中編(悪役令嬢はどちら?)
「ニィーニは、今日もすごく可愛いわね」
自ら飼い猫にブラシを入れつつ、リーリンス・ベルシアはニマニマと相好を崩す。
(おい、あまりニヤけすぎると顔ごと溶け落ちるぞ)
大人しくブラシを受け入れながら、現在、猫をやっているヴィクターは、心の中でツッコミを入れた。
「うふっ。うふふふふふふ」
とうとう思い出し笑いを始めた公爵令嬢に、(末期だな)と呆れた目を向けるが、彼女は気づかない。
あの日、ヴィクターの意識が猫の身体に入ってしまった日以来。
リーリンスは"王太子"と良好な関係が続いているらしかった。
檻からは早々に出ている。
ヴィクターが落ち着いたふりをして前脚を揃え、じっと見上げたら、「可愛い! お利口! ウチの天使を閉じ込めておくなんて無理」とすぐに鍵が外されたのだ。
リーリンスは、重度の猫バカだと判明した。
「聞いて、ニィーニ! 今度ヴィクター殿下とオペラを観に行くことになったのよ! あああ、何着ていこう」
「ギャニャッ!」
いきなり抱きしめられて、猫的には大いに迷惑! 動物虐待反対!
感情を表に出さず、氷のようだと評されていたリーリンスの本性がコレとは。
毎日のように惚気話を聞かされて、食傷通り越して胃もたれ気味だ。
「殿下とこんなにたくさんお話しが出来る日が来るなんて、夢にも思わなかったわ」
(それ、"俺"のニセモノだけどな)
依然として、なぜ自分の身体が勝手に動いてるのか。
どうしてリーリンスに甘やかなのか。
不明。
しかも、効果的な政策を次々と打ち出し、有能という名を欲しいままに活躍中と聞いて、猫の中のヴィクターは憮然とせざるを得ない。
私利私欲に走っていないようなので、いまは黙認……するしかないが。
そもそも、為す術がない。
はじめは檻から出てすぐ、王宮に戻ろうとした。
だが、屋敷から出ようとすると、身体が痛んで動けなくなる。
猫が体内に取り込んだらしい魔石が何かに反応し、全身を縛るように作用するらしかった。
二週間近く経ち、やっとその効果も薄れてきている。
そろそろ元に戻れるのでは。
戻れなければ、どうすれば。
焦る気持ちもある中、毎日リーリンスの新鮮な一面を発見してしまい、好奇心からつい現状に甘んじてしまっていた。
うきうきと弾むように、リーリンスはいろんな出来事を語ってくれる。
プリンとスープが大好きだと知った。
簡単なクッキーなら作れるけど、成功率は6割もないと学んだ。
黒焦げクッキーのイケニエは公爵で、口にした者の末路に慄いた。
悲しい時は、じっと肩を震わせて耐える性格だとわかった。
(ま、まあ、リーリンスを探ると思えば、未来に繋がるしな)
優秀で模範的な令嬢であるリーリンスは、けれども裏で相当悪質なことをしていると聞いていた。
身分をカサに、下位貴族に無理を強い、陰湿な嫌がらせをする。法律で禁止している秘薬の取り引きをして、利を得ている。
フラニーから提供された、リーリンスの悪事の数々。
その証拠を得ようと彼女の近辺を探らせても、終ぞしっぽが掴めなかった。
実に巧妙に隠している。
従ってヴィクターは、この機に自ら探索することにした。
▽
(このクローゼット奥の箱に、違法な薬が!!)
「きゃああ、ニィーニ!! それは私の失敗作の刺繍よ!!」
箱から血の跡びっしりのハンカチが何枚も出てきた時には、引いた。
ぎこちない刺繍で刺されたモチーフは、いつだったかリーリンスからプレゼントされたことがある模様で。
稚拙な刺繍に、なんの嫌がらせかと思っていたが、単なる不器用の精一杯だった。
▽
(ならば、この二重底になっている机の引き出しにある冊子が!!)
「やめてぇ、ニィーニ!! 私の愛の詩は、封印しておいてぇぇぇ」
恥ずかしいくらい"ヴィクター"を褒めそやした言葉が、びっしりと綴られていて、危うく愧死するところだった。
世に出してはならん禁書という点に、全面同意した。
▽
(ベッドの天蓋? よもやこんな場所に秘密書類を隠すとは!!)
「だめぇ、ニィーニ!! 幼い頃、ヴィクター殿下からいただいたイラスト入りバースデーカードなのぉぉ! これがあると、良い夢が見れるのよぉ」
己が描いた直筆の過去絵に、爆死した!!
証拠隠滅で破こうとしたが、リーリンスに取り返された。無念!!
