第35話 これがブラックホールか
『まだこの龍天宮に残ってる人間がいるかもしれんから、そいつになんとかしてもらうのじゃっ!』と尻尾幼女アムタムに可愛く言われた俺は、広い空中宮殿の中を散策していた。
「まさか俺一人で探検することになるとはな……」
まのっぺの顔が思い出される。
あいつは元気でやっているだろうか。
ちなみにアジ君のことは、『煮るなり焼くなり好きにしてください』と言って置いてきた。
赤い絨毯の上をひたすら歩き、迷路の必勝法である左手法を使って宮殿を攻略すること数時間。
「あ、ここ壁が繋がってる迷路じゃないからこれ意味ないのか……」
と、気付いた。
どっと、疲労感が俺を襲う。
そうだった。
俺も結構馬鹿だった。
そこで、適当な扉を見つけてその部屋に入ることにした。
中に入れば座れる椅子くらいあるだろう。
ノブに手をかけるとその部屋に鍵が掛かっていないことに気がついた。
俺はノブを捻って扉を開ける。
「ん? お客さんかな?」
「あ、失礼しました~」
俺はできるだけ素早くそっと扉を閉めた。
なぜか?
それは俺の目に一瞬映ったのは、一糸まとわぬ女性の姿だったからだ。
うん。
あれは確かに一糸まとっていなかった。
生まれたまま。
全裸だったのだ。
『どうしたの? 別に恥ずかしがらなくてもいいよ?』
「いや、ほんとすいませんでした。まさか中に女性がいるとは……」
扉越しに彼女の声が聞こえてきた。
クソッ!
なんでこれだけ扉がある中で俺はこの扉を開いたんだ!
よくやった!!
「君、会議に乱入してきたセエレのお仲間でしょ? もう服を着たから入っても大丈夫だよ?」
「いや、そんな早く着替えられるわけ———あえっ!?」
扉が急に開かれ、寄りかかっていた俺は部屋の中に背中から倒れてしまった。
『いてて』と頭をさすりながら目を開けると、そこには……、
(ワォ、ブラック)
スカートの中に漆黒のパンツが見えた。
「ねえ、大丈夫? 急に開けてしまってごめんね。手を貸しましょうか?」
「いいえ。お構いなく」
俺は床に倒れたまま、彼女のパンツをガン見してそう返答した。
瑞々しい2本の柱の先にはブラックホール。
人間の俺では到底その引力に逆らうことなどできないのだ。
「それで、あなたは何者なんですか? 一対ここでなにを?」
俺は腕を組んで彼女のパンツを凝視しながら聞いた。
「私は変わってるって言われることが多いけれど、あなたも相当変わってるね……」
お姉さんはそう言いながらも移動しない。
露出狂なのか?
まあ、そんなのどーでもいいや。
今の俺のIQは3だ。
「私は戦略級魔法士のゼトラ。紫糸のゼトラ。よろしくね」
せんりゃくきゅう?
まほうし?
なに?
ぜんぜんじょうほうがはいってこない。
「あ、俺は我無です」
「それじゃあ我無くん? そろそろ起き上がってくれない? 座って話をしたほうがよくない?」
「はい……そうですね?」
パンツに夢中になっている間に、俺は適当に返答してしまった。
ゼトラがソファに向かって移動し、目の前からブラックホールがなくなると俺は正気を取り戻した。
立ち上がった俺はゼトラが座るソファの向かい側に腰掛ける。
彼女は黒いレースのような薄い生地の服を着ていた。
頭には魔女の三角帽子。
ハイヒールもアクセサリーもどれもが黒色で統一されている。
「それで、セエレのところの冒険者さんがどうして私の部屋に?」
ゼトラは足を組みながらティーカップに口をつけた。
「実はさっきまで蒼龍と食事してたんですが、家に帰れないことに気がついて助けてくれる人を探してたんです」
「それでたまたま私の部屋の扉を開いた?」
「はい。本当にたまたまですよ。これは」
まあ、目の前のお姉さんの裸を見といてたまたまというのには無理があるが、本当だから仕方がない。
「ふーん。ってことはこれは運命の出会いってわけか……お姉さんそういうの好き」
彼女が魔女の三角帽子のツバをクイッと持ち上げると、優艶に輝く紫色の瞳が見えた。
