弟子見習いの見習い⑴
ウタハとタージェルンは、平らな石を敷き詰めた廊下を通って、館の奥へ進んだ。廊下のアーチ形の窓からは木々に囲まれた庭が見えた。
一つの重々しい扉の前にきたとき、案内の若者がウタハを見て言った。
「そちらの方は、この部屋でしばらくお待ちになってください」
少し扉を開けてうながした。
ウタハはタージェルンを見上げる。彼はうなずいた。
「あなた様はこちらへ」
タージェルンは案内の若者の後をついて行った。
ウタハは、おずおずと扉を押し開けて中をうかがう。その部屋はさほど広くはないが、立派な黒い光沢のあるテーブルをはさんで、椅子とソファが置かれているのが見えた。
館の廊下は、窓から光が射しこむので明るいが、部屋の中には届かない。だがこの部屋には、四方の壁に取り付けられた受け皿の上で、小さな明るい火が燃えていた。それは魔法で生み出された火であった。
ウタハはすぐ普通の火ではないことを感じとった。
ソファに腰を下ろし、小脇にかかえていた布でくるんだ荷物も置く。
タージェルンと別れてから、なんとなく心細い。どうして一緒に行けなかったのかわからず、不安な思いもわいてくる。
(でも、これからは、ここでひとりだもの、頑張るしかないわ。何が起きても、もう驚かない)大きく息を吐いた。
ウタハはこの先、自分がどうなってゆくのか、どうなりたいのか、まだわからなかった。ただ、トイサ村にいたときの自分には、もう戻れないのだということだけはわかっていた。
部屋の明るさに慣れてきた目であたりを見ると、壁には額に入った絵がいくつか飾られている。また部屋の奥には、火のない暖炉があった。部屋の空気はさほどに淀んでおらず、どこかに通気口があるのか、明かりの火が微かに揺れていた。
ぼんやり暖炉を見つめていると、扉が開いてグレーのフードを被った女性が入ってきた。
その女性は、フードを後ろに下ろして、にっこり笑った。それほど若くはない。おそらく三十前後であろうか、薄茶色の髪をした快活そうな女性だった。
「こんにちは」
茶色がかった金色の瞳でウタハを見た。
ウタハは。あわてて立ち上がった。
「こ、こんにちは」
「初めまして、私はウィザナ・リモーネと言います。当分あなたの指導をすることになりました。よろしくお願いしますね」
「あ、は、初めまして」
「うん、そこ、そのあとに、あなたの名前をつけて言ったほうが、相手に親切ですね。ちゃんとした自己紹介の挨拶になりますよ。最初からもう一度言ってごらんなさい」
突然のリモーネのことばに、とまどいながら言われた通り言い直した。
「いいですね! その後に『よろしくお願い致します』と言うと、完璧です。ついでだから言ってごらんなさい」
「あ、はい、よろしくお願い、致します・・・」
「そう、そう、いいですよ。言い方覚えてくださいね。まあ今日は初日ですから、これだけにしておきましょう。これからは私がバッチリ」と言いかけてコホンと咳払いした。「えーこれからは、どこへ出ても恥ずかしくないように行儀作法をお教えしますからねっ」
ウタハは緊張したまま小さく「はい」と返事した。
なんとなく、これから大変なことになりそうだという予感がした。
「さあ、おかけなさい。少しお話ししましょう」
リモーネはそう言って自分は椅子に腰を下ろした。
ウタハがソファに座ったのを見て、話しかける。
「これから、いろいろ学びが始まりますが、その前に、聞いておくことがあります。ウタハさん、あなたは文字は読めますか? 書くことは? あなたの育った村のことも聞かせてくださるかしら」
この国もそうだが、近隣諸国も庶民はいまだ識字率が高いとはいえなかった。辺鄙な地域に行くほど、その傾向は強いのだった。
トイサ村では先々代の村長が、先見のある人物であったらしく、村人にたちに読み書きと簡単な算数も学ばせた。八歳になった子どもは学び小屋――村の物置小屋を開放した――で、日に一、二時間十二歳まで学ぶ。始めは、村長の息子が教師として教え、学んだ優秀な子供に後を引き継いだのだった。それが今もつづいている。
「わたし・・・読めます。書くことも。それに計算も少しは。村で習ったので・・・」
ウタハは村のことも、ぽつぽつと、なるべく丁寧に話した。だがどうしても話し方が、ぎこちなくなってしまうのはしかたない。
