026 触発
――クロエが致命傷を負った。
ただ負けたんじゃない。心臓を刺されるという、致命傷だ。大量に血が流出し、意識も戻らない。
すぐに救急隊が駆けつけ、治療が始まった。だが、それも気休めに過ぎない。
クロエに普通のポーションは通用しないのだから。他人に付与できる、僕の力がなければならない。
王都の医学は、辺境の村よりも遥かに優秀だ。輸血や止血、ポーション等で時間稼ぎくらいはしてくれるだろう。
クロエが負けたということは、僕が戦場に出なければならない。
ただそれよりも、クロエの事が心配で仕方がなかった。
「クロエが、無事だといいんだけど……」
そうこうしている間に、第七フェーズが始まってしまった。
僕は戦闘になったら確実に負けてしまう。自分のスキルで回復こそ出来るけれど、逆転の一手がどうしてもわからない。
だからこそ僕は、近くにあった樽の中に身を隠すことにしたのだ。
偶然にも小さな穴が空いていたので、覗き穴に丁度いい。出来るだけ気配を消して、息も殺して、自分という存在を希釈させる。そんな感覚に陥る。
「……まさか、彼奴がかの剣聖と繋がっていようとは」
すぐ側で、そんな声が聞こえてくる。狭い視界に映り込む、誰かの姿。その人物はすぐ隣の木箱に腰を下ろしたようで、足先だけが僅かに見えていた。
バレないようにしなければ、殺される。死にはしないだろうけど、確実に酷い目に遭う。
「如何にして対処すべきであるか……。せめて、クロエが属する組の最後の一人に出逢う事が叶えば、或いは勝利もあり得るかもしれん」
……クロエ? もしや、この人がクロエに致命傷を負わせた人?
一応中継で観ていたけど、クロエが倒れる瞬間は砂煙に隠れて映っていなかった。僕のもとに届いた情報は、クロエが心臓を刺され致命傷を負ったこと、そして地面を紅く染める血溜まりの視覚情報だけだ。
嫌な仮説が頭をよぎる。シャルドと剣聖に勝てないから、クロエと僕を退場させ、シャルドと剣聖をぶつけて二チームになるまで耐える、という作戦が。
「実行に移す価値はある。未だ戦場に姿を見せず、実力も完全に未知数である。一か八かの賭博にはなるが、現状は致し方なし」
そしてその人物――話し方は古風な感じがするけれど、恐らく女性――が立ち上がる。そして立ち去ろうとしたその時、僕のは彼女の姿をはっきりと捉えられた。
白と黒の二色が混在する短髪、整った可愛げのある顔つき、青いシャツに真っ白なマント。腰には、レイピアらしき細い剣が鞘に収められていた。
「……クロエの、盟友の仇は取らなければ」
……ん?
クロエの、仇?
深く考える前に、思わず身体が動いてしまっていた。
「ちょっと待って!」
慎重な僕らしくない、大博打。隠れていた樽から飛び出すというあまりにも愚かな行為。いや、これはある意味でもクロエのためだ。相手がこちらに害を成す者だと分かった瞬間に降参する。そうすればクロエのもとにも早く行くことが出来る。
友好的な人であれば、尚更いい。必ずクロエの仇を取り、クロエを決勝戦まで連れて行ってあげたい。
「……成る程、気配すらも消し隠れていたか。私の感知に反応しないとは、余程の手練れだな」
彼女がこちらを向いた。右手はレイピアの柄を握り締め、今にもこちらへ攻撃してきそうだ。
「クロエの同胞だろう? 私はかの黒猫の旧友にして盟友、コルヌだ。よろしく」
「僕はハルです。よろしく、お願いします」
意外にも気さくな印象だ。彼女――コルヌは剣から手を離してくれた。攻撃の気が無いのがわかっただけでも一安心だ。
彼女は握手を求め、手を差し伸べてきた。僕はその手を取って握手をしようとした。
――僕が愚かだった。
手を掴んだ途端、彼女の形相が変わった。殺人者のような冷たい目。逃げる暇もなく押し倒されて、いつの間にか鞘から抜いていたレイピアを首元に突き立てられる。
「どんな醜悪な手を使ったのだ? あの魔王がたかが人如きに心を許すはずが無い。吐け、吐かなければ此処で首を断ちお前を殺す」
……先程まで優しそうな態度をしていたのに。あっさりと信じてしまった僕がバカだった。
きっと僕が隠れていることくらいわかっていたのだろう。敢えてクロエの名前を出して、この状況を作り出した。僕を殺すために。
試合開始最初、樽の中に身を潜めていた時に浮かんだ嫌な予感が的中した。
「な、にが……」
「クロエのことだ。お前のような矮小な身で、一体彼女に何をした?」
「何もしてない……」
「咎人は決まってそう嘘を吐く。さあ全て吐け、諦めて全て話せ。贖罪か死か、どちらがいいんだ?」
本当に僕は何もしていない。ただ、人形の大群に殺されかけていた黒猫を助けただけなのに。まさかそれが人間に変身して、僕の仲間になるなんて思いもしなかった。
もしかしてあの時から、選択を誤っていた……? いや。あの時僕は、クロエを助けた。それで正しいはず。
「僕はただ、人形に追われていた彼女を助けただけだ……」




