見舞い話
コンコンと扉を叩く音。とある宿の一室の前で立っている女性が一人。栗色の髪に、派手さのない斡旋所の制服、手に木のかごを携えた彼女は返事の返ってこないその扉のドアノブを手にとり、躊躇することなく押し開ける。
「失礼しますよ、クレイさん・・・・・って」
そうして入ったメアリーは部屋の中の光景驚きの声を漏らした後、続いてはぁとため息をつく。
部屋の奥で上半身だけを僅かに持ち上げ、目を閉じている黒髪の少年。それはいい。彼女の驚きの、そしてため息の理由は彼女の目の前でふわふわと浮かび上がるガラス瓶だ。しかも一つではなく10を超えるガラス瓶が部屋の中の空間を浮遊しているのだ。
窓からの日光を反射してキラキラと光るガラス瓶達はなんとも幻想的である。あるのだが、
「なにもさせるなってグレイブさんに言われてるんですよ。・・・・・"妨伝"」
「あ・・・・・?」
ピクッとベットで座るクレイの体が揺れる。メアリーが使ったのは意識を一瞬遮断する心術"妨伝"。それによりクレイの「物を動かす」という意識が途切れる。"念力"は切れ、宙に浮いていたガラス瓶がカラカラと音を立てて床へと落下する。
そこまでされてようやく来客の存在に気がついたクレイはその目をゆっくりと開け、縛り付けられた手足をそのままに僅かに体の向きを扉の方へと向ける。その顔は元気そうではあったが、どこか気の抜けたような、斡旋所に居る時とは全く違うそんな様子だった。
「あ、受付の・・・・・メアリー、さん?」
「はい、そうです。まったく・・・・・無理ばっかりして」
メアリーは部屋へと入ると、ベットのそばに置かれた木製の椅子に深く腰かける。クレイは知らない。彼女がここに来るまでどれだけ心配していたのかを。血色の良い顔を見てようやく安心したメアリーは張っていた肩の力を抜き、持っていた木のかごを小さな机へとのせる。
ガサゴソとかごの中を漁り、メアリーは皿と果物包丁そして緑色の果実を取り出すと、手元でその果実の皮を丁寧に剥いていく。
「体調はどうですか?痛いところとかありますか?」
「問題ない・・・です。だから、」
「ダメです。何もさせるなって言われているので。」
否定の意を表すためメアリーは切り終わった果物を皿において、両手の人差し指で小さな×の字をつくる。慣れていない敬語も、下手に出た態度もすべては自分を縛る"黒重印"を解かせるため。それは彼女にもわかっているのである。
しかし彼は諦めない。小さく舌打ちをすると、ちらりとその視線を机に置かれた皿へと向ける。
「食べられないので・・・・」
「くどいです。後、その敬語やめた方がいいですよ。はい、あーん」
メアリーは果物を一切れ手でつまむと、それをクレイの口元へと運ぶ。しかし明らかに不機嫌そうな顔になったクレイはその口を開けようとしない。メアリーはやれやれと呆れたようにしてつまんだそれを自分の口へと放り入れる。
もちろん彼女は嫌がらせでこうしている訳ではない。グレイブとの約束もあるがそれ以上に彼女はクレイの体を人一倍心配していた。自分が弟のように思っていた年端もいかない少年が理由は分からないが大人以上の無理をしている。自分では言わないが、彼女が受付嬢ではなく素で話せる少ない人物。
「とにかくまず休んで。栄養とってください。せっかく持ってきたんですから」
「栄養は薬でとれる。体はもう動く。だから、」
「クレイさん・・・・・・すみません」
その言葉から今まで座っていたメアリーは立ち上がると、突然クレイの上着をめくり上げる。手足が縛り付けられたクレイが抗うすべはない、というより抗う気もない。もうそれに感じる羞恥も驚きも薄くなっていたからだ。
あらわになったクレイの体は酷いものだった。まず目につくのは腹部についた大きな傷跡。そして肩に残った傷。前者は聖騎士に、後者はフロイドによってつけられたものだ。この二つは深かったため一月ほど経った今でも残っている。そしてそれ以外にも大小さまざまな傷がつけられ、治っていないものには"凝血"で作られたかさぶたで塞がれている。
