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デフ・アルピニスト

 大阪の摂津市から長野県の白馬まで、400km以上もの距離があった。高速を使ったとしても、かなりの時間がかかる。今から出発して夜通し走れば、日が昇る前に白馬に到着するだろう。ガソリンを満タンにしたあと、ブラックの缶コーヒーと眠気覚ましにBLACKBLACKのガムを3本も買った。叔父さんから教えてもらった京都の葬儀屋に到着したのが、夜の10時ごろ。スタッフの方に説明を受けた後、棺桶を車に運び入れる。棺桶は思っていたよりも大きかった。7人乗りのワンボックスカーのシートをフラットにして、その上に棺桶を滑り込ませてバックドアを閉める。運転席に座り振り返ると、直ぐ目の前に棺桶の角が見えた。シートを後ろに倒す余裕はない。車内の広さがウリの車が、かなり窮屈になった。


 長野県白馬村までの道のりは高速道路を使う。京都から名神高速道路にアクセスして滋賀県に入り、琵琶湖の東岸を走った。古戦場である関ヶ原を越えると名古屋市内に入る。そこから中央自動車道にアクセスして長野県に入り北上する。諏訪湖の辺りで長野自動車道に乗り換えると白馬村に行くことが出来た。とにかく長い道のりで、名古屋を通過した時点でもまだ半分に達していない。長野県に入ってからが特に長いのだ。長野県は南北で200km以上もある細長い県で、平均標高は1100mを越えている。日本の屋根のような所だ。


 暗闇の中、高速道路に等間隔に並ぶ街灯が僕の行く手を照らしたあと、次々と後方に流れていった。外の景色は、黒い闇に中に沈んでいて分からない。街灯の流れを見るだけの退屈なドライブだった。ハンドルを握りながら、従兄の浩ちゃんのことを思い出す。スピード狂から足を洗い登山家へとシフトした彼は、自分の足跡をブログに残していた。題名を「デフ・アルピニストの集い」という。彼はブログの始まりに、次のように記した。


 ◇◇◇

 デフとは?

 日本語に訳して聾者(ろうしゃ)の意味です

 アルピニストとは?

 《アルプス登山者の意》登山家。特に、高度な技術を要する登山を行う人


 普通のハイキングでは物足りない

 もっと上のレベルの登山を目指したい

 そんな葛藤を抱えながらもいろいろな山登りを模索する

 聾者との出会いを記録したくブログを立ち上げました

 自分の山行日記も含めて長く続けられるように頑張ってみます

 ◇◇◇


 彼のブログは、2013年4月から2015年5月まで続けられた。わざわざ「デフ」を冠しているところに、彼がブログを立ち上げた意志を強く感じる。彼が山登りに対して興味を持った切っ掛けは、ロッククライミングだった。ハイキングと違ってロッククライミングは、高度な登攀技術を要するとともに、岸壁から落下する危険が常に付きまとう。だから、クライマーはビレイと呼ばれるサポーターと二人一組で登る必要があった。その際に必要になってくるのがロープである。クライマーはハーネスを使って自分の体にロープを固定してから登攀する。落下した際には、ビレイがそのロープを引っ張ることでクライマーの安全を確保するのだ。そうしたクライミング技術を習得するために、彼は聾者の友達と一緒に登山学校への入学を希望するも、断られてしまう。後にブログの中で、彼はそうした過去について述懐した。


 ◇◇◇

 かつて私は、友人と一緒に中級登山学校に応募したところ聴覚障害の問題もあって受け入れを拒否されました。単に障害のあるない以前に登山学校での事故があまりにも多く、教える側の方もそれなりに神経をすり減らして努めておられているので、万が一事故が起きたときその責任は誰が持つのか?

 そのリスクを出来るだけ減らしたいそうで、特に意思の疎通が図れる手段が見つからない現状では、受け入れ出来ないという回答をされました。

 もし私が向こうの立場になってたら同じことをするでしょう。その点では理解できますが、このままでは引き下がれないので、当時は山の会や登山学校のスタッフの方達を巻き込んで、騒動を起こしてしまいました。

 この場を借りてもう一度お詫び申し上げます。

 ◇◇◇


 耳が聞こえない従兄にとって登山は、登る前から困難なスタートであった。学校への入校は断られたがその後、耳が聞こえない彼らの意志をくみ取ってくれる理解者と出会う。その縁から、関西で活動する登山サークルに入会し、クライミング技術を習得するようになっていった。初期のころは週末になると、難波や淀川にあるクライミング専門のジムに足を運んだり、サークルが企画する講習会に参加して近畿周辺のクライミングに適した岩場に張り付いていた。六甲山の蓬莱峡でクライミングの練習をしていた時の感想が興味深い。人気の岩場らしく、複数のサークルがその場所で練習に励んでいた。彼が呟く。


 ◇◇◇

 この日は他の山岳会の危険な行為も見られました。技術的に未熟なのか、前持っての打ち合わせが出来てないのか、それほど経験の深くない私達から見ても首をかしげるような取り組みをしていました。