▽
(リーリンスは"潔白"な気がする)
どっと疲れながら、潜入捜査でヴィクターが出した結論は、それだった。
(きっとフラニーの思い違いだ。リーリンスはどこか抜けてるから、何者かに悪く仕立て上げられたのだろう。それをフラニーが真に受けたんだ)
リーリンスの男遊びが激しいという噂だってそうだ。
ずっと見ていたが、リーリンスに他の男の影など、まるでない。
むしろ残念なほどに、異性からの好意に疎い。
彼女の従兄が訪ねてきた時、相手のアピールは悉く不発に終わった。
こいつ、自由恋愛だと一生嫁に行けんのでは、と思うニブさだった。
せっかく美人なのに、リーリンスから男を捕まえに行くのは無理そうに見える。
さらにニセ俺に対して「ますます惚れてしまう」と悶えていたリーリンスを見ると、どうやら彼女は婚約者を嫌っていたわけではない、ということも理解した。
…………。
自分との婚約は"破棄"ではなく、"白紙に戻す"という方向で検討しても良いかも知れない。
それならリーリンスの経歴に傷もつかない。
公爵家が求めれば、あっという間に次の婿も決まるだろう。
(俺はフラニーと一緒になるつもりだから、リーリンスとの婚約は続けられないが──)
フラニー、もうずっと会っていない。
彼女は何をしているだろうか。
最近、王宮の"俺"はリーリンスばかりを構っているようだから、俺が心変わりしたと傷ついてないだろうか。
元に戻ったら弁明して、ご機嫌をとってやらないと……。
ヴィクターが思案していると、使用人が顔をのぞかせ告げた。
「リーリンスお嬢様、お客人がいらっしゃいました。フラニー・ルーベ男爵令嬢です」
リーリンスと猫が、同時に顔を上げた。
◆
(フラニー!! 会いたいと思っていた矢先に、来てくれるなんて)
リーリンスが身支度する間、俺は先に彼女に会うことにした。
もはや熟知した公爵邸の廊下を、応接室に向かい軽やかに進む。
恋人と数日ぶりの再会だ。
(いつもリーリンスたち公爵邸の人間を骨抜きにしている"猫俺"の愛らしさを、フラニーにも堪能させてやろう。以前、小さい子や動物が好きだと言っていたしな)
「にゃぁ~ん」
ソファに腰掛けるフラニーを認め、サービスしてやるつもりで甘え声を出しながら、その足元に近寄る。
と。
ヒュッ。
猫の反射神経で間一髪身を躱し、俺は心底驚いた。
(いま、フラニーが! 俺を蹴ろうとした?!)
「シッ、あっちへお行き! ドレスに毛がつくじゃないの!」
(フ、フラニー?)
そう言ったフラニーは、猫である俺を蔑むように見下ろす。
王子としてはもちろん、猫になってからも俺をぞんざいに扱うやつはいなかった。
公爵邸では、この上なく大事にされていたうえ、「可愛い」という言葉しか貰ったことがない。
初めて出会う視線に、しかも最愛の恋人からの侮蔑の眼差しに、俺は動転していた。
「何猫かしら。公爵家なんて言っても大したことないのね。血統書もないような雑種猫、名もない品種じゃないの」
これは幻聴なのか? 本当にフラニーの言葉なのか?
フラニー、フラニーがいつも言ってたじゃないか。
自分は血筋には興味がない。
たとえ俺が何者であっても、愛し尊敬すると。
逆にリーリンスが俺に求めているのは、その地位と王族の血だけだと。
けれど彼女の今の発言は、その"日頃"を真っ向から否定する価値観だった。
(よく見ろフラニー、お前が恋い慕った俺だぞ? 猫姿の俺に気づいてくれとまでは言わないが、──本当はちょっと期待していたが──、それを抜きにしても!)
毎日、公爵家で心を砕いた餌が与えられ、さっきだって念入りにブラッシングして貰っている!
艶やかでフサフサな毛を持つ美猫だぞ?!
お前の目は、ちゃんと開いてるのか?
「にゃあん、にゃあん」
「もうっ、うるさい猫ね! しつこくするなら、ぶちのめしてやるわ!」
フラニーが俺に向かって手をあげようとした時だった。
「何をなさっているのです、フラニー嬢」
応接室の入り口に立つリーリンスが、冷ややかな表情で、フラニーに声かけた。
◇
「これはリーリンス様。突然の訪問、失礼しました」
ソファを立ち、淑女の礼をとったフラニーに、硬質的な声でリーリンスが追及する。
「先ほど振り上げた手は?」
「あ、これは……。こちらの猫が私のドレスに爪を立てようとしましたもので、少し下がってもらおうとしだけですわ」
(!? フラニー! 俺は爪なんて出してないぞ)
「そう。それはわたくしの猫が失礼したわね。賢く大人しい子だけど善悪を見るから、人の好き嫌いがはっきりしているみたい」
言外に"あなたは悪い人間だから、猫に嫌われている"と言ってのけ、俺を抱き上げながらリーリンスが上座に回る。
下唇を噛む、悔しそうなフラニーが見えた。
(違う、嫌いじゃない。嫌ってなんかいない、フラニー)
俺をソファに降ろし、その隣に座したリーリンスは、フラニーにも座るように促す。
早速にリーリンスが本題を切り出した。
「それで、どんなご用でいらっしゃったのかしら」
きっと顔をあげたフラニーは、開口一番、強い口調で責め立てた。
「ヴィクター殿下に、何を吹き込みましたの?!」
(???)
