大日嵓
目が覚めた。寝袋の中から手を伸ばしてテントのポケットからスマホを取り出す。画面が白く輝いた。朝の4時。モゾモゾと寝袋から抜け出す。テントのジッパーを開けて外に出た。ヒンヤリと寒い。森の中は真っ暗で、見上げると相変わらず無数の星々が瞬いていた。太陽が昇り始めるのは6時。もう準備を始めないといけない。
ヘッドライトを取り出して、頭に装着する。荷物からガスストーブを取り出して、湯を沸かす準備を始めた。コッヘルに500mlの水を入れて火にかける。湯が沸くまでの間に、手早くパッキングを始めた。七輪の炭は燃え尽きて白い灰になっている。火が残っていないのを確認してゴミ袋に入れた。七輪は箱に入れて、サイドバックに収納する。寝袋は湿気ているので、裏返して木に掛けた。テントは底が濡れているので、ドーム状のままスーパーカブに凭せ掛ける。そうこうしている間に湯が沸いた。インスタントラーメンの袋を開けて、乾麺を湯に投入する。野宿の朝は、いつもインスタントラーメン。ラーメンは体の中から温めてくれる。寒い朝の強い味方。ズルズルと麺をすすり、汁も全部飲み切った。手早く朝食を済ませて、コッヘルやガスストーブを収納する。これで全ての荷物のパッキングが終わった。忘れ物がないか確認をする。さあ出発だ。
暗闇の中、宮川の上流に向かってアクセルを回す。スーパーカブのヘッドライトは光量が弱いので、前方が見えにくい。ただ往来する車は一台もないので、これといって危険なわけではない。宮川に沿ってアスファルトで舗装された道を走っていくと、宮川ダムに到着した。これから先はダム湖になる。二車線だった道は中央線が無くなり細くなり、スカートのひだのような山の背を乗り越えるようにして伸びていた。道の所々には枝や石が落ちている。乗り上げるたびにスーパーカブのハンドルが取られた。
前方のダム湖に覆いかぶさる山の稜線が見え始めた。太陽が昇り始めている。程なく走ると吊り橋が見えてきた。車一台がやっと通行できるような吊り橋。看板には「通行者及び前車が渡り終えるまで通行禁止」と書いてある。こんな吊り橋に車が何台も同時に走行したら落ちてしまいそうだ。吊り橋を渡り終えて、更に上流に向かう。右に左にとカーブが連続する道を走った先に、大台ヶ原登山口があった。バスの停留所があり、屋根のある大きな休憩所もあった。その休憩所の隣に、スーパーカブを停める。周辺には、登山客の車が4台駐車されていた。
相棒のスーパーカブは、登山を終えて帰ってくるまでここに停めておく。着替えや食料といった必要最小限の荷物だけナップザックに仕舞い、残りの荷物はここに置いていく。その間、降雨や盗難から守るために用意していたバイクカバーを被せた。少し心配だがこうするより仕方がない。
歩き出す前に、休憩所の椅子に座った。靴ひもを強く結びなおす。今回の登山の為に、ハイカットの登山靴を購入したのだ。生地にゴアテックスを使用している。雨が降っても染み込まない。それでいて通気性がよいのだ。少しお高い靴だったが、必要だと判断した。前回はランニングシューズで山登りをしたが、足首や膝をひどく痛めてしまう。その教訓から、山登りには専用の靴が必要なことを理解した。
時刻は6時。太陽は登り始めたが、山が高すぎてその存在が確認できない。ただ、辺りは完全に明るくなっていた。日出ヶ岳まで片道15kmある。ネットの情報によると、時間にして11時間かかるそうだ。健脚の方だと8時間という記録もある。週一ではあるがランニングしているので、足には割と自信があった。目標として14時ごろには登頂してみたい。そんでもって、余裕があれば大蛇嵓にもう一度行ってみたいと考えていた。いよいよ出発。気持ちが高ぶっていた。強く一歩を踏み出す。
登山道はまだアスファルトだった。左手に宮川が流れている。しばらく歩くとトイレが見えてきた。手前に大きな看板がある。「熊出没注意」と書かれてあった。右手を伸ばし、サイドポケットに差し込んである熊撃退スプレーを確認する。一応取り出してみた。レバーを引く。
プシュッ!
