武人の集まり
それからしばらく時間が経つと、屋敷中に宴の準備が整ったという知らせが響き渡った。そして、その知らせと同時に屋敷の敷居を跨いだ武人たちに向かって、天卯が大きな声でこう言った。
「今宵は卯柳家の宴である! 招かれた武人たちは兎も角として、この場にいる全ての者にはそれ相応の覚悟を持ってもらいたいッ!」
その声を聞くと、屋敷の前に集まった武人たちは一斉に声を上げた。それは決して、天卯の言葉に感化されたわけではなく、ただこれから起こるであろう宴への期待と興奮を孕んでいるだけだった。
天卯はそんな武人の様子を見て、「ふん」と鼻を鳴らすと、合図だというように手を叩いた。すると屋敷の門がゆっくりと開き始め、そこから豪勢な料理や酒を持った使用人たちが姿を見せた。
「酒はここか?」
「つまみもあるのか?」
「喧嘩はするなよ!」
そんな声が四方八方から聞こえてきたが、天卯はそんなことを気にもとめずただ凛として立っていた。
「お兄さまはどうしてあのような呑んだくれを連れてきたのでしょうか?」
それは少し前の出来事であった。天卯は真心が連れてきた武人に対し、不信感を募らせていた。
あのような浮浪人を連れてきて、なんの役にも立たぬばかりか、家柄の品格を落としかねないと。だからせめて本日の武人紹介の場で恥をかかぬよう、軽く言葉を交わす程度で済ませたかった。
しかし、それは出来なかった。なぜなら──
「手には酒と、顔赤く、寝転がる姿は呑んだくれ。言葉を交わすのも億劫になるほどです。でもある意味これでよかったかもしれません。こうなれば間違っても起きないでくださいね」
天卯はそう言いながら、つい先刻のことを思い出していた。意識をまどろみに預けていた権兵衛のことを──
宴が始まってからというものの、屋敷の門を潜る武人の数は減るどころか増える一方であり、各々が用意された料理に舌鼓を打っていた。
「さて、どうしたものか」
そう呟いたのは若い女の武人であった。その呟きに返すように、四十ほど歳を食った強面の武人が口を開いた。
「お主もきていたのか」
「なっ! 銀狼殿、どうしてここに!」
その男は銀の髪を丸刈りにしており、一際目立って見えた。その男が近づいた瞬間、女武人は食べる手を止めて立ち上がり一礼した。すると男は大口を開けて笑い出した。
「そんなに畏まらなくてもいい! 今では君の方が立場は上だ。武家の名家『五花紋』である『桜紋』の末娘の幕幕殿」
空色の瞳は瞼に遮られ、桜色の髪を後ろで結っている女、幕幕は苦笑いしながら銀狼にこう言った。
「いえいえ、なぜ大和の王であられる皇を守護する機関、『帝』の武人がここにいるのでしょうか?」
『帝』とは、大和という国を守護する役割を持つ機関であり、その頂点に君臨する皇は、国の頂点に立つ存在であり、天皇様とも呼ばれていたことがある。
つまり、ただの呑み会のような場に、私服警察が混じっていることを知れば驚くのも無理ないことだ。それゆえ、帝に身を置く人類は政府の人間であるといえよう。
「帝の人間であることをやめたからな」
幕幕のその言葉に、銀狼は笑いながらそう答えた。
「勿体無いお人です。銀狼殿ならもっと上を目指せたでしょうに……」
「ありがたい言葉を言ってくれるじゃないか嬢ちゃん。それでも俺の階位は下から数える方が早かったがな」
「実力としては上から数えた方が早いでしょう。何せ上の階位ほど人数も少なくなりますし、そもそもの大半が『歩兵』でしょう」
「まぁまぁ、世辞はそこまでとして嬢ちゃんは何で落ちぶれた卯柳家に手を貸すのだ? それが桜紋の方針なのか?」
「……まあ過去に桜紋が卯柳家に助けて頂いた恩もありますが、これに関しては私の独断ですよ? ほら私ってば天才ですからね!」
幕幕がそう豪語したが、銀狼は不自然にできた間と、目線を逸らす仕草を見てこう思った。
──何か隠しているな。
しかし銀狼は幕幕の笑みを見て深く言及することはしなかった。桜紋の幕幕という女の素性はそれなりに知っているが、あまり立ち入った話は好きではなかったからだ。それから二人は他愛もない世間話をいくつかした後のことだった。
「さて、我が家自慢の料理と酒は楽しんでくれているだろうか?」
そう言ったのは真心の父親の弟である現卯柳の当主、卯柳玄蕃であった。派手な衣装に身を包み、いつも笑みを絶やさない男で、悪い噂が絶えない男でもあった。
「さて今宵はただ酒と料理に舌鼓を打ち、仲良く交流を深めてくれればそれでよいと思ったりもしたのだが、私たちは君たちの身の上も武威も知らぬ。それでは親睦など深めようがなかろう? そこでだ、これから武人たち一人一人に妙技を見せる場を設けたいと思う」
その言葉に、集まった武人たちは大いに盛り上がった。それもそのはずで、自分たちの力を他者に見せつけられるのは武人の誉であり、武威を披露できるというのは光栄なことであったからだ。
「銀狼殿はどう思われますか?」
そんな声に呼び止められた銀狼は振り返ると、
「罠だな」
そう答えた。それを聞いた幕幕は眉間にしわを寄せながらこう答えた。
「罠?」
「ああ、妙技を見せろと言っておきながら、武人たちの実力を測るつもりなのだろう。未沢家の間者が潜入しているであろうしな。それにあれを見ろ」
