004 新生
身体を満たす温かい感覚。絶えず聞こえる水音。心地良い感覚に、何時しか微睡みさえも感じられる。
「こりゃ……大分汚れてたね。痒いところ無い? 熱かったら言ってよ」
「気持ちいい、です……」
「そりゃよかった」
……僕は、初対面の女性に身体を洗ってもらっていた。
頭も身体も泡だらけ。湯気の立ち込める中、後ろには麻のシャツに短パン姿の数歳年上くらいの女性。彼女は両手を僕の髪の毛の中に突っ込んで、ワッシャワッシャと泡立てながら洗っていた。
勿論、僕は裸である。だからといって羞恥はさほど無かった。僕は女子の姿であり、同性なのだから何も問題ではない。
「ふぅ……」
「フフフッ、気持ちよさそう」
実際、極楽。少し熱いくらいのお湯に、身体の汚れを全て取ってくれる泡。これに加え彼女の優しい手つきが加われば、気持ちいい以外の何ものでもない。
僕の頭を洗ってくれている彼女は、レイアさん。村長の孫らしい。
そしてここは、レイアさんの家だ。
曰く、僕を証明する期間は一週間。その間に三つの条件を達成し、僕はこの村に住む権利を得なければ、村から追い出されてしまう。もしそうなれば、すぐ野垂れ死にしてしまうだろう。
僕は、その一週間の間レイアさんの家に居候させてもらうことになった。若干の気恥ずかしさはあるものの、仕方ない。
こうして身体を洗われ、温かいお湯で流され、やや粗いけどふかふかのタオルで拭かれ、あの布切れみたいな服じゃなくて立派な麻の服を着させてもらい、すっかり身なりも綺麗になった。
「こんなもんしかないけど、召し上がれ」
「いただきます!」
食卓には、パンと具沢山の野菜スープ。お風呂からあがった僕に、レイアさんが出してくれたものだ。
ホカホカと立つ湯気、小麦の香ばしい匂いを嗅ぐと僕の胃が唸り声を上げる。
「あ……」
「フフフフッ、よっぽどお腹空いてたんだね。パンとスープならおかわりあるから、沢山食べていいよ」
温もりを感じる木のスプーンを手にとって、スープを掬った。何かは分からないが、煮込まれ柔らかくなった緑黄色野菜。あっさりとしたスープ。
口に含むとじんわりと美味しさが広がってくる。
パンをちぎり、欠片を口に入れた。小麦の香りが鼻をつき、サクサクとした食感が新しい。
「どう?」
肘をつき、両手を頬に添えて僕を見つめてくるレイアさん。僕は勿論、「美味しい」と答えた。すると嬉しそうに「よかった」とニコニコと返してくれる。
「……ハルくんってさ。何処から来たの?」
唐突に、そんな質問。村長に聞かれたものと同じだった。
僕が来たところ、と言っても気が付いたらあそこにいた。前世のことを話しても、きっと聞いてはくれないと思う。
「……わからないんです。気が付いたら、あの森にいて」
「そう。気が付いたら、ね……ひょっとして、伝承にある『神隠し』ってやつなのかな」
「神隠し?」
「そう、神隠し。村から追い出されたり、独りぼっちになった子供が突如として姿を消し、別の場所で目を覚ますっていう現象。もしかしたら、それなのかもしれないね」
本来の原因は転生なんだけど……という理由は飲み込んだ。まあ、伝えても意味もない。
「おじいちゃんに聞かれたんだよ。『儂相手じゃ緊張するじゃろう、聞いてきてくれぬか』ってね」
「そうですか」
おじいちゃん――即ち村長。レイアさん、声真似が上手かった。流石は家族だな。
「神隠しは一種の自然災害みたいなものだし……出自に関しては、多分問題はないと思う。おじいちゃんが無茶な要求してごめんね。こんな華奢な女の子に役立つことなんて、お裁縫くらいしかないし……強いて言えば、後継ぎくらいかなぁ……。目的って言っても、なんかある?」
「目的……」
そんな事を言われても、不本意にここに来てしまったのだから何も無い。この一週間のうち裁縫とかでに何か立派なものが作れれば――少なくとも、村長が納得できるようなものを考えられれば。
僕はスープを味わいながら考える。これからどうするかを。
病院にいた時、手芸や工作など、手元で出来るものをずっとやっていた。指も細かったし器用なのかもしれない。だから、裁縫とかなら自分でも人並みには出来ると思う。
でも数ヶ月やってないからなぁ……。教えてくれるなら、多分出来る。
だから、その道を選んだって良い。安全な生活を手に入れるためなら。
「僕、手芸とかなら経験あります。もし他に仕事がないのなら、その手工業やらせてください」
「そう? なら仕事聞いて――」
と、そんな時だった。
地震が来たと錯覚するような轟音と地響き。数秒遅れてやってくる、外からの叫び声や騒ぎ声。
僕とレイアさんは何事かと驚きながら、外を見てみた。
「何があったの!?」
「魔物だ、魔物の大群が押し寄せてきたんだよ!」
「何!?」
「魔物、って?」
「ハルくん、危ないから下がってよう! 戦いは男たちに任せて、私たちは村の奥へ!」
地平線の奥に見えたのは、地を埋め尽くす赤い波だった。