浮浪人と侮るなかれ
「これが今回の獲物か」
頭から下まで黒装束を身に纏い、如何にも不審者然とした者が五人、卯柳の門を跨いだ。一人一人が色の違う鬼の面を被り、素顔を隠していることが何よりも目立っていた。
「今回の仕事に黒がいるのが気に食わねぇな」
「あいつは仕事のことにしか頭にないからね」
「そうだぜ。黒がいたら女を犯ることさえ出来んからな。殺すか逃すかの極度の二択だしよ」
「そもそもこんなに鬼士が動く必要あるのかね」
「仕事は仕事だ。さっさと終わらせるぞ」
最後にそう言った黒鬼の仮面を被る男が歩みを進めると、無駄口を叩いていた他の鬼士と思われる者たちもそれに続いた。彼らは屋敷の前まで辿り着くと、堂々と正面から中に入る。
「ここは客間か」
その言葉を最後に沈黙が流れると、黒鬼の男たちは音もなく忍び足で部屋の前へと移動する。そして、そっと障子を開け中を覗き込んだ。すると、そこには一人の浮浪人が寝転んでいた。その男は鞘を右手に持ち、まるで死んだように眠っている。その姿に鬼の男の一人が呟いた。
「こんな時にぐっすり寝てるとは何とも幸せなもんだ」
茶色の仮面を被った茶鬼士はそう言った。
「まあでも、俺たちが来たんだ。もう死ぬんだから幸せでも何でもないけどな」
もう一人の黄鬼士の男が言うと同時に腰に下げた刀の柄に手をかけた。それを見て黒鬼士は首を横に振る。
「仕事以外の無駄は止めろと言ったはずだぞ。無関係な者を狩る必要がない」
その口調は静かなものだが、殺気が込められているため自然と恐怖心を煽ってくるものだった。しかし、そんなことは意に介さず、むしろ挑発するかのように薄気味悪い笑みを浮かべた者が居た。それこそ緑鬼士と呼ばれる男である。彼は薄ら笑いを浮かべたまま口を開いた。
「だってさ、可哀想じゃないか? こんな時に眠りこけているなんて……だからせめて一撃で楽にさせてあげようと思ってね。優しいだろ?」
そう言いながら一歩前に出た彼の目には殺意で満ち溢れていた。衝動に駆られた緑鬼士は浮浪人を殺すために一気に抜刀した。
その瞬間、眠っていたはずの男の右目がカッと見開いた。そして、目にも留まらぬ速さで振るっている刀に向けて鞘を添えるように、そのまま受け流した。流れるように身体を半回転させ勢いをつけて起き上がると、目にも留まらぬ速さで蹴りを放った。
「……ぐっ」
緑鬼士はその蹴りを受け、広庭に吹き飛んだが、すぐに立ち上がり態勢を整えた。そして、目の前の人物がただの浮浪者ではないことを悟った。いや、もしかしたら己自信の見間違いかも知れないと考えたが、そう思わせるだけの迫力があった。なぜなら、この男は一瞬で鬼士たちの気配を察知し、反撃をしてきたのだ。並大抵の人間が出来ることではないと確信したからだ。
そんな中、今度は背後にいた紫鬼士が懐から短刀を取り出し構えた。それを見た他の四鬼士たちもそれぞれの武器を構えた。それに対して浮浪者は腰を落として低い姿勢を取りながら腰の鞘に手を触れて答えた。
「静かに眠ってやり過ごそうと考えていたのに。人生とはままならぬものだ」
その言動は先程まで寝ていたとは思えないほど、しっかりとしていた。それどころか、その立ち振る舞いには気品すら感じさせた。その姿を見た鬼士たち各々、警戒を強めたが、ある箇所を見てその警戒心は払拭した。
「は! 片腕だと? 驚いて損したじゃないか」
「こいつ剣すら持ってないぞ」
「顔の傷後から左目すら見えていないかもな」
緑鬼士と茶鬼士の二人は口々にそう言った。彼らの言葉通り、浮浪者の左腕は肩から先が存在しなかったのだ。それでも男は余裕の表情を見せていた。
