第30話 そのチョーカー一生つけてれば?
机の上にちょこんと膝をついているのは召喚された堕天使のサリナス。
彼女は『失礼します』と言って机から降りた。
その頭上には堕天使の輪はなく、背中には翼が生えていない。
フォルナと同じ理由で隠しているのだ。
それでも隠しきれていない形容し難い『美』が俺の心に棲みつく。
その美は俺の心中でぐつぐつと沸騰しだし、俺は『美』ってなんだっけ? という哲学的な領域へと踏み込もうとしていた。
「どうしたんですかフォルナ様? 我無は生きているみたいですが、なにかありました?」
この地に降り立った堕天使は甘美な声を食堂に響かせた。
長い髪を魔法で結びポニーテールにしている。
(ポニーテールだぁー、やったぁー)
「違うのよサリナス。今日はね、この私が世界をひっくり返す悪魔的発明を成し遂げたからそれをあなたにも体験させてあげようと思って呼び出したのよ」
フォルナの話を聞いていたサリナスは椅子に座ろうと腰を降ろした。
「ちょっと待ってくださいサリナス様! こんな場所の椅子に座るなんてとんでもないです! ぜひ! ぜひ! この俺を使ってください!」
この地に降り立った神をただの椅子で迎えるなんてなんて恐れ多いことか。
そう思った俺は一瞬で四肢を床につけ、椅子になった。
あれ?
ん?
でもなんかこの場所に四つん這いになるのは初めてじゃ無いような気が……いや、今はそんなのどうでもいい。
「え? いいんですか? なんだか悪いような気がするんですが……」
サリナスは戸惑いながらその髪を耳にかけた。
「サリナス、座ってあげなさい。悪いのはあなたじゃなくてこの変態のおつむよ」
「そ、そうですか……それでは失礼します……」
むにょん。
直後、俺の背に押し付けられる心地よい圧力。
これが世界の重み、これが信仰の重み、これが堕天使の重みなのだ。
それを実感した瞬間、
(浄福浄福浄福浄浄福浄福ゥゥゥッ!!)
俺の頭の中は浄福という感情で一杯になった。
「そこの変態は置いておいて、サリナスはちょっとこのフォークを使ってチョコケーキを食べてみなさいよ。飛ぶわよ」
「相変わらずフォルナ様はチョコケーキが好きなんですね。このフォークを使うとどうなるんですか?」
「このフォークに魔力を流せば形を変えたり性質を変えたりできて口当たりがまったく違うのもになるのよ!」
「なるほど。それでは頂きます」
(あれ? そういえば俺さっきあのフォークを使って一口食べたよな? ……ん? えっ? これって間接キス……になるんじゃないのか!? そ、そんなことがあっていいのか? やばい、心臓がめっちゃバクバクしてきた……もう死んでもいい。このまま心臓がオーバーヒートして四肢がバラバラに爆散したとしても、もうそれで復活できないとしても……もう……後悔はない……)
「あれ? なんだか我無がぷるぷる震え出したんですが……私重かったですかね。大丈夫ですか我無?」
「だ、大丈夫です……ただちょっと、この無上の喜びを全身で表現しているだけで……」
「この変態は本当に終わってるわね。そんな椅子のこと気にしないでさっさと感想を聞かせて頂戴」
「わかりました」
俺は感じてしまった。
今あのフォークを使ってサリナスがケーキを口に入れたことを……。
みんな、俺は多分これ以上の喜びを感じることはできないと思う。
もう俺の異世界生活はこれで終わりだわ。
満足しました。
はいかいさーん。
「わっ、ほんとですね。一口目と二口目で全然感じ方が違います」
「でしょう? 凄いでしょ」
「やっぱりフォルナ様は凄いです! 最上の高位悪魔です!」
「ふふふんっ! もっと褒めてくれてもいいのよ!」
「はい! フォルナ様は……」
その後、サリナスが消えるまでの約30分間フォルナよいしょが続いたが、いつもはイライラするフォルナの自慢話も不思議と心地よかった。
これが愛、これが満たされた者の心の余裕……。
俺はこの体験を一生忘れることはないだろう。
自室に戻ったらサリナス様日記にこの経験を余すことなく記述しなければ……。
