当主の裏切り
「……それがお前の判断か」
卯柳家の当主は卯柳玄蕃は目の前にいる息子──刻信の言葉が信じられず、眉根を寄せて訊き返した。
「刻信よ。お前は真心に劣らず賢い人間だと思っていたぞ。そんなお前なら分かるだろう。狡猾な俺が動いたということは、お前にとって勝ち目のない戦だ」
「父上は勝てる時しか動きませんからね。だから僕はこう申したのです。骨を埋めると」
刻信は父の目を真っ直ぐに見据えたまま答えた。その黒い瞳には揺るぎない覚悟の色が見える。
「はっ、勘違いするなよ。一つだけ言っておくが、誰もお前のためだけではないぞ。ただ、お前が連れてきた桜紋の娘がいくら末娘だろうと名家の血族に変わりないからな。厄介事に突っ込むよりも、味方になり得る可能性が少しでもあるならそちらを選んだまでだ」
「どこまでも不遜な方だ……」
刻信は玄蕃の言葉に吐き捨てるようにそう重ねた。その言葉からは静かな憎悪の念が感じられた。対する玄蕃は、その様子を見て鼻で笑った後、こう口にした。
「まあ良い。それよりもお前に話があるんだ。なぜお前たちが絶対に生きて帰れないのか知りたいだろう?」
「……」
刻信は答えられなかった。いや、正確には、刻信の頭の中にはある仮説が生まれており、それを信じたくないという気持ちがあったからだ。自分の欲望のために平気で人を殺し、時には権力を笠に着て人を操り、そして利用するような男なのだ。
「もしかしたらお前も知っているかも知れないな。俺が悪道の連中と繋がっていることを」
「やはりそうでしたか……。僕が何度も父上の動向を探っていたことも全てお見通しだったというわけですね」
「ああ、そうだとも。犬の如く嗅ぎ回ったお前でもこの先のことは分からんだろう? 一体、誰がここに来ているのか」
「そこまでの自信が持てる根拠は何でしょうか? 」
「悪童の鬼士がこの場に来ていると言ったらお前はどうする?」
その瞬間、刻信の表情が強張り、同時に額に冷や汗が流れた。
「しかもだ。ここにいる猛者たちが束になっても敵わない黒鬼士が参戦しているとしたらどうだ?」
「なるほど、そういうことですか……」
刻信は頭の中で冷静に分析した結果、狡猾な父の言葉を信じたが、だからといって諦めようとは思わない。それは即ち、自らの命を賭してでも戦い抜くということを意味していた。
「悪いね幕幕。僕との腐れ縁もどうやらここまでかも知れないね。逃げたければ逃げればいい」
刻信はそう言うと隣に立っている幕幕に対して声をかけた。それはどこか哀愁漂う声色だった。しかし、それに対する幕幕の言葉は意外なものだった。
「まさか!! 私は最後までこの命尽きるまで刻信殿に付き従う所存でございます!」
そこには強い意志と覚悟が見えた。その表情すら一片の曇りもなく、死地に向かう武士のような顔だった。
「まっ、天才な私は何がなんでも生き残りますからね」
「頼もしい限りだよ」
「それで、敵の首魁である刻信殿の父君を捕らえればいいのですね」
「そうだな。この現状を解決するには人質を取るしかなかろう」
二人の会話を聞いていた玄蕃は、ニヤニヤと笑みを浮かべ、満足そうな表情を浮かべながらこう言った。
「お前たちの考えそうなことなど手に取るように分かるわ。俺を生け捕りにすることが如何に不可能か見せてやろう。青鬼士!!」
玄蕃はそう叫ぶと同時に背後に控えていた能面の護衛武士が刀を抜いた。そして、目にも留まらぬ速さで駆け出し、刻信たちの方に向かってきた。その姿は正しく疾風怒濤のごとく勢いがあるものであったが、幕幕はそれを遥かに凌ぐ速度を誇る技を持ってして対抗した。
『桜技一式 桜花布武』
次の瞬間、凄まじい破裂音と共に眩い光が辺り一面を照らし出した。その光はまるで花火のように美しく煌めき、そして散った後には赤き血が宙を舞っていた。
「ほお、これが名家五花紋の中でも最強と言われる桜紋の血統気伝か」
そう言った護衛武士は至る所に傷が出来ていたが、致命傷となるような傷はないように見える。それどころか先程と変わらない様子であり、余裕すら感じられるほどであった。そして何より目立つのはその顔である。幕幕の技に隠れながら見ていた刻信にもはっきりと分かったことだが、傷が入った人面を即座に捨て去り青鬼のお面を被ったのだ。それは、まるで妖怪のようでもあり、地獄の番人のようであった。
「他の鬼士も来ていたか……」
「誰も黒鬼士だけとは口にしてないだろう? 今回の任は確実性を求めているからな。これがどういうことか分かっただろう?」
「つまり、黒鬼士と青鬼士だけではないみたいですね」
「ご明察だ。だが今更気付いたところでもう遅い」
そう言って高笑いをする卯柳家当主の姿は狂気に満ちていた。それこそ、この世の全てを嘲笑うかのような醜く歪んだ笑みであった。
その時、突如として轟音と共に地面が揺れ始めた。その振動によって一瞬、各自身体が浮き上がるような衝撃が走った。
「何だこれは?」
玄蕃はそう言い放ったが、それがこの場にいる全員の感想だった。だが、一人だけ冷静を保っている者がいた。
「今すぐ離脱しましょうか」
そう言った青鬼士は、この状況がどれだけ不味いことなのかを理解しているらしく、すぐさま撤退しようと提案した。その言葉に反応したのは、やはりと言うべきか、狡猾な当主、卯柳玄蕃である。
「何を言っておる? ここで退くわけがなかろう。俺らが撤退するときは、皆殺しにしてからだ」
「情報と潜入を生業にしている私は、鬼士の中でも戦闘に秀でていません。恐らく目の前にいる彼女にすら敵いません」
「勝てないから逃げると言いたいのか?」
「違います。当主様もおかしいとは思いませんか? あまりにも他の鬼士たちが遅く、静かすぎます」
「なるほど。ん、待てよ? ではさっきのは……」
「恐らく、黒鬼士とやりあえる人間がこの屋敷にいるでしょう」
「そんな武人がこの屋敷にいるわけないだろう!」
その言葉を聞き、瞬時に理解した刻信はすかさず口を挟んだ。
「幕幕、今だ!!」
その一言に呼応するように幕幕は大きく頷くと、脱兎の如く駆け出した。その動きは俊敏でありながら、それでいて優雅さも兼ね備えたものだった。
「一旦引きます」
「待て。卯柳の家宝はどうする?」
「それは他の鬼士達に任せます。私たちは即座に離脱します」
そう言った青鬼士は、玄蕃を担ぎまるで鶴のようなしなやかな動きであっという間に姿を消した。
「速すぎる!!」
戦闘面において最弱である青鬼士だが、逃亡や侵入に関しては鬼士一番と言われている。それ故に追跡など不可能だと断言できるほどだった。
一方、残された刻信たちはというと、
「何だかよく分からないが、今はこの場を制圧するのが先だ」
刻信は今も血が飛び交う屋敷内を見回して言った。そこはもはや地獄絵図のようだった。辺りに散乱する屍たち、あちこちから聞こえる悲鳴、怒声、そして断末魔の叫び──全てが異常で異質なものだったが、それら全てに慣れ親しんでいる幕幕にとっては当たり前の光景であった。
『桜技二式────』
呼吸を整えた幕幕はこの場を鎮めるために駆け出した。