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無名の剣豪  作者: 箱好鐘
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戦の始まりは唐突に



刻桜凛(こくおうりん)



 幕幕はそう呟くと、銀狼と同じように剣を振るった。それを見ていた武人たちは、その刀に何も感じなかったが、次の瞬間には蜜柑の繊維が幾重にも断ち切られて、まるで散りゆく桜の花びらのように宙を舞った。繊維ごとに等分された蜜柑は薄い皮すらも剥がれて、丸裸の赤ちゃんのようである。



「おお! これが一太刀で何重にも斬撃を生むと言う」


「噂だと桜紋の強者なら万の刃が放たれるとか?」



 それを見た者たちはそんな声を上げた。その歓声を聞いた玄蕃は満足そうに笑うと、こう言った。



「幕幕と言ったかな? 見事な武威だったぞ」


「恐縮でございます」



 幕幕は深く頭を下げた。その手に持つ刀はすでに鞘へ納めており、いつ抜き放ったのかすら分からなかった。



「俺の立つ瀬がないじゃないか。二十にも満たぬ嬢ちゃんに見劣りする技しか披露できなかったもんだしな。がはははは」


「何を言うのです! たった『四の月』の技しか見せていないではないですか! 欲を言うならば幻とも言われる『八の月』をこの目で見てみたいものです……」


「幕幕ちゃんや、それを全て網羅するのは『帝』でさえいないとまで言われているんだぞ? 嫌味かい……?」


「ま、まあ、私ってば超天才ですからね! ひょっとしたら銀狼殿も……なんちゃって」


「おいおいやめてくれい。冗談にしては笑えんぞ……」




 幕幕のその言葉を聞いて、銀狼は思わず苦笑いを浮かべた。しかし、当の本人は特に気にしている様子もなかった。


 それからというものの、武人たちの妙技披露は続いた。そのほとんどが銀狼のような手品に近かったが、それでもその光景を見て盛り上がらない者はいないほどであった。そして宴も佳境に差し掛かった頃のことである。卯柳家の当主が武人たちに向けてこう言った。



「さて、今宵はよく集まってくれた。存分に楽しんでもらえたであろう。しかし武人である者には、戦いこそが至上の喜びであり楽しみでもあることは言うまでもないだろう。そこでだ──」



 その言葉の後、にやりと笑ってこう付け加えた。



「今からささやかな殺し合いを始めようではないか!」



 その玄蕃の言葉と共に、銀狼の腹からは無骨な剣先が突き出ていた。それはあまりにも突然のことで大半の者が呆然と立ち尽くしていた。



「かハッ──」



 銀狼は口から血反吐を吐きながら崩れ落ち、やがて床に横たわった。



「……なっ!?」


「一体どうしたというのだ!?」



 その場にいた者たちは動揺を隠しきれない様子でそう叫んだ。驚きのあまり声すら上げられないものもいた。そんな中でいち早く動き出した者がいた。



「くっ、刻信殿!!」



 倒れた銀狼を視界に写した幕幕は、的確に状況を把握し、大声で招待主であり雇い主である刻信の名前を呼んだ。当の刻信はというと、父親でもある卯柳家当主を壁を突き破るほどの眼差しで見ていた。刻信のその瞳からは底知れぬ怒りの色が伺えた。



「父上、やはり貴方は『未沢』に付くのですね。卯柳家の当主としての責任を果たすこともなく」


「刻信よ。お前はまだ二十の餓鬼だし、俺の息子でもある。今までのことは全て目を瞑ってやろう。だから桜紋の娘と共に私の元へ来い」



 刻信の言葉に対して玄蕃はそんなことを言った。その言葉に刻信は鼻で笑うとこう返した。



「やはり先代当主様の方が聡明で家門のことをお考えになっていたようです」


「お前までそんな事を言うか。ただ頭の回転は兄よりも俺の方が早いと思うぞ?」


「確かに父上は誰よりも狡猾でしょう。恐らく十五年前の先代当主の失脚すら、父上が裏から手を回したものなのでしょうね。その決め手となった真信と謎の武人のやり取りでさえも」


「そうだ。そして、その時から未沢との取引をしていたらお前はどう思う? 今までの行為全てが卯柳家のためではなくて、未沢家のためにだけ動いていたら、俺の手腕は見事なものだと思わないか?」


