苔生す世界
君が代は
千代に八千代に
細石の
巌となりて
苔の生すまで
オリンピックなどで「君が代」が流れると、自分が日本人だという気持ちにさせられ、何となく襟を正したくなる。ただ、僕たちが日本という国を意識したのは明治時代以降からで、それまでの日本人にとって国とは幕藩体制のことだった。長州藩とか薩摩藩といった感じである。鎖国が終わり世界の文化が日本に流れこむことによって、日本人という意識が醸成されていった。
「君が代」に旋律が付けられたのは明治13年のことで、それ以降、国家的な儀式に使用されるようになる。ただ、国歌として法律で正式に定められたのは平成11年で、かなり新しい。「君が代」の君が天皇のことを指しているということで、戦後は論争の火種になることが多かった。同じように、日の丸の国旗や旭日旗もよく問題にされる。僕からすれば、これは論点のすり替えのように感じてしまう。
太平洋戦争を指揮していた軍国主義日本は、天皇の為にまたお国の為に命を捧げろと国民を駆り立てた。実際に多くの人々が戦争によって亡くなっていく。「君が代」は、国民を宣揚するプロパガンダの一環として利用されたわけだ。この関係性の中で、誰に責任があるのかと言えば軍国主義を指揮した人々になる。それなのに、枝葉である「君が代」を問題にしていては本質を見失ってしまう。では、当時の指導者に責任を問えばよいのかというと、これもまた本質ではない。指導者は変えることが出来るからだ。現代においても愚かな戦争が無くなっていないが、そうした戦争の悲劇を二度と繰り返さないのであれば、そのような指導者たちを突き動かした思想性こそを問題にしないといけない……と、僕は考える。そうした話に関心があるが、これ以上は沼なのでここでやめる。
ところで「君が代」は、平安時代に編纂された古今和歌集に掲載されている。誰が読んだのかは分かっていない。つまり、「君が代」の君が天皇であるのかどうかは分からないのだ。和歌の内容を紐解いてみると、君に対して永遠の繁栄という祈りを、巌に苔が生す様子で表現した祝福の詩になる。現代の主権在民の日本国においては、君とは日本国民一人一人のことであり、無理矢理に天皇にこじつける必要はない。意味合いは、時代の変遷とともに変わっていく。それでよいと思う。いきなり何の話かと面食らったかもしれないが、これは長い前置きで、西大台は苔生す世界だった。
大台ヶ原は、雨が多い地域である。雨という恵みがないと苔は育たないのだが、東大台は伊勢湾台風によって森林がなぎ倒されてしまい、苔が育たなくなってしまった。代わりにミヤコザサが山一面に繁茂する独特の景観を形成していく。対して、西大台は深い深い森だった。天を覆うかのようにブナが林立していて、その根元に人や獣が踏みしめた山道がある。その道の両脇に目をやると、緑色の苔が絨毯のように敷き詰められていた。地面だけでなく、倒れた木々や転がっている石にもフワフワの苔が貼りついている。
苔は、強い日差しの下では育たない。また、耕された畑でも育たない。適度な湿度があり、かつ水捌けがよく木漏れ日程度の日照があると良く育つようだ。苔はゆっくりと育つ。時間が苔を育てる。苔は悠久の時の流れそのものだ。そうした苔生す世界で、僕は立ち尽くす。息を止めて見回した。山の斜面に大きな岩がポツリポツリと居座っている。その一つ一つの岩が緑色の苔で覆われていた。どれだけの時間、そうしてきたのだろう。十年二十年、それとも百年二百年。じっと居座りながら、岩は苔が纏わりついていくに任せたのだろう。薄暗い森の奥にある苔生す世界は、人間の侵入を許さない聖域のように感じた。
そうした苔を踏まないようにして、僕は歩みを進める。ところが、足元の山道というのが、とても不明瞭だった。歩きながら、何度も道から外れる。この日は晴れ渡っていたので、何とか元の山道に戻ることが出来たが、霧が多ければきっと迷っていたと思う。そのように迷いながら、山道に目印があることに気が付いた。足元の木の根っこや垂れさがる木の枝に、小さなビニールテープが巻かれている。環境に配慮したそうした印を追いかければ、道に迷わないことを知ってからは幾分歩くのが楽になった。
西大台のコースは、登ったり下りたりを繰り返す。東大台に比べて起伏の変化がとても激しかった。息は切れるし、かなりハードなのだがそれ以上に大変だったのが、ゴロタの道だった。東大台のように、山道は整地されていない。坂道に階段はなかった。東大台を歩き切った僕の足は、この不整地でかなりのダメージを受ける。小山が登山靴の必要性を説いていたことを思い出した。まさにその通りだった。石を踏むと足首が左右にねじれる。そのことによって、足首だけでなく膝関節まで痛くなってきた。途中からは、足を引きずるようにして歩くようになる。体力は自信があった。だけど関節の痛みにはほとほと参ってしまった。膝の痛みによって体力も削がれていく。
谷間に降りると、小川が流れていた。森が切れて青空が見える。辺りは太陽の光が満ちていた。水の流れが白く輝いている。耳を澄ますと、サラサラとしたせせらぎの合間から、コンコンと一定のリズムで音が聞こえる。キツツキだ。大きく息を深呼吸をする。身体は疲れていたが、浄化されていくような心地よさを感じた。足元の岩に腰を下ろす。喉が渇いていた。背中に背負っているリュックからペットボトルを取り出して、麦茶を飲む。目の前の小川を眺めた。
僕が居ようが居まいが、この川は流れ続けている。これまでも流れてきたし、これからも流れていく。そうした営みがとても崇高なことに感じた。この世界が存在していて、この僕も存在している。これは当たり前ではなくて、実はそれこそが奇跡なのかもしれない。そんな気持ちにさせられた。
体力が少し回復する。腰を上げた。ただ、少し問題がある。目の前を流れる小川に橋がなかった。対岸に道が続いているので、この小川を渡るのは間違いない。小川の中には大きな石が点在しているので、飛び石のように踏んでいけばよいのだが、嫌な予感がした。濡れた石に足をのせる。次の石に足をのせる。疲れ切った足は踏ん張りがきかなかった。案の定、足を滑らせてしまう。
――ドボン。
ランニングシューズの中に水が入ってきた。ズボンも濡れてしまう。東大台では朝露でズボンも靴も濡れたが、その比ではない。マジで濡れた。ビッチョビチョ。先ほどまでの静謐な気持ちが、どこかに吹き飛んでしまった。
――ったく~。何やってんだ!
自分に向かって毒づきながら、考え直す。こんなトラブルも良い思い出だ。ただ、次に山に登ることがあったら登山靴が欲しい。それも防水仕様の格好良いやつ。そんなことを思った。