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楽しい時間はここまで

 「3」という数字はバランスが良い。「1」は始まりの数字だが倒れやすい。「2」は支え合うことが出来るが共倒れもある。ところが「3」は、ジャンケンのように三すくみの関係を生み出すことが出来る。日本の権力構造が三権分立になっているのは、そのバランス性に期待しているのだろう。そうした「3」という数字は、自然界においても重要な数字になる。個体、液体、気体という物質の三態や、X軸Y軸Z軸を使った空間座標、それに光の三原色などに使われる。


 僕が若い頃、「ブッシュマン」という映画が話題になった。アフリカの砂漠からやってきたブッシュマンの数え方は、「1.2.3.いっぱい」だった。砂漠で生活していくうえで必要な数字は3まで、それ以上は「いっぱい」で事足りるそうだ。確かアマゾンの原住民も同じような数え方をしていたと思う。直感的に人間が理解しやすい最大の数字が「3」なのだろう。


 世の中には、三大何某という表現の仕方がある。例えば今年のゴールデンウィークに、スーパーカブに乗って天橋立の砂州を走ってきた。天橋立は、宮城県の松島、広島県の宮島と並んで日本三景の一つになる。今回訪れた大杉谷は、新潟県の清津峡、富山県の黒部峡谷と共に日本三大峡谷の一つに数えられていた。他の峡谷を訪れたことがないので単純な比較はできないが、大杉谷は日本三大峡谷の名に相応しい変化にとんだ峡谷だった。


 シシ渕から半時間ほど歩くと、平等嵓に辿り着く。大日嵓は、岸壁を削ることで登山道を確保していたが、平等嵓に対してはそのようなルートを確保することが難しかったようで、吊り橋を使って対岸に迂回するルートが用意されていた。その吊り橋を渡っていくと、平等嵓の威容を見上げることが出来る。垂直に切り立った岸壁の頂点は574m。渓流の標高が370m前後なので、およそ200mの高さを誇る岸壁だ。写真を撮るにしても、あまりにも高低差がありすぎて構図に収まらない。揺れる吊り橋の中腹で、頭を上下に動かした。


 眼下には大きな岩がゴロゴロと転がっていて、ゴーゴーと音をたてながら激流が岩にぶつかっている。その時、宮川の渓流がエメラルドグリーンな理由を理解した。百年二百年、いや千年二千年、そうした長遠な時間をかけてこの渓谷は激流に晒され侵食されていく。軽い砂地は押し流されて岩だけが残ったのだ。自然が作り出した造形に目を奪われる。


 吊り橋を渡り歩みを進めると、それまであった登山道が無くなった。山の斜面一面に大小の岩が折り重なっている。石垣のように組まれているわけではないが、凹凸が組み合わさり安定はしているようだ。石の所々に、赤いスプレーが吹いてある。その赤い印を追いかけるようにして登っていった。


 苔生した山道だったり、岸壁を登ったり、小さな滝を潜ったりと、大杉谷の登山道は変化に富んでいる。北摂の山では体験できない秘境だった。歩き始めて4時間弱。これまでに渡ってきた吊り橋は5本だったと思う。目の前に6本目の吊橋があった。名前は「桃の木吊橋」という。その吊り橋の向こうに、柿色の屋根の山小屋が紅葉が始まった山の中に溶け込んでいた。桃の木小屋だ。


 今回の旅程では一泊二日で大杉谷を往復するので、僕は桃の木小屋に宿泊しない。ただ一般的な旅行であれば、この山小屋に宿泊するのがベストだろう。予約が必要だが奥伊勢からバスが出ている。登山口の到着時間は昼の12時だそうだ。登山口から桃の木小屋までゆっくり歩いて5時間ほどかかるので、距離的にも丁度よい。途中には、千尋滝、シシ渕、平等嵓といった大杉谷の見どころが集中しているので満足するのではないだろうか。