心許ないスプレーだが、準備だけはしてきた。サイドポケットに仕舞う。ここには登山届が提出できるポストが設置されている。事前に記入を済ませた登山届を投函した。今回の登山で仮に事故を起こした場合、この登山届が重要な手掛かりになる。登山初心者であれば、つい見落としてしまいがちな手続きになる。
ポストの隣には、大杉谷入山協力金の自動販売機も設置されていた。この販売機の存在は事前に確認している。入山に際しては、千円の協力金が必要なのだ。ウエストポーチから現金を入れた袋を取り出す。ところが一万円札しかない。しかも、渋沢栄一の新一万円札。お金を崩すのを忘れていた。これでは協力金が払えない。仕方がないので自販機を後にした。支払う意思がないわけではない。下山の時にでも支払うことにしよう。
歩みを進めると、宮川第三発電所が見えてきた。舗装された道はここまで。ここから本格的な登山が始まる。ワクワクが止まらない。フェンスで囲われた発電所を抜けると階段があった。いよいよ本当の冒険が始まる。その先に次のような看板があった。
――警告。大杉谷登山歩道を利用される方へ。大杉谷登山歩道は遊歩道ではありません。この登山歩道には危険な個所が多くあり、転落等により毎年多数の「死亡事故」が発生しています。
死亡事故の警告。注意しなければならないが、より一層期待が膨らんだ。鼻息を荒くする。そんな中、初っ端から難所が登場した。大日嵓だ。嵓とは、巖の異体字で切り立った崖を意味する。本来であれば大日嵓が立ち塞がっていたために、通行が出来なかったと思われる。その大日嵓を「コ」の字型に削って登山道を整備していた。屋根の部分が大きくせり出している。それにしても、荒々しい登山道だ。ゴツゴツとした岩が剥き出しなのだ。岩には鎖が埋め込まれており、崖から落ちないようにこの鎖を掴まなければならない。このような登山道のことを鎖場というそうだ。
鎖を掴みながら見下ろすと、眼下に宮川が流れていた。宝石のように透き通ったエメラルドグリーン。目が覚めるような美しさだ。高所に立っていることも忘れて見惚れてしまう。ただ、少し疑問に思った。大阪の河川であれば、昨日のような豪雨の後は必ず濁っている。なぜ宮川は濁っていないのだろうか。ここ大台ヶ原は日本で最も降雨量が多い地域である。雨が多すぎて、砂地が洗い流されたのだろうか。不思議に思いながら、歩みを進める。
大日嵓を越えると、山の斜面を横切る登山道に変わった。同じ斜面だが岩場と違って眼下に木が生えている。仮に足を踏み外しても、何かしらの木に捕まることが出来そうだ。ちょっと安心する。一般的な登山道は山の背を歩いていくが、ここ大杉谷渓谷は川沿いに歩んでいく。歩きやすい道を選んでいるせいか、平坦な道が続かない。登ったり下りたりを常に繰り返す。せり出した岩場では、必ず鎖が打ち込まれていた。場所によっては、岩場に水が流れていて足元が滑りやすくなっている。転倒防止の為にも鎖は必ず掴むようにした。
大杉谷渓谷は、本流である宮川に多くの支流が流れ込んでいる。そうした支流が大きいと谷も深くなった。そのような場所では、吊り橋が設置されている。切り立った渓谷に、よくもまあこんなに立派な吊り橋が設置出来たものだと感心してしまった。吊り橋の定員は一人。この時は僕一人だけだったし、往来もなかったので気にしなくて良かったが、グループなら注意が必要だ。過去に多人数で渡ろうとして、吊り橋が落ちた事故があったそうだ。墜落により死亡者が出てしまう。ルールとして覚えておきたい。
高所恐怖症ではないので渡れなくはないが、吊り橋の中央くらいまでやってくるとやっぱり怖い。歩く反動だけで橋が揺れるのだ。数十メートル下には、白い岩が散乱した河原が見える。落ちれば確実に死ぬだろう。そんな中、ケーブルを掴んでスマホを取り出す。試しに写真を撮ってみることにした。片手でスマホを持ったまま、指を伸ばす。スマホを落としてしまいそうで怖い。ボタンをした。パチリ。
う~ん。怖い思いをしているのに、良い写真が撮れない。というか、この大杉谷の景観を写真に収めるのは、本当に難しい。このような渓谷の素晴らしさは奥行きにあった。現地に赴き両眼で見るから、そのスケールに圧倒される。ところが写真にしてしまうと、どうしても平面になってしまい奥行きが表現できない。写真家ならボカシのテクニックを駆使して上手く表現するのだろうが、吊り橋で震えている僕では、そんな余裕がない。残念だ。
大日嵓を過ぎてから2時間近く、単調な上り下りを繰り返す。体力的にはまだまだ余裕があったが、少し飽きてきた。どんなに美味しい料理でも、食べ続けると飽きてくるのと一緒だ。そんな時に一寸した変化に気が付く。それまで静かだった渓谷に、水が落ちる轟音が聞こえたのだ。近づくにつれ段々と音が大きくなる。歩く速度が速まった。