牙の生えた獣
なぜ、姉さんが斬られている?
クレイの心臓がドクン!と大きく脈打つ。
なぜあいつは俺たちを狙った?
涙が溢れ出て、止まらない
なぜ俺たちが異端者なんだ?
握りしめた手から流れ出る血が床の血と混ざっていく。
なぜ姉さんは俺の目の前で倒れている?
噛み締めた唇から流れた血が花にポタポタと落ちて赤黒く染めてゆく。
なぜだ。今までしっかり暮らしていたじゃないか。母さんが死んだときも貧しい生活しかできなかった時も神を恨んだことはなかった。一度も食事の時に神へ祈りは忘れたことはなかった。法を破ったこともない。なぜ俺たちに神はこんな目に合わせる。
なぜ俺は姉さんを助けなかった?
そもそもここに俺がこなければ姉さんは逃げ切れたかもしれない。俺がいたから姉さんはここで止まらなければならなかった。俺を売れば姉さんは助かったのにそうしなかった。俺がいたから、
そうだ、こんなことになったのは俺が弱かったからだ。
俺にもっと力があれば、俺にもっと勇気があれば木箱を壊して姉さんを助けられたかもしれないのに。俺が一人で生きていられるほどの力があれば、姉さんだけでも逃がせたかもしれない。
自分は強いと思っていた。喧嘩で負けたことはなかった。それなのに大事な時に何もできない。姉さんが苦しんでいるときもただ見ていることしかできない。今だって姉さんが前で倒れているのに体が動かない。こんなにも弱いなんて気付かなった。なんでこんなに俺は、
さまざまな考えと感情がクレイの頭の中で駆け巡る。
戸惑い、悲嘆、苦痛、憎悪、後悔。感情が混ざり合ってただ一つのものとなる。
怒り
少年は怒った。
平和を脅かした敵に。
この境遇を与えた誰かに。
そして己の弱さに。
ごめん、姉さん。守れなくて。
そんでもう一つ、ごめん。約束、破るよ。
バキッ、と何かが壊れるような音がする。
「ん?なんだ?」
聖騎士は音のした方へ顔を向ける。そこにあるのは壁と異端者の死体と木箱のみ。また、木箱にはひびが入っている。
さっきは傷はなかったはず、と木箱を見やるとバキッ、とまたも音がする。木箱の傷が広がっている。何が起きているのか調べるために聖騎士はさらに木箱へ近づいていく。木箱との道をを遮るように倒れた異端者の身体を横にのけようとする。
「・・・・・その体に、」
「ん?声?」
「触れるなっ!!」
聖騎士に対して木箱のひびを広げて、声とともに赤い何かが飛び出す。
「なっ、にがっ!?」
木箱から飛び出たのは血まみれの手だった。その手は不意を突かれた聖騎士の首を掴む。鎧をつけた男を片手で引き付けるなど人間の力ではない。聖騎士の方は驚きと首を絞められていることでうまく声が出せないでいた。
しかし、さすが聖騎士と言うべきかほんの数秒で状況を理解し、地面を蹴って後ろに下がろうとする。しかし、赤い腕は全く力を緩めず、結果として聖騎士は喉元の肉を犠牲に何とかその状況から逃れることに成功した。
ヒューヒューと空気の流れ出る音がする。
赤い手の主クレイは、木箱をこじ開けると姉の身体をよけてゆっくりと聖騎士の眼前に姿を現した。クレイのその姿は人間とはかけ離れた外見をしていた。クレイは怒り狂った顔のままに聖騎士に言い放った。
「殺してやる」
聖騎士にはなにが起きているのか分からなかった。なぜ自分はあの人間にここまでの殺意を抱かれているのか。そんな考えは箱から出てきた顔を見て吹き飛んだ。
「貴様っ、異端者の・・・」
聖騎士は声を漏らす。しかし目の前のクレイは何も答えない。
言葉を交わす必要はない。彼の目的はただ一つ。聖騎士を殺すことだけだからである。
聖騎士は腰の剣の柄に手を当て、クレイの動向を窺がっていた。剣に当てた手が僅かに震える。
目の前の異端者は明らかにまともではない。構えも素人。本気で剣を振るえば相手を簡単に両断できると確信していた。しかし、しなかった。より正確に言えばできなかったのだ。
目の前の相手から感じる怒りが彼の足を止め、剣を抜くことをためらわせた。触れれば命すらも刈り取るような、そんな気がする。聖騎士の足を止めていたのは僅かな恐怖だった。
(この聖騎士である私が恐怖・・・だと?あり得ん・・・)
聖騎士は信じられなかった。己が異端者に対して恐怖していることを。そして確信した。目の前の少年には未知の何かがあると!
