山の賢者⑶
王城に到着したのは昼前だった。
馬車が到着するのを、すでにエランの弟子が待っていた。非公式の招待なので、脇門から、そのまま二人は弟子に案内されてエランの居室へ向かう。やはり夏光祭の翌日だからだろうか、侍従や侍女の姿は少なかった。
二人が居室に入って行くと、エランは奥の椅子に腰を下ろしていたが、ゆっくり立ち上がって、微笑んだ。一瞬、白い光がぱっと放たれたかに見えた。
ウタハはまばたきして彼を見なおしたが、白い光はもう見えなかった。見間違いだったのだろうか?
エランは、青みがかった深い緑の光のある目でウタハを見ていた。柔らかに波打つ金髪が、いくらか少年らしさをとどめた顔を縁取っていた。
ウタハは昨日から続くひそやかな熱が、また高まった気がした。
「よく来たね、待っていたよ。そこにかけて」
二人が、部屋にしつらえられた応接用の椅子に腰を下ろすと、弟子がお茶を運んできた。
「まあ、一杯、お茶でも飲んでからにしよう。食事をする暇はないから、途中で食べられるものを用意してある」
「おお、さすがエランだ」
「当然だ。もう大丈夫なのか? マロは」
「ああ、もうすっかり回復した。安心してくれ」
エランとマロウズが軽口をたたき合っている間、ウタハは温かいハーブティを味わっていた。ほんのりバラの香りがする。
そっと部屋の中を見まわすと、高い位置にある東側の小さな窓からは昼の光が射しこんでいた。だがそれだけでは部屋の明かりには足りないらしく、天井には魔法の火を灯した蠟燭のシャンデリアが吊られている。
窓の下の壁側には暖炉があり、周囲の壁には不思議な文様のタペストリーが掛けられていた。
「さて、そろそろ出かけようか? まず、クム村まで移動魔法で行って、そこからは馬だ」
エランが立ち上がった。
「馬は用意してあるのか?」
「もちろん、弟子を先に遣ってある。あ、ちょっと待ってくれ」
マロウズに返事をしながら、エランは奥の部屋へ向かった。
まもなく薄地の白いストールを持って戻ってきた。
「イスゾール山の辺りは、夏でも少し冷えるからね、これを巻いていくといい」
エランはウタハにストールを渡した。
少年二人はフード付きの長着だが、ウタハのチュニックは半袖で、平地では良いが山では少し寒いのだろう。ありがたく借りることにした。
「さあ、出発っ」
マロウズがそう言って姿を消した。
ウタハがもたつく手で、ストールを肩に巻こうとするのを見たエランは、「かしてごらん」そう言ってストールを取り上げ、さっと彼女の頭に被せてから首に巻きつけた。そして、そのままウタハを抱きしめて、移動魔法の呪文を唱えた。
ウタハが声を上げる暇もなく、大気の渦に包まれる。クム村までは、かなり距離があるせいか昨日より長く感じられた。エランの腕の中で、彼の胸の速い鼓動を聞きながら、自分の鼓動も高まるのを感じた。
目的の村に着いたときには、言葉に言い表せない自分の気持ちにとまどって、ぼう然としていた。
先に着いていたマロウズは、弟子の用意した栗毛の馬を撫でている。
「歩けるかい?」
かすかに身体が震えているウタハを気づかってエランは彼女を見た。
ウタハは、かろうじてうなずく。(なんだろう、この気持ちは・・・)今までこんな奇妙な心地になったことはなかったのだ。エランから流れ込んでくる熱に自分も呼応している・・・
エランはふらつくウタハを支えながら、弟子が引いてきたもう一頭の栗毛のそばへ歩み寄った。そっと馬に古の言葉で語りかける。そして保護魔法と速足の魔法をかけてから、ウタハを腕に抱いたまま馬の背にふわりと飛び乗った。馬は動じもせず二人を乗せた。
マロウズを先頭に三人は進む。賢者の住む小屋までの道は平坦ではなかった。
ごつごつした岩肌の道には丈の低い草やササが生えていた。それらの間に続く獣道をたどって、足を取られぬよう注意深く進んで行く。
ウタハは、エランのしなやかなのに鍛えられた手綱を持つ腕と温かな胸の間で、不思議な感覚にとらわれていた。いつか、どこかでこんなことがあった・・・これまで生きてきた十六年の人生の中ではない、どこか、はるか遠くで・・・
そう思ったとき、断片的な映像が目の前をよぎった。
砂埃の舞い上がる道を進む人々。走り抜ける何か。その中に白いスカーフで顔を覆った娘が、誰かの腕の中にいた。彼女は振りかえって腕の主を見上げ微笑んだ――一瞬の映像、それは割れた鏡の破片のように飛び散って消えた。
それはウタハの中で、何かが目覚めかけた瞬間であった。