 耳が不自由な私達は声によるコミュニケーションが取れないハンディを抱えて取り組んでいることを自覚して、入念な練習の繰り返しと正しい技術を学んでいく必要があります。

 万が一の事故が起きた時やっぱり聴覚障害者は…なんて言われないためにも、その点は強くかみしめておかなければなりません。

 ◇◇◇


 クライミング技術の習得と並行して、彼は様々な山を登り始める。しかも、一足飛びに難しいとされる山にも挑戦し始めるのだ。ここで、2013年の彼の足跡を列挙してみる。


 2013.7.21 御手洗渓谷 

 2013.8.15 御在所岳 前尾根・中尾根ルートへ挑戦

 2013.9.20~22 剱岳・早月尾根ルート 源次郎尾根断念

 2013.10.11~13 2度目の剱岳・源次郎尾根断念 

 2013.10.27 烏帽子・駒形

 2013.11.1~3 類まれなる奇岩の峰 妙義山 

 2013.11.30 木枯らし吹く保塁岩 

 2013.12.28 猛吹雪の伊吹山 

 2013.12.31~2014.1.1 厳冬期の西穂高


 年末年始を利用して、彼は一人で西穂高に向かった。西穂高は2909mもある高い山だが、途中までロープウェイが使えるので観光客も多い。しかしこの時は、厳冬期であり更に吹雪いていた。ロープウェイの終着駅である西穂高口駅を降りた彼は、そこから尾根を辿って2kmほど先にある西穂山荘に向かう。短い距離でありながら山荘までの高低差は200mもあり、周りは尋常じゃない降雪量の銀世界。ただ、入山者は割と多かったようで、踏みしめられた雪道を辿っていくだけでよかった。西穂山荘は標高2367mの高地にありながら、通年営業している山小屋になる。年始であっても多くの登山客で賑わっていた。しかし、吹雪の勢いはさらに増している。当時の心境を彼が呟いた。


 ◇◇◇

 それでも登山を強行するパーティ。

 さっさと下山準備に入るパーティ。

 小屋付近にて動きの慌しい人混みの中から私は撤退した。

 「山は逃げない!」

 仲間のよく言っていた口癖。それに習うわけではないが今回無理して登頂を目指すにはリスクがありすぎるからだ。また次回に狙えばいいだけのこと。アルピニストを目指したい以前に普通のサラリーマンだから、その辺の落とし所を考えた上での判断だった。

 ◇◇◇


 新年が開けてからも、従兄の登山に対する意欲は衰えない。衰えないどころか、更に難しい山に挑戦するために、技術の習得と合わせて六甲全山縦走にも挑戦していた。六甲全山縦走とは、須磨浦公園から宝塚までを歩くルートで距離は41kmもあるそうだ。40代の頃の僕は毎年フルマラソンを走っていたので、その距離の長さが体感的に理解できる。ただ、六甲全山縦走は山を登るルートだ。フルマラソンよりも更に難しい挑戦になる。彼は途中でリタイヤしたものの、一月後に残りの後半を歩き切っている辺りに、彼の執念を感じた。2014年前半の彼の足跡を列挙する。


 2014.1.5 金比羅山 

 2014.2.9 また金剛山

 2014.4.30~5.2 御嶽山 ゲレンデスキー&登山

 2014.5.11 千石岩

 2014.5.24~5.25 穂高

 2014.6.1 駒形岩 

 2014.6.29 六甲全山縦走 途中リタイヤ 

 2014.7.20 六甲全山縦走 後半 

 2014.7.26~27 甲斐駒ケ岳ダイヤモンドAフランケ取り付き 

 2014.8.11~15 剱岳・源次郎尾根~北方稜線

 

 従兄は剣岳に過去に2度挑戦している。剣岳は新田次郎氏の小説「剣岳・点の記」で有名になり、映画にもなっている。彼もその映画を観ており、その影響から剣岳に興味を持ったようだ。ただ、登頂ルートの一つである源次郎尾根は挑戦できずにいて、それを敗北と感じていたようだ。今回はその源次郎尾根に挑戦する。


 この尾根を登攀する場合、ロープを使ったクライミング技術がどうしても必要になる。しかし、この時の彼は単独登攀だった。サポートするビレイがいないので、その難易度は更に高まる。それでも十分に準備してきた彼は、源次郎尾根からの剣岳登頂に成功した。普通であれば、これで下山する。しかし、彼はそこから北方稜線に向かった。北方稜線は剣岳から北に延びる稜線を踏破するルートだが、登山道といった道はなく岩がむき出しのガレ場だ。一般登山者の入山が許されない危険極まりないコースになる。この北方稜線で彼は初めての滑落事故を体験した。

 

 ◇◇◇

 この時点でまだ11時をまわったあたりだと記憶しているが、こんなに早くガスが出てくるとは思わなかった。ここ北方稜線で一番厄介なのはこのガスなのだ。ひとたび濃くなると数メートル先も見えなくなるぐらい性質の悪いものだ。だからポイントとしては午後を過ぎたらガスが発生しやすくなるということを頭に入れておいたのだが、それでパニックになったわけでもないのだが、集中力が切れたのか、次の瞬間 滑落してしまった。

