山の賢者⑵
翌朝、ウタハが朝食を終えて部屋へ戻ろうとしたときだった。
また、いつかの感覚――胸元に軽重い塊――を感じたと思うと、襟元からぴょこっと小さな頭が顔を出した。(うっ、またなんでここからなのよ・・・)
館での管理された食事のおかげで、ウタハも最近は少し肉付きが良くなったとはいえ、肩からひだをとった緩やかな襟のチュニックは、他の少女たちと比べると肌と布の隙間にかなり差があった。幸か不幸か小さな妖精が入れるくらいには。
妖精は襟のひだの上に小さな身を乗り出して辺りをうかがった。人のいないのを確認すると、すっと飛び出してウタハ顔の前で羽ばたきながら静止した。絶えず色の変化する蝶の羽は光の鱗粉を振りまいている。妖精はウタハを見て、ニコッと笑った。
(か、可愛い・・・)ウタハは、怒りたい気持ちも忘れて、まじまじと妖精の顔を見た。この前は、驚きのあまり、ゆっくり見ていなかったのだ。
妖精は、白に近い金髪のふわりとした長い髪。透き通る青い目と長いまつげ、つんとした鼻が、親指の爪ほどの顔にちんまりと収まっている。
(こんなに、妖精が可愛いなんて・・・マロウズも、優しい声になるはずだわ)
ウタハは、妙に納得した。
「失礼しました。さっきは人がいましたし、ここからしか思いつかなかったので・・・では、伝言です。食事が終わったら、館の玄関前に来るようにとのこと、以上です」
ウタハがわかったと言うと、今度はそのまま、ふっと消えた。胸に微かな羽の感覚が残っていた。
ウタハは、館の入口の扉は開いているのかどうか心配だったが、夏光祭の翌日というだけあって、鍵は開いていたし、受付の方も休みで人はいなかった。
すんなり外に出ると、焦げ茶色の立派な馬車が止まっていた。馬車の窓のカーテンの間から誰かが手招きした。
ウタハは、おずおずと馬車に近寄った。すると馬車のそばに立っていた御者が、光沢のある馬車の扉を開けて乗せてくれた。
「やあ、来たね」
中にはマロウズが座っていた。手招きしたのは彼だった。
彼は明るい青灰色のフード付きの長着を着ていた。この前までは藍色の見習いの長着だったはず。また彼の魔力は上がったのかもしれないとウタハは思った。
フードの下から見える彼の顔は、二日酔いが残っているのか、少し青ざめた顔をして、目の下にはうっすら隈も見える。まるで愁いをおびた美少年のようで、もし彼の取り巻きの少女たちが見たら、黄色い声を上げていたにちがいなかった。
馬車が動き始めた。
「驚いたわ、立派な馬車・・・」
「エランの手配だからね。まだこれはお忍び用なんだよ」
「まあ、そうなの? でもこんな馬車に乗るのは初めてだわ・・・ところでマロウズ、大丈夫なの? 夕べ飲み過ぎたのでしょ?」
「大したことはないさ、おまえほど弱くないから」
そう言って小さく笑った。
それを言われると、返す言葉がみつからない。
「でもね、ほんとのとこ、おまえを連れて城まで移動魔法を使う元気がなかった。なので、エランが馬車をよこしてくれた」
「それで・・・でも、エランは、ほんとうに館長の許可をもらえたのね」
「そりゃぁ、ね、上位の魔法師のうえに、王子殿下だからな。ほぼ命令だよ」
ウタハはエランの優しげなのに、意志の強そうな不思議な瞳を思い出した。思い出すだけで、またあの熱がよみがえってくる。あわててウタハは、その思いを振り払ってたずねた。ウタハは、マロウズに聞きたいことがたくさんあったのだ。
「ねえ、マロウズ、昨日マリエヌがね、あの後何があったのか覚えていないって言ってたのだけど・・・記憶を消したの?」
その問いに、マロウズは驚いたらしかった。
「え、ばれちゃった? まあ結果的にはそういうことになるかもしれないけれど、消したわけじゃないよ。彼女たちの夢にすり替えちゃっただけだ」
彼は薄く笑った。
「そんなこと・・・できるんだ・・・それって、高度な魔法でしょ?」