また肉付きもよくなかった。鍛えられ、上から見えるほどの見違えた筋肉。そしてそれ以上に減っている体の肉。筋肉が目立ち、その周りに一段落ちた肉と皮。骨もうっすら見えるほどだ。
「大丈夫なわけないでしょう?こんな体になるまでやって・・・・・」
「俺がやりたくてやっていることだ」
「やらせるわけないでしょう!本当なら訓練すらやめさせたいけどあなたは止まらない。だからせめて今日だけはゆっくり休んで・・・・・」
「俺が倒れてもあんたは困らないはずだ。赤の他人だろ。あんたもグレイブも、なんでそこまで」
「他人の心配することがそんなにおかしいですかっ!?」
メアリーの大声が狭い部屋の中で響く。クレイは言葉を失い、ただぱちくりとまばたきだけを繰り返す。
彼女は家族ではない。そこまで長い間柄でもない。それなのになぜここまで心配をしてくれるのか。"憤怒の心核者"になったからクレイには分かる。今、メアリーは怒っている。しかもそれは自分の生き方とは違う。自分ではなく、他者のために怒っているのだ。それなのにここまで怒っているのだ。
気まずくなった雰囲気にメアリーははっとするとゴホッと咳ばらいをする。
「とっ、とにかく!今日はダメです。今日は私が見張っていますから、逃がしませんよ。」
「ちっ」
目の前に聞こえるほどの大きな舌打ちをしたあとでようやくクレイがおとなしくなる。
ほっと息を吐き、そーっとメアリーはクレイの口元へと切った果実を運ぶ。クレイが何も言わず口を開けたのは諦めたのかそれとも納得したからか。ようやく落ち着きを取り戻した空間にしゃく、しゃくと租借音だけが鳴っている。
「・・・・・クレイさん。食べながらでもいいので聞いてください」
机の上の果実が半分ほど減ったとき今まで黙っていたメアリーが口を開く。今まで以上に落ち着いた声と真剣なまなざし。元々クレイにすること、できることはないため拒否する理由はなにもない。クレイは口の中の甘い果肉をごっくんと飲み込む。
「なにを?」
「知りたいんでしょう?あの人の強さの理由を」
言われてクレイは「あぁ、あいつの話か」と気づく。だがあの時は勝手にゲイルが話を振ってきただけのことであって、クレイにとってそれは・・・・
「・・・・興味」
「「興味ない」とか言わないでください。元々今日来たのは監視のためともう一つ・・・これを聞いてもらうためなんですから。時間はとりません」
そこそこクレイの性格を理解したメアリーはクレイの言葉を最後まで言わせない。開きかけのクレイの口に見舞いの果実の一切れで突っ込んで塞ぎ、少しづつ話し始めた。
その男の生まれは何の変哲もないものだった。地図に載っている一国の中で見えないほどの小さな文字で地名の書かれた農村の一つ。そんな場所で男は生まれた。両親は畑で生きてきたただの農民。平和な場所で病気することなく過ごしていた。
その時はまだ農民でありながら、戦士という存在にあこがれを持つ男だった。絵本のなかにいるような強い力で人々を助ける、そんな人を目指し農民として両親を手伝いながら辺境の地で夢のため体を鍛え・・・・十五になった頃、彼は村を出た。無論、夢のためであった。
両親は心配こそしていたが彼を止めることはなかった。ただ「頑張ってこい」と。村の人に見送られ、男は歩いて半日ほどの町へとたどり着き、斡旋所にて人を助けることに精を出していた。
最初は猫探しやら薬草集めやら戦いとは無縁のものだったが「人を助けた」という感覚は彼にとって心地よいものだった。そうして生活していたある日、転機が訪れる。
それはとある男との出会いである。たてがみが如く栗色の髪を伸ばし薄く髭を生やしたベテランの冒険者、のちに「先生」と呼ぶその男に戦いの才能を見出されたのである。師匠の指導により、元々あった才能を伸ばし、やがて彼は憧れの戦士へと、町で並ぶもののいないほど強い冒険者へなっていった。
そんなときだった。手紙によって知らされた母親の病気の知らせ。しかもかなり重いもので今も寝たきりなのだと。すぐにでも戻りたかった男ではあった。しかしそれはとある理由により出来なかった。