「最近、ヴィクター殿下が私を遠ざけてらっしゃいますの。リーリンス様が殿下に、私の悪口をおっしゃったのでしょう」
「──わたくしは、何も」
「嘘ですわ。殿下の変わりよう、おかしいですもの。きっとあなた様が私のことを悪く吹聴なさったのです」
「どうしてそう思われるのです? ご自身がなさっていたからと言って、他人もそうだと決めつけないでくださいな。わたくしは影で嘘を並べ、相手を貶めるような卑怯な真似はいたしませんよ? もし仮にそうだとしても、ご判断なさるのはヴィクター殿下です。自分の意に染まぬからと言って、わたくしにとやかく言ってこられるのは、筋が違うと思いますが」
フラニーの剣幕に、驚いた。
リーリンスは毅然とした態度を貫いた。
その後、ふたりの女性のやり取りを見ていたが、始終フラニーは苛立ち、リーリンスは冷静だった。
「取り澄ました顔をして! きっと後悔なさいますから!!」
最後には、フラニーが捨てゼリフまがいな言葉を残して、部屋を去った。
俺はただ茫然と。
これまで見たことがなかったフラニーの別の顔に、声を失っていた。
◆
(つまり俺は。リーリンスのことを殆ど知らなかったように、フラニーのこともまるで見れてなかったというわけだ)
今ならわかる。
嘘をついていたのは、フラニーだ。
(俺はあの時、爪はおろか近づけてさえなかった)
であるのに、ためらうことなく俺に罪をなすりつけた。
おそらくこれまでのことも、彼女の虚言である可能性が高い。
「どうしたの、ニィーニ。元気がないようだけど」
「ミャーウ……」
心配そうに覗き込んでくるリーリンスに、力ない声を返す。
(すまなかった、リーリンス。今日は不快な思いをさせてしまったな)
本来なら、男爵令嬢が訪れたところで、公爵令嬢が取り合う必要はない。追い返しても、誰にも咎められはしない。
彼女がフラニーに会ったのは、俺のことが絡んでいたからだ。
まさかフラニーが、ああまで礼儀知らずだったとは。
到底、公爵令嬢に向けて良い態度じゃない。
ああ、いや、俺のせいだ。
俺がフラニーを増長させたから。
フラニーを優先して、リーリンスを"悪"と決めつけ、リーリンスの言葉には耳を貸そうともしなかったから。
リーリンスに詫びることすら出来ない、猫の身が恨めしい。
(彼女を傷つけていたこと、どう償えばいいんだ?)
情けないことに、今の俺には答えが出せなかった。
◆
「はぁ……」
何度目かわからないリーリンスの溜め息をただ見守って、悲しそうな横顔を見ながら俺はいま憤っている。
最近、王宮の"俺"が多忙とやらで、リーリンスと会えてないらしいのだ。
(こいつを、こんなガッカリさせるなんて。何をしているんだ、あいつは)
不甲斐ない"俺のニセモノ"にマイナス評価を下していると、使用人が取り次ぎに来た。
「お嬢様、ヴィクター殿下のお使いの方がいらしております」
ぱっと明るい顔を見せるリーリンスに、使用人から伝言が伝えられる。
なんでも"公爵邸に近い街の区画へ視察に来ているから、束の間にでも会えたら"という内容らしい。
迎えの馬車が来ているらしい。が。
「どうかしたの?」
「それが、お忍びということで簡素な馬車しかご用意出来なかったそうなのです」
「まあ。いま秘密裡に行っていることがあると言ってらしたから、そのためかしら。お手紙か何か、殿下ご本人からという証明を預かってませんか?」
「お使いの従者殿からは、これをお見せするようにと」
(!!)
使用人がリーリンスに見せた指輪を見て、俺は心臓が跳ねた。
「この指輪なら、殿下がお持ちだったのを見たことがあるわ」
リーリンスが納得するように頷く。
「にゃああ! にゃああん」
(リーリンス、待て! 呼び出しているのは"俺"じゃない。この誘いには応じるな!!)
彼女の足元で騒いだ俺を、リーリンスがなだめるように撫でながら言った。
「ごめんね、ニィーニ。帰ってからまた一緒に遊びましょう? すぐに伺いますと、お使いの方に伝えて」
「にゃああ!!」
(リーリンス! 出かけてはダメだ!)
何を訴えても、猫の鳴き声でしかない俺の言葉は、彼女に通じない。
(仕方ない!!)
リーリンスが乗る馬車の扉が閉められる寸前、俺も飛び乗った。
魔石の効果はほぼ消えているのか、公爵邸の外に出ても、猫の身体が痛むことはなく、ホッとする。
先ほど証として示された指輪は、以前フラニーに与えたものだった。
気に入って、俺が長く使っていたから、リーリンスも見覚えていたらしい。
(なんてことだ、フラニー。俺の名を使うことを許した覚えはないぞ)
"離れている時も、殿下を感じていたいのです"。
そう言われて、渡した。
決して、こんなことに使わせるためじゃない。
嫌な予感しかしない中、馬車はどこへとも知れず、走り出したのだった。