「それじゃ、サリナスまたよろしくね」
「はい。フォルナ様、ケーキとても美味しかったです。我無も椅子になってくれてありがとうございました」
「椅子になれて幸せでし、た」
そうしてサリナスは戻っていった。
感謝感激雨霰。
「じゃ、フォルナ。俺は早速部屋に戻って聖書の執筆に取り掛かるとするから」
立ち上がった俺は膝をぱんぱんと手ではらった。
「私はもう一切れおかわりするとするわ」
フォルナと別れた俺は自室へとダッシュで向かい、扉にベッドでバリケードを作った。
これから一週間にも及ぶ大規模プロジェクトが始まるのだ。
まずは今日の体験から得たサリナス様のヒップの感触についての記述を始めなければ。
俺の記憶力はニワトリレベルだ。
忘れないうちに早く取りかかろう。
意気込んだ俺はその後、寝る間も惜しんで筆を走らせ続けたのだった。
———
一週間後……。
『我無ー! ドアを開けろー!』
『もう一週間経ったわよがむぅー?』
ドアの向こう側から聞こえてくる声に俺は意識を取り戻した。
どうやら机に突っ伏して眠りこけてしまっていたようだ。
時間の感覚が酷くあいまいだ。
机の上にはサリナス様日記がページを開かれたまま置かれており、俺はそれを眺めながら呟いた。
「そうか……俺はやり遂げたんだな……」
一週間にも及ぶバイブル制作プロジェクト。
俺はそれをやり遂げたのだ。
記憶には残っていない。
おそらく脳を酷使しすぎたせいでメモリー機能までリソースを回せなかったのだろう。
だが、記憶に残す必要はない。
なぜなら目の前に記録として残っているからだ。
忘れっぽい俺でもこの日記さえあればいつでもあの幸福を味わうことができる。
「ミッション……こんぷりーつ」
俺はその日記を、隣に子供が眠る親がその子を起こさないようにそっと絵本を閉じる動作で閉じた。
そしてそれをポケットに入れ、ドアノブに手をかけて自室から出た。
「セエレが午後に戻ったら、そこから首都の旧王城までテレポートすると言っていたぞ」
最初に目に入ったのはクノスだった。
「今何時くらい?」
「午後まではあと二時間ね。何か適当なもの食べて来れば?」
「そーするわ」
俺は朝ご飯と昼ご飯を一緒に取ることにした。
向かう先は屋敷の一階にある食堂だ。
食堂に入るとSOG(食堂おばさんゴーレム)に料理を注文し、それを受け取る。
適当な席を探してそこに座った。
「いたただきまーす」
「あ、ボス!! 久しぶりです!」
手を合わせると、そこにやってきたのはトレーを持ったまのっぺだった。
『よいしょ』とトレーを机の上におくと俺の隣に座った。
「おはようまのっぺ。有意義な休みを過ごせたか?」
俺は食事に手をつけながら適当に話を振る。
「はい! なかなか楽しい冒険でした!」
冒険?と思ったが、こいつにとっての楽しい冒険は俺にとっては楽しくない冒険なので中身の話を聞くのはやめた。
まのっぺは超速でトレーのご飯を食べている。
「その冒険とやらは一人で?」
「……ん、ごくっ……違いますよ。ほら、前に誘拐犯から助けた子供がいたんじゃないですか?」
誘拐犯というのはトー・グリムスのことだろう。
そういえば、最初にあった時あいつは女の子を誘拐しようとしてたんだった。
それをまのっぺと俺で止めたんだよな。
思い返すと懐かしい。
「その子がどうかしたのか」
「魔道具店の店長さんの子供だったんですよ。それでいろいろあってその子とその友達と冒険に出かけたんです!」
「その子ちゃんと生きてる?」
「はい! ちゃんと家まで送りました!」
ならいいんだけど。
それにしてもこいつも楽しい休日が遅れたようでよかったじゃないか。
あ、でも一応確認しとかないとな。
「その子、ちゃんと五体満足?」
「はい! どこも怪我してません! 私がちゃんと守りました!」
よかった。
本当によかった。
「あ、そういえばボス。セエレから話を聞きましたか? 午後から首都の旧王城に行くみたいですよ?」
「うん聞いたよ。クノスからだけど」
「そのまま王様と合流して龍前会議に出席するみたいです」