聖騎士は息を吸って心を落ち着かせる。そして剣を抜き、クレイへ向ける。
「哀れな、その若さで異端の道を歩むとは。お前もお前の姉も。」
「うるせぇな・・・・さっさと、死ねぇ!!」
聖騎士の言葉にクレイは怒号を上げる。そして聖騎士に走って近づき、大きく拳を振りかぶる。聖騎士はそれを難なく剣の腹で弾いた。
「いいや、哀れむとも。見たところ自分がなぜこうなっているのかわかっていないだろう。ただ目の前で起きたことだけでしか現実を理解できていない。」
「黙れっ!黙れええええ!!」
クレイは我武者羅に腕を振り回す。ブンッと音のなる拳を聖騎士は時に剣で弾き、時に躱すことでしのいでゆく。
パシッ!
クレイが苛立って放った一発の拳を聖騎士は、空いていた左手でつかみ取った。
「くそっ!放せっ!」
「貴様は運が悪い。お前の親が、姉が、判断を間違えなければ死なずに済んだのだから。」
「てめえが俺たちの何を知ってんだよ!!」
「お前よりは知っている。」
クレイは力を拳に加え続けるが、鍛えられた聖騎士の手はびくともしない。クレイは蹴りを繰り出すが鎧に阻まれる。
「我々聖騎士への攻撃は罪になるぞ。」
「だからっ!どうしたっ!」
「ここで戦う必要はないという事だ。」
聖騎士はクレイの言葉に対して子供の駄々をなだめるように返す。
聖騎士はクレイの拳を強く握り、片手で横の壁の方へなげ飛ばした。壁に叩きつけられたクレイは「がはっ」と空気を吐き出す。
「今貴様が暴れようと意味はない。お前の姉が生き返ることもなければ、貴様の運命が変わることもない。」
地面に倒れたクレイにゆっくりと聖騎士が剣を持ったまま近づいていく。
「あのまま隠れていればよかったものを。」
うるせえよ
「俺に勝てると思ったか?」
うるせえよ
「なぜ、自分の生きる道を選ばない?」
うるせえ!うるせえ!うるせえ!うるせえ!!
クレイは再度拳を握りしめる。爪が肌に食い込み、血が流れる。
「お前は、姉さんを殺した。だからっ!」
「そうだ。そして守れなかったのはお前だ。」
聖騎士の言葉は薪をくべるだけ。
「お前はっ・・・殺すっ!!」
ただ怒りの衝動が彼を動かす。
聖騎士は立ち上がったクレイに対し、切っ先を向ける。
「まだ動くのか・・・。抵抗しないでほしかったが。」
聖騎士は乗り気ではなかった。年端も行かない少年を斬ることに抵抗がない訳がない。先ほどの少女の時ですら剣を捨ててしまいたいと思った。
(自分の弱さを隠すために強い言葉を使い、剣を振るうとは・・・わたしもまだまだだな)
聖騎士は心の中で自分を笑う。気丈に振舞ってはいたが彼もまた人間であった。
(それでも、主の意思なのだから理由はあるはず)
だから、これが世界を救うと、彼らを悪しき運命から救うと信じて、
「主よ、この哀れな少年に救済を。」
非情に剣を振るおう。
先に動いたのは聖騎士だった。一直線に首を狙って剣を振るう。「苦しませないように」という僅かな情を含んだ剣を、クレイは意にも介さず剣の腹を弾く。
ガキィン!と金属のぶつかった音をさせて弾かれた剣に引かれて聖騎士は態勢を崩す。
(まずいっ!!)
その隙を逃さずクレイは一瞬で近づき、聖騎士の顔に手を伸ばすと思いっきり地面にたたきつける。石畳の床と鎧がぶつかり鈍い音を鳴らし、少し遠いところでカランと剣の落ちる音が響く。
倒れた聖騎士の上にクレイは馬乗りになるとそのまま何度も顔を殴りつける。皮の剥けた拳で殴られるたびに聖騎士の顔が血に染まっていく。
聖騎士は立ち上がろうとするがクレイと鎧のせいでうまく立ち上がれずにいた。
勝敗はほぼ決した。
殴るたびに聖騎士は声を失っていき、喉から出る息も薄くなった。クレイは相手が抵抗できないであろうと分かると、クレイは両手ほ広げ、首を包むように添える。
「死ね」
目の前の仇を殺すべくクレイは首を絞めるべく手に力を加えようとしたその時、
「・・・クレ、イ」
振り下ろしかけた腕が止まる。クレイは今の状況も忘れて後ろの方を見た。
今のは確かに姉さんの声だ。まさか生きているのか?あの傷で?
