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熊と対峙したら

 都市部で生活をしていると、野生というものが感じられない。近年、熊被害のニュースを耳にすることがあるが、具体的にどれくらい危険なのかということは全く分からない。三重県の大杉谷から大台ヶ原まで登山を計画しているが、紀伊半島はツキノワグマの生息地域らしい。気になるので、少し調べてみた。


 日本に生息する熊は、ヒグマとツキノワグマの二種類になる。ヒグマは、日本最大の野生動物で北海道に生息している。体長は2mを越え、体重も200kgを越えるので、人間よりもはるかに大きい。それでいて時速60kmで走るそうなので、もし襲われたら逃げ切ることは出来ない。人間を食べた熊というのは人間を餌と認識するそうで、熊除けの鈴をつけると返って呼び寄せてしまうとか。ただ、本州には生息していないので、今回の登山には影響しない。


 本州に生息する熊はツキノワグマになる。生息地域は東日本に集中しており、熊被害の多くも東北に集中していた。西日本にも生息はしているが、個体数は減少している。紀伊半島でもその傾向は同じなのだが、今年に入り熊の目撃情報はあがっており、被害もあったそうだ。ヒグマに比べて小柄とはいえ、人間と同じくらいのサイズがあり時速50kmで走るそうだ。オリンピックの短距離選手よりも早い。


 そうした熊に万が一遭遇したら、どういった対処をすればよいのだろう。調べていくと、絶対にやってはいけないことが一つあった。それは背中を見せて逃げること。逃げると、反射的に熊は追いかけてくるそうだ。オリンピック選手でも逃げ切れない熊から、一般人が逃げ切るはずがない。熊と対峙したら、先ずは冷静になり向き合う。ゆっくりと後ずさりしながら、距離を取っていったほうが逃げれる可能性が高まるそうだ。ただ、これにしても実際に検証された対処方法ではない。慌てて逃げるよりもマシだろう……という想像の域を出ない。相手は野生の熊なのだ。


 最も確実な方法は、熊が生息する山の中に入らないこと。それならば熊に出会うことはない。ただ、それでは山登りが出来ないので、最低限の予防策として熊除けの鈴がある。熊も人間を警戒しているだろう……という前提条件にたって、予め人間の存在を熊に知らせる方法だ。野生が減少している日本においては熊は人間を警戒しているようなので、一定の効果があるらしい。しかし、これにしても人間側が都合よく想像しているだけで、実際のところは分からない。アメリカ大陸のグリズリーだと、鈴をつけている方が襲われるリスクが増大するとの記述があった。牛のカウベルと間違われるらしい。


 そうした熊に対して、熊撃退スプレーなるものがある。昨年の12月、JR浜松駅に停車中の東海道新幹線車の中で誤って熊撃退スプレーを噴射してしまった事件があったので、その存在はなんとなく覚えていた。あの事件では女性二人が軽傷を負ってしまい、熊撃退スプレーを所持していた登山客は過失傷害の疑いで書類送検される。刃物のような殺傷能力はないものの、取り扱いには十分に注意しなければならない。


 インターネットを検索すると、様々な熊撃退スプレーが販売されていた。製品の多くは、噴射距離が長く、噴霧時間も長いので、熊を威嚇するのに一定の効果がありそうだ。それに安全装置が付いているので、誤爆の心配も軽減される。ただ、大きな問題があった。どれも高価なのだ。販売者によって価格に大きな開きがあるが、5千円から1万5千円の間で販売されている。命の危険を天秤にかけて、高い高いと文句を言うのも変な話だが、安いに越したことはない。スプレーの成分を調べてみると、カプサイシンとの表記があった。カプサイシンと言えば、唐辛子の辛み成分。


 ――自作できるんじゃね?


 熊撃退スプレーの自作について検索をかけてみると、次々とヒットした。考えることは同じなんだと、少し笑ってしまう。早速、僕も作ってみることにした。作業のメインは、焼酎に唐辛子の粉末を混ぜ込んだ後、そのまま放置するだけ。梅酒を作るような感覚でカプサイシンを焼酎に抽出する。僕の場合は、5日ほど時間を掛けた。そのままだと粉末が邪魔でスプレーにならないので、コーヒードリッパーを使って濾過する。その真っ赤な原液を、興味本位で舐めてみた。辛いというより舌が痛い。


 さて、この熊撃退液をスプレー化するためには道具が必要だ。理想は、ガスを使って噴霧する強力なものが欲しい。工具を使えば市販のスプレー缶を改造して自作することも可能だが、もう出発まであまり時間がない。また、そうした工作に時間とお金をかけるのなら、5,000円を払って製品を買った方が手っ取り早い。今回は、100均のダイソーでスプレーボトルを購入することにした。丈夫で小柄なものを選ぶ。水を入れて噴霧してみたが、1メートルも飛ばない。それに、効果を期待するなら何度も何度もトリガーを引く必要があった。大丈夫だろうか?


 熊撃退スプレーは風に弱い。もし、風下に立って噴霧してしまうと、カプサイシンの刃が自分に降りかかることになる。調理のさなか、唐辛子を触った手で目じりを掻いたことがことがあった。目は痛いし、目じりはヒリヒリするしで、水道水で慌てて目を洗ったことがある。熊撃退スプレーを使うのであれば、風上に立つことを意識しないと駄目だ。


 熊の速度は時速50km。詰められたら、熊撃退スプレーを取り出す余裕がないかもしれない。鞄の中に仕舞っていては命取りになる。なので、いつでも取り出せる工夫が必要だ。出来ればガンマンのホルスターのように、専用の腰ベルトみたいなものがあればいいのだが……。ズボンの横にポケットがあるカーゴパンツを、僕ははいている。そのサイドポケットにスプレーを入れてみた。


 ――ホルスターみたい。


 熊が急に襲ってきたことを想定して、僕は右手を下に伸ばした。スプレーボトルを掴む。さっと取り出して、前方に構えた。狙いを定めてシュート!


 ――プッシュ。


 一発では、効果が薄そうなので連続でシュート。


 ――プッシュ。プッシュ。プッシュ。


 迫力のない音だ。これで熊が撃退できるのか少し心配になる。ここはカプサイシンに力があると信じるしかないのだが、手の内にあるスプレーボトルをマジマジと眺める。やはり心配だ。


 想像の中で、僕は熊と格闘してみた。熊は犬よりも嗅覚が優れているらしい。仮にこのカプサイシンが、熊の目や嗅覚を攻撃したら、一定の効果はあるだろう。ただ、時速50kmで突進してきた熊に、このスプレーを噴霧し続けてみても突進はきっと止まらない。スプレーボトルを持ったまま、自動車にはねられたくらいの勢いで僕は押し倒されてしまう。熊は急所である、僕の喉元に嚙みつこうとした。その嚙みつこうとする口の中に、僕は左腕を突っ込む。命が助かるのなら、左腕くらいくれてやる。右手にあるスプレーボトルを、熊の顔めがけてシュート……のはずが、熊に吹っ飛ばされた勢いで、スプレーボトルが飛ばされてしまった。この右手で何が出来る。覚悟を決めて、熊の眼球に指を突っ込む……。


 想像から目が覚めた。頼りないスプレーボトルだが、無いよりマシと割り切るしかない。ただ、サイドポケットが気に入った。シュコンとポケットにスプレーボトルを納めてみる。具合は悪くない。気分はガンマン。明後日には出発だ。

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