037 油断
日は傾き、限り無く続く大空は橙色に染まっていく。まさに黄昏時の名に相応しい、鮮やかな夕焼け。
だが、そんな肝心な時にトワイライトはいなかった。隣にいれば、どれほど心強かっただろうか。
「……まずい」
自分の居る場所に影が差す。あっという間に日が沈んで、夜の帳が下りる。両側は石を積んでできた高い塀、前後方は底なしの真っ暗闇。物理的にお先真っ暗なこの状況。悟った。
「道に迷った」
この街ブーゲンビリアは王都に比べれば小規模なれど、路地や小路が多いため興味本位に入ると迷宮の餌食になる。これを攻略出来るのは、日頃そこを通っている住民くらいなものだ。
「しまった……。いつもならクロエかティナと一緒なんだけどな。今回ばっかりは一人……」
近くのカフェの限定パフェ、『アルトラ瓜たっぷりパフェ』を食べに一人で外に出てきたものの、満腹になって満足していたらこの有様だ。
ちなみにアルトラ瓜はメロン。凄く美味しかった。
「だめだ、アルトラ瓜また食べたくなってきた」
本来ならば緊張し恐怖しなければならない場面で多少なりとも心に余裕があるのは、やはり日頃無理難題と立ち会ってその度に退けてきたからだろうか。
「とりあえず、来た道戻ってみたら帰れるかな?」
迷った時に迂闊に動くのは危険極まりない。特にこんな暗闇の中では。
「頼むから、幽霊とか出ませんように……」
「――ん」
「ひゃあっ?!」
なななななななな、なんか聞こえてきたんですけど!?
路地裏の奥、暗闇で奥まで見えない場所、光すら差し込まない暗黒の中! ゆ、幽霊じゃないよね……? 流石にそんなフラグ回収RTAみたいなことしたくないからね……?
「――けて、――ん」
少女の声。悲しげで、哀しげで。今にも泣いてしまいそうな、それでいて透き通って綺麗な声。
「おねぇちゃん、たすけて」
暗闇から姿を現したのは、血みどろで切断された首を抱えながら歩く不気味な少女――なんかではなかった。
矢鱈と長くてくせっ毛で毛量の多い新緑の髪。黒いワンピースドレスに若草色の上着を羽織った、十歳くらいの幼い少女だった。
別に心霊現象でもなんでもない。よかった、と思わず胸を撫で下ろしてしまう。
「君、誰? お母さんとかお父さんは? お家、帰れる?」
しゃがんで目線を低くして、彼女と同じ目線の高さで話す。出来るだけ緊張を与えないように、優しく柔らかい口調で話しかけた。
でも、彼女はふるふると首を横に振る。
「わたし、フィス。まおーぐんかんぶ、りんどゔるむ」
少女は僕に近づいてきた。ポケットに手を入れて、何かを弄る。
「おねぇちゃんをころしにきたの」
――!?
殺気が濃密に含まれた視線。急に声色の変わった、冷たい口調。手に握られているのは、ギラリと光を反射する緑色のナイフ。
「っ!」
この子はただの少女じゃない。その幼い身のうちに殺意が巣食った、暗殺者だった。
少女が繰り出すナイフの斬撃は、毎回的確なところを切り裂いてくる。脚の筋の部分、肩口、首筋、鳩尾、肋骨の隙間。何か特殊な力が付与されているのか、傷口から漏れ出した血液を養分に茨が発生する。
それらは僕の回復再生を妨げて、強い痛みを与えてくるのだ。傷口からは止め処なく血が流れ出る。痛みも継続して、再生しようとするも叶わない。苦痛と疲労感しか残らないのだ。
「一回話そう、なんで君は僕のことを殺そうとするの?!」
「くろねこのため」
「く、黒猫?」
僕の知る限り黒猫は一人しかいない。でも何故彼女のためにこの少女が暗殺を行おうとするのか……?
後退りしながら僕はナイフを避ける。彼女はその体格差をカバーするために死に物狂いでナイフを振るせいで、それに気圧されて僕が反撃できない。
「待って、黒猫ってもしかしてクロエのこと?」
なんとか対話を試みようとしてクロエの名前を出すと、一瞬だが少女の動きが止まった。
そこに――
「そこまで、ね」
カラン。ナイフが何かに弾き落とされ、少女の腕は後ろへと回される。痛みに顔をしかめる、目の前の少女。少女の背後の暗闇から姿を現したのは、まさに暗闇に溶け込めそうなクロエ。
「……っ!? クロエ、おねぇちゃん?」
「フィス。何してるの、こんなところで」
どうやら二人は知り合いらしく、お互いに驚愕の表情を浮かべていた。というかまあ、クロエはそれでいて冷静だけど。
「おねぇちゃん、なんでかえってこないの? わたし、ずうっとまってたのに」
「……ごめん。もうあいつのところに帰る気は無い。私はハルっていう新たな主を得たし」
「ハル、って」
「そ。フィスが今殺そうとしてたのが、私の主」
唖然としたように口をあんぐりと開ける、フィスという少女。首を忙しなく動かして、クロエと僕を何度も交互に見る。そしてやっと理解したのか否か定かではないが、唇を食いしばって涙を流し始めた。
「ご、ごめん、なさい……」
嗚咽混じりのその声。クロエから解放され、彼女は地面に座り込んで心済むまで泣きじゃくったのだった。