「そういえば俺たちの服装とかってこのままでいいのか? 正装とかしなくていいのか?」
この国のトップと会うことになるんだから普段の服装のままじゃいけないような気がするがどうなんだろう。
「セエレによれば私たちの服装はどっちでもいいらしいです。着替えたいならゴーレムに言えば着替えを用意してくれるっていってましたよ」
どっちでもいいのか。
そう言われると今の服装のままでいいやとなってしまうのが俺。
でも、そうだよな。
今から会うのはこの国のトップで、会議っていうくらいだしそこに集まるのも重要人物ばかりなんだよな。
ってことはこんな冒険者みたいな服装で行ったら悪目立ちするとも考えられるか。
「じゃ、俺は適当に風呂入って着替えるとするわ。まのっぺも着替えたほうがいいんじゃないか?」
と言ってしまったが、こいつがいつも着てるのは軍服みたいな服なんだよな。
軍服ロリータ? ってやつだったか。
これはこれでありなのかもしれないが……。
「ボスが言うなら着替えてきます!」
と言って、まのっぺは椅子から降りると嬉しそうな顔で勢いよく走っていってしまった。
「張り切るのはいいんだけどさ……トレー返せよ……」
俺はまのっぺの分のトレーも返すと浴場に向かいシャワーを浴びた。
屋敷を歩いてる適当なゴーレムに話を通し、ずらりとスーツが並ぶ部屋に案内される。
なるほど。
この屋敷のゴーレムの衣装がここに保管されているということか。
「で、俺はどれを着ればいいわけ?」
「……」
無言の執事ゴーレムMk.1にされるがままに俺は服を脱いで何着か試着した。
しばらく待っていると、サイズの調整が終わったのかゴーレムがスーツを一式持ってきたので俺は鏡の前でそれを着た。
「うーん……これは……」
鏡に映った自分の姿を見て俺は思った。
似合ってるのか似合ってないのかわからない。
そもそも引きこもりでずっと家にいたからスーツ姿の大人なんて生で見る機会なかったし、これは似合っているのか?
360度くるくると回り、頭からつま先まで眺めて俺は結論をだした。
(よし。似合っているということにしよう。うん。よくよく見たらサッカーのイタリア代表みたいでかっこいいじゃないか。まぁ、顔が釣り合ってないんですけど)
それにしてもスーツってのは偉大だな。
ファッションセンスが皆無な人間でもそれなりに着こなすことができる。
シンプルイズベストだぜ。
「な、お前はこれをどう思う?」
後ろで控えていた執事ゴーレムに感想を聞いてみた。
「…………」
無言だった。
———
着替え終わった俺は書斎でセエレが戻ってくるのを待っていた。
しばらくすると、フォルナ、クノス、まのっぺが部屋に入ってきた。
「おぉ……」
着替えた彼女たちの姿を見て、俺は思わず感嘆の声を漏らす。
フォルナはサングラスに真っ黒い女性用スーツを着ていた。
その見た目はできるビジネスOLって感じ。
バリバリ仕事をしてそうだ。
クノスは白いスーツだった。
白スーツだ。
こちらもかっこいい。
「どう? 感想は? 言葉もでないってとこかしら?」
フォルナはサングラスをくいっと下にずらすと腰に手を当て上目使いでそんなことを聞いてきた。
「お前、ゲインロス効果って知ってるか?」
「なによそれ。どういう意味?」
「いや、知らないならいいんだ」
上げて下げるという言葉があるが、まさに目の前にいるこの悪魔はそれを地でいっている。
見た目に中身がまったく釣り合ってない。
流石は高位悪魔だ。
「私は……どう? 似合っている……か?」
クノスはいつも白のローブを身に纏っているため身体のラインが捉えずらい。
見えないものを見ようとすることに価値があると思っている俺にとってはそれでも全然問題がないのだが…。
今目の前にいるクノスは締まるところは締まり、出るところはしっかり出ていることがわかる。
剣士だから普段見えないところで鍛えているのだろう。
その日頃の鍛錬を俺は褒めるべきだと判断した。
「グッジョブです」
「そ、そう……か……」
恥ずかしかったのか耳が赤くなったクノス。
うん。
反応が出やすい子を褒めるのは気持ちがいいね!
