約束手帳
男が去った後、クレイは床に落とされた水晶を拾い、のぞき込む。
見た目は水色の水晶で特別な力があるようには見えない。だがフードの男が嘘をついていたようには思えなかった。
クレイは立ち上がる。貧血気味でよろよろと歩いて、木箱の穴に手を入れてあるものを取り出す。それは母の墓に供えるはずのソウハクの花だった。
紅く染まったソウハクの花を姉の手に持たせ、優しく姉の顔に水晶を当てる。
「収棺」
すると、クレアの死体とソウハクの花は光に包まれて消えてしまった。残ったのは大量の血の跡だけだ。水晶の中をクレイがのぞき込むと中心に僅かに桃色の光がある。それをポケットに入れて立ち上がる。
「帰るか」
マルロッテ商店のマルロッテは今までにない店の繁盛ぶりに驚いていた。人が来ては薬草を求め、それを売って金を貰うのを繰り返していた。店の娘も品物を包むのに忙しくしていて、時々商品を持ってきた時に客に品物の場所を聞かれたのにも的確に答えている。
こんなに人が来るのは異常だ。何があったのかとマルロッテは客の一人に聞いてみる。
聞いたところによると、町で人が突然倒れだしたり、気分が悪くなってしまった人が出てきたようだ。医者にも原因が分からず、適当に薬を渡すわけにもいかない。そのため応急処置として薬草を求めている、ということらしい。
マルロッテが忙しくする中、ふと道の方を見ると見覚えのある人影があった。
先ほど店に来ていた男の子だ。特徴的な黒髪をよく覚えている。しかし、様子が変だ。何故か身体は傷だらけで血がにじんでいる。
「おーい、クレ」
「ちょっと!早くお会計してくださる!?」
「店員さん、もう薬草ないんですかー?」
何かあったのかと、心配したマルロッテの声は周りの客の声にかき消されてしまう。店を出ようにもこの状況を一人に任せられない。
マルロッテはモヤモヤとした心そのままに店が終わったら会いにいってみようと決めて仕事に戻るのだった。
帰宅したクレイは家の扉を開けて中に入る。家の中はひどいことになっていた。物品が散らかり、机や椅子は投げられ、収納は大きく開かれている。
おそらく聖騎士が荒らしたのだろう。家にまで来ているならばなおさら早くこの国を出なくてはいけない。
クレイは自分の部屋に入った。同じように収納は開かれているが居室に比べればまだ無事な方だ。
クローゼットから新しい服を出し、着替える。
着替えたクレイは隣の部屋の扉の前に立つ。扉に掛けられた「クレア」の文字。ノック3回。
「入るぜ」
いるはずのない部屋の主に声をかけてクレイは部屋に踏み入る。クレイの目的は自分達二人がためていた生活費だ。姉はむやみに金を使わず、自分たちが生活に必要な分だけ使っていた。信頼していたクレイは管理をすべて姉に任せていた。
クレイは一通り部屋の中を見て探したが見つからない。見えるところには無いと思ったクレイは部屋にあるタンスの中を調べることにした。部屋にあるタンスは三段になっていて上には小さな鏡や櫛が置いてある。クレイはタンスに近づき上から順に開けていく。
一段目には姉のが入っていた。他の同年代の女性に比べれば量が少なく母や知り合いの貰い物が多いからかボロボロなものもある。服の下などにないことを確認した後、クレイはそれを閉じて二段目を開けた。
「あった。財布と、・・・手帳?」
二段目に入っていたのは母が昔使っていた財布、そして手帳だった。手帳は最近買ったようで周りに比べて新しく、表紙には『約束手帳』と書かれていた。クレイは近くにあった布団に座り、自分の名前の書いてある手帳を開いた。
手帳の始まりには自分たちが聖騎士たちに目をつけられていること、自分が死んでしまった時の為にこの手帳を残したこと、財布の中身は好きに使っていいなどまるで未来のことが分かっているかのように書かれていた。
『さて、今からあなたは一人で生きていかなくちゃいけない。そんなあなたの為にお姉ちゃんがありがたいお言葉を残しておいたからしっかり読んでね。ちゃんと最後まで読んでね。あなたは本とか読むのは苦手だったけれどちゃんと考えて書いたからしっかり読んでね。』
「くどいよ」
『一つ目、自分の生きたいように生きること。どんな状況か分からないけれどあなたはやりたいようにやればいい。二つ目、意味のないことはしないこと。なんとなくで人のモノを盗んだり、暴力振るったり。そんなことしないって思ってるけどね。』
「買いかぶりすぎだ」
『三つ目、人に何かしてもらったらありがとうって言うこと。お礼は大事!四つ目、お金は大切にすること。生活費全部そこにあるからね。でも適当に使ったらすぐなくなっちゃうから。五つ目、できるだけ人を助けること、六つ目、・・・・・』