銀狼の指さす方向には、現当主の兄である勝指揮が玄蕃に向かって頭を下げていた。
「当主様。今回の催しは親睦を深めるためのもの。決して手の内を晒すようなことは……」
「黙れッ!」
当主の怒声が響き、勝指揮は面を上げた。するとその顔には怒りと後悔が入り混じっていた。それを愉快そうに見る現当主は大声でこう言った。
「私の命令に口答えをするとは何事か! 勝指揮よ、お前はいつから私にそんな口を叩けるほど偉くなったのだッ!?」
「お許しください」
「そもそも実力を隠せと申しておるが、お前がそんなことを言える口なのか! 武士一人も連れてこない小間使いのくせに。はっはっはっ!」
「それは……申し訳──」
「──俺がいますよ。まだ卯柳家が富家の時にはお世話になったものです」
そう言ったのは銀狼であった。そして、言葉を続けるようにこう言った。
「私でよければ妙技をお見せしましょう」
「銀狼殿、正気か!?」
「まあな。どうせ武威を披露せねばならんのだろう? ならばここである程度手の内を晒せば、後の話のタネになるというものだ」
目を見張る幕幕に向けて一旦言葉を切ると、銀狼は広間に集まった武人全員に向けてこう言った。
「『帝』に入らねば学べぬ剣式。月剣をお見せしましょう。私の妙技をとくとご覧あれ」
銀狼はそう言うと、腰に差していた剣を鞘から抜いた。その刀は鍔のない片刃の刀で、銀の刀身は薄っすらと青白く光っていた。
『卯孟夏』
銀狼がそう呟くと、広間の中央にある蜜柑に向かって剣を振るった。その剣先から放たれた斬撃は、空気を裂きながら蜜柑へと直撃した。次の瞬間、誰もが蜜柑は真っ二つに割れると、そう確信していたが──
「これは……」
蜜柑は二つに割れることなく、その斬撃を受け止めていた。それは蜜柑の周囲を薄っすらとした膜が覆っているかのような光景であった。そしてその膜は銀狼が剣を鞘に戻すと同時に姿を消した。そして──
「うおぉぉぉぉぉ!」
そんな叫び声と共に、蜜柑の皮だけが剣先の熱により溶けて、果実だけが姿を表した。
「おお!」
それを見ていた者たちは声を上げた。それはまるで手品のような妙技であり、それを見ていた者たちは銀狼の武人としての力に魅せられていた。
「見事だ! 小間使いには勿体ない腕前ではないか。それに『帝』の人間とはな」
「いえ、私はもう『帝』の人間ではありません。それと──」
銀狼は当主に向かってそう言うと、一拍置いてこう言った。
「私は当主様の兄君であられる先代当主様に仕える身でございます」
「すまぬ銀狼殿。不甲斐ない兄を許してくれ」
「いえ、お気になさらず」
銀狼はそう言うと、宴の中心へと戻って行った。
「ふん。小間使い風情の肩を持つとはな」
当主はそんな弟を見て鼻で笑いながらそう言うと、酒の入った盃に口をつけた。
「しかし喜べ。今日の私は気分がいい。この酒の席だけは小間使いではなく兄上と呼んであげようではないか」
「心遣い感謝致します」
「はっはっは、それにしてもか真心がいないようだがどうした? それとまさかとは思うが招待した武人は銀狼殿だけではあるまいな? この屋敷に住まう者は必ず一人は武人を呼ぶようにと伝えたはずだが?」
「それは……」
玄蕃の言葉に勝指揮は言葉を詰まらせた。それを見た当主は「まさか」と顔に出しながらこう言葉を続けた。
「真心も天卯も招待した武人が一人もいないということはないだろうな? 恥ずかしく顔も出せぬか! はっはっはっ、うちの息子は名家である五花紋の桜紋の娘を連れてきたというのに。刻信よ、紹介してくれぬか?」
「かしこまりました」
当主から指名を受けた実の息子である刻信は幕幕の前まで歩み出た。純粋な黒い髪に黒い瞳は父親譲りで、少し線の細い身体からはどこか儚げな印象を受ける。
「あのような父上ですまぬな幕幕。適当に対応していただいて構わない」
「承知しました」
誰にも聞こえぬ程の声でそうやり取りをすると、刻信は実の父である玄蕃の方へと向き直った。
「彼女が名門である桜紋の幕幕であります。縁あって今回は我が家に招待致しました」
「そうか! では桜紋の娘よ。簡単でよいので挨拶を頼む」
「はい。お初お目にかかります、卯柳家当主様。私は幕幕と申します。此度はこのような場で、歓迎のお言葉を頂戴致しまして誠に恐縮でございます」
そう言ったのは礼儀正しく頭を下げた可憐な女武者であった。動きやすそうな下袴を着込み、袴と同色の黒い半纏の背には桜の大紋が描かれていた。腰柄や衿字には紅い刺繍がされていて、それがより一層、彼女の立場を表していた。
「いやはや、見目麗しいお方ではないか。私も鼻が高いぞ刻信よ」
「ありがとうございます」
「それに比べて天卯や真心ときたら、招待した武人の一人も連れてこないとは。恥ずかしくないのか!」
「申し訳ございません。宴会までには必ずや連れて参りますゆえ」
玄蕃は大げさに手振りを加えながらそう言うと、天卯が申し訳なさそうにそう言った。
「すまぬが幕幕も簡単な妙技でいい。見せてはくれないか?」
「承知致しました」
刻信は悪い雰囲気を斬るようにそう言った。その拳はきつく握られており、それは目の前にいる父親に対しての怒りを隠すためのものであった。幕幕はその言葉に頷き、銀狼の技によって皮だけ剥がれた蜜柑へと剣先を向けた。