聞こえるはずのなかった声にクレイは動揺する。さまざまな考えが雑念となり、怒りを鈍らせる。そしてその動揺は今の状況において致命的なものだった。
聖騎士は上からの圧力が弱くなったことを感じ取ると、上に乗っていたクレイを押しのけた。尻もちをついたクレイを横目に、その間に聖騎士は剣を拾いそれをクレイの腹部に突き刺した。
「がっ・・・」
クレイは短く悲鳴を上げ、後ろに倒れる。抜き取った剣に付いた血を掃う。
「これが神の意志だ、異端の少年。貴様らの愛やら怒りやらではどうにもならない運命なのだ。」
聖騎士はクレイの首元に刃を向ける。息をするたびに喉元から空気が漏れ、血が流れる。漏れる空気がむき出しの触覚を撫で激痛が走るが、それを感じさせない態度で聖騎士はクレイの前に立つ。
「私ももう長くないな。神よ、最後に、我が命をもってこの哀れな少年の魂の救済を。」
聖騎士は首を斬り落とそうと剣を下ろしていく。ギロチンの如く振り下ろされた刃はクレイの首を落とし、短い人生の幕を閉じる・・・・はずだった。
バキッ!という奇妙な音を鳴らして剣が防がれる。クレイの片手がその刃を掴んでいた。
聖騎士は剣を下ろそうと力を籠めるが、全く動かない。クレイは聖騎士の言葉を聞かず、その剣を押し返そうとする。
「なぜ、お前たちはそこまで抗おうとする、、、」
聖騎士は僅かに悲しげな声をこぼす。
その時だった。
ピキッ
小さな音が響く。掴まれた部分から聖騎士の持っていた剣に黒い線が入り、瞬く間にその傷は広がってゆく。聖騎士は嫌な予感がして剣を早く手元に戻そうとするも相手の手は離さない。そしてバキン!と甲高い音を鳴らして聖剣が半ばで折られた。
「なっ、」
それが折られたことに聖騎士は驚く。が剣を折った元凶、クレイが驚き目を見開いた聖騎士の顔に向かって何かを投げつけた。
咄嗟に聖騎士は目を瞑るが、投げつけられたそれは肌をかすり、傷をつける。クレイが投げたのは聖剣の破片だった。
「貴様っ!!」
聖騎士は目を閉じたまま地面に拳を叩きつけるがクレイは首を曲げてそれを避ける。石畳の地面にひびが入り、二人の目が合う。
その異端者の目を見て聖騎士にとあることを思い出す。それは郊外の町に出た獣を駆除したときの記憶だった。手負いの身でありながら逃げることなく向かってきた獣の姿。
目の前の異端者の目が、その理性なき獣の目そっくりだったから。
「コロ、ス」
たった三文字のクレイの言葉と獣が如き眼光で、聖騎士の体は金縛りにでもあったかのように動きを止める。
本能が叫んでた。この何かに手を出すべきではないと‼︎
聖騎士がその拘束を解こうとするが、それよりも先にクレイは怒りを籠めた手刀が聖騎士の鎧に突き刺さった。
聖騎士の鎧に当たった手刀は少し拮抗した後、鎧の砕ける音と骨が折れる音が重なり、手刀は聖騎士の体を貫いた。
肉と骨の壁を突き破り、骨の砕けたクレイの手刀はその勢いのまま内臓に穴を開ける。致命傷だった。聖騎士は血反吐を吐いた。
「!ゴフッ・・・。なん、だと。」
「・・・・・」
「私としたこ、と・・・が。主・・・よ。」
カランと剣が手から落ちて聖騎士はぐったりとして刺さった手刀に体重が乗っかる。クレイが手刀を抜くと聖騎士は崩れ落ち、ガシャンと音をさせ、前に倒れた。もう聖騎士は息をしていない。
これでクレイは復讐を終えたはずだった。
しかしクレイは止まらず、鎧を着た聖騎士の亡骸を蹴り飛ばすと、仰向けになったその顔めがけて拳を振り上げた。骨の折れたその血まみれの拳で何度も、何度も殴り続けた。ベキッ!メキッ!とどちらのか分からない骨の折れた音をさせながらクレイは無言で殴り続ける。
聖騎士の顔を家族の仇が如く、いや家族の仇であるがためにクレイの怒りの拳は目が潰れようが、鼻が曲がろうが、歯が手に刺さろうが止まらない。憤怒の心が止めることを許さない。
もし、誰かが今の彼の姿をが見たとしたら、ほとんどの人が彼を人だとは思わないだろう。それほどまでに今のクレイの姿は酷いものだった。
唇は噛みちぎられ、血走った目から血か涙かもわからないような液体が流れている。腹に穴を開け、全身は血にまみれ、砕けた拳は目の前のモノを殴り続ける。
ベキッ!ボキッ!ブチッ!グシャ!バキッ!ゴキッ!・・・・・・・・・、
