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世界の終わりに彼女のとなりで

作者: 俐月







 妖精の存在を信じるか?

 と言われても、はいと即答できる人は少ないのではないだろうか?


 少ないだけで、いないわけではない。

 現に彼女も「はい」と答える人だった。


「妖精さんはどこにでもいますよ、私たちが見えてないだけで」


 当たり前のことのように笑顔で言うものだから、僕もそんなものなのかもしれないな、なんて思った覚えがある。





 普通ならそれを聞けば、頭のおかしい人だと思われるかもしれない。

 けれど不思議と彼女は、人にそう思わせない何かがあった。


 それが何だったのかはいまだにわからない。

 それでも彼女がいると言えばいたし、何かが聞こえて見えると言えばそういうものだと誰もが思っていた。




 宗教の始まりというのは案外こう言うものかもしれない。

 何故か疑う余地なんてないのだ。

 勿論彼女の存在そのものが不思議だったからだけではない。


 雲のひとかけらも見当たらない真っ青な空を仰いで


「雨さんたちが遊びにくるかとしれません、植物さんの泣き声を聞いて」


 と言った時には本当に雨がやってきた。



 降水確率は0%。

 雨不足で野菜不足になるかもしれないと世間が嘆いていた時だった。


「雨さんは私たち人間のために遊びにきたわけじゃないのですよ」


 雨に濡れながら、彼女は足元の雑草を嬉しそうに眺めていた。

 それを見た誰かが聞いていた。

 雨や植物の声が聞こえるのか? と。


「聞こえるとは少し違うかもしれませんね」


 彼女はただ微笑むだけだった。




 その他にも彼女は奇跡のようなことを当然のようにやってのけた。

 未来が見えているかのようだった。



 彼女はこことは違うどこかからやってきた、人間とは違う生き物で、ただ気まぐれに人間に紛れて、たまたま僕たちの隣にいただけなのではないだろうか。



 今でもそう思う。

 これが風化した記憶に対しての美化なのか、本当にそうなのかはやっぱり僕にはわからない。

 特別。それを文字通り体現した存在であったことだけは確かだった。






 彼女と出会ったのは大学2年の時で、同じゼミにいたのがきっかけだった気がする。

 僕たちのグループに気が付けばいつの間にかいた。

 随分昔から当たり前にそこにいたように、彼女の存在を始めて認識した時の印象なんてものは記憶に残っていなかった。



 そんな彼女と二人で海岸沿いにいったことがある。

 冬の海。それは深夜で、お世辞にも綺麗とは言えない地方都市の小さな港。


 個人的に誰とも連絡を取ろうとしなかった彼女が、一度だけ僕の携帯に電話をかけてきた日だった。

 どうして僕の電話番号を知っているかなんて疑問は湧きもしなかった。

 彼女なのだから知っていて当然なのだろう。そんな風に思っていた。



 数隻の船が見える港の端で、二人は並んで座り、何も話さずに夜の海を眺めていた。

 風はなく、海は凪いでいて、薄い雲だけが空を覆っていた気がする。


 気がするだけでちゃんと覚えていない。

 ただあまり景色がいいとは思わなかったことだけは覚えていた。


 何故なら、どこにでもあるその綺麗ではない景色の中で、隣にいる彼女だけが異様な存在感を放っていたからだった。



 きっと海も空もその先の星や月も、彼女に遠慮してその美しさごと息を潜めたのだろう。

 そんな風に思った記憶だけは覚えていたからだ。


「ねぇ、君。私のことどう思ってる?」


 突然、なんの脈絡もなく、彼女は尋ねてきた。


「どうと言われても困るな」


「なんでもいいの。なんでも」


 足をばたばたと遊ばせて、彼女は海を見て、微笑んでいた。


「なんでもなんてもっと困るよ」


「どうして?君はこんなに自由なのに」


 首を傾げた彼女が不思議そうな表情をしている。



 どうしてわかるのかなんてことも、僕は考えないようになっていた。

 彼女はたまにこうして、誰かに自分のことを伝えてくるからだった。



 自分がどんな気持ちで、今何を考えていて、どんな表情をしているのか。

 まるで今、僕がそう思って、考えて、そんな顔をしているみたいな感覚になる。


 だから彼女がどうしても僕から何か言葉を聞きたがっていることもわかっていた。



「そうだね。でもうまく言葉にできやしないんだ。

