035 愛情
僕が勇者として王都を旅立ち、一ヶ月が経過した。馬車を乗り継いで村や集落、城塞都市等を転々として北側へと向かった。やっとアルバニスタ王国の最北端の街へと辿り着いたところだ。
アルバニスタ最北端の地、ブーゲンビリア。僕たちは暫くこの地に滞在することにした。
この一ヶ月間、旅は順調に進んでいた。どうやら僕の寝ている間に戦闘があったりもしたようだけど、全部クロエとティナが倒してくれたらしい。
「クロエ〜」
「ん……どしたの?」
「じゃーん! 見てこれ」
僕はお気に入りの革製の肩掛け鞄から、とあるものを取り出した。
「……!」
それを見た途端、クロエの目が輝き出す。尻尾がぶんぶんと振り回され、視線がそれに釘付けになる。
「クロエの大好きな、マグロの真空保存パック!」
手に持っているのは、陶器で出来た容器。タッパーくらいの大きさのそれは、この世界ではとても珍しい高級品。名の通り、生鮮食品――特に保存が効かず傷みやすい生物を真空状態で保存し、魔法で冷蔵、買ってあけたら新鮮なものがすぐに食べられるという優れもの。
各地で依頼を達成し得た報酬の中から出る僕のお小遣いで奮発。いつも頑張ってくれているクロエには、これくらいの贅沢をさせてあげたい。
「い、いいの……?」
「いいのいいの。他にも買ってきたから、お腹いっぱい食べて!」
尻尾をふりふり。もう千切れるんじゃないかと心配になるくらい、凄い勢いで尻尾を振っていた。口元からはよだれを垂らして、捕食者の眼光を向けてくる。それでも尚、お座りの姿勢で動かない。
「ほらっ。美味しそうでしょ?」
「はぁ……!」
パカッ。容器に空気が流れ込んで、蓋が開く。出てきたのは、光沢を纏った魚の刺身。その赤身の赤はとても鮮やかで、僕さえも食欲に襲われる。
僕は容器をクロエに手渡した。クロエの我慢が限界を迎えるまで、三、二、一……。
パクッ。
クロエはその刺身にかぶりついた。野生に戻ったかのように、肉食の本能を剥き出しにして。
咀嚼音が響く。少々下品な食べ方ではあるが、彼女は素手で刺身を掴み、思うがままに貪っていた。
……まあ、許してあげよう。
この場には、僕とクロエしかいない。どうせこんなことしたらティナが嫉妬するから、彼女にはお使いを頼んでる。
「美味しい?」
「……!」
僕が試しに質問してみると、嬉しそうにぶんぶんと大きく首を縦に振る。
「ハル、好き。こーゆーの買ってきてくれるから」
「だって、クロエはいっつも頑張ってるもんね。僕のために。ありがとうって、伝えたかったんだ。だから、お礼のプレゼント。喜んでもらえたなら何よりだよ」
僕はクロエの隣にしゃがみ込んで、頭に手を載せた。撫で撫で。彼女の耳がぴくぴくっと小刻みに動いて、しなやかに尻尾が動く。
「もう食べ終わっちゃったんだね」
「だって、美味しかったんだもん。……もっとある?」
「勿論! クロエはすぐ食べちゃうし足りないだろうなって思って、もっと買ってきておいたんだ」
鞄の中にはもう三つ、サーモンとアジとサバの刺身がある。それらの容器を取り出して、クロエに見せつけた。彼女の息遣いが荒くなる。
「遠慮なく食べて」
そう手渡すと、奪い取るようにしてクロエは三つの容器を手に入れた。空気が入り蓋が開くと同時に、クロエのお食事タイムは開始する。あまりにも豪快な食べっぷりに、奮発した甲斐があったなぁと嬉しくなる。
「ふふふっ。よっぽど美味しいんだね」
瞬く間に刺身を平らげたクロエは、お腹がいっぱいになって眠たくなってきたのか、目をこすり始める。
「手洗ってよ?」
「……はぁい」
クロエは宿の水道で手を洗った後、また戻って来て僕の隣に腰を下ろした。
「ねむい、おなかいっぱい」
「お昼寝する?」
クロエはこっちに倒れ込んできて、僕の膝の上に頭を載せた。膝枕の形になり、身体を丸めてゴロゴロと喉を鳴らすクロエ。まるで撫でてくれと言わんばかりに、耳を小刻みに動かして尻尾も振る。
「撫でながらお昼寝なんて、クロエは贅沢だねぇ……」
毛並みに沿って、ゆっくり優しく。体勢が悪いのか、はたまた気持ちがいいのか身体をよじるが、それに対応しながらも撫で続ける。
口から漏れる吐息。気持ちよさそうな反応に、思わず撫で過ぎてしまうことがある。そうなるとクロエは機嫌が悪くなって暫く触らせてもらえないので、程よいスピード、程よい加減で。
「……」
次第にクロエの身体も動かなくなってくる。等速に上下する胸部、穏やかな表情。
「おやすみ、クロエ。いい夢見てね」
すやすやと寝息を立てるクロエの頭を撫でて、僕はその可愛い寝顔を眺め続けた。