 ただ不思議に思ったことがある。旅行客をもてなすにしても、食材をはじめ様々なものを調達しないといけない。この山小屋まで、荷物を背負って運んでいるのだろうか。案外と大きな山小屋で事前の予約が必要だが250人まで収容できるそうだ。仮に250人分の食材を運ぶとなると……。出来なくはないが、想像しただけでもかなりの重労働に違いない。ん~、凄すぎる。何か宣伝のようになってしまった。実のところ僕も宿泊してみたかったが、今回は縁がなかった。先を急ぐ。


 桃の木小屋を後にして暫く歩くと、日本の滝百選に選ばれた「七ツ釜滝」とご対面できる。落差は120mと千尋滝には及ばないが、階段状の造形美溢れる瀑布を楽しむことが出来た。とてもユニークで見ていて飽きない。展望所が用意されているので、休憩地点としても丁度よい。というか休憩すべき。これ以降の登山道は、難しさのレベルが一段階上がるからだ。


 七ツ釜滝から次の光滝の間で、2004年の豪雨により大規模な岩雪崩が発生した。これにより登山道が通行止めになる。現在は通行できるが、登山道が整備されているわけではない。崩落した岩場を乗り越えていくのだ。「七ツ釜滝吊橋」を渡ると、登山道は河原に降りていく。渓流を真横に見ながら道が続いていた。岩の上を歩いていくのだが、所々が濡れている。この濡れた岩で、必ず滑る。分かっていても滑る。鎖場では鎖を掴むことで体勢を立て直すことが出来たが、鎖が無い場所ではそれが出来ない。何度も足を滑らせてしまう。一寸した段差でも、足場が悪いので足を捻挫しそうになった。僕は膝が弱いので、特に怖い。


 渓流の幅が狭まると、激流はより一層激しくなる。そんな激流の真横に登山道があった。鎖があるので、掴んでいれば落ちることはないが、かなりの迫力を楽しめる。圧倒的な質量の水流が、怒涛の勢いで流れ落ちていく。でもそれ以上の迫力が目の前にあった。崩落現場である。


 車よりも大きな岩が、上流を埋め尽くしていた。子供が遊ぶ積み木のように折り重なっている。これは、大自然が遊んだ後なのか? スケールの大きさに目を見張った。当然のこと登山道は無い。この岩場を乗り越えていくしかないのだ。快晴の空、青い空めがけて両手を使って登っていく。岩場に足をかけて体重を乗せた。崩れてしまわないか心配になる。一気に10mほど登り、そして振り返った。登ってきた岩が累々と積み重なっている。先ほどまで歩いていた登山道が小さく見えた。大きく背伸びをする。激流逆巻く渓谷を一望することが出来た。更に歩みを進める。登り切った岩の上に、門のように二枚の岩が鎮座していた。そこを越えると、また河原が現れる。大杉谷の登山において、この崩落地が一番刺激的で楽しかった。ただ、大杉谷における事故はこの地域で多発しているようだ。ご注意を。


 これ以降も、光滝、隠滝、与八郎滝と景勝地は続く。見どころが多すぎて、正直なところ紹介しきれない。この大杉谷の登山において、中締めのクライマックスは堂倉滝になる。落差18mと、それまでのダイナミックな滝に比べれば随分と小ぶりに見えた。ただ滝つぼが大きくて丸い。滝と滝つぼというシンプルな構成ながら、シンメトリーな美しさがある。その滝つぼの上を、「堂倉滝吊橋」が架けられていた。吊り橋を渡りながら、ホッとした気持ちにさせられる。これまでの豪快な滝と違って静けさが漂っていた。滝つぼはとても大きくて深い。水の底から蛇の神様が姿を現わしたら、さぞかし良い絵になるだろうと想像した。


 登山口からこの堂倉滝まで歩くのに、6時間ほどかかった。もうすぐ昼の12時になる。距離にして凡そ三分の二を消化していた。目標の日出ヶ岳までは残り約5kmある。これまで標高300m付近の登山口から出発して標高800mまで登ってきた。その差は500m。日出ヶ岳は標高1,695mなので、残り895mを登らなければならない。いよいよクライマックス。残りの急登は、僕の限界を超えるものだった。 


挿絵(By みてみん)

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