「はあ、はあ、はあ・・・ああ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
クレイが我に返ったときに目の前にあったのは、原型を留めていない肉塊だった。
クレイは怒りを忘れて、大声で泣き出した。
彼が人を殺すのは初めてだった。手には貫いた肉の感触が残っている。拳には痛みしか残っていない。怒りがままに人を殺し、そこに残ったのは喜びではなく空虚感だった。あらゆることへの後悔だった。
「そうだ、姉さん・・・。」
立ち上がりよろよろと少しずつ倒れる姉の方に向かう。確かめたかった。姉さんは生きているのかと。出来るのならばもう少しだけ話をしたかった。この後悔を口にして、謝って、最後にその横で眠りたかった。
傷は深い。自分はもう長くないだろう。死ぬのなら姉の横で死にたかった。懸命にクレイは姉の方に向かう。数歩分の距離しかないはずなのに不思議と遠く感じた。
やっとのことで姉のもとにたどり着くと傍に腰を落とし、脈を確かめる。脈は、ある。僅かだが、心臓の動いているのが分かる。希望をこめて倒れる姉に話しかける。
「姉さん。わかるか。」
「・・・・・・ク・・・レイ?」
クレアはぼんやりとだが意識はあるようで、クレイの名前を呼んだ。
「姉さん。医者行こう。今なら・・・」
「あなたは・・・だいじょう・・・ぶ?」
「ああ、大丈夫。」
「そう・・・。良かった。」
嘘だ。剣の刺さった腹は焼けるように痛いし、今寝たら二度と起きられないだろうと思うほど体がだるい。精神的にも手に付いた肉の感触で吐きそうになる。
それでも心配させないように虚勢を張った。
「あなた、は・・・私の分も、・・・生きて・・・ほしいもの。」
嘘だ。この傷じゃあ一日も持たない。そもそも二人とも生きていることが不思議なほどだ。
クレアの状態は酷かった。切り裂かれた胸元からはダラダラと血が流れている。何よりも時間が経ちすぎていた。戦闘の約数分。今、話せていることが奇跡ですらあった。
「わたしは・・・もう、だめ」
嘘だ。
「昨日、あんなに元気だったじゃん。こんな突然、死ぬとか」
「お母さんの時と、一緒よ・・・」
「母さんは元から体悪かっただろ!」
たまらずクレイは大声を上げる。息を荒げ、姉の方を見たまま泣き崩れる。姉の肩をガシッと掴む。姉を見る彼の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
「頼むよ、・・・生きてくれよぉ・・・。じゃないと、俺は」
「ごめん・・・ね。弱い・・・姉で・・・。あなたに我慢・・・ばっかりさせて。」
「我慢してたのは姉さんのほうだろ。ほら、これ!薬屋のひとがくれたんだ!絶対似合うと思うんだよ!だから、」
同じだ。父は記憶になく、母が死に生きることの唯一の支えは彼女だった。貧乏だと周りの奴らには馬鹿にされた。母には頼れる親族はほとんどいなかった。それでも、愛せる人も愛してくれる人たった一人。なのにその人は今や死の淵で言葉を話すことしかできない。
そんな自分への不甲斐なさや無力さにクレイの目から涙がこぼれる。
「泣かない、で・・・。いつまでも・・・わたしは・・・貴方を・・・愛してるから。他の誰よりも。・・・この世の何よりも。」
クレアは死にかけながらも、いつもみたいに「隠さず言いなさい」とクレイに言う。いつも通りの優し気な笑みで。
クレイもまた、涙を拭って、いつもみたいに微笑む。
「全く。敵わないな、姉さんには。」
「ごめん、姉さん。昨日した約束、守れなかった。」
「見てたわよ・・・。仕方ないわね。・・・でも、嬉しかった。私のこと・・・そんなに思ってくれてるんだって。喧嘩は、ダメだけど。」
ゆっくりと微笑んだクレアを思わずクレイは抱きしめる。自分の傷が開くことを気にも留めず姉が傷つかないようにやさしく、しかし自分の思いが伝わるように強く、強く抱きしめた。クレアの動くはずのない手がクレイの背中に触れる。
「ああ、大きくなったね。力も・・・強くなった。今までで・・・今が、一番幸せ。」
そして、訣別の時は訪れる。
「本当は・・・もっと、・・・あなたと生きたかった。じゃあね。大好きよ、クレイ。」
そういってクレアはそっと息を引き取った。
「ああ俺もだよ、姉さん。」
姉の顔に大粒の涙が落ちる。