 何メートル落ちたのだろうか。なんとか踏みこたえた時に右足に激痛が走った。やばい むこうずねを切ってしまった。血が止まらない。この辺は鋭利な石がゴロゴロしている。なんとか止血に努める。

 ふと気がつくと下のほうから2人が上がってくるのが見えた。この日北方稜線ですれ違ったのはこの2人だけ。痛みが治まるのを待つとともに2人が安全圏に達するまで待機を決めた。またこちらの滑落で危険を及ぼしてしまう恐れがあるからだ。

 ◇◇◇


 1時間ほど休憩したのち、彼は登山を再開する。濃かったガスが晴れてきたたお陰で、北方稜線の名所である「小窓の王」や「池ノ谷ガリー」が姿を現した。この周辺は今もなお氷河が残っていて、滑落した後だというのにその雄大な景観に彼は心を奪われた。


 ◇◇◇

 この時はすごく嬉しかった。最悪の場合ビバークも覚悟していたからだ。こうしてはっきりと見える状態になるとは思いもしなかった。

 ◇◇◇


 登山は、生と死が隣り合わせだ。滑落して死ぬ危険性があったとしても挑戦してしまうのは、その雄大な大自然から何かしらの啓示を受けるからだろう。信仰に似ている。いや、これこそが信仰の原点なのかもしれない。


 8月に滑落事故を起こした従兄だったが、9月にまた剱岳に向かった。今度は小窓尾根ルートからの登攀だった。これまで挑戦してきた早月尾根ルートや源次郎尾根ルートは、難しいながらも挑戦する登山家が多いので情報が多い。ところが、小窓尾根は情報が少なかったようだ。沢を登り進んで行くも途中から道がなくなり、藪の中を突き進むようになる。目の前には先月に登攀した小窓尾根や剣岳が見えるのに前に進まなかった。彼は思案する。


 ◇◇◇

 えらいところにきてしまったぞ。

 ここで即撤退を決意した。本当の怖さはここから始まった。

 当然帰りも尾根筋を忠実に下っていくわけだが見分けがつかないのだ。深い藪の中もあいまって両側は切り立ったガレ場になっており、その傾斜角が尾根の下りと判別できないのだ。しかも所々にルンゼが待ち構えている。次の一歩を踏み出した瞬間、足元が崩れて滑落してしまった。

 左手に激痛が走った。しばらく動けなかった。

 そんな私をたたみかけるようにガスが出てきた。ここで人生初のビバークを決行した。ツエルトを張れるだけの広さはない上、地面は岩や木の根っこだらけで凸凹だ。ロープを使ってなるべくその凸凹を最小限にするように這わせていく。その上にツエルトを体に巻きつけるようにしてそのまま横になった。出来ればシュラフに入りたかったが、その場所もかなり傾斜がついており、少しでも寝返り打とうならスリップしてさらに谷底に落ち込む恐れがある。こうして明るくなるまでの約14時間ぐらい凍えるような寒さと暗闇の世界に耐えた。

 翌朝、GPSと地図で確認したところ1614メートル地点の分岐点まで、直線距離でわずか200メートルだったが、実際にはとても遠く感じられた。

 何度かのスリップをしながらもようやくそこに辿り着き持参してきていた水も空になった。ここからは明瞭な踏み跡が続いているので、最後の気力を絞りきり下っていき無事に白萩川に着いた。

 すぐにザックを降ろしガスストーブとコッヘルを取り出して、川の水を煮沸し別の容器に移し替えて川の中に入れて冷やした。そして一気に飲み干した。

 自分の中で何かがこみ上げてくるものを感じた、初めて死を意識したその恐怖感から解放されたものを。

 ここからも取水口までの厳しい道のりが残っていたが、この小窓尾根ルートに敗れた悔しさのせいかエネルギーを持続させてくれた。このまま無事帰阪についた。

 ◇◇◇


 死はまぬがれ何とか自宅に帰れた従兄だったが、全身複数の打撲、顔面裂傷、左手骨折全治2ヶ月という怪我を負ってしまった。そんな彼だが、骨折が治っていないのに10月にはリハビリ登山と称して槍ヶ岳に登っている。臆するどころか、山に対する想いがどんどんとエスカレートしていることを感じた。その後の語の活動記録を列挙する。


 2014.9.26~28 小窓尾根 過酷な藪漕ぎ・滑落

 2014.10.23~25 槍ヶ岳 リハビリ登山 

 2014.10.30~11.1 4度目の正直 西穂~奥穂縦走 

 2014.12.14 烏帽子岩にてクライミング&忘年会 

 2015.1.2~1.4 八ヶ岳 初の厳冬期単独挑戦

 2015.4.30 六甲全山縦走達成


 4月の最終日には、六甲全山縦走に成功している。一年前にリタイアしたことがよっぽど悔しかったようだ。しかも、標準タイム14時間の距離を、12時間でクリアしている。クライミング技術だけでなく、体力面も鍛え上げていた。そんな従兄が、長野県白馬にほど近い五竜岳の登頂に挑む5月がやって来た。

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