002 開幕
……死した者は、もう戻ってこない。それくらいは、僕でも知っている。その身体は朽ち果て、火葬され、骨となり、壺に納められ埋葬される。その過程には敬意こそあれど、相手にするのはただの有機物。そんなのは分かってる。分かりきってる。
もうすぐ、自分がそうなることも。痛いほどに分かってる。
呼吸は止まり、脈拍は無くなり、血液は流れを止め、身体は冷え切り、微生物による分解が始まる。自分が死体と化すのも、時間の問題だった。
――そう、思っていた。
実際、そうなった。はずだった。
次に目覚めたら、僕は森にいた。透き通る空気。嗅いだことのない、青々とした香り。そして視界全体に満ちる緑。心が浄化されていくような気がして、なんだか非日常的な感覚に囚われる。
ふと、不思議に思った。死んだはず――指先さえ一ミリたりとも動かせないほどに重篤だったにも関わらず、何故僕は森にいて、自由に身体が動かせて、耳も、視界も、呼吸も、正常に働いているのか。
自分の手を見てみた。数ヶ月も見ていない自分の手は、衰弱しているはず。であるのに、筋肉も衰えず、潤いとハリがある肌は白く、華奢だ。
自分の足を見てみた。腕と同様、筋肉は衰えているはず。なのに、手と同じく華奢で、肌は綺麗で。
自分の身体を見てみた。服は、あの若草色の入院着じゃない。一種のローブのような、白い布切れで出来ているような服。太もも辺りまでがその布で隠されていた。
ふと、違和感を覚える。あれがない。太ももの間に手を滑り込ませ、まさぐってみる。……ない。
それに、胸部にある僅かな膨らみ……。
ううん、気の所為……気の所為だと思いたい。
興味本位に、ペラリ。やっぱりない。というか穿いてなかった。
――どうやら、僕は女子になってしまったらしい。
いやいや、ね。意味分かんないよ?
いきなり森にいて、服装も肌も違って、病気の症状も無くて、しかも女子になってるとか……。
……いや、僕は一度死んだ。それが何か影響をおよぼしたとしても、それが何かのトリガーになっていたとしても、この状況だったら素直に受け入れられる気がする。
――ようするに、これは『転生』というものだ。最近の流行りは皆無と言っていいほどに知らないけれど……。明らかに異端であることは、もう既に理解できた。
近くに、小さな湖があった。僕はよろよろと立ち上がり、その湖の岸辺まで移動する。
歩くのは本当に久しぶりだった。どう歩けば良いのか最早分からなくなっていたけれど、身体が感覚を覚えていた。多少ほふく前進みたいになってしまったけれど、何とか無事に辿り着いた。
湖の水を覗き込む。水面に、鏡のように自分の顔が映る。
少女の顔だった。前世の自分と同じ十五歳くらいの、可愛げもあり何処かクールな雰囲気もある少女。
ボサボサの長い髪は亜麻色。瞳はオレンジ。
髪色と瞳の色からして、明らかに現代日本ではない。というか、いろいろ不可解な点が多すぎる。
この世界は僕が前世いた世界とはまた別の世界なんだろう。恐らく、人間だけでなく妖怪等が跳梁跋扈する世界。つまりは――異世界。
異世界転生。かつて何処かで聞いたことがあるようなその単語が、頭の中をよぎる。
もし自分がそんな状況であるならば。きっと、物語のように上手くは行かないだろう。
僕は、病気のせいで何も経験してこなかった。だから、きっとすぐに死んでしまう。淘汰されるか否か、運命の分かれ道はそこだ。
せめて、せめて何か力でもあれば……。
そう思っても判別方法もわからないし、何よりそんな力があるのかもわからない。
と、湖の畔で座り、色々と思考を巡らせていたその時だった。
ガサガサガサッ――と、遠くの茂みが音を立てる。その音が聞こえた途端、僕の脳は警鐘を鳴らし始めた。
何かがこっちに向かってくる、と。
立ち上がろうとしても、足が言うことを聞かない。生まれて初めて、死ぬ時よりも強い恐怖心に駆られる。
もし向かってくるのが僕にとっての害であれば、ここでジ・エンド。
鬼が出るか蛇が出るか。
「いやー、今日は大物が捕れたな」
「猪鍋にでもするか?」
「薬草も山菜も山程あるんだ、それも良いかもしれんな」
人間の話し声。男性三人。話しぶりからして、多分狩人だ。
やった、これで助けを求められ――
声が出かかった瞬間、僕の頭に嫌な未来が浮かんだ。僕が野生動物と勘違いされて、猟銃か何かで撃たれる結末。
それが、僕の行動を遅らせた。ここで声を発しておけば助かるかもしれなかったのに。
「これでキヨにも面目が立つさ」
「全く、新婚なんだからもっとだな――あ?」
――僕の目と、三人の目が合った。三人は気づかずこちらに向かって進んできて、茂みを乗り越えてきた。
一人はゴツい身体の、斧を担いだ金髪の男性。
一人は普通の体格の、ハチマキか何かで逆立てた茶髪の男性。
一人はまだ若そうな、青髪の青年。
「……なんだ、この子供」
金髪の男性が呟く。
今この瞬間、僕の終わりが確定した。