 言葉に出来るほど、そんな簡単なもんじゃない」



 ふふっと彼女は笑うと「素敵」と言ってまた笑った。

 たったそれだけの会話だった。そしてそれが最後になった。





 そのあとのことを僕はよく覚えていない。



 彼女がいなくなった時もつるんでいたグループの友達たちは、元からそこに彼女なんていなかったように何も言わなかった。


 あれだけ存在感を放っていた彼女であったはずなのに、誰一人として何も。



 そして僕の頭の中からも、まるで幻であったかのように、彼女の存在は消えていった。

 彼女が隣にいて、会話をしたという事実すら忘れ去っていた頃。



 そろそろ大学を卒業しようとしていたある冬の日。


「世界が終わるよ。沢山の鳥さんが死んで、沢山の植物さんと虫さんが燃える。

 だから――来て」


 ゼミの途中だった。いつも隣にいた彼女がその時だけそこにいて、僕の腕を引っ張った。



「どこへいくの?」


「世界の終わりと世界の始まりが同時に起こる場所だよ」



 それが何を指しているかなんてわからなかったけど、彼女が言うのだからそんなところがあるのだろう。

 僕は手を引かれるままに、彼女へとついていった。



 どれくらい歩いたかわからない。バスを乗ったかもしれないし、電車だとか新幹線を乗ったかもしれない。

 もしかしたら船や飛行機だったかもしれない。


 でも気が付いた時にはしっかりそこにいた。


 来たことは勿論、見たこともない広い高原。

 その中央に僕たちはいた。



「ほら、見て」 彼女は空を指さした。


 そこは赤く赤く燃えるような大きすぎる太陽が滲んでいて、その前を通った鳥たちがばたばたと落ちていっていた。


「こっちも」


 次に彼女が指さした前方の高原はどこからともなく火が溢れかえって、緑を焼いていく。


 彼女はそれらを見ても全く動じることはなかったし、それは起こるべくして起こったとでもいうように、動物が死に絶え、高原が燃えていく様子をただじっと見ていた。



 そんな彼女の姿に圧倒されて、僕も同じようにしばらくそうしていた。



「ここにいて大丈夫なの?」


「わからない。でも見届けなきゃいけない。

 全部が灰になるまで」


「どうして?」


「そこから世界が始まるから」



 彼女がこっちを見た。

 その時、突然周りの火が勢いを増して、まるで意思を持っているように彼女だけを飲み込んでいった。


 僕は驚いた。悲鳴は出なかった。

 何故なら火の中の彼女は嬉しそうに笑っていたからだった。


 痛みを感じていないことも、その笑顔が嘘でないことも、今彼女が感じている気持ちも、全部伝わってきた。

 彼女はこの瞬間を望んでいた。



 世界ごと自分が火に飲まれて灰になって、そして世界の始まりの種になることを。


 僕が立っている場所以外が太陽に押しつぶされたみたいに赤く染まった。

 不思議と苦しくなかったし、熱くもなかった。


 どれくらいそうしていたかわからない。

 どんなに長くそこにいても僕は辛いとも思わなかった。



 赤で閉ざされた世界はどんどん紫に、黒に、そして灰色になって、気が付いた時には辺り一面が灰の海になっていた。



 彼女はもういなかった。

 代わりに彼女が火に飲まれたところには一輪の真っ白な菖蒲が咲いていた。








 世界が終わって、世界が始まった。


 そんなことなんてなかったように、僕は最後の大学の授業を受けて、卒業式を間近に控えていた。

 手を引かれて、あの高原にいったのは確かだった。


 どうやって帰ってきたのかわからない。

 それでも僕は帰ってきて、狭いアパートには白い菖蒲が一輪だけ花瓶に挿さってあった。



 あれから彼女は一度も現れなかった。

 菖蒲は1か月経っても、半年経っても、一年経っても枯れることなく花瓶の中で咲き続けていた。

 それを見ても僕は不思議に思わなかった。



 そのうちに僕は社会人になっていたし、運よく彼女も出来た。


 1度目、相変わらず狭いアパートにやってきた彼女は菖蒲を見て、怪訝そうな表情をしただけだった。

 2度目の時、同じ菖蒲だとは気づかなかったらしく「菖蒲が好きなの?」と聞いてきた。



 僕はこう答えた。



「どうだろう。でもそこにあるのが当たり前なんだ。

 それは世界の終わりと始まりの象徴だから」





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