  ウタハは有無を言わさず王の部屋から連れ出された。


 連れていかれたのは、王が座っていたのより少し小さい水泡の椅子のある部屋だった。

 椅子というより、むしろソファと言ったほうが合っているかもしれない。

 ウタハが横になれるくらいの広さはある。

 上半分のない水泡のソファには、やはり小さな泡が敷き詰められていた。

  

 部屋の奥には、ここも明り取りの窓があるが、水槽になっていて沼の魚とおぼしきものが、数匹泳いでいる。もしかすると客間なのかもしれなかった。天井には小さな白い明りがついていた。


 ウタハは水泡のソファに腰を下ろし、大きくため息をついた。

 いったい何が起きているのだろう、頭が混乱している。鏡の沼の王って・・・

 それに、協力しろなんて、わたしに何ができるというんだろう? たしかに、少しほかの人たちとは違うところはあっても、大したことができるわけでもないのに。ときどき草や木の声、水や風の声が聞こえることはあるけれど、いつもではない。


 それにしても、あんなふうに生気を抜かれるなんて嫌だ。あ、もしかして・・・あの少女たちは・・・わたしと間違えてさらわれてきたのでは。はっと気づいて、ウタハは青ざめた。

 王はずっとわたしを探してたと言った。だとしたら可能性はある。

 ああ、どうしたらいいんだろう、あの子たちを助けて、わたしも助かる方法ってないかしら・・・


 悶々としているうちに、ぼんやりとアイジェルのことを思い出した。ポポの言う通り、ついてきてもらっていれば・・・きっと舟に乗るのを止めてくれたはずだ。なんとなく確信があった。アイジェルの茶色がかった緑の瞳が浮かぶ。熱のこもった瞳が自分を見つめていた日があったのを、遠い記憶から呼び起こした。


 そうだ、あのとき――泉の呼び声に負けそうになった――気がついたらアイジェルの腕の中にいて――彼の瞳が熱いくらいだった。その熱がうつったみたいで、わたしの頭も体も熱くなった。びっくりしたわたしは彼の腕から逃げ出そうとした。

 そうしたら、彼はわたしの手をとって何か言った。熱いことに気を取られていたわたしは、何を言われたのかわからなかったけど、いいよって、うなずいた気がする。

アイジェルは何を言ったんだろう。まあ、小さい頃のことだから、忘れてるよね・・・


 ウタハは、またため息をつく。

 なんとかここから逃げ出したい。どこかに逃げ道はないかしら。

 立ち上がって円形の部屋の中をぐるりと歩く。出口はないかと壁を触りながら見てまわった。連れてこられた入口はどこだったか、扉の輪郭すら見えないのだ。


 奥の水槽のそばまで行って中を覗き込んだ。ウタハの肩から指先ほどの幅の水槽だった。底には沼の泥土が敷き詰められ、魚が四、五匹泳いでいる。その上から明かりが差し込んで、水槽を明るくしていた。

 ウタハは額を水槽にぴたりとつけて上を見上げた。それは、かなり高い位置に水槽分の大きさの天窓があり、空が見えている――ここから見る限りは、そう見えた。本物の空かどうかはわからなかったが。


 少しでも光があれば、なにかできるかもしれない。助けを呼べるかもしれない。

 そういう思いが湧いてきた。

 これまで試したことはなかった。自分から自然なるものに働きかけたことはなかったのだ。いつも受動的で、届くもの、聞こえるものを受け取るだけだった。

 ウタハは頭を水槽の壁につけて、両手のひらを胸の前で向き合わせ、光が降りてきてくれるよう心の中で語りかけた。

 何度か語りかけているうちに、ふわっと意識が飛んだ気がした。同時に二つのキラキラした光の塊がウタハの頭の上に降りてきた。銀色の髪が虹色に変わる。

「お願い、助けを呼んで」

 切羽詰まった思いをぶつけると、二つの光の塊は光の粉になって水槽の上を昇って行った。わずかだが希望を抱いた。どこまで自分の力が効果を現すのか、まだ自信がなかったけれど、信じて待つことにした。



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