クレイは手帳を読み進めていく。途中で目の前が歪んで見えなくなるが、目をこすって読み続ける。中には『できるだけ野菜は取ること』とか『お酒、賭け事にはまりすぎないこと。やってもいいけど。』とかもあって本当に姉と話しているような感じがしてクレイは何とも言えない気持ちになっていた。
10、20、30・・・どんどん読み進めていくと、不思議なページにぶつかる。にじんだインク跡と僅かな染みの付いたそのページをめくるとその先は白紙だった。何か書いてないかと白い紙を一枚一枚目を通していくと最後のページになにか書いてあるのを見つけた。
『それじゃあ、最後、 個目、わたしのこと忘れないでね。大好きよ、クレイ。』
クレイの力が抜けて姉のベットに倒れこむ。そして声を殺して泣いた。
書いたばかりでにじんだインク跡が、白紙のページが、空白の個数が、どれだけ自分を思っていたのかを物語っていた。書こうと思っても書ききれない。
流した涙とともに体の中の体温が流れていくのを感じた。
この瞬間、クレイは変わった。手帳は幸か不幸か、クレイという存在を大きく変える呪いとなった。これがなければ彼は人間らしく生きられなかった。しかしなければクレイは人でいられただろう。
その存在はまるで手帳の中身を姉の願いとして打ち込まれ、怒りを燃料に動く機械のようだった・・・
クレイは姉のベットの上で目を覚ました。少し眠っていたようだ。窓の外を見ると夜になっている。国を出るにはちょうどいい時間だ。姉の香りがするベットから立ち上がり、クレイは手に持っていた手帳と財布を姉の部屋にあった革袋に入れて部屋を出た。
もう姉はいない。もう家に未練はない。
一杯の水を飲んでクレイは外に出た。国の端の町だからか夜にやっている店もなく道には人がほとんどいない。僅かな街灯を明りにクレイが国を出るべく国境に向かって歩き出す。
「クレイ!」
誰かに名前を呼ばれ振り返るとそこにいたのはマルロッテだった。急いで来たのか息を切らしている。
クレイはなぜここにこの人が?と思ったが、すぐにどうでもいいかと思い直した。
マルロッテはクレイのことを別人のように感じていた。冷たい目も、纏う空気も朝会った時とはまるで違う。マルロッテは臆せずにゆっくり口を開く。
「なにか、あったのかい?」
「あなたに関係することはなにも。」
「こんな時間にどこに行く気だい?」
「・・・知らない方がいいこともあります。」
クレイはマルロッテとの話をすぐにでも切り上げたかった。自分のためでもあったがそれ以上にマルロッテのためでもあった。もし自分のしたことがバレてしまったとき、マルロッテに迷惑のかからないようにしたかった。
「クレアはどうしたんだい?」
夜の街道に声が響く。マルロッテの声に背を向けて歩いていこうとするクレイは足を止めた。
「帰ってきません」
マルロッテの言葉にクレイは背を向けたまま答える。
マルロッテはクレアが仕事で帰ってこないのだと思い、「家で泊まっていくかい?」と聞くが、黙ってクレイは歩いていこうとする。
「遠慮しなくていいんだよ。」
「・・・うるせえ」
「え?」
無意識に口から出た小さくどす黒い声にバッと口を抑える。幸い、小さな声だったためマルロッテには届いていなかった。
違う。この人じゃない。俺が怒るのはこの人じゃないんだ。
僅かにイライラしだしたクレイに対して、引き留めようとマルロッテはクレイの肩に手を置こうとするが、クレイはそれを払いのける。驚いたマルロッテにクレイは「もういいだろう?」と冷たい目を向け、またも歩き出そうとした。
マルロッテはこのときどうすればよいのか分からなかった。
ただの反抗期なのか、喧嘩でもしたのか、それとも何か特別な理由でもあるのか。黙って見送るべきなのか、話を聞いてやるべきなのか。
昔からクレフィナから子供の話を聞くのが好きだった。彼女は体が弱かったために薬草を買いに来ることが多かったのでほぼ2,3日に一度は話していた。自分に子供がいなかったために共感は出来なかったが、それでも嬉しそうに話した後で、急に頬を搔きながら「子供達には内緒ね。」と照れ臭そうに言う彼女の話は心の安らぎだった。
しかし体の悪い彼女が店に来る回数が減り、彼女の子供ばかりが来るようになり、そして彼女が死んだ。彼女の子供たちはたまに店に来ても「大丈夫です」としか言わない。
何かしてやりたいと思いながら、何もしない方がいいのではとも思う。所詮赤の他人。自分が手を出すべきではないかもしれない。だから「そうかい」って済まして、「何かあったら」って後回しにしてた。言えるような子じゃないことを知っていたのに!