「ボス!! 私は怒っていますよ! なんで私だけ!」
目線を下にやりまのっぺに目を向けると、彼女はいつもの服装だった。
「どうして私のサイズだけ無いんですか! おかしいですよ! 二人ともずるいです!」
どうやらまのっぺのサイズはなかったらしい。
こんなちびっこサイズは特注でもしない限りないだろうとは思っていたが……。
まのっぺは悔しそうに眉をひそめている。
見る人によってはなんだか子供がいじけてるように見えて微笑ましいのだろうが、俺としては今にもビーム放ちそうで怖かった。
「え、なに。みんな着替えたの?」
後ろから声が聞こえたと思って振り返ると、書斎の椅子にいつの間にかセエレが座り込んでいた。
「こっちのほうが王様に失礼もないかと思いまして」
俺はバッグから何かを取り出しているセエレに向かって言った。
ネクタイがちょっときつい気がするが、気を引き締めるという意味ではこれくらいが丁度いいのかもしれない。
「まーそうだね。ただちょっと意外だと思っただけ」
そういうセエレも研究服を脱ぎ制服のような服装を着ている。
国から支給されたものか。
「はいこれ」
俺はセエレから首につけるチョーカーのようなものを受け取った。
「なんですか? これ?」
「ちょっとしたフォルナへのプレゼントだよ。それを首につけてあげてみて」
俺はそのチョーカーを観察してみた。
中央に紫色のクリスタルのようなものがついているだけで、それ以外に装飾はない。
アクセサリーだろうか。
「なにかしら? この私にプレゼント?」
興味津々な目でフォルナはそれを見つめると、
「下僕我無よ、それをこの私の首につけることを許すわ」
人差し指で首筋をなぞってそう言った。
(いつ俺はお前の下僕になったんだよ……)
俺はセエレに言われた通りそのチョーカーを偉そうにしているフォルナの首につけてみた。
すると……。
ぱくぱくぱくぱく。
「———っぷ……あははははははは!!」
俺はその光景を見て腹を抱えて大笑いした。
なぜかって?
目の前にいるフォルナは口をパクパクさせているがまったく声が出ていないのだ。
動揺した彼女が『どういうことよ!』と顔で表現していてめちゃめちゃ面白い。
「セエレ、なっ、なんなんですか……ぷっ! こ、これは……あははははははは!!」
「ボス!!しょうわる悪魔から声が消えました!スッキリです!あははは!!」
「ふぉ、フォルナぁ……」
クノスが可愛そうな目でフォルナを見る中、俺とまのっぺは腹を抱えて書斎の床に転がっていた。
『どういうことよ! どういうことよおおーーー!!』と唇の動きから読み取れてキツい。
このままじゃ笑い死にしてしまう。
(やばい。めっちゃ口ぱくぱくさせて何か訴えてるんですけどっ、あひゃひゃひゃ!!)
「それはね。つけた者の声を強制的に掻き消す魔道具だよ。初心者女性冒険者とかに人気の商品なんだけど、今回はフォルナの口封じのために使うことにしてみた。これなら私たちが黙ってる限り悪魔だってばれないでしょ」
セエレはそう言って転移魔法陣の本をぺらぺらとめくっている。
「どうしたフォルナさまー? なんてー?」
一生懸命何かを訴えているフォルナに俺は床に転がりながら煽り口調で聞いてみた。
すると、フォルナはゆっくりとした口の動きを俺に見せ……。
———それ以上笑ったら・ぶ・っ・こ・ろ・す・わ・よ
と、無音で訴えた。
「……ぷっ、あははははハハハハハ!!」
『もおおおおおお!!』と無音で叫ぶフォルナを見ながら俺はまた腹を抱えて笑い転がった。
「一応確認だけど、みんなは私の元で働いている専属の冒険者ってことにしてるから」
「わっ、わかりました。ぷっ……それで、働き始めた時期とかその辺の設定はどうしますか?」
俺は腹を抱えながらもセエレに聞いた。
「変に盛りすぎてもあれだしね。その辺は本当のことを言っていいよ。とにかく黙っているべきことは実験のこととフォルナのこと。それ以外は聞かれたら適当にアドリブでながして」
「りょ、ぐっ……ぷっ、了解です」
「それじゃ早速旧王城近くまで移動するけど王様に変なことはしないで。私も会うのは戦略級魔導士に任命されて以来だから。必要な時以外は口を開かないように、あ、フォルナは口開いてもいいよ。どうせ声でないし」
「…………」
無言でセエレを見つめるフォルナ。
俺とまのっぺとクノスはそのシュールな姿を見て、肩を揺らす。
「フォルナ! 口開いていいってよ! あははは!!」
「りょ、りょうかいで、す……あははは!!」
「ふぉ、フォルナぁ……」
笑い声が書斎に響いた。
いつも通りセエレの魔法によって光の柱に包まれた俺たちは、そのまま首都にある旧王城まで移動した。