それはひとえに金銭的な理由である。男の母親の罹った病は治すことが難しく、そして症状を抑えるのに多くの金が必要だった。一端の農民が払えないほど多くの。対して男はその実力により手に入る斡旋所の依頼での報酬は家で畑を耕すときの何倍もの金額だった。つまり母を生き永らえさせるためにここに残らなくてはいけなかった。
その日からである。男の戦う理由は「分からない誰か」ではなく「家族のため」となったのだ。彼は依頼で国中を周りながら、時々故郷へと戻り寝たままの母の手を握りに帰る。その時の男は自分のことなど顧みることなく、母のために無理をし続けた。食う暇も寝る暇も惜しんで戦い続けていた。そんな精神をすり減らすような生活。そんな時だった。とある国の武術大会、そこで優勝すれば国の保管庫からなんでも一つ与えられると。そしてその中には・・・・・"あらゆる病気を治す薬"があるという噂を聞いたのは。
藁にもすがりたい思いだった男はその噂を聞きつけ、馬車で3日ほどの国へ向かう決意を決めたのだった。そしてそこで男の名がただの一国から世界へと広がる最初の出来事が起きることになる。
他国にも知られるほどの大きな大会、そして豪華な優勝賞品。男だけではない。多くの強者たちがそれを手に入れようと大会に参加していた。しかし男に並ぶ強者はいても、男ほどの心は誰も持っていなかったのだ。大会に訪れた多くの強者をその実力と鬼気迫るその意志でなぎ倒すその様を見た人々は口をそろえて言うのだ。彼に敵う者はいない。彼こそが、「人類最強」だと・・・・・。
かくして男は"あらゆる病気を治す薬"を手に入れ、その長い帰路についた。ようやくこれまでの努力が報われるのだと。このままこの話はハッピーエンドで終わる。そうであればどれだけよかっただろうか。
帰り道、すっかり日が沈み一度休んでから故郷へ向かおう、そう思い斡旋所へと立ち寄った男の耳に届いたのはとある場所で大型の魔獣らしきものが暴れているという知らせ。その場所は、男の故郷。
周りの止める声に耳を貸さず男は急いで自分の故郷の村へと向かった。後から分かったことであるがそのとき斡旋所にはもう一つの連絡が届いていた。送り主はなんと教会。やけに形式的な長い文だったらしいがそこに込められた意志は一つ。
「"神の獣"故、手をかけてはならない」と。神の力を与えられたその獣により起こるのは天罰。それによって命が失われるのは神の意志であると。故に手を出すなとそういうわけだった。最も男はそれを聞いても助けに向かっただろうが。
教会の言葉は絶対。そんな中で男を止めない人物は・・・・たった一人。それは男の師匠であった。むしろそれを聞いて尚、自分の馬に彼を乗せ、一刻も早く男を故郷へと向かわせた。
そうしてたどり着いた男の故郷は酷いものだった。逃げ惑う人々とあちこちで家を焼き夜を照らす炎と黒煙。香る焼け焦げた臭いと血の臭い。そして・・・・・男は見たのだ。自分の家が、己が両親のいるはずのその家を潰し、その中心でたたずむ輝く白い鱗を持つ八の首を持つ大蛇を。
それ以上のことは伝えられていない。ただ教えられたのは犠牲者は両手で数えられる程度だったと。そしてその大蛇は一人の人間によって退治されたのだと。
許されざる罪だった。獣とはいえ神の使いを手にかけることは、神の意志を捻じ曲げることは。しかしその常人を越える力を「使える」と思った教会はとある措置を行った。その人物に"人類最強"の称号を与え、人類を守る人間、人類の最終兵器として教会の支配下に置くと。
そしてもうひとつ。男を異端者としないために彼が背負うはずだった罪を一人の人間へと被せることにしたのだ。事実故に神の獣を殺した罪は消すことはできない。が、その責任を他の人間に移してしまえばよいと教会はそう考えたのだ。
そうしてすべての責任はある一人の人間がすべて背負うことになった。彼をその場所へと導き、その事件の場にいたにもかかわらず彼の意志を尊重し止めることをしなかった。ある一人の人物に・・・
読んでいただきありがとうございます!
男の過去についてもっと深く書こうとも考えたのですが話が進まなくなりそうだったのでこういう形にしました。もっと詳しいことはまたいつかということで・・・・