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なぜ、山に登るのか。

「なぜ、山に登るのか。そこに、山があるからだ」


 イギリスの登山家ジョージ・マロリーが言った言葉だ。日本では単純に「山」と訳されているが、この山とはエベレストのことである。この言葉を残したマロリーは、1924年6月にエベレストの登頂に向けて出発するが帰らぬ人となってしまった。75年後の1999年5月1日、国際探索隊によってマロリーの遺体が発見されるが、エベレストの登頂に成功したのかは定かではない。


 今から9年前の、2015年5月26日。仕事を終えて中央卸売市場から帰ってきた僕は、テレビのニュース番組を見ていた。 先週に行われた大阪都構想の是非を問う住民投票では、反対が多数という結果が出る。そのことで地域政党である大阪維新の会が揺れていた。コメンテーターの意見を聞きながら、畳の上にゴロンと横になる。嫁さんは仕事だし子供たちも学校に行っているので、家の中は僕一人。だんだんと眠たくなってきた。


 リーン、リーン。


 電話の音で目が覚めた。目をしばたたかせながら起き上がる。受話器を持ち上げた。


「はい、もしもし」


 京都に住む親戚の叔父さんだった。


「急に申し訳ないね」


「どうされたんですか?」


 叔父さんから電話があるなんて初めてのことだった。用事がある時は、僕の父親の妹である叔母さんが対応していたからである。暫しの沈黙の後、叔父さんが切り出す。


「実はね、浩一郎がアルプスで滑落してしまってね」


 僕はこの時まで、滑落という言葉を知らなかった。叔父さんが何を言っているのかが全く分からなかった。叔父さんの説明を聞きながら、滑落とは山登りにおいて足を滑らせて高所から落ちることだということを知った。つまり、従兄の浩ちゃんは、長野県のアルプスにおいて滑落して亡くなったということだった。叔父さんは、僕に対してとても申し訳なさそうに話をする。どうすればよいのか分からなくて、現在の状況を説明してくれるが、具体的にどうするのかという話に発展しない。具体的にというのは、浩ちゃんの遺体のことだ。


「浩ちゃんは、いま何処にいるんですか?」


「ヘリコプターで引き上げられた後、白馬村の役場にいるそうだ」


「葬式は、京都でするんですよね」


「そうなる」


「浩ちゃんの搬送はどうなるんですか?」


「葬儀屋にお願いしているが、まだ業者が決まっていない」


 これは僕の使命だと直感的に感じた。僕が行かなければならない。それ以外に考えられなかった。


「おじさん。僕が行きます。僕が浩ちゃんを連れて帰ってきます」


 叔父さんは驚いていたが、僕の要求を快く受けてくれた。その後、叔父さんと段取りについて打ち合わせをする。明日の朝10時に、長野県の白馬村で叔父さんと叔母さんと落ち合うことにした。叔父さんたちは列車に乗って現地に向かい、僕は自家用車のワンボックスで向かう。途中、京都にある葬儀屋に寄って、棺桶を預からないといけない。搬送に関する手続きについては葬儀屋と直接に相談することにした。


 電話を切った後、今度は会社の社長に電話をする。事情を説明した後、木曜日は仕事を休むことになると伝えた。明日は市場休だから会社に迷惑はかからない。一日中車を走らせて長野から京都に向かってるだろう。その日の晩に通夜式を行い、木曜日が告別式になる。ハードなスケジュールだ。


 次に、嫁さんに電話する。手短に事情を説明した。嫁さんから「車の事故だけは気を付けてね」と、念を押される。過去に、僕は何度も車で事故を起こしてきた。嫁さんの心配はもっともだ。「分かった。気を付ける」と返した。


 叔父さんの電話があるまでは、ゴロゴロと寝転がりオフ状態だったが、今の僕はオン状態。浩ちゃんを迎えに行く使命感に突き動かされていた。子供たちはまだ誰も帰ってきていない。自宅を後にして駐車場に向かう。浩ちゃんが亡くなったことがまだ信じられない。亡くなってしまった浩ちゃんに対して、叱り飛ばしたいような気持に駆られた。大きく息を吐いて、車のアクセルを踏んだ。

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