だからこんなことになってしまった。だから・・・今は何かするべきだと思う
「全く、ホントそっくりだよ!あんたたち姉弟は。」
「・・・?」
「自分達でどうにかするんだって。周りに迷惑かけないようにって遠慮して。人に悟られないようにってなーんも言わない。」
「・・・あんたに何がっ!?」
「でもねえ」
振りむきかけたクレイの胸元をぐいっと引っ張り、二人がにらみ合う。
「辛けりゃ頼っていいんだよ。たとえ相手が親じゃなくても。そんでもって頼った分、誰かを自分に頼らせてやればいいんだ。」
「うるさい、ウルサイ!」
バシッと首を掴む手を払い、クレイは一歩引きさがる。しかし拒絶しながらもマルロッテは一歩前へ近づく。
クレイは首元をガシガシとかきむしる。息が荒くなり、目の前が歪み、赤みがかる視界。小さなイライラは殺意へと変わり、それは相手への殺意になる。出そうになる手を僅かに残った理性が止める。
だめだ、八つ当たりは。迷惑はかけないんだ。それは姉さんとの約束だからっ!
「なにが・・・したいん、ですかっ!?」
口から出たまともな声は尋ねているのか、怒っているのか自分自身でも分からなかった。そんなクレイに小さな紙袋をマルロッテは投げ渡す。
「ちょっとしたお節介さ。そいつを渡そうと思ってね。欲しかったんだろ。」
「そう・・・ですか。ありがとうございます。もう・・・いいですか?」
冷静を装ってクレイは話を切り上げようとする。またマルロッテもクレイがせかしているのがわかり「ああ」と短く応える。
クレイはそのままもう一度歩きだす。マルロッテは引き止めたかったがやめた。彼の焦りと怒りを感じ取ったから。彼女はどうしようもない不安の中、店に戻るのだった。
「・・・はぁ、はぁ。」
僅かに息を切らせてクレイは歩き、国境門へとたどり着いた。
この国は国境に沿って大きな壁が作られ、その東西南北にその壁を抜ける国境門がある。本来は許可書を出さなければ通ることができない。しかし今日はその国境門を見張る聖騎士たちがいなかった。フードの男が手をまわしたのであろう。
ふらつき、手をつくと、バキッと堅そうな岩の壁にヒビが入る。しかしクレイはそんなことは気に留めていなかった。なぜなら、
「・・・・危なかった。あと少しで」
「俺はあの人を殺していたかもしれない。」
門の先は砂漠だった。何もない。強いて言うならばいくつか岩があるだけだ。夢のある子供が見ればがっかりするであろうその景色をクレイは一瞥する。
「もう少しだ。」
フードの男の話によればここを歩き続ければどこかに着くらしい。そもそも情報がそれ以外にない。信じて進むしかないのだ。目の前の先の見えない暗がりの道をクレイは歩き出した。
そこから三回ほど日が昇った後の夜だった。周りに何もない真っ暗な中クレイは遂に倒れた。それまでは食欲も睡眠欲もわかなかったのに突然体が動かなくなったのだ。
周りに人の気配はない。だまされたのだ。だかこれでいいと思った。クレイは薄れゆく意識の中僅かに光を見た気がした。