「たかだか片側が減るくらいは大した問題ではない。それよりも酒が無くなる方が問題だな」
それを聞いた鬼士たちは一斉に笑い出した。
「おいおい、随分と自信たっぷりだな。その身体でどうやって俺たちを止めるんだ?」
「確かに、そのボロボロの身体でどうにかなるのかよ?」
「なんなら、見逃してやってもいいんだぜ?」
嘲笑混じりの言葉を浴びせられた男は、それでも尚、表情一つ変えなかった。
「生憎だが、私にはやらねばならぬことがあるのだ。今なら其方らが逃げても追いはしない。命が惜しいならこの場から去れ」
「はは! ふざけるなよ!」
その言葉に苛立った茶鬼士は短刀を片手に襲いかかった。だが、男はそれを嘲笑うかのように後方に飛び退き、紙一重で攻撃を躱したのだ。広間に躍り出た四人の鬼士達は驚愕のあまり思わず足を止めた。それは、あまりにも洗練された身のこなしだったからだ。
「緑に黄に茶に紫。そして黒色よ。最後にもう一度言う。其方らでは私には勝てない」
その言葉に緑鬼士は我慢出来ずに声を上げた。
「片腕如きに言われる筋合いはない!!! あいつを殺すぞ!!」
その声を合図に、再び激しい戦闘が始まった。先程と同じ様に両者がぶつかり合う瞬間、緑鬼士の刃が閃いた。瞬きする間も無く繰り出される斬撃を鞘の腹で防ぎながら、男の右手は流れるように、リング状になっている鞘先に手首を通した。
男の持つ鞘はクリオネのような特殊な作りになっていて、頭に位置する部分は丁度、手首が通るほどの丸い隙間があるのだ。そして、右手首を軸として回転し出すことで相手の攻撃を受け流していく。
その技はまるで舞踏のようで、それでいて芸術的でもあった。その光景を見た緑鬼士は思わず見惚れてしまったほどだ。
その間にも他の『三鬼士』の攻撃が次々と襲い掛かったが、それらを悉く捌いていく姿はまるで赤子の手を捻るかの如くいなしていく。そればかりか攻撃の合間を縫い、茶鬼士の喉を鞘の先端で突いたのだ。それを受けた茶鬼士は一瞬の間を置いて、その場で絶命した。鞘の頂から麓まで自由自在に操る技術はまさに神業であり、見るものを魅了するほど美しく鮮やかだった。
──こいつ本当に人間なのか?
そう思ったのは、この場で唯一諦観していた黒鬼士だ。彼は冷静に分析を行いつつ、どう動けば最善なのかを考えていた。
──一縷の隙を突く。
彼はそれだけに集中するしかなかった。幸いにも黒鬼士は闇に溶け込むので、相手に気付かれる可能性は極めて低い。例え気づいたとしても対処出来ないだろうと考えた。だから敢えて奇襲を仕掛けることにしたのだ。
──ここだ!!
黒鬼士は大きく踏み込むと、一気に間合いを詰めて剣を突いた。しかし、その男にとって背後からの死角の一撃さえも容易に受け止められてしまうのだが……。
「なに!!」
「「ッ!!!!!」」
その受け方に誰もが目を見張った。黒鬼士の突きが男の持つ鞘にすっぽりと納まるように受け止められたのだ。それも右脇の間から生えてくるように。
「納刀して受け止めるだと!」
黒鬼士は剣を手放し即座に後ろに下がった。すると、男が持っていた鞘は先端にある輪状を軸としてクルリと半周し、黄鬼士の喉に向かって飛んでいく。鞘の内にあった黒鬼士の剣は凄まじい遠心力によって弾丸のように放たれ、並外れた速度により回避することなど不可能に近かった。
「カヒュッ!」
鈍い音と共に黄鬼士は短い呻き声を上げると、そのまま床に崩れ落ちた。いくら柄側といえど、喉に受けた衝撃は計り知れず、呼吸困難に陥り窒息死に至ったのだ。
「其方らは山で動く鹿よりも狩りやすいものだ」
そう言って不敵に笑った男の顔は、地獄の使者を思わせるような凄みがかっていた。