色気ムンムン過ぎる。
十代の俺にこれは厳しい。
絶えられるのか俺の理性は……。
「そんなわけで帰る伝手を探してるんですけど……心当たりはありませんかね?」
俺は内心めちゃくちゃドキドキしながら、差し出されたティーカップを持ち上げた。
止まれ俺の手の震え。
ぷるぷるするな。
「蒼龍さんは送ってくれないの?」
「彼女には断られました。なんでも下界を飛ぶと人間が驚くからみたいで」
一応蒼龍にも頼んではみたがそんな理由で断られてしまったのだ。
「そう。こまっちゃったね?」
頬に手を当てて頭を溶かすようなボイスでゼトラは言った。
ヤヴァイ。
俺こういうお姉さんにめっちゃ弱いんだよなあ。
尻に敷かれてぇ。
あ、本音出ちゃった。
「そうなんですよ。こまっちゃったんです。ゼトラさんはなんとかできませんかね?」
「え? 私……?」
薄暗い部屋の中、お姉さんと俺はじっと見つめ合う。
もう何が起こってもおかしくないこの状況。
俺の心臓はどんどんギアを上げていく。
「そうだね。なんとかしてあげてもいいけど。その代わり……」
「その代わり?」
俺のティーカップは振動数をさらにあげ、カタカタ状態だ。
「私の……」
「私の?」
流石にうるさくなったので俺はティーカップをソーサーの上に戻した。
すると部屋を静寂が包む。
「言う事一つ聞いてくれない?」
「言う事一つ? そりゃもち———」
いーや待て待て待て。
危ない危ない。
場の空気とお姉さんの色気であっさり承諾しそうになってしまった。
そうだ。
目の前にいるのはセエレと同じ戦略級。
そして俺は同じ轍を二度は踏まない男。
この間だってセエレに頼まれてとんでもなくチョロい男みたいな返答をしてしまったじゃないか。
気をつけろ。
まずはその頼みごとの内容を確認するんだ。
「その言う事っていうのはなんなんですか? 内容は?」
「えー。それを言ったら面白くないでしょ? それは後のお楽し、み」
ヤベえ。
脳が溶かされる。
なんだ?
この紅茶に薬でも盛られたのか?
それとも単純にこのお姉さんの魅力なのか?
「お楽しみ……ですか……」
「そう。それに今この龍天宮に残ってるのは私くらいなものだよ。みんなもう降りてしまったから。私はいつでも降りられるからこうして運命を待っていたんだけど……」
う、運命……。
俺とこの美人お姉さんが出会うことが……運命?
そ、そうだったのかもしれない。
もしかして赤い糸で結ばれてたり?
「それならゼトラさんに頼むしかないですね。うん。他に選択肢がないのだから仕方がないです」
「わーい。それじゃあ我無くんは私が送ってあげるね」
わーい。
美人のお姉さんに家まで送ってもらえるー。
「早速行きましょうか。今はどの辺りを飛んでるのかな」
ゼトラお姉さんは遮光カーテンをめくり丸窓を覗いた。
「あれ? ゼトラさんは俺の帰る先知ってるんですか?」
俺の現在の住所はセエレの屋敷。
戦略級同士仲がいいのだろうか?
「セエレの屋敷でしょ? 場所ならわかるよ。これでも彼女とは学園の同期だったんだから」
学園の同期?
このお姉さんはどう見ても俺より年上だ。
ってことはセエレって俺より年上?
それとも飛び級?
「あれ。その顔は聞かされてないみたいだね。大丈夫。彼女はちゃんと私達よりも年下だから」
大丈夫って、俺は別にどちらでもいいのだが。
「歩きながら話そうか?」
「ハイッ!」
ゼトラお姉さんはそう言って部屋を出たので、俺はない尻尾を振りながらその後を追った。
「彼女はね。昔から天才だったの。あの魔眼とスキル、そして継脈書まで持ってる名家の娘。努力しなくても戦略級になれる要素満載の少女だったの」
お姉さんは懐かしそうな顔で語り始めた。
声が良すぎるので俺は何も言わずに話を聞く。
「私が学園に入学したのは15の時だった。それでも若き天才なんて言われてたけど、上には上がいるものなんだね。彼女はその時6歳だったよ」
学園についてはよくわからないけど、15歳で入学して天才なら、6歳で入学は神かな?
