グリコーゲン枯渇
堂倉滝吊橋を渡りきった。これまで渓流と並行していた登山道が方向を変える。宮川の渓流から逸れて、急な斜面を右に左にとつづら折りになりながら、山頂に向かって伸びていた。斜面には階段状に横木が並んでいるのだが、案外とこの階段が登りにくい。雨に晒された影響で、横木と横木の間の土が流されてしまい凹んでいるのだ。歯茎が無くなった歯のように横木が地面から浮いていて、鋸の刃のように上へ上へと伸びていた。横木の間隔が歩幅に合っていれば、階段を登る要領で横木を踏めばよい。ところがその間隔が案外と広いので、横木を踏んでしまうと次は一段降りなければならない。登っては降りてを小刻みに繰り返す運動は、足への負担がかなり大きかった。じゃ、横木を踏まなければいいのかというと、そうでもない。浮いている横木は中途半端に高さがあり、乗り越えるためには大きく跨がなければならない。ハードルを乗り越えていくような要領である。これはこれで歩きにくい。そうした階段が延々と繰り返された、数えきれないほどに。
実はこれまでの道のりで、思っていた以上に体力を消耗していた。シャツは汗で濡れており、息が上がっている。全盛期ほどではないにしても、登り始めるまではもっと歩けるつもりでいた。しかし堂倉滝に到着した時刻は、予想していたよりも1時間近く遅かった。決してのんびり歩いていたわけではない。登山初心者なのに見積もりが高すぎたのだ。また6時間かけて歩き続けてきて、ひとつ分かったことがある。ランニングと登山は全くの別物だった。ランニングの平行移動に対して、登山は垂直移動になる。この登るという運動で最も活躍する部位は太腿だった。僕はこの太腿が鍛えられていない。今後の課題としてこの太腿を鍛えればよいのだが、僕はこの太腿を鍛えるのが苦手だった。
20代の頃、バイクの交通事故で僕は左膝の皿を割っている。その影響から左の膝に繋がる筋肉が極端に痩せてしまった。スクワット運動をすると膝の筋に痛みが走る。それでも40代にフルマラソンに熱中していたころは、そんな膝を強化することが出来た。しかし、そうした体力は維持することが難しい。コロナが世界に蔓延するとマラソン大会は次々と中止に追い込まれる。それに伴い僕も走らなくなった。半年前からランニングを再開していたが、膝が強化できるほどではなかった。
見上げるような階段を、一段一段踏みしめていく。場所によっては段差が僕の胸くらいあり、ロープを掴んで登った。蓄積された疲れのせいで肩で息をするようになる。力が入らない。足が止まった。階段の縁に座り込んでしまう。これまで登ってきた階段を見下ろした。はるか下の方に宮川の流れがあるはずなのに、木に隠れていて見えない。それにしても随分と登ってきたものだ。あれほど騒がしかった激流の音が聞こえない。聞こえるのは、息を切らした僕の呼吸音だけ。峡谷を挟んだ向かいの山の稜線が見える。紅葉で色づいていた。深い山の中に僕だけしかいない。とても静かだった。
その時、肌寒いことに気が付いた。日中だというのに明らかに気温が下がっている。どれだけ登ってきたのか分からないが、高度が影響しているのかもしれない。ナップザックからフリースのタートルネックを取り出して着込んだ。十分に休憩は出来たと思う。呼吸も整っていた。立ち上がり階段を登り始める。ところが10段ほど登ったところでまた座り込んでしまった。太腿の筋肉がプルプルと震えている。かなり酷使していた。筋肉が萎縮しようとしている。今にも肉離れを起こしてしまいそうだ。その時、フルマラソンの30km壁を思い出した。
ガス欠になった車は走ることが出来ない。同じように、人間もガス欠になれば動くことが出来ない。人間にとってのガソリンは多糖類のグリコーゲンであり、タンクは筋肉や肝臓になる。人間が貯蔵できるグリコーゲンの量には限界があり、一般的には2000kcalだそうだ。ところが、フルマラソンを完走するために必要なエネルギーは2500kcalになる。500kcal足りない。この差がフルマラソンにおける30kmの壁を生み出した。トレーニングによって脂肪を燃焼しながら走れるようになると、フルマラソンだけではなくウルトラマラソンも完走できるようになるが、その為には専門的な訓練が必要になる。
長期にわたりフルマラソンから離れていた僕は、以前のような体作りが出来ていない。この30kmの壁に似たような状況に陥っていることに気が付いた。グリコーゲンが枯渇すると、体は次なるエネルギーを求めて筋肉のたんぱく質からエネルギーを生成しようとする。この状態になると、筋肉が収縮して肉離れが発生する。今まさに、その現象が起きていたのだ。慌てたように、ナップザックに仕舞っていた行動食を取り出して食べる。しかし、食べるのが遅すぎた。このようなコンディションになる前に、計画的に食べておくべきだったのだ。
行動食がエネルギーに変換されるまで待っていられない。腰を上げて歩き出した。息が上がり、足がもつれる。また座り込んでしまった。遅々として前に進まない。そんなことを何度も繰り返した。見上げると、いつ終わるとも知れない階段が上へ上へ伸びている。いつまで続くんだろう……。体力だけでなく、精神も疲弊した。考えることが、段々と億劫になってくる。ロボットのようにただ繰り返した。登る、休む、立ち上がる。登る、休む、立ち上がる。登る、休む、立ち上がる……。
朦朧としながら登り続けていると、景色が変わり林道に出くわした。車が走ることが出来る砂利道が登山道と交差している。これまでに堂倉滝までの10kmの道のりを6時間かけて歩いてきた。しかし、堂倉滝からこの林道までたかだか1.5kmの道のりに対して1時間半も費やしてしまう。ただそのお陰で高度は300mも上げていた。来た道を振り返る。これまでで一番激しい登り坂だった。山頂はまだまだ遠い。計算では、残りの距離は3.5kmあり、高度は400mほど上げなければならない。
この時点で、体力的な疲れはピークに達していた。立っている事さえやっとだった。目の前の階段を登っていけば、登山道に復帰することが出来る。しかし、今の僕ではこれからの坂道を登りきる自信がない。いま必要なのは、休養と栄養補給だった。大きく肩で息をしながら、辺りを見回して思案する。大杉谷には、二つの山小屋があった。一つは前回に紹介した桃の木小屋、もう一つが粟谷小屋になる。この林道の先に、その粟谷小屋があった。利用者のネットのコメントによれば、宿泊客ではないがこの小屋に立ち寄りコーラを購入したという体験が紹介されていた。
――コーラが飲みて~!。
コーラ、いや糖質が欲しい。今の僕に必要なのは即効性のあるエネルギーなのだ。砂漠の中でオアシスを見つけたように、登山道を登らずに砂利道の林道を歩き出した。ゾンビのようにフラフラと。