「まさか──」


「──そうだ。だからこい。今ならまだ間に合うと言っている。妻も未沢でお前のことを待っている」



 刻信はその言葉に思わず顔をしかめた。



「私は刻信様の判断にお任せいたします。ですが一刻も早いご決断を。既に戦闘は始まっています」



 至るところで刀と刀がぶつかり合う音が鳴り響いていた。血飛沫が飛び、悲痛な叫び声が聞こえる。この瞬間から、卯柳家当主による突然の謀反。それは十五年以上も前から始まっていたことだった。金で武士を雇う振りをして間者を潜ませたのも、間抜けな振りをして卯柳の力を削いでいたのも、全てこの時のためのものである。どこまでも狡猾な男であった。卯柳に尽くすために集まった武人は誰が敵で誰が味方か分からない。しかも、宴に酔っている状態であり正常な判断が出来なくなっている者も少なくはなかった。それが最大の仇となり、大半の武人がすぐに切り伏せられてしまう。



「天卯! 大地と共にこの場を離れなさい!」


「天卯お嬢様!!」



 勝指揮の言に沿うように、大地は天卯の腕を掴んで広間から逃げるように出ていった。そのような状況下でも天卯は冷静だった。


 彼女は全て知っていたのだ。この滅びの序章を。これから流れる滅亡への鎮魂曲を。



「大地。私には読心術の心得があるのは知っているよね?」


「はい。急にどうされました?」


「私から見ればある程度の心の声が覗けるし、それが真実か偽りかの区別もつく。だからこそ私は知っているの。この先がどうなるかってことくらい」


「何をご覧になりましたか?」


「卯柳の滅門よ」



 天卯はそういうと悲しそうに微笑んだ。恐らく天卯が読んだ先の未来は偽りのない真実なのであろうと、そう思った大地の心は沈んだ。同時にこみ上げてくる悔しさや絶望といった負の感情。だが、何故か大地は涙を流さなかった。そして真っ直ぐな眼差しでこう言った。



「その話は誰にされたので?」


「父上だけよ。父上はそれを聞いたら、真心お兄様をこの家から離すことを即ご決断なさったわ。兄様が知っていればここに残ったはずですし、知っているのはきっと父上は誰にも伝えていない筈ですよ」


「ならばまだ可能性はあるではありませんか? 私は真心様を信じていますので」



 その言葉には強い意志が込められていた。それは決して折れない鉄の棒のようなものである。



「無理よ。卯柳家当主様と対談した時に分かったの。当主様は未沢の人間でもあり、『悪道』と繋がりがあることも分かっている」


「悪道って大和の裏方を牛耳っているっていうあの?」


「ええ、そうよ。傭兵、暗殺、間者と汚いことに手を染めている外道の集まりよ」


「そんな! 悪道たちと手を取れば、正道を歩む『帝』の意志を踏みにじることになります! これが帝の耳に入れば制裁で軍が動く可能性すらあるではありませんか! 逆にこれを利用して帝に助けを求めたら駄目なのでしょうか?」


「証拠がないじゃない?」



 警察だって証拠なく犯人を咎めることはできないし、裁判なんてものは公平性に欠けるものである。まして今の時代では、武力を用いた殺し合いなど日常茶飯事の出来事であり、いちいち調査していてはキリがないのである。つまり、現行犯以外で逮捕するのは難しく、ましてや他家からの刺客ともなれば、なおさらのことである。帝がいくら政府管轄の機関といえども、所詮、どちらが悪質であると立証がない商家同士のいざこざに首を突っ込む程、暇ではない。



「それに帝の耳に入ることなく私たちは死ぬのよ」


「それでも私は真心様を信じています」


「もしかして、あの片腕の武人のことを言っているの?」


「彼のことは信用していませんが、彼を選んだ真心様を信用しているのです」


「笑わせてくれるわ。悪道の中でも名が通っている『十二鬼士』の黒鬼士が動いているのよ。普通の武人は愚か、片腕の、それも浮浪人の呑兵衛に何ができるというのかしら」


「鬼士が動いているのですか!?」


「そうよ。だから勝ち目のない戦だって言ってるの。それも黒鬼士だけじゃないわ。私が覗いて、あれ──」


──そう言えば、あの浮浪人の声も言葉も全ての真意が汲み取れなかったわ。



 そこまで考えると、天卯は思わず口を閉ざした。まるでこれ以上、このことに深入りするなと言わんばかりに、何かが彼女に警鐘を鳴らしているかのようだった。



「……でも、確かあの時はひどく腹を立てていたから気付かなかったのかしら」



 小言で呟く天卯は自分に言い聞かせるようにそう納得させた。しかし、あの時、怒りに任せた自分が何かとんでもないものを見落としていたのではないかと、不安に駆られているのも事実である。

そう思っていた矢先のことである。




「────僕は卯柳家に骨を埋めるつもりです!!」




 広間にいる刻信の叫び声が屋敷中に響いた。それは、戦の開幕を告げる狼煙のような声だった。




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