あの人神童とか言われてそう。
「でもね。彼女は学園を卒業はしてないんだ」
「なんでですか? 人体実験とかしちゃいました? 人殺したとか?」
「き、きみ……なかなか過酷な労働環境に置かれているみたいだね」
ゼトラお姉さんは同情の目を俺に向ける。
あれを過酷な労働環境と言わずしてなにを過酷というのだろうか。
俺はもう十回超えたあたりから死んだ回数数えてないぞ。
「それはね……」
ゼトラはコツコツとハイヒールの音を廊下に響かせた。
「……いや。やっぱり話さなくていいですよ」
「あれ? 聞きたくない? あなたの上司の話」
お姉さんは腕を組んでこちらに振り返った。
帽子のつばでその瞳は伺えない。
「だって別に知りたくないですもん。知ったところで俺の労働環境が改善されるわけでもないので」
セエレの過去を知ったところで何があるわけでもない。
彼女の弱みを握ったところで俺なんて一瞬で飛ばされてジ・エンドだからな。
そんなこと知らなくていい。
むしろ知った方が危険だ。
「いい仲間を手に入れたんだね……」
「え? 今何か言いました?」
「いいえ、何も……」
いつの間にか俺たちは龍天宮の屋外デッキのような場所まで来ていた。
下を覗けば雲が波を作っている。
その隙間からは街の灯りが見える。
今は夜だった。
「ここからならセエレの屋敷がある街まで30分も掛からないよ」
「こんな上空からどうやって移動するんですか? まさか飛び降りるとか?」
夜風吹く屋外デッキで美女と二人、ここに高級なワインでもあれば完璧なのだが。
「そんな原始的方法じゃないよ。じゃじゃーん」
先程から空を見ていた彼女の掌からは何やら細い糸のようなものが伸びていた。
その糸の先は厚い雲の中に続いており、俺はその先を凝視した。
すると、徐々にぼんやりと二つの赤い瞳が近づいてくる。
「え……これって………」
その全貌が明らかになると俺は唾を飲み込んだ。
そこにいたのは、
「これは私のペットのドラゴン君でーす。今さっき捕まえちゃいました!」
なーんて黒髪の長髪を垂らしながらお姉さんはドラゴンの頭を撫でている。
如何にも凶悪そうな体躯を持つドラゴンはそれに対して無反応。
なんだか目がうつろだ。
「えーっと……捕まえたっていうのは……」
極細ながらも凄まじい強度の糸が、締め付けるドラゴンの皮膚と摩擦して火花を起こしている。
「さっきから糸をこの龍天宮の周囲に伸ばしまくってドラゴンハントをしてたんだよ。そしたらその網にまんまとこの子が引っかかったってわけ。どう? すごいでしょ」
いいのだろうか。
こんなことをしても四龍の皆さんに怒られないのだろうか。
「色々と言いたいことはあるんですけど、これに乗って帰るってことですか?」
「そういうこと。大丈夫これが初めてじゃないから。お姉さんにどんと任せておきなさい」
そう言ったゼトラはドラゴンの背中に飛び乗った。
自信満々な表情をしているので、俺も信用するしかないと腹を括って飛び乗る。
(めっちゃ鱗ゴツゴツで硬いんですけど……こりゃ俺の拳じゃ絶対倒せないわ)
「それじゃ行くよ。安全ベルトはないからしっかりお姉さんの腰に捕まってね」
「ハイッ!」
「やけに返事がいいわね」
お姉さんの見事なくびれに感動!した俺は腕を回した。
するとドラゴンは僅かな助走から離陸する。
今ドラゴンは飛び立ってとんでもない速度で急降下を始めているのだが……そんなこと気にならないほどにお姉さんのくびれが素晴らしい。
なんだこれ?
柔らかくて、それでいてしっかり腕にフィットする。
まるで超低反発枕ようだ。
やばい。ちょっと興奮してきた。
こんなところで童貞の弊害が……。
「我無くん? 大丈夫?」
「いやー凄いっすね。興奮してますよ僕は」
「そうでしょ! ドラゴンの背中に乗る機会なんて滅多にないんだよ!」
俺はそんな滅多にない機会とやらの中でドラゴンの乗り心地ではなく……
ひたすらお姉さんくびれを堪能していた!