「まあね。それをマスターしたときは、一つランクが上がった。それでこの長着をもらったよ」
彼は、明るい青灰色の長着の首元をちょっと引っ張って見せた。
いったいどんな特訓をマロウズはしているのだろう、とウタハは思わずにはいられなかった。
「エランとの特訓の成果?」
「まあ、そうかもしれないね」
「そう・・・だけど、なぜエランは吟遊詩人として、ここにきたのかしら?」
ウタハは続けて気になっていたことをたずねた。
「はは、それはあいつの発案だよ。ウタハに会わせろっていうから、お忍びで来れる方法を考えろと言ったら、吟遊詩人になって祭りに来るというんだ。エランの歌は、なかなかのものだしね、聴いただろう? まあ、おれには少し負けるけどね」
「そうだったの、でも、マロウズ歌えるの?」
「もちろんだよ、竪琴だってね。いつか聴かせてあげるよ」
「ぜひ聴かせて、楽しみにしてるわね。それとね、もうひとつ気になっていたのは、なぜ彼は足を怪我したのかしら?」
「ああ、それも村に来るための方法さ。迎えに来てもらった方が、突然、移動魔法で来るより自然だろう? 森までは移動魔法で来て、荷馬車に乗った。これはおれの作戦だけどね」
「まあ・・・でもフレイムは知らなかったんでしょ?」
「ふふ、ところが知ってるのさ。もちろんおれが手を打ったのだけど」
「ええっ、そうなの? ああ、でもそう言われれば・・・」
ウタハはフレイムに吟遊詩人の怪我の状態をたずねたとき、簡単に問題なさそうに言っていたのを思い出した。
「ま、フレイムは余計なことは言わない、信用できる男だよ」
ウタハは、謎が解けて、そういうことだったのかと、うなずくばかりだった。
「ところで、ウタハはあいつのこと、どう思った?」
「あいつって・・・エランのこと?」
「そうだよ、気に入った?」
マロウズは意味ありげな笑いを含んだ声で言う。
「えっ、そ、それは・・・まあ、不思議な人だなと・・・」
あわてて返事をした。
「ふうん、それだけ?」
意外そうな声だった。
「王子様なのに古の魔法師で、あなたの友だちで先輩・・・驚くことばかりだわ」
「そうか、まだ見えてないんだ・・・」
ぼそっとつぶやいた。
「どういうこと?」
ウタハは不思議そうな顔で彼を見た。
「いや、なんでもない。おまえが驚くのはわかるよ。おれとエランはね、とても気が合うんだ。 だから、身分とかそういうものにあまりこだわらないで話ができる。まあ、やつがそれを受け入れてくれているから、ということもあるんだけどね。それに、親のことで少しばかりつらいこともあってね。そんなところも分かり合えるからかもな」
「つらいこと? 聞いてもいい?」
「ああ。エランの母親はね、王の第二妃なんだけど、第一王妃とうまくいかなくて、やつがまだ幼いころに里帰りしてしまったらしいんだ。そのまま戻らなくて、やつは館長の元に送られたってわけだ。理由は違うが、おれも似たようなものだったしね。古の魔法師になってから、王は彼を認めて、自分のそばに置いたと言っていた」
「そう・・・」
「考えてみれば、おまえも養女でつらくなかったかい? なんだか三人とも、そういう共通の縁があるみたいだな」
「わたしはアミラに――育ての親よ、大切にされたと思う・・・だから養女のつらさはそこまでないけど、今の状況には、つらいものがあるわ。わたしがなぜ狙われなくてはいけないのか、なぜアミラと別れなければならなくなったのか、わからないことが、つらいわ・・・わたしって、いったい何なの?」
ウタハは思わず涙ぐみそうになった。
「だから、これから賢者に会いに行くんだよ。おれたちはおまえの味方だ。それに秘密の同志だろ」
ウタハはうなずく。
「そうね、秘密の同志よね」
少し恥ずかし気に微笑んだ。心強い思いを感じながら。
「そろそろ着くよ」
マロウズは馬車の窓のカーテンを少し開けた。
今回も読んでくださって、ありがとうございました!m(__)m