リモーネはうなずきながら聞いていた。
「わかりました。今日は長旅で疲れたでしょう、少しお休みなさい。あなたのお部屋に案内しましょう」
そう言って立ち上がった。
あわててウタハも立ち上がり、彼女の後について行った。
石の敷き詰められた階段を登った二階は、廊下を中心にして、左右にいくつもの扉が並んでいた。ここは弟子見習いの子たちの部屋があるのだと、リモーネは話した。階段はさらにつづいているので、まだ上階があるのだろう。
リモーネは奥から二番目の部屋の扉をノックした。
すぐに返事があって、扉が開く。背の高い栗色の髪をした少女が姿を現した。
「新しい方ですよ。初めてなので、いろいろ教えてあげてくださいね」
「ここが、あなたの部屋。同室のミルルさんですよ。わからないことは彼女に聞いてくださいね」と、ウタハの背を押した。耳元で「挨拶を」と、ささやく。
ウタハは先ほど教えられたとおりの挨拶をした。
ミルルも挨拶を返したのを見て、リモーネはウタハに部屋の鍵を渡してから去って行った。
部屋の中は四方の壁に、やはり小さな火の明かりがともっている。間仕切りの左右には、それぞれベッドと、机。本棚とワードローブがつけられていた。左手の方には荷物がなく、がらんとしている。ここがウタハの場所なのだろう。
ウタハが部屋に入るとミルルがおかしそうに言った。
「あんなに丁寧な挨拶しなくてもいいのに。あ、わたしにはね。だって同い年でしょ? そう聞いてるわ」
ウタハは少しばつが悪そうな顔で答えた。
「そうだったの? あなたも十六歳?」
ミルルは背が高いので、なんとなく年上のように見ていたのだ。
「そうよ」ミルルはうなずく。
「いま、わたし丁寧な挨拶とか話し方の練習中だから・・・あ、もし、これからもおかしいところがあったら、教えてほしいです」
「いいわよ」
そんなこと何でもないというふうに、あっさり言う。
「わたしのことは、ミルルって呼んでね」
「じゃあ、わたしはウタハって呼んで・・・ください」
ミルルはクスッと笑うと、大きくうなずき、それからウタハをじっと見た。
「きれいな銀髪・・・ふう~ん、かすかだけど、ときどき光るのね」
そう言ってニコリと微笑んだ。
ウタハは、ミルルが何かを感じ取ったのだろうと思った。
(でも、まだ見習いだよね? それだけ魔力がある人なのかしら)
首をかしげたが、ここに来るくらいだから、そうなのかもしれない。
「部屋は左側を使ってね。前いた人が卒業しちゃったから、寂しくなってたところだったの。荷物置いたら、夕食に一緒に行きましょうよ。案内するわ」
ウタハはお礼を言って、わずかな荷物を机の引き出しと、初めて使うワードローブの中にしまう。
そしてベッドの上に腰を下ろして、ほっと息をついた。疲れがどっと出てくる。
ベッドはアミラの家のベッドよりしっかりしていて、寝心地がよさそうだった。
「あの・・・夕食はすぐに行きますか?」
声をかける。
「もう少ししたら夕食の鐘がなるから、それまでは休んでいて大丈夫よ」
「じゃあ、それまで休んでますね」
ウタハはベッドに横になった。
目を閉じて、少し寝ようかと思ったが、寝過ぎてしまうと困ると思い直した。朝起きは、以前みたいに寝過ぎることはなくなっていたけれど。
あの鏡沼の王に囚われて以来、まとわりついていた空気の層が、なぜか薄くなった気がしている。そのせいかな、とウタハは思う。朝起きが以前よりも楽になったのは。
トイサ村のみんなと別れたのは今朝のことだったのに、今、自分がここに、こうしていることが不思議な気がした。別れの切なさは、次々と体験する新しい出来事に心が占められて、いくらか和らいでいた。
アミラやアイジェルの顔を思い浮かべていると、タージェルンのことを思い出した。彼はどうしたのかしら。まだ館にいるよね? あとでリモーネさんに会ったら聞いてみよう。
そんなことを考えていると、カラン・カランと大きな鐘の音が響いてきた。
食事の合図だった。
ウタハが急いでベッドから出ると、待っていてくれたらしいミルルが声をかけてきた。
「起きたわね。じゃあ、行きましょうか」
気がつくのが遅くなっていまいましたが、ブックマークありがとうございました!(^^)




