032 忠告
これは目を疑ってしまう。疑わざるを得ない。これを見せつけられて、何を説明されても、どう信じどう認めようと言うのだろうか。否、非現実的であり現実である目の前のものは、幾ら本能と正義が否定をしようと事実であり、これ以上捻じ曲げることも許されない。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない」
目の前では、私の命の恩人である少女が黒猫とスライムと戯れていた。
黒猫は、単なる小さな黒猫だ。勿論あの仲間の《黒猫の魔物》なのではあろうが、あの時の凶暴さは嘘かのように今は警戒心を解いて、彼女の膝の上で寛いでいた。風呂上がりなのか漆黒の体毛は艷やかで、僅かに湯気も見える。櫛でその毛並みを整えられながら、頭を優しく撫でられる。それは気持ちがいいはずだ。
そして彼女が座るのは単なるクッションではなく、スライムだった。ぷよぷよとした質感、弾力のある粘性体、深く沈み込む彼女の身体。リクライニングも自由自在、冷感性もあるのでこの暑い中でも涼しく生活できる。その意味で言えば、スライムもかなり有用なのではないだろうか。
「ロンドさんも座ります?」
「……いや、結構だ。警戒されるだろう」
黒猫にもスライムにも喧嘩を売った。今更親睦を築こうとしたところで、意味を成さない。それは火を見るよりも明らかだ。
「んふふっ。クロエ、気持ちいい?」
「きもち、い……」
再度目を疑った。あんなに喧嘩腰で攻撃的な黒猫の魔物が、こんなにリラックスしている姿がまさかあったなんて。
「ねえ、ティナも構って」
「ティナは柔らかいし冷たくて気持ちいいよ。ぷよぷよしててこれだけでも気持ちいいもん」
「んー……ならいっか」
平和だ。和やか、それとしか形容できないこの穏やかな空気。私はそれにそぐわない。
「……私は去るとしよう」
「あ、待ってください!」
ハルは立ち上がり、眠りこけた黒猫をスライムの上に優しく載せて私の方へと走ってきた。
「少し、話したいことが。カフェでも行きましょう」
そうして誘われるままに、私と彼女は付近のカフェへとやって来た。私は紅茶を、ハルはオレンジジュースを注文して。
「すいません、無理矢理連れて来てしまって」
「構わない。それで、話したいことというのは?」
「……魔王って、どういうことなんですか?」
彼女は知らないようだった。心配そうな顔でこちらを見てくる。
「あのスライム、ティナと名乗っているのか?」
「ええ」
「あれの真名はわからないが、世では魔王トワイライトと呼ばれている恐ろしい魔物だ。この世に存在する四柱の魔物の頂点、魔王。そのうちの一柱だ」
「ティナが……?」
信じられないようだ。まあ、仕方がない。彼女の前であんなように猫を被っている――もしくは私が一方的に敵視されていただけかもしれないが――甘えた姿を見ていたら、そう勘違いするのも無理もない。
きっとあの騒動でスライムが魔王であると気付いた者は数少ないだろう。
「それと、あのクロエという黒猫。二人の仲が良いようで非常に言い難いが……」
ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえた。目の前のハルは緊張の面持ちをしている。決勝の試合だって、そんな顔はしていなかったというのに。
「……かの黒猫は、魔王ミッドナイトが配下、『妖魔八衆』が筆頭――《黒猫の魔物》、クロエ・リーズヴェイルだ」
これから勇者になろうという者が、まさか敵である魔王軍と魔王を仲間にするとは。皮肉だ。
――だが案外と言うべきか、動揺は見られない。
「その妖魔八衆に、人形に関係した魔物はいますか?」
「ああ、《形骸の魔物》と呼ばれる付喪神が」
その瞬間、彼女の中で何かが繋がったようだった。悩みが吹っ切れたのか、その瞳には強い光が灯る。
「……クロエが人形の魔物の大群に殺されかけていたところを助けたんです。もしそれが、そのアヤカシって幹部の仕業なら……」
「そうか。内部で亀裂が入ったか、もしくは何らかの理由で魔王軍総出でクロエを殺しにかかっているのかだな」
「もうじき、王都も危ないと思います。いつクロエを狙ってくるかわからない。僕は勇者になったら、すぐ王都を旅立ちますから」
正しい判断なのだろう。これが判明した今、彼女たちが狙われることはほぼ確実だ。避けるとするなれば、魔王を倒すことだ。勇者としての役目も、自衛も兼ねて。
きっとあの強さであれば撃退は申し分ない。何せ魔王と魔王の幹部最強、そして無限再生の勇者がいるのだから。
だが過信は何時でも禁物だ。私も、剣閃騎士団に呼びかけなければなるまい。
「勇者の儀式はいつだ?」
「明後日です」
「わかった。それまでに私のコネを最大限利用して、王都の防衛と魔王軍の動向の把握、監視、そして陰ながら貴様らの守護を行おう」
「あ、ありがとうございます……」
それがどれだけ彼女の――彼女たちの支えになるか。剣聖は、市民の安全を守ることが役目だ。間接的に魔王を助けることになろうとも。
この選択は、きっと間違いではないはずだ。