全世界のファンタジーファンのみんなごめん。
俺にとってのファンタジーはもっと身近にあったみたいだ。
そんなお姉さんファンタジーを堪能していると、いつの間にやら地上に着いた。
今は街の城壁の外だ。
「はい。ここからなら屋敷まですぐだよ」
「ありがとうございました」
俺はお姉さんのくびれから名残惜しくも腕を放した。
さよなら俺のファンタジー。
あ、でももう少しだけ……。
「そういえば、私のお願いを一つ聞いてもらうって約束だったよね?」
俺が未だにお姉さんの身体から離れないでいると、前を向きながらお姉さんは言った。
その目線の先にはセエレの屋敷が見える。
「そういえばそうですね。無理難題はちょっと遠慮したいところなんですけど、お姉さんの召使いになるとかなら……」
「はいこれ。私の名刺」
俺がそんな冗談を言っていると、お姉さんは俺に真っ黒い名刺を渡した。
文字が書いてあるが、恐らくこれがお姉さんの名前なのだろう。
俺は字が読めないからわからないけど。
「それを大事に持っててほしいの。肌見放さずね。ただそれだけだよ」
「この紙切れ持ってるだけでいいんですか?」
「うん」
うーん。
怪しいなあ。
これならまだ『やっぱりセエレの屋敷に帰るのはなしにして、私の下で奴隷として働きなさい』のほうが気持ち的にはスッキリするのだが。
「この紙切れには一体何の意味が?」
「やっぱりそれ聞いちゃう? でもね、それは、ひ み つ 」
俺から質問を受けたお姉さんは俺の顔の前にぐっと近づいて、人差し指で唇に触れた。
お姉さんの細長くて美しい人差し指が俺の唇に触れ、俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。
こんなのズルい!
さいこー!
「それじゃ、早くセエレのところに帰りなさい。私のことは別に話しても話さなくてもいいわ。我無くんの好きにしなさい」
そう言い残して、ゼトラはドラゴンとともに闇夜の空へと飛んでいってしまった。
「すごかったなぁー」
俺は地面に立ち尽くし、そんな感想をこぼした。
秘密を残すことでミステリアスな雰囲気を俺に与え、
さらにセエレに自分のことを言っても言わなくてもいいという選択肢を与えることで俺は彼女の気持ちを考えることになる。
時間差攻撃だ。
お姉さんと別れた後も、お姉さんのことを考えずにはいられなくなる。
これが大人のテクニック……ってやつなのか。
やっぱりどこかのなんちゃって高位悪魔様とはその知性と余裕が全然違う。
「……なんか、帰りたくなくなってきたな」
お姉さんからもらった名刺をポケットに入れると、俺は山の麓にある大きな屋敷を見た。
龍前会議とやらが終わったから、俺たちはこのあと龍封の地? にミナの教会にあった古の転移魔法陣を使って行くことになる。
そこは人類が立ち入ることが禁忌とされている場所。
絶対不可侵領域。
超絶危険地帯である。
俺はそこに足を踏み入れることに……。
「あ、やだわこれ」
俺は回れ右して街を離れることにした。
そうだ!
蒼龍はセエレに一年間俺の身柄を預かるって言ってたんだし、一年くらい家出してても怒られないだろ。
それで、適当に冒険者稼業でもやって……。
「いやまてよ……」
踏み出した俺を、無意識化の全神経が警報を発令し一歩半のところで止める。
セエレは自分が言ったことがある場所なら世界中どこへでも瞬間移動ができるのだ。
もし、俺が彼女を無視してどこかでほっつき歩いているのが見つかったら?
パーティー仲間とウキウキショッピングをしている最中を見られたら?
(……こんなの気が気じゃねえ)
軽くホラーだ。
待ちゆく青髪の少女が全部セエレに見えてくる、そんな精神状態に陥るに決まっている。
「やっぱ大人しく帰ろ」
脳内シミュレーションでセエレの恐ろしさを勝手に再認識した俺は、再び回れ右して屋敷を目指すことにした。
受け入れよう。
彼女の奴隷となってしまったことを。
俺の数奇な運命を……。
運命……。
「あ~まだあのお姉さんと赤い糸で繋がってるような